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戦姫メイド  作者:
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9/19

第9話 ベルハイム前夜

夕刻、ジャサントは周辺集落記録帳の最後の欄を埋めた。


ベルハイム。

更新停止、三日目。

偵察報告、本日二件。

南側斜面、魔物推定数三十。

進行方向、北東。

ベルハイム経由王都街道、進路可能性高。

集落外周、未接近。

内部状況、未確認。

被害想定、未救援時七十以上。

被害想定、王都街道未防衛時二百以上。

必要兵数、王都二十四/ベルハイム十二/同時三十二。

現在最大運用、十六。

不足、八。

優先決定、保留。


砂を振る。

頁を乾かす。

閉じない。

今夜のうちに上から決定が下る。

決定が下りた時点で、欄を書き換える必要がある。


地図はそのまま残された。


王都街道の線。

ベルハイムの線。

南側斜面の進路線。

三本のうち、夕刻までに消された線はなかった。


ガルドは中庭の方へ歩いていったあと、もう一度戻ってきた。鍛錬場までは行かなかったらしい。地図の前で立ち止まり、ベルハイムの線の終点を指で押さえる。指の腹で押さえているだけだった。線をなぞるでもなく、終点だけに圧をかけている。


「決まったら、どっちに行くんだ」


「決定次第です」


「ベルハイムの方になったら」


「はい」


「俺もだ」


ジャサントは顔を上げた。


「未決定です」


「決まったら、俺の名前も書いとけ」


「後衛札の補助欄に、すでに記載があります」


ガルドは少しだけ間を置いた。


「最初から入ってたのか」


「補助欄は、決定前に組まれます」


「俺に確認もなしか」


「補助欄は確認対象外です」


「ふん」


ガルドはそれ以上言わなかった。

だが、地図の前から動かなかった。

ベルハイムの線の終点に置いた指は、しばらくそのままだった。


ジャサントは周辺集落記録帳の補助欄を、もう一度開いた。


ハイネ・ルツ。男。北井戸補修補助。

サラ・ベルン。女。礼拝堂避難補助。

ミア・オル。女。乾パン配分補助。

他、署名札なし、合計百十四。


サラ・ベルンの欄には、括弧書きで一行が添えられている。

礼拝堂避難補助、幼児ノア、母子同伴。

ノアの欄は、最終確認時点で四歳のまま止まっていた。


ジャサントは頁を一枚めくった。


帳面の最後に、記録担当者欄がある。

ベルハイムの担当者欄には、彼の名が書かれていた。月一度の人口票を、最後に受け取ったのが彼だった。担当者欄は、再開時にも同じ者が引き継ぐ。書き換えのない欄だった。


ガルドが横から欄を見た。


「お前の名前か」


「最終確認の担当者です」


「だから、行くのもお前か」


「決定次第です」


「決まらなくてもか」


「担当者欄は、再開時に引き継がれます」


「再開しなかったら」


ジャサントは少しだけ間を置いた。


「閉じることになります」


「閉じるって」


「集落単位の死亡確認です」


ガルドは答えなかった。

ベルハイムの線の終点から、ようやく指を離した。

それから補助欄の三つの名前を、上から順に見た。

ハイネ・ルツ。

サラ・ベルン。

ミア・オル。

読み終えてから、サラ・ベルンの脇の括弧書きで、もう一度視線を止めた。

幼児ノア。母子同伴。


「子どもがいるのか」


「最終確認時点では」


「四歳」


「はい」


「鐘、鳴ってないんだろ」


「はい」


「灯りも、煙もない」


「はい」


ガルドは口を閉じた。

怒鳴れない種類のものを見ている顔だった。

昨日までと違うのは、その顔がベルハイムの方を向いていることだった。


リィナは机の左側からそのやり取りを見ていた。

札を押さえる手は止まっていた。

首元の札と、その下に並んだ二つの半分の乾パン。指は札の上にあったが、力はかかっていなかった。聞いていた。理解できる範囲だけ、聞いていた。


「ねえ」


ジャサントに向けて、小さく言う。


「何ですか」


「あなた、いくの?」


「決定次第です」


「決まったら」


「担当者欄に従います」


「ガルドも」


「補助欄に名前があります」


リィナはガルドの方を見た。

ガルドは振り向かなかった。

ベルハイムの補助欄、サラ・ベルンの行を、まだ見ていた。


「ふたりで」


リィナが言う。


「決定次第です」


「行ったら」


「業務を行います」


「業務」


「人口票の再確認、生存者の照合、必要に応じた処理」


「しょり——」


ジャサントは答えなかった。

リィナはそれ以上聞かなかった。

首元の札を一度だけ強く押さえ、すぐに離した。


ガルドが帳面から目を離した。


「決まる前に聞いとくぞ」


「はい」


「ベルハイムに着いて、もう誰もいなかったら」


「集落単位の死亡確認になります」


「いたら」


「生存者照合を行います」


「半分くらいいたら」


「氏名と状態を欄に記入します」


「片方の欄にしか入らないやつは」


「条件次第です」


ガルドは少しだけ笑いかけて、笑い切らなかった。

笑える内容ではなかった。

だが、聞き返さない代わりに、彼は地図の前から離れた。後衛装備の置き場の方へ歩いていく。鍛錬場ではなく、装備棚の方角だった。


ジャサントはその背中を欄に書かなかった。

書ける欄ではなかった。

だが、補助欄に既にある名前は、書き換えなかった。

書き換える理由がなくなったからだった。


ジャサントは机を片づけた。

地図はそのまま残す。決定が下りるまでは閉じない。

炭片は短くなっていた。明朝の補充が要る。

配給帳の不足欄は埋まっている。

未配給繰り越しの欄は、まだ一のままだった。

ベルハイムの頁は、更新停止三日目で止まっている。

担当者欄に、彼の名が残っている。

補助欄に、ガルドの名が残っている。

そして補助欄の三つの行に、ハイネ・ルツ、サラ・ベルン、ミア・オル、その脇に幼児ノア。

最終確認時点の位置で、並んだままだった。


棚の奥には、最初の半分の乾パンが残っていた。

リィナの服の内側には、二つの半分が並んでいた。

火床の脇の鉄鍋は底を見せていた。


中庭の長机の上には、束ごとに紐で分けられた札が残っていた。

南棟へ運ばれた束。

東列へ戻った束。

発熱疑いの束。

未照合の束。

死亡確認済みの束。

そして、まだどこへも移されない、ベルハイムの束。

百十七人ぶんの札が、最終確認時点の位置で並んだままだった。


夜が近づくと、中庭の声は少しずつ下がった。

鐘の音が一度鳴り、それきり鳴らなかった。

南の方角から、鳥の鳴き声は聞こえなかった。


ジャサントは記録室へ戻り、灯りを点けた。

帳面三冊を机に並べ直し、地図を手元に置いた。

明朝、上からの決定が下りる。

下りれば、欄が一つ書き換わる。

書き換われば、札の位置が動く。

位置が動けば、人が動く。

担当者欄に書かれた者も、補助欄に書かれた者も、その動きの中に入っていく。


優先決定、保留。

明朝、再評価。

担当者、引き継ぎ準備。

後衛補助、配置済み。


それだけだった。

ご拝読ありがとうございました。

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