第8話 条件次第
朝の鐘の前、中庭の北側に長机が三つ並べられていた。
避難民再編成のための分類台だった。前夜のうちに、各区画から該当者の札が集められ、束ごとに台の上へ置かれている。東列の束、西列の束、南棟搬出予定の束、未配置の束。煮炊き場の脇には、配給帳とは別の再編成帳が一冊置いてあった。
ジャサントは中央の台の前に立ち、帳面を開いた。
右に空白の木札。
左に炭片。
中央に当日の再編成対象一覧。
奥に、前夜の配給帳の不足欄。
数字を確認する。
再編成対象、五十七。
歩行可、三十八。
歩行困難、九。
発熱疑い、四。
単独未成年、六。
新規流入、未照合、八。
昨日未配給、二。
夜間目減り、未補充。
未配給欄の二は、まだ閉じていない。
火床の脇に布で包まれた半分の乾パンが、棚の奥に残っているはずだった。誰の名で書かれるかは、まだ決まっていなかった。
再編成は、配給とは違う作業だった。
配給は決まった量を順に渡す。
再編成は、人を欄から欄へ移す。
今日のように受け入れ先が足りない朝には、移す欄を増やすのではなく、条件をつけて分ける必要があった。
ジャサントは欄の上に短く書いた。
南棟移送可、条件付き。
東列再分配、条件付き。
発熱疑い、隔離棟確認後判定。
単独未成年、優先補充対象。
未配給二、繰り越し継続。
「条件付き」の三文字は、昨日まで使っていなかった。
昨日までは、移送可・移送不可で済んだ。
今日からは、その間にもう一段必要だった。
リィナは台の左側に立っていた。
昨日の椀はもう持っていない。乾パンの半分を、宿泊区画のどこかへ置いてきたのだろう。今朝の彼女は手ぶらで、首元の札だけを服の外へ出していた。木片の角は乾いている。位置はずっと変わらない。配給台の脇から、再編成台の脇へ、立ち位置だけが移っていた。
「再編成は受領待ちですか」
ジャサントが問う。
「ううん」
「対象に入っていません」
「うん」
「では、邪魔にならない位置に」
「ここなら」
「問題ありません」
リィナは半歩も下がらなかった。今日は最初から邪魔にならない位置に立っていた。怒る者の側ではなく、書く者の側。台の左、炭片より少し奥、帳面の角からは外れた距離だった。
ガルドが東列の方から来た。頬の布はもう外されている。裂けは細いまま、まだ乾ききっていない赤を残していた。今日は剣ではなく、再編成班の補助に回されている。昨日の怒声のあとに班の組み直しが入ったらしいが、ジャサントの帳面にその経緯は書かれていない。書く欄が彼にはなかった。
ガルドは台の前で立ち止まり、束の一つを顎で示した。
「南棟か」
「条件付きで移送可です」
「条件って何だ」
「歩行可、発熱なし、付き添い不要、荷の自己保持」
「ふつうじゃねえか」
「現時点ではそれを満たさない者がいます」
ガルドは束を一度めくった。
「歩けるけど発熱がある」
「移送不可です」
「歩けないけど発熱はない」
「移送不可です」
「歩けるし発熱もないけど、付き添いが要る」
「移送不可です」
「全部だめか」
「条件次第です」
ガルドは鼻で息を吐いた。今日は怒鳴らなかった。怒鳴っても帳面の欄が増えるだけだと、昨日のうちに分かっていた。
最初の対象が呼ばれた。
歩行可、発熱なし、付き添い不要、荷の自己保持。条件は揃っている。札を南棟移送の束へ移す。順番は変わらない。書く。印をつける。移す。次。
二人目。
歩行可、発熱なし、付き添い必要。
札は東列再分配の束へ。
三人目。
歩行可、発熱あり。
発熱疑い欄へ。隔離棟確認後判定。
四人目で、列が止まった。
老人だった。歩行は遅いがある。発熱はない。付き添いはいない。荷は自分で持てる。条件としては南棟移送に該当する。だが彼の妻は、東列の中で発熱疑いに該当していた。
ジャサントは札を見た。
「ベンですか」
「ああ」
崖道の老人だった。妻アダの照合欄はまだ閉じていない。今朝までに新たに、別の発熱疑いの欄に名前が一つ加わっている。アダではない。同行者として登録された別の女だった。一緒に夜を過ごした、というだけの関係だった。
「南棟へ移送可です」
「移るのか」
「条件としては」
「あの人はどうなる」
ベンが言う。
今朝、彼が指した「あの人」は、妻アダではなかった。
昨夜、隣の天幕にいた女のことだった。
発熱疑いの欄に入った、彼の妻ではない方の名前だった。
ジャサントは少しだけ間を置いた。
「同行者欄に登録がありますか」
「ない」
「親族欄は」
「ない」
「居住区画は」
「同じ天幕」
「同伴者として再登録しますか」
ベンは答えなかった。
妻アダの欄は、まだ閉じていない。
そこにもう一人を加えれば、欄の意味が変わる。
ガルドが横から言った。
「書いてやれよ」
「規定上、同行者は一名までです」
「そんな決まり、現場で意味あるか」
「照合に必要です」
「じゃあ書き換えだ」
「アダの欄が閉じていません」
ガルドは言葉を止めた。
昨日までなら、もう一度怒鳴っていただろう。
今日は止めた。
ベンの顔を見て、それから帳面を見た。書かれている名前と、書かれていない関係の差を、彼も見ていた。
ベンが先に言った。
「書かなくていい」
「条件は変わりません」
「分かってる」
「南棟移送可のままです」
「アダの欄は」
「閉じません」
「そうか」
ベンは札を受け取った。袖の内側へは入れず、首にかけた。歩き出す。途中で一度だけ、東列の方を振り向いた。発熱疑いの欄に入った女の名は、もう外からは見えない位置にあった。
リィナはその一連を見ていた。
台の左から、ベンの背中までを目で追い、次に帳面を見た。
妻の欄。
別の女の欄。
書かれていない関係の欄。
読めなくても、欄が三つに分かれていることは見えていた。
午前の半ば、新規流入の未照合が呼ばれた。
ベルハイムは砦の南、徒歩で半日の位置にある集落だった。定住者と流入を合わせて百人を少し超える規模で、共同井戸が一つ、礼拝堂が一つ、補修班が一組。砦の周辺記録帳には毎月一度、人口票と物資要請票が届く欄があり、前回の更新時には汚染疑いの井戸が一つ、発熱報告が一つ書かれていた。
その更新は、二日前の夕刻で止まっている。
以降、人口票も要請票も届いていない。
南の小道から入った者の問答では、ベルハイム方角を「通った」かどうかが、欄の一つになっていた。
八人——
南の小道から、昨夜遅くに入った者たち。服に枝葉が絡み、足元は乾いていない。崖道の方角から来てはいない。だが、ベルハイムの方を「通り過ぎた」者は二人含まれていた。
「氏名を」
「ヤナ」
「年齢を」
「四十二」
「同行者は」
「いた」
「現在位置は」
「分からない」
「歩行は」
「できる」
「発熱は」
「ない」
「南の集落を見ましたか」
「……通った」
「灯りは」
「なかった」
「煙は」
「なかった」
「鐘は」
「鳴ってない」
ジャサントは欄外へ書いた。
ヤナ。女。四十二。歩行可。同行者一、所在不明。
ベルハイム方角通過。灯り無、煙無、鐘無。
「次」
二人目も同じ問いに、ほぼ同じ答えを返した。三人目以降は、ベルハイムを通っていなかった。情報になる答えと、ならない答えを、それぞれの欄に入れる。重ねれば、人の動かし方が決まる。
ヤナの再編成先は、東列再分配だった。
発熱なし、歩行可、付き添い不要。
だが、所在不明の同行者欄が閉じていないため、南棟移送には回さない。
条件は揃っているのに、ひとつだけ満たない。
そういう例が、今日は多かった。
リィナが小さく聞いた。
「同じ条件なのに、違うの」
ジャサントは札の位置を直しながら答えた。
「欄の閉じ方が違います」
「歩けて、熱もなくて」
「同行者欄が空いていません」
「それだと」
「移送できません」
「閉じたら」
「移送可になります」
「閉じるって」
「死亡確認、または再会確認」
リィナは黙った。
首元の札を押さえる。
離す。
台の上の欄を見る。
誰の名前が、何の理由で閉じていないのか、彼女の中で順番に並び始めていた。
昼前、隔離棟からエルヴァが顔を出した。
「発熱疑い四、確認が終わりました」
「結果を」
「二、隔離継続。
一、解除可。歩行困難列に戻す。
一、悪化、隔離棟内で別床」
ジャサントは欄を直した。
発熱疑い、四。
隔離継続、二。
解除、一。
悪化、一。
「解除一、再編成対象に戻ります」
「そうですか」
「氏名を」
「ナエ」
登録台で、幼児トトを抱いて来た女だった。子も含めての解除だった。今は隔離棟の経過観察にいて、発熱はない。子トトも熱なし。条件としては、東列再分配に該当する。
「同行者欄」
「子のみ」
「親族照合の希望」
「継続」
「東列再分配へ」
「分かりました」
エルヴァは帳面を見ずに言った。
「ヤナとナエ、同じ列ですか」
「現時点では」
「同じ列なら、距離は離してください」
「承知しました」
理由は言わなかった。ヤナの所在不明同行者がベルハイム方角から来ているという欄は、エルヴァも見ていた。同じ天幕に置かない方がよいと判断したのだろう。診断ではない。配置の補足だった。
リィナがエルヴァの背中を見ていた。
エルヴァが台の脇を通り過ぎる時、リィナの顔を一度だけ確認した。診断ではない。見たというだけだった。それからすぐに病舎の方へ戻っていく。リィナは札を押さえた。
「あの人」
「エルヴァです」
「いつも見るね」
「観察対象です」
「わたしも」
ジャサントは少しだけ間を置いた。
「単独未成年は経過観察に入ります」
「ずっと」
「再評価まで」
「いつ」
「条件次第です」
リィナはうなずかなかった。
うなずく代わりに、首元の札を一度だけ強く押さえた。
昨日の椀の縁に置いた半分の乾パンと、今朝の同行者欄が閉じていない者と、自分の経過観察の欄が、彼女の中で並び始めていた。並んでいるのは見える。だがどう繋がっているのかは、まだ言葉にならなかった。
午後、未配給の二人のうち一人が呼ばれた。
歩行可、発熱なし、付き添い不要、荷なし。
昨日の朝、椀の縁に湯気だけを受け取って戻った男だった。
「氏名を」
「ヨル」
「再編成対象に該当しますか」
「南棟へ行きたい」
「条件は揃っています」
「乾パンは」
「南棟は別配給です」
「足りるのか」
「補充次第です」
ヨルは少しだけ考えた。
それから言った。
「行かない」
「ここに残りますか」
「うん」
「東列再分配に戻します」
「分かった」
ジャサントは札を移した。
南棟移送可の束から、東列再分配の束へ。
理由欄に短く書く。
本人申告、補充未確定のため残留。
規定外の理由ではない。だが、書ける欄に入れるまでには一段必要だった。
ガルドが横で見ていた。
「行きたいのに、行かないってのもあるんだな」
「条件次第です」
「ふん」
ガルドはそれ以上言わなかった。
ヨルが下がる時、彼の方を一度だけ見た。怒っている目ではなかった。怒れない種類のものを見ている目だった。
未配給の残りの一人は、呼ばれなかった。
その者の名は、夜の間に閉じていた。
ジャサントは欄を見た。
未配給、二。
未配給繰り越し、一。
死亡確認、一。
死亡時刻、夜半。
確認者、エルヴァ。
場所、東列三番。
氏名、トウ。男。六十一。歩行困難。
エルヴァは午前のうちにこれを伝えなかった。診断結果と一緒に伝える方が早いと判断したのか、ジャサントの欄に余白がなかったのか。彼の方からも理由は聞かなかった。書かれた時点で確定する。それで足りる。
死亡確認の欄に印を加える。
未配給繰り越しの欄から、死亡確認済みの束へ移す。
昨日、椀の縁に湯気だけを受け取って戻った二人のうちの一人だった。
その時、何も言わなかった方の人だった。
リィナはそれを見ていた。
昨日の煮炊き場の脇に布で包まれた半分の乾パンが、棚の奥に残っているはずだった。
誰の名で書かれるかは、もう決まらない。
未配給欄の繰り越しは、一になった。
リィナが小さく言った。
「閉じたの」
「夜半に」
「乾パンは」
「未配給欄に残ります」
「もう、いない人の」
「繰り越し処理になります」
「食べる人は」
「現時点では未定です」
「残るの」
「規定の期間まで」
リィナは札を押さえた。
強く。
離さない。
昨日の椀の中に置いた半分のことを考えていたのか、棚の奥の半分のことを考えていたのか、分からない。あるいは両方を一緒に見ていた。
午後の後半、再編成は予定通り進んだ。
南棟移送可、二十二。
東列再分配、二十一。
発熱疑い継続、三。
隔離棟内別床、一。
単独未成年、優先補充対象、六。
本人申告残留、一。
死亡確認、一。
未照合継続、未配置、四。
未照合の四は、ヤナを含む。
所在不明同行者の欄が閉じない者たちだった。
彼らは今夜も、誰かの名前を待つ欄の隣で眠ることになる。
ジャサントは帳面に書いた。
未照合継続、四。
明朝、再評価。
条件未充足のため、現時点での移送不可。
砂を振る。
頁を乾かす。
閉じない。
今日の修正欄はまだ続いていた。
夕刻、エルヴァが再び台の前を通った。
「ベンは行ったのですか?」
「南棟へ」
「アダの欄は?」
「閉じていません」
「もう一人の方はどうなっていますか?」
「同行者欄に未登録のままです」
「そうですか・・・」
エルヴァはうなずいた。
ベンが、隣の天幕の女を「同行者」として書かなかったことを、診断ではなく観察として確認しただけだった。書かない方が、後で困る場面が出ることをエルヴァは知っている。だが今日の彼は、書かないことを選んだ。それだけだった。
「あの子は?」
エルヴァが言う。
リィナの方を見ずに言った。
「経過観察、継続」
「再評価は」
「条件次第です」
「そうですか」
エルヴァはそれ以上言わず、病舎へ戻った。
診断ではないところで、彼女のことが何度か欄に出ている日だった。
だが、欄に書かれた内容は、今朝と変わっていない。
日が沈む頃、リィナはまだ台の左にいた。
「宿泊区画へ戻ってください」
ジャサントが言う。
リィナはうなずいた。
歩き出す。
二歩進んで止まる。
振り返る。
「ねえ」
「何ですか」
「今日、聞かれたこと、わたしも答える」
「氏名を」
「リィナ」
「年齢を」
「八」
「同行者は」
リィナは少しだけ間を置いた。
「……いない」
「歩行は」
「できる」
「発熱は」
「ない」
「付き添いは」
「いらない」
「荷は」
「ある」
ジャサントは札を見た。
リィナの仮札は、最初の登録台で書かれたままの欄を持っている。氏名、年齢、歩行可、発熱なし、単独。今日の問答で増える欄はない。
だが、最後の答えだけが新しかった。
「荷の内訳を」
リィナは服の内側へ手を入れた。
昨日の椀から取り分けた、半分の乾パンを取り出した。
布に包まれている。
火床の脇に残っていた半分とは別の、彼女が自分の椀から残した方だった。
「これ」
「保管ですか」
「うん」
「乾燥した場所に」
「分かってる」
ジャサントは札の裏に短く書いた。
リィナ。荷一、乾パン半。自己保管。
「規定外ではありません」
「うん」
「保存欄へ追加します」
「明日も」
「補充次第です」
「足りなかったら」
「条件次第です」
リィナはうなずいた。
今度はうなずいた。
乾パンを服の内側へ戻し、首元の札の位置を確かめた。
札と乾パンが、同じ高さで胸の内側に並ぶ位置だった。
リィナが歩き出した。
東列の縄の前で、一度だけ止まった。
振り返って言った。
「閉じない欄、まだあるんだよね」
ジャサントは答えた。
「あります」
「わたしのも」
「経過観察です」
「閉じる時は」
「条件次第です」
「そう」
リィナは縄をくぐった。
東列の中へ入る前に、もう一度首元を押さえた。
札と、半分の乾パンと、その両方の位置を確かめる動作だった。
ジャサントは再編成帳の最後の欄を埋めた。
当日再編成、四十四。
未照合継続、四。
死亡確認、一。
本人申告残留、一。
保存登録追加、一。
明朝再評価対象、十。
砂を振る。
頁を乾かす。
閉じる。
中庭の長机の上には、束ごとに紐で分けられた札が残っていた。
南棟へ運ばれる束。
東列へ戻る束。
発熱疑いの束。
未照合の束。
死亡確認済みの束。
そして、保存登録に一つだけ加わった、半分の乾パンの欄。
棚の奥には、もう一つの半分が布に包まれて残っていた。
その名は、もう書かれない。
だが欄は、規定の期間まで残る。
明日になれば、また同じ列ができる。
条件は変わるかもしれない。
変わらないかもしれない。
閉じる欄もあれば、閉じない欄もある。
それだけだった。
ご拝読ありがとうございました。
次回の投稿は明日の15時より、1話の投稿となります。




