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戦姫メイド  作者:
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3/19

第3話 隔離棟

本日は2話投稿になります。

意外と多くの方たちからご拝読いただいているようで、投稿ペースを少し上げようかなと思い、本日から3日間は2話ずつ投稿していきます。


なるべく多くの方に見ていただければ幸いです。

翌朝、ジャサントは記録帳の修正から始めた。


窓の外はまだ白んだばかりだった。夜のあいだについた水滴が、記録室の外壁を細く伝っている。机の端に置いた灯りは消えていたが、昨夜の炭の粉が板の上に残っていた。黒印箱は閉じたまま、帳面は昨夜の頁で止まっている。


ジャサントは椅子を引き、帳面を開いた。

前夜分の追加。

死亡確認、八。

未確認から照合済みへ移行、五。

単独未成年一名、東列三番へ再配置。

高熱疑い、増三。

歩行不能、増四。

仮保護継続、一。


その下に、病舎の経過観察欄を追記する。


フェル・ナディ。男。九。頭部打撲。付添一名。

ミア・ナディ。女。付添継続。発熱なし。

トア。男。推定五。夜間発熱。

セナ・ルクス。死亡確認済み。札移動済み。

イオ・ルクス。男。所在区画未確認。照合継続。


昨日の終わりに書き切れなかった項目を、空いた欄へ差し込む。字の高さを揃え、炭の濃さを均し、時刻を書き入れる。砂を振る。頁を閉じる。時計を見る。鐘まで五分あった。


今日の業務は、収容区画の登録からではない。夜間に病舎から隔離棟へ回った者がいる。発熱者は区画帳だけでは済まない。寝台札、接触者、搬送経路、洗浄水、付き添いの可否。確認事項が増える。


ジャサントは帳面を二冊に分けた。

一冊は病舎経過。

もう一冊は隔離棟管理。

木札の束は少なめでよい。隔離棟で必要になるのは新規札より、位置移動の札だった。


扉を開けると、廊下の壁際にリィナがいた。


昨日と同じ仮札を服の内側へ入れている。紐だけが首元に見えていた。東列の天幕からそのまま来たらしく、裾に土がついている。まだ朝の配給前で、人の流れは細い。記録室の外は宿泊区画ではない。待っていてよい場所でもない。


「ここは宿泊区画ではありません」


ジャサントが言うと、リィナはうなずいた。


「知ってる」


「戻ってください」


「あとで行く」


「配給前です」


「わかる」


「では戻ってください」


「終わったら」


ジャサントはそれ以上言わなかった。従わせるには従兵を呼ぶ必要がある。従兵を呼ぶほどの妨げではない。彼女は壁から離れている。通路も塞いでいない。昨夜の修正欄には、指示反応ありと書いた。その記述に誤りはなかった。


ジャサントは病舎へ向かった。後ろに足音がつく。小さい。一定の速さで、止まらない。昨日の夜、死者確認所までついてきたのと同じ速さだった。


病舎の前ではエルヴァが湯を捨てていた。桶の底に薄い赤が残っている。捨てる場所はいつも同じで、壁際の排水溝に沿って流れる。湯気はもう少ない。夜通し使った水だった。


「一人、夜のうちに発熱しました」


エルヴァは桶を傾けたまま言った。


「隔離棟へ回しましょう」


「氏名を」


「トア。昨日の単独保護」


「発熱時刻は」


「夜半すぎ。咳なし、嘔吐なし。熱だけ」


「接触者は」


「昨夜は東列三番。付添なし」


「承知しました」


ジャサントは帳面を開き、欄外へ追記した。

トア。男。推定五。夜間発熱。隔離棟移送。

時刻を記す。

確認者、エルヴァ。

寝台札移動、未了。


「フェルは」


「まだ生きています。まだ、ね」


エルヴァは桶を脇へ寄せた。


「ミアは離れない」


「接触区分は」


「付き添い扱いで置いてる。熱はない」


「承知しました」


エルヴァはそれ以上言わず、中へ戻った。判断ではなく状態だけを置いていく言い方だった。ジャサントは帳面を閉じ、病舎奥の通路へ進む。


隔離棟は病舎のさらに奥にある。外壁寄りで、風の抜ける側に建っていた。石造りではなく板張りで、壁は薄い。病舎より一棟ぶん離して建てられている。窓は小さい。寝台の間隔は広い。入口の脇に洗浄桶が二つ、その横に札板が掛けられている。札の色は三種類。発熱者、接触者、経過観察。黒印は死亡確認済み。見分けがつけば足りる。


木の匂いより、水と布と薬草の匂いが強かった。まだ新しい板張りだが、内側にこもる空気は病舎より重い。隔離棟は治す場所ではなく、分ける場所に近い。熱のある者、熱のない付き添い、まだ決まっていない者。状態が変われば札も移る。


ジャサントは入口で手を洗った。桶の水位を見る。昨日より低い。交換が早い。発熱者が増えると洗浄水の減りも早い。布の使用枚数、寝台周りの拭き取り、吐瀉の有無。数字に出る前に水位で分かることがある。


札板を順に確認する。

欠けている札はない。

並びも崩れていない。


上段、発熱者。

中段、接触者。

下段、経過観察。


その脇に、黒印付きの一時掛け。

まだ空いていた。


リィナは中へ入らず、扉の脇に立った。視線は寝台ではなく、札板へ向いている。


「そこにいると導線に入ります」


ジャサントが言うと、リィナは半歩下がった。


「ここなら・・・」


「問題ありません」


「見てるだけ」


「触れないでください」


「うん」


最初の寝台にトアがいた。口を開けて眠っている。額に濡れ布が載っていた。足元の毛布が片方だけずれている。昨夜の東列三番の札は外され、寝台札に替わっている。まだ炭の色が新しい。小さな胸が早く上下していた。


ジャサントは布を外し、体温を測り、脈を数えた。熱は高い。呼吸は早い。汗は少ない。寝台札の下に印を一つ足す。経過観察から発熱者への移動ではない。最初から発熱者の列にある。ただし、熱の高さを示す記号を追加する必要があった。


「水分は」


エルヴァが奥から言う。


「昨夜、少量」


「嘔吐は」


「なし」


「承知しました」


次の寝台。

女。咳あり。三十代。発熱継続。付き添いなし。


次。

男。高齢。発熱と震え。手指硬直あり。


次。

フェル・ナディ。男。九。


ミア・ナディは寝台の横に座っていた。背が昨日より丸い。目は開いていたが、焦点は安定していない。昨夜と同じ服で、裾だけが濡れている。いつからそこに座っていたのか分からない。寝台札の紐を見ているのではなく、その向こうを見る目だった。


「体温を確認します」


ジャサントは言い、フェルの瞼を持ち上げた。瞳孔反応は鈍い。唇が乾いている。呼吸の間隔が長い。脈は細い。昨夜より悪い。体温を測り、帳面に記す。頭部打撲に伴う反応低下。発熱なし。反応鈍。脈拍低下。再観察要。


ミアが言った。


「この子の名前、書いてあるのよね」


「はい」


「消えないのよね」


「記録は残ります」


「残るのね」


「現時点では」


ミアはそれ以上言わなかった。フェルの手を握り直した。爪の先が白くなる。ジャサントは次の寝台へ移った。


扉の外で、リィナは札板を見ていた。フェル。トア。ミア。名の並びを目で追っている。指を出しかけ、一度止め、そのまま手を下ろした。


「触れないでください」


ジャサントが言う。


「うん」


「順番が変わると照合に時間がかかります」


「変わるの」


「状態に応じて移動します」


「どこに」


「必要な位置へ」


「戻ることもある」


「あります」


「なくなることもある」


「札は残ります」


リィナは首元に手をやった。服の内側の札を押さえ、離した。そのまま札板を見る。板に掛かっている札と、自分の胸の内側にある札を、同じものとして比べているようだった。


午前の半ば、水が足りなくなった。


入口の洗浄桶は半分を切っている。拭き布を替えるたびに水が減る。従兵の姿は見えない。病舎前で別の搬送が重なっていた。声をかけても返事が遅れる距離だった。


「水を一桶」


ジャサントは通路の向こうへ声をかけたが、返事はなかった。その間に、リィナが空の小桶を持ち上げた。


「どこ」


「井戸です」


「持てる」


「半量で足ります」


「わかった」


リィナは走らずに行った。小桶は大きすぎず、小さすぎない。子どもが両手で持てる大きさだった。足音が一度遠ざかり、しばらくして戻ってくる。


戻ってきた小桶をジャサントが受け取る。縁の半分まで水が入っている。こぼれていない。洗浄桶へ移す。半量で足りた。余りは出ない。


「もう一つ持ってくる」


「現時点では不要です」


「うん」


リィナは小桶を持ったまま少し立ち、次の指示がないと分かると扉脇へ戻った。また札板を見る。今度は自分の首元も一緒に見る。手を当てる。離す。


ジャサントは次の寝台の札を確認した。咳の女は熱が上がっていた。高齢の男は震えが増えている。別欄へ移す準備が要る。札板にかけたままでは足りないため、帳面の補助欄を追加する。


発熱者二名、再評価。

接触者一名、継続。

経過観察一名、改善なし。


必要な記述だけを増やす。


昼前、フェルの呼吸が変わった。


浅く、間が長い。肩が動かない。唇の色が昨日より薄い。エルヴァが呼ばれ、寝台の横で脈を取る。ミアは立ち上がろうとして、立てなかった。膝だけが浮き、すぐに寝台へ手をついた。


「時刻を」


エルヴァが言う。ジャサントは帳面を開いた。エルヴァの指がフェルの首元から離れる。


「死亡確認。午前二鐘前」


ジャサントは記した。

フェル・ナディ。死亡確認。午前二鐘前。確認者エルヴァ。


それから寝台札を外す。紐は湿っていた。乾いた布で拭く。入口の板へ戻る。経過観察の列から外し、黒印付き一時掛けへ移す。正式な死者確認所への移送前に、隔離棟内で位置を変える必要がある。


順番は変わらない。

書く。

外す。

拭く。

移す。

黒印を加える。


ミアはそれを見ていた。声は出なかった。寝台の端を握る手だけが白くなっていた。呼び止めない。引き留めない。札が動くところだけを見る。昨日のイオ・ルクスと同じ見方だった。


扉の外で音がした。


リィナの小桶が倒れ、石床を転がる。残っていた水が広がった。リィナはすぐには拾わなかった。札板を見ていた。少し遅れて、小桶を立てる。


「移動しました」


ジャサントは言った。


リィナは札板を見たまま立っていた。それから小桶の取っ手を握り直した。


「書いてあっても」


「はい」


「移るんだ」


「状態に応じて」


「ここからも」


「移ります」


「消えないのに」


「位置は変わります」


リィナは自分の札を服の内側から引き出した。表を見て、またすぐ戻す。紐を首の後ろで一度強く引いた。痛いほどではない。だが緩まない強さだった。


昼の短い配給が終わる頃、隔離棟の入口に従兵が二人来た。死者確認所へ回す担架を持っている。フェルの寝台の脇で止まり、ジャサントの記録を待つ。


「付き添いは」


ジャサントがミアに問う。


「……行く」


「接触区分が継続します」


「行く」


「承知しました」


ミアは立ち上がった。足がふらついたが、歩けた。再配置ではない。まだ付き添い継続として扱う。ただし、死者確認所まで同行したのち、隔離棟へ戻すか外すかは再判定になる。


ジャサントは札を一枚追加した。

ミア・ナディ。女。接触者。付き添い継続。移送同行。

彼女に渡す。


ミアはそれを見て、袖の内側へ差し込んだ。首にはかけなかった。手元に置いておきたい者の動きだった。


リィナはその動きを見ていた。自分の首元へ手をやる。押さえる。離す。また押さえる。


午後、札板には黒印が一つ増えた。トアの熱は少し下がり、印は増えない。高齢の男は咳が続き、発熱者の上段へ移す。咳の女は水分摂取あり、位置は据え置き。ナエの子、トトは熱なし。母親の寝台の脇で眠っている。ナエ自身は接触者として経過観察に置いたままだった。発熱はない。だが子どもを抱いたまま離れない。


ジャサントは板の並びを変えた。

左から、重症。

経過観察。

安定。

黒印付き一時掛け。

札の位置が変わるたび、木が軽く鳴る。


そのたび、リィナは首元に触れた。

板が動くたびに触れる。

黒印が増えるたびに触れる。

名が呼ばれるたびに触れる。

もう他人の札には手を出さない。

見るだけだった。


エルヴァが午後の診察を終えて、入口の札板を見た。位置が変わった札を一枚、指で軽く押し直す。曲がっていたからだ。感想は言わない。次に帳面を見る。


「トアはどうです」


「午前より低下。咳なし、嘔吐なし。脈拍は高めです」


「承知しました」


「ミアは」


「同行後、再判定待ち」


「そうですか」


エルヴァは札板の黒印を見た。フェルの名を一度見て、それだけで終えた。言葉は足さない。死を説明しない。確認だけが残る。


しばらくして、ミアが戻ってきた。発熱なし。外傷なし。付き添い終了。再配置対象。だが寝台の横から動かなかった。すでに空になった寝台を見ている。布はたたまれ、札も移っている。残っているのは木の枠だけだった。


「移動を」


ジャサントが告げる。


ミアは寝台を見たまま言う。


「この子の名前は、そこにあるのよね」


「はい」


「明日も」


「記録は残ります」


「どこに」


「記録帳と札板に」


「見られるの」


「必要時には」


「そう」


ミアは立ち上がった。足がふらついたが、歩けた。ジャサントは再配置札を作り、手渡した。ミアはそれを見て、袖の内側へ差し込んだ。最初の札と同じ場所だった。


リィナはその動きを見ていた。自分の首元へ手をやる。押さえる。離す。また押さえる。他人が札をしまう動作も、もう見逃さない。


午後後半、隔離棟の外で短い言い争いが起きた。発熱のある老人を病舎へ戻せと言う男と、戻せないと答える従兵の声だった。ジャサントは外へ出ず、帳面の欄を整理した。隔離棟は病舎の延長ではあるが、戻す場所ではない。熱が下がらない者は残る。接触が切れない者も残る。帳面の上では、残る理由が決まっている。


リィナは声の方を見ず、札板を見ていた。どの位置の札が残り、どの位置の札が消え、どの札が黒印へ移るのか。人の顔より先に、順番を見ている。


ジャサントはそこで初めて、彼女が昨日までとは違うものを見ていると認識した。登録台では、名前を書かれることを見ていた。死者確認所では、札が残ることを見ていた。隔離棟では、札が動くことを見ている。


だが、その認識は記録には書かなかった。必要項目ではなかった。


夕方、水桶が再び減った。今度は従兵が持ってきたが、量が少なかった。ジャサントは洗浄桶の片方だけを満たし、片方は半量のまま残した。夜間用としては足りる。不足が生じた場合は病舎から回す。その判断を帳面の余白へ記す。

洗浄水、残量注意。

補充遅延。

夜間対応可。


日が落ちる前に、ジャサントは当日分を修正した。


隔離棟移送、一。

死亡確認、一。

再配置、一。

接触区分変更、一。

フェル・ナディ。板移動済み。

トア。熱やや低下。

ミア・ナディ。付き添い終了。再配置。


記録帳を閉じる。扉の外で、リィナが待っていた。朝より少し離れた位置にいる。帰ってはいない。小桶は足元に置いてある。空だった。


「宿泊区画へ戻ってください」


ジャサントが言う。


リィナは首元を押さえた。


「これ、落ちない」


「結び直しています」


「うん」


「戻ってください」


「見てた」


「何を」


「動くの」


「札ですか」


「うん」


「状態に応じて移動します」


「わたしのも」


「状態に応じて」


「ここじゃなくても」


「移動します」


「書いてあっても」


「はい」


「そう」


それだけ言って、札板を見た。フェルの札は朝とは違う位置にある。トアの札はまだ上段にある。ミアの札は外された。リィナは近づかない。その場を動かない。小桶の取っ手を持ち替える。


「戻ってください」


ジャサントはもう一度言う。


今度はリィナがうなずいた。二歩進み、止まる。振り返る。


「わたしのも、動く」


「状態に応じて」


「なくならない」


「再発行は可能です」


「そうじゃなくて」


リィナはそこで止まった。続けなかった。代わりに、首元を押さえた。札を確かめる動作だった。


「もどる・・・」


「承知しました」


リィナは歩き出す。途中で一度、首元を確かめる。また歩く。宿泊区画へ入る前に、もう一度確かめる。東列の縄をくぐる前に、いったん立ち止まり、それから中へ入った。


ジャサントは隔離棟の板戸を閉め、夜間用の灯りを点けた。札の影が壁に落ちる。洗浄桶の水位は半分。寝台は四つ埋まり、二つ空いている。記録帳は閉じられている。


札は板に残った。灯りの下で影だけが揺れた。明日になれば、また位置が変わる。熱が下がれば外れる。上がれば増える。黒印が付けば別の列へ移る。記録帳は、また開かれる。


それだけだった。

ご拝読ありがとうございました。次の話は20時に投稿予定です。

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