第6話 寺町へ抜ける細い坂道
雑木林を抜けた先の道は、道と呼ぶには少し気が早い幅しかなかった。笹の葉に肩をこすられ、低い枝を避け、二人並べば片方が必ず草むらへ落ちる。それでも確かに、人の足が長く使ってきた跡がある。
陸矢は坂の途中で立ち止まり、古い地形図と今のスマートフォン地図を交互に見た。
「この傾斜なら、荷車は無理でも背負いなら通る」
「瓦を背負って?」
未羽が目を丸くする。
「それだけじゃない」
陸矢は、少し上を指した。
「寺町の表参道を使いたくない人も」
香音が、その言葉のあとを受ける。
「逃げてくる人、帰りたくない人、見つかりたくない人」
洸太は坂の先を見上げた。木々の切れ目に、寺町の屋根瓦がほんの少しのぞいている。見えているのに、まっすぐは行けない距離。そういう道だと思った。
坂を上りきると、そこは石垣の裏手へ出た。表から見れば、ただの寺町の脇道にしか見えない。だが内側から来ると、人ひとりが身をすべらせるには十分な隠れ方をしていた。
千加子が野帳を閉じる。
「絵図に女性の通行が多いとあったのは、この道かもしれないわね」
「女たちの道、ってことですか」
洸太が聞くと、千加子は少し考えた。
「そう決めつけると、また物語が強くなりすぎる。でも、そう呼びたくなる理由のある道ではある」
未羽は石垣の陰から表通りをのぞき、そこでふいに表情を消した。
「ねえ」
珍しく声が軽くない。
「たとえばだけど、家に戻るのが怖いときってあるじゃん」
香音が、すぐ隣に立った。
「ある」
短い返事だった。
未羽は頷くでもなく、石垣の角に指を置く。
「そういうとき、こういう道が一本あるだけで、人ってぜんぜん違うんだろうね」
その言葉に、洸太は何も返せなかった。自分はこれまで、この町の歴史を知ることを、正しさに近づくことだと思っていた。けれど今、目の前にある細い坂道は、正しいかどうかより先に、助かったかもしれない誰かの息づかいを想像させる。
そこへ、通りの下から、商店街の配達用原付が唸りを上げて坂を曲がってきた。乗っていたのは章光だった。ヘルメットを脱ぎながら、石垣の裏に大人が五人も集まっている光景を見て、あきれたように笑う。
「何してるんだ、秘密基地でも作るのか」
「町の裏道を見てました」
洸太が答えると、章光は石垣の向こうをのぞきこんだ。
「へえ。こんな道、俺も普段は見ないな」
「普段は表ばっかりですもんね」
未羽が言うと、章光は肩をすくめた。
「表を見ないと、会議で怒られるんだよ」
その一言のうしろに、ため息より重いものがついていた。洸太はそれに気づきながら、何も言えずにいた。
章光は原付の荷台から冷えたペットボトルの麦茶を取り出して、順番に放ってよこす。受け取り損ねそうになった未羽が「あぶな」と声を上げ、ようやく場の空気が少しゆるんだ。
「今日は午後、再開発の事前説明がある」
章光は石垣に背を預けたまま言う。
「遺構が出るかもしれないって話だけで、もう工事会社は落ち着かない。商店街は商店街で、客足が鈍るのを嫌がる。保存しろって言うのは簡単だけど、放っておいて守れるもんでもない」
香音が腕を組む。
「壊すのはもっと簡単よ」
「知ってる。でも、壊さないためにも段取りと金が要る」
章光はそこで、洸太のほうを見た。
「見つけたものを守りたいなら、面白いだけじゃ足りないぞ」
その言葉は、責めているようでいて、責めきれていなかった。むしろ自分自身へ向けて何度も言い聞かせた台詞が、こちらへこぼれたような声音だった。
洸太は麦茶の蓋を開ける。冷たさが掌からじわりと広がった。
「……分かってます」
そう答えたが、分かっていることと、できることの間にある距離は、今上ってきた坂よりずっと長い気がした。
章光は頷き、もう一度ヘルメットをかぶる。
「じゃ、俺は表に戻る。裏道組は、昼までに下りてこいよ。熱中症で倒れたら保存も活用もないからな」
原付は石垣の脇を器用に抜け、寺町の通りへ戻っていった。
その背中を見送りながら、未羽がぽつりと言う。
「表にいる人って、いつも損だね」
香音が答える。
「表で怒られて、裏では本音をこぼすからね」
洸太は、章光の残した言葉を胸のどこかへ引っかけたまま、もう一度、細い坂道を振り返った。
この道は、人を隠したのだろう。
けれど今は逆に、隠されてきたものを表へ運び上げようとしている。そう思うと、足元の土の色まで違って見えた。




