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戦姫メイド  作者:
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10/19

第10話 白い秤

翌朝、ジャサントは記録室の机の前に立っていた。


地図は昨夜のまま開かれている。三本の線も消されていない。机の端に置かれた帳面の優先決定欄は、空白のままだった。炭片は補充されたばかりで、長さが揃っている。砂壺の中の砂も、新しいものに替えてあった。


ジャサントは椅子を引かなかった。


立ったまま、上からの伝達札を待つ姿勢だった。記録担当者欄に名のある者は、決定の伝達を最初に受ける。受けた時点で、保留欄を書き換える必要があった。


外はまだ薄い。鐘は一度だけ鳴った。煮炊き場の煙も、いつもより細い。


伝達札はすぐに来た。


兵が一人、扉の脇に立った。封のついた小札を一枚、差し出す。封は赤糸。決定通達のしるしだった。


「ダグラス殿より」


「承知しました」


ジャサントは札を受け取り、糸を切った。


王都街道防衛、優先。

ベルハイム救援、保留。

編成、現有十六。配分、後段に明示。

決定者、ダグラス。


短い記述だった。

書き換える欄も短い。


ジャサントは周辺集落記録帳の優先決定欄を開き、保留の文字の横に新しい一行を書き足した。


王都街道、優先。

ベルハイム、保留。

決定時刻、本日早朝。

決定者、ダグラス。


砂を振る。

頁を乾かす。

閉じない。

配分の更新が残っている。


中央会議室は、記録室の奥にある。

机は四つ。地図一つ。座席は決まっている。今朝の出席は、ダグラス、ガルド、補修班長、そしてジャサント。エルヴァは呼ばれていない。決定後の医療配置は、決定が下りた後に伝えられる順だった。


ジャサントは記録帳と地図を持ち、扉の前で一度止まった。


リィナは廊下にはいなかった。

今朝は東列の縄をくぐり直していない。

記録室を出るとき、扉の外に足音はしなかった。


会議室に入ると、ダグラスが地図を見たまま顔を上げた。


「読んだか」


「はい」


「貼り直せ」


ジャサントは地図の上に、決定後の配分を重ねた。新しい線ではなく、既存の線の上に印を加える形だった。


王都街道。配置兵、十二。

弓台、三。

門前防衛、六。

機動予備、四。

補修班転用、二。


合計、二十三。

最大運用、十六。


数字は合わない。


ガルドが机の角を指で叩いた。


「届いてないだろ」


「補修班転用と機動予備の重複運用で計上しています」


「重複ってのは、両方やるってことか」


「順次対応です」


「片方が始まれば、もう片方は遅れる」


「はい」


「それで届くのか」


「現有戦力での到達点です」


ガルドは答えなかった。

ダグラスは机の上で指を組んだ。


「ベルハイムの欄は」


「保留のままです」


「兵力配分」


「なし」


「補給班」


「派遣なし」


「伝令」


「派遣なし」


「担当者欄」


「変更なし」


ダグラスはうなずかなかった。

ただ、地図のベルハイムの線の終点を、視線で確認した。

動かさない、と決めた者の見方だった。


ガルドが低く言う。


「村だぞ」


「承知しています」


「百十七人だ」


「最終確認時点では」


「もう、いないかもしれないだろ」


「未確認です」


「だから、行って確認するんじゃないのか」


「優先決定は王都街道です」


「そう書いてあるからか」


「決定だからです」


「決定は、変えられるだろ」


「決定者の権限内です」


ガルドはダグラスを見た。

ダグラスは地図から目を上げない。

組んだ指の位置も変えない。


「変えるか」


ガルドが言う。


ダグラスは少しだけ間を置いた。


「変えない」


「百十七だ」


「最終確認時点でな」


「鐘が鳴ってない」


「分かっている」


「灯りもない」


「分かっている」


「子どももいる」


ダグラスは初めて顔を上げた。


「ガルド」


「はい」


「兵数は、いくつだ」


「十六だ......」


「同時対応に必要なのは」


「三十二......」


「半分だ」


「はい」


「半分でやれと言うのか」


ガルドは答えなかった。

答えられないことは、最初から分かっていた。

それでも言わなければ収まらない種類のものを、彼は言葉にしただけだった。


ダグラスはもう一度地図を見た。ダグラスの目は揺れている。


「王都街道を取る......ベルハイムは保留」


「……」


「異議は記録に残せ。ジャサント」


「承知しました」


ジャサントは異議欄を開き、ガルドの名を書き入れた。


異議申立、ガルド。

理由、ベルハイム救援優先。

処理、却下。

記録のみ。


書き終えてから、炭を置いた。

ガルドは机の縁から手を離した。

拳を握ってはいなかった。

握っても欄が増えるだけだと、分かっている動きだった。


ダグラスが立ち上がった。


「配置を伝える。各班、準備。ジャサント、配給と医療の調整も合わせろ」


「承知しました」


「ベルハイムの担当者欄は」


「閉じません」


「そうか」


ダグラスはそれだけ言って、会議室を出た。


ガルドは出ていかなかった。

机の上の地図のベルハイムの線の終点を、また指で押さえた。

昨夜と同じ位置だった。

昨夜と違うのは、その線の脇に「保留」の二文字が書き加えられたことだった。


「補助欄のままか」


ガルドが言う。


「はい」


「保留のうちは、補助欄も生きている」


「規定上は」


「決まれば、書き換わるんだな」


「条件次第です」


「条件って何だ」


「再開、または閉鎖」


「閉鎖は」


「集落単位の死亡確認です」


ガルドは指を離した。


「決まるまで、俺の名前も保留か」


「補助欄に残ります」


「そうか」


それだけ言って、彼は会議室を出た。

鍛錬場の方ではなく、装備棚の方へ歩いていく音だった。

昨夜と同じ方角だった。


ジャサントは会議室を片づけ、記録室へ戻った。


机の上の帳面三冊を整え直す。

配給帳の今朝の欄を開き、配置決定を反映した修正を入れる。

弓台に回す兵には乾パン半量と水袋一を追加。

門前防衛には湯をひとつ多く。

補修班転用の二名分は、配給時間を後段に下げる。

順番は変わる。配分は変わる。

だが、合計は変わらない。


避難民登録帳の方も同様だった。

南棟移送可、停止。

東列再分配、継続。

発熱疑い、隔離棟確認後判定。

単独未成年、優先補充対象。

ベルハイム関係欄、変更なし。


ベルハイムの束は、机の中央に置いたままだった。

百十七人ぶんの札が、最終確認時点の位置で並んでいる。

書き換える欄はない。

動かす指示も来ていない。

紐の角を揃え直し、束の位置だけを少し奥へずらした。

机の中央から、机の端へ。

他の束の動線から外す位置だった。


中庭ではすでに配置が始まっていた。


王都街道の方角へ、兵が動く。弓台へ三、門前へ六、機動予備に四、補修班から転用の二。出立準備の声と、装備の鳴る音と、馬の蹄の音。すべて、王都街道の方角に向かっていた。


南の方角へ向かう動きはなかった。


ガルドは後衛装備の棚の前にいた。

札を一枚手に持っていた。後衛札補助欄の写しだった。彼の名が書かれた札だった。今朝の決定により、補助欄は保留扱いになっている。札はまだ有効だが、運用には入らない。


ジャサントは机からその様子を見ていた。

直接は見ていない。

中庭の方の音と、装備棚の動きの音の差で、ガルドがそこに立ち止まったままなのが分かった。

札を戻す音はしない。

持ったまま立っているのだろう。

書く欄ではなかった。


午前の半ば、リィナが記録室の前に来た。


今日は札を服の外に出していない。紐すら見えなかった。服の内側のどこかに、二つの半分の乾パンと一緒にしまってあるはずだった。位置だけが、昨日までと違っていた。


「決まったの」


リィナが小さく言う。


「決定が下りました」


「どっち」


「王都街道、優先」


「ベルハイムは」


「保留」


「行かないの」


「現時点では」


「ガルドは」


「補助欄、保留扱い」


「あなたは」


「担当者欄、変更なし」


リィナは少しだけ間を置いた。


「行かないけど、消えないの」


「担当者欄は閉じていません」


「補助欄も」


「保留のあいだは残ります」


「行ったら」


「業務を行います」


「行かなかったら」


「条件次第です」


リィナはうなずかなかった。

首元のあたりに手をやった。札は服の外に出ていない。だが、押さえる位置は変わらない。札と二つの半分の乾パンが、同じ高さで胸の内側にあった。


「保留って」


「決まっていない欄です」


「決まらないと」


「動かない」


「ずっと」


「再評価まで」


リィナはそれ以上聞かなかった。

うなずく代わりに、机の中央から端へ移されたベルハイムの束を見た。

動かないことが見える位置に置かれた束だった。


昼前、配給は予定通りに行われた。


王都街道へ向かう兵には先に渡された。

門前防衛の班には湯と乾パン半量。

弓台へは水袋追加。

残った避難民の列は、いつもより少し短い時間で動いた。減った分の人数が、今日はそのまま欠席の欄に入った。

未配給は、繰り越しの一名のまま据え置きだった。

火床の脇の棚の奥には、まだ半分の乾パンが残っている。

名前は書かれない。


ヨルは今日も配給を受け取った側にいた。

椀を抱えて、東列の壁際で食べている。

南棟へは行かないと言った男だった。

昨日と同じ位置にいた。


昼を少し過ぎた頃、最初の伝令が王都街道の方角から駆け戻ってきた。


息は上がっていたが、声は通っていた。


「先頭群、街道入口接触」


「目視数」


「十二、ないし十四」


「先頭」


「中型二、二型混成」


「弓台、有効」


「初撃、五体落とした。残り、停止」


「門前」


「保持」


「機動予備」


「未投入」


「損耗」


「軽傷一」


ジャサントは欄を更新した。


王都街道、初接触。

時刻、午刻過ぎ。

落下、五。

残り、停止。

弓台、有効。

門前、保持。

機動予備、未投入。

損耗、軽傷一。


書きながら、机の端のベルハイムの束を見た。

束は、朝と同じ位置にあった。

動いていない。

動かす指示は来ていない。


ガルドが配置から戻ってきて、報を見た。


「保っているな?」


「現時点では」


「機動予備はまだ動かないか」


「先頭群が街道入口で止まっています」


「止まれば」


「機動予備は不要です」


「ベルハイムには」


「派遣なし」


ガルドは答えなかった。

彼の新しい補助札は、機動予備の方を示している。だが彼の足元に、まだ後衛札の束の影があった。

保留のあいだは、両方の欄が残る。


「俺は、機動予備の方か」


「待機してください」


「待機———」


「投入時、指示を出します」


ガルドは記録室を出ていかなかった。

机の脇の壁際に、装備のまま立った。

機動予備として待機する位置は本来ここではないが、彼は動かなかった。

机の中央には王都街道の欄。

机の端にはベルハイムの束。

どちらも見える位置だった。

書く欄ではなかった。


午後の早い時間、二度目の伝令が来た。


「先頭群、街道入口で再接触」


「目視数」


「八」


「内訳」


「中型一、小型七」


「弓台」


「有効。残り三体まで削った」


「門前」


「接触一回。打撃で押し戻した」


「機動予備」


「未要請」


「損耗」


「軽傷追加二、重傷なし」


ジャサントは欄を埋めた。


王都街道、第二接触。

落下、五。

残り、三。

門前接触、一。

打撃、押し戻し。

機動予備、未要請。

損耗、軽傷三、重傷なし。


ガルドは札を持ったまま、欄を見た。


「弓台で止まってる」


「現時点では」


「機動予備、要らねえな」


「要請があれば動きます」


「来ねえなら」


「ここで待機です」


ガルドはそれ以上言わなかった。

ベルハイムの束に視線を一度だけ落とし、それから欄に戻した。

要請が来れば、彼は王都街道の方へ動く。

要請が来なければ、ここに残る。

どちらでも、ベルハイムへは向かわない。

それが今日の保留の意味だった。


午後の半ば、三度目の伝令。


「先頭群、街道入口で停滞」


「停滞」


「前進せず、後退もせず」


「弓台」


「届かない距離まで下がっている」


「門前」


「接触なし」


「南側斜面」


「視認範囲、変化なし」


「ベルハイム方角」


「灯り無、煙無、鐘無」


ジャサントは欄を埋めた。


王都街道、停滞。

前進、なし。

後退、なし。

弓台、無効距離。

門前、接触なし。

南側斜面、変化なし。

ベルハイム方角、依然変化なし。


ダグラスが記録室を一度通った。

欄を見て、地図を見て、それから一度だけ言った。


「保っているな」


「現時点では」


「機動予備、出すか」


「停滞中です」


「出すと」


「停滞が崩れる可能性があります」


「出さないと」


「停滞のまま」


ダグラスは少し間を置いた。


「出すな」


「承知しました」


「ベルハイム」


「変更なし」


「そうか」


ダグラスは出ていった。

ガルドは札を握り直した。

機動予備の方の札だった。

出さないと言われた方の札だった。

握っても欄は増えなかった。


夕刻が近づいた頃、四度目の伝令が来た。


「先頭群、後退」


「方向」


「南東。林縁に沿って」


「速度」


「人歩行同等」


「視認限界」


「林に入る前に消失」


「弓台」


「追撃せず」


「門前」


「保持」


「損耗」


「追加なし」


ジャサントは欄を更新した。


王都街道、後退確認。

方向、南東。

速度、人歩行同等。

追撃、なし。

損耗、追加なし。

本日損耗総数、軽傷三、重傷なし、死亡なし。


最後の三行を書きながら、彼は炭を一度止めた。


王都街道、本日の防衛、成立。

ベルハイム、変更なし。


二行のあいだに、空白がある。

書き加えられていない欄だった。

書ける欄でもなかった。

ベルハイムの束は、机の端で、朝と同じ位置にあった。


ガルドが札を棚に戻した。

機動予備の補助札は、未投入のまま今日の運用を終える。

後衛札の補助欄は、保留のまま今日の運用を終える。

両方とも、彼の名前が残ったまま夜を迎える。


「持ったな」


ガルドが言う。


「はい」


「王都街道は」


「保持」


「死人は」


「なし」


「ベルハイムは」


「変更なし」


「その差は」


ジャサントは答えなかった。

書く欄ではなかった。

ガルドもそれ以上聞かなかった。

聞いても欄は増えないと、分かっていた。


「明朝、再評価か」


「予定です」


「再評価で、再開になったら」


「担当者と補助欄が動きます」


「閉鎖になったら」


「集落単位の死亡確認です」


「どっちでも、行くんだな」


「再開なら、業務として。閉鎖なら、確認のため」


「俺の補助欄は」


「両方の場合、引き継がれます」


ガルドはうなずかなかった。

ただ、棚に戻した札の位置を一度だけ整え直した。

位置はもう、間違っていなかった。


リィナはまだ記録室の前にいた。

午前から動いていない。

ジャサントは一度だけ「宿泊区画へ戻ってください」と言ったが、リィナは「終わるまで」と答えた。それきり、互いに繰り返さなかった。


「終わったの」


リィナが小さく言う。


「王都街道、本日の防衛は終わりました」


「ベルハイムは」


「変更なし」


「死んだ人」


「王都街道、なし」


「ベルハイムは」


「未確認」


「未確認って」


「確認できていない、という意味です」


「いない、じゃないの」


「確認できていません」


リィナは札を押さえた。

首元のあたり。

服の外には何も出ていない。

押さえている指の下に、自分の札と、二つの半分の乾パンと、それから今朝書き加えた補助欄の紙の重さの記憶があった。


「行かないけど、行くんだ」


「明朝、再評価次第です」


「再評価って」


「決定の見直しです」


「変わるの」


「変わる場合があります」


「変わらないと」


「保留のまま」


「ずっと」


「再評価まで」


リィナは机の端のベルハイムの束を見た。

百十七人ぶんの札が、紐で揃えられたまま、最終確認時点の位置に並んでいる。

動いていない。

書き換えられていない。

名前のある人たちが、決まらないあいだだけ、まだそこにいることになっている。


ジャサントは当日分の最終欄を埋めた。


王都街道、防衛成立。

接触、四回。

落下、八。

損耗、軽傷三。

重傷、なし。

死亡、なし。

機動予備、未投入。

ベルハイム、変更なし。

担当者欄、引き継ぎ準備、継続。

補助欄、保留継続、ガルド。

配給、規定通り。

未配給繰り越し、一。

保存登録、リィナ、二。

明朝、ベルハイム再評価予定。


砂を振る。

頁を乾かす。

閉じない。

明朝、書き換える欄が残っている。


地図はまだ机の上にある。


王都街道の線。

ベルハイムの線。

南側斜面の進路線。

三本の線のうち、消されたものはなかった。

保留の二文字だけが、ベルハイムの線の脇に残っている。


ベルハイムの束は机の端にある。

動かされていない。

紐の位置は朝のままだった。

担当者欄に書かれた名前と、補助欄に残された名前は、まだそこにある。



そして夜が深くなる頃、ジャサントは記録帳の最後の欄に、明朝の再評価準備項目を書き足していた。


担当者引き継ぎ。

補助欄、保留継続。

人口票更新欄、空白のまま。

偵察派遣、未予定。


そのとき、装備棚の方で物音がした。


一度ではなかった。革の擦れ。鞘の鳴り。装備帯を締める金具の音。それから、馬具の方から短く木が鳴った。深夜の見回りの時間ではない。出立の音だった。


ジャサントは炭を置き、扉を開けた。


中庭の端、装備棚の脇に、ガルドが立っていた。

革鎧。

鉈と剣。

水袋一。

乾パン。

後衛装備一式。

機動予備の補助札は外され、棚の上に置かれていた。後衛札の方だけが、彼の首にかけ直されている。


「持ち場を離れています」


ジャサントが言う。


ガルドは振り向かなかった。

装備帯の最後の金具を留めただけだった。


「機動予備、未投入」


「はい」


「待機の指示が出てる」


「はい」


「今夜の指示は」


「動かないことです」


「分かった」


ガルドはそれだけ言って、装備帯から手を離した。

動かないことです、と聞いた直後の動作だった。


「行くつもりですか」


「ああ」


「決定は、王都街道優先です」


「読んだ」


「ベルハイムは保留です」


「読んだ」


「補助欄は、まだ運用に入っていません」


「分かってる」


「では、移動の根拠は」


ガルドは初めて振り向いた。

夜の灯りで、頬の細い裂けの跡が一度だけ濡れて見えた。


「ねえよ」


「指示違反です」


「分かってる」


「異議申立は、午前のうちに却下されています」


「分かってる」


「記録に残ります」


「残せ」


ジャサントは答えなかった。


ガルドは馬具の方へ歩いた。馬を出すつもりだった。だが、馬は動かなかった。深夜の単独出立に、夜番の馬丁が鞍を渡さなかったのだ。馬丁は遠くで黙って立っていた。止めはしないが、出しもしない。それだけの距離だった。


ガルドは馬を諦めた。徒歩でいいと判断したらしい。鉈の位置を確かめ、水袋を肩にかけ直し、東門ではなく裏門の方角へ向き直る。裏門は南の小道へ抜ける位置にあった。


「ジャサント」


「はい」


「俺の名前、書いといてくれ」


「どの欄にですか」


「保留欄じゃない方だ」


ジャサントは少しだけ間を置いた。


「指示違反、ガルド。

 単独行動、夜半。

 目的地、ベルハイム。

 命令破棄、自認。

 処理、追記後判断」


書きながら言った。


「これでよいですか」


「ああ」


「補助欄は」


「残しとけ」


「保留のままです」


「それでいい」


ガルドはもう振り向かなかった。

裏門の方へ歩いていく。装備の音が一定の速さで遠ざかる。


ジャサントは欄を閉じなかった。

書き加えるだけ書き加え、頁は開いたままにしておく。

明朝の再評価で、この欄の処理が決まる。

処理が決まれば、追走か、放置か、回収か、いずれかの欄が立つ。

どの欄が立つかは、彼の判断ではなかった。

ご拝読ありがとうございました。

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