居住地
荒野の風は、昼に近づくほど音を失っていく。
朝のあいだはまだ砂を撫でていた風も、陽が高くなるころにはただ熱だけを運ぶようになる。
クロムウェルは前を見たまま歩いていた。
肩にライフル。
背中の背嚢には記録室から持ち出した紙束。
半歩うしろを、エミリがついてくる。
昨日までいた補給デポは、もう見えない。
エミリは朝からあまり喋っていなかった。
喋っていない、というより、何を喋ればいいか決めきれていない顔だ。
やがて彼女は我慢できなくなったように言う。
「ねえ」
クロムウェルは答えない。
「ねえって」
「何だ」
「……あの人」
少しだけ。
エミリは砂を蹴った。
「ミナ、でもいいのかな。あの人さ」
クロムウェルは歩く。
返事はない。
「置いていくしかなかったのは分かるよ。
……分かるけどさ」
また少し間。
声の勢いが途中で鈍る。
「なんか、ああいうの、嫌だな」
クロムウェルはしばらく黙っていた。
やがて短く言う。
「嫌で済むなら、死ぬよりましだ」
エミリは顔をしかめる。
「その言い方、ほんと好きじゃない」
「好きにしろ」
「そういうとこだよ」
クロムウェルは返さない。
砂地がゆるやかに上りへ変わる。
低い尾根を越えた先、地平線の下に灰色のものが見え始めていた。
最初は岩場に見えた。
だが自然物にしては、線が多い。
直角がある。
高さが揃っている。
そして何より、影の落ち方が人の作った形だった。
エミリが目を細める。
「……あれ?」
クロムウェルは歩調を落とさない。
「見えたか」
「壁?」
「施設だ」
「コロニー?」
「避難施設上がりの小規模居住地だろうな」
エミリは帽子の縁を押さえながら目を凝らした。
砂の向こう、低いコンクリートの塊が連なっている。
完全な街ではない。
高層建築もない。
高い塔もない。
ただ、半分地面に潜るような低い建屋と、それを囲む外壁。
外壁の四隅には、少しだけ突き出た監視塔らしきもの。
そのうち二つには、まだ屋根が残っていた。
「分かるの?」
「形がそうだ、み……」
「便利だね、その『見たら分かる』」
クロムウェルは短く息を吐く。
それが呆れなのか、ただ暑いだけなのかは分からない。
尾根の上まで出ると、全体が見えた。
小規模総合避難施設。
災害対応を前提にした低層構造。
地上部は少ないが、地下に容積を持つ型。
外壁はあとから増築されている。
防風フェンスの外側には、さらに鉄条網。
本来の避難施設には不要なものだ。
エミリが小さく言う。
「……嫌な感じ」
クロムウェルも同じものを見ていた。
正門の上に残る古い表示。
塗装は剥げているが、文字の跡はまだ読める。
西部第三区域
広域災害対応・総合避難施設
みんなで助け合いましょう
その下から、後年塗り重ねられた黒い文字が斜めに走っていた。
西部第三区域駐屯管理地
無許可入域を禁ず
エミリが乾いた笑いを漏らす。
「ずいぶん変わったね、『みんなで助け合いましょう』が」
「よくあることだ」
「よくあっちゃ困るんだけど」
クロムウェルは正門ではなく、外周の東側へ視線をやった。
壁沿いに、簡易の畑が見える。
乾ききった地面。
水量の足りない葉物。
その向こうでは、住民らしい人影が黙々と手を動かしていた。
監視塔の上にいる兵が一人、こちらに気づく。
双眼鏡。
すぐに引っ込む。
クロムウェルは足を止めた。
エミリが横を見る。
「正面から行くの?」
「行く」
「危なくない?」
「危なくない場所があるように見えるか」
「ない」
「なら同じだ」
エミリは口を尖らせたが、それ以上は言わなかった。二人は正門へ向かって歩き出す。
近づくにつれ、施設の荒れ方がはっきりした。
外壁そのものはまだ頑丈だ。
元の施工が良かったのだろう。
だが、継ぎ足しの部分が雑だった。
増設された監視台。
即席の銃眼。
溶接の甘い鉄板。
軍用の正規の施工ではない。
あるものを継ぎ足して、その場しのぎで要塞化したのだ。
正門脇には、かつて受付だったと思われる小屋がある。
その窓に、今は若い兵……らしき者が二人いた。
一応、軍服らしきものを着ている。
ただし揃っていない。
片方は迷彩服の上だけ。
もう片方は袖を切り落としている。
徽章はあるが、位置が適当だ。
銃は、本物だった。
エミリが小声で言う。
「軍っていうより、愚連隊だね」
「まだ分からん」
「いや分かるでしょ」
クロムウェルは返さない。
小屋の兵が顎をしゃくるようにして言った。
「止まれ」
二人は止まる。
兵の目が、クロムウェルのライフルからエミリの工具袋へ動く。
「通行証」
エミリの眉がぴくりと動く。
クロムウェルはコートの内側から認証カードを出さなかった。
代わりに言う。
「通過希望だ。水と食料の補充、滞在は短期」
兵は鼻で笑う。
「希望は自由だな」
もう一人が立ち上がる。
こちらは年上だった。
頬に古い裂傷。
肩には一応、曹長の階級章が残っている。
だが泥と油で汚れ、半分読めない。
「所属は」
クロムウェルは少しだけ間を置いた。
それから答える。
「連合軍第三方面軍司令部付き」
エミリが横目で見る。
兵たちは一瞬だけ顔を見合わせた。
年上のほうが笑う。
「便利な肩書きだな。たまにいるよ、そういうの。死んだ連中の名前ぶら下げて歩くやつ」
エミリが口を開きかける。
クロムウェルはそれより先に言った。
「管理責任者に会う」
年上の兵が笑いを消した。
「会えねえよ」
「なぜだ」
「会わせる必要がない」
クロムウェルは正門の内側を見た。
広場の向こう。
低い庁舎型の建物。
施設中央棟だろう。
その前に、住民が列を作っていた。
配給列だ。
だが、妙に静かだった。
子供の声がない。
私語が少ない。
監視する兵が三人。
一人は列の端の女の腰を片手で小突いている。
エミリの顔つきが変わる。
「……見た?」
「見てる」
兵が窓を叩いた。
「よそ見すんな。入るなら入域料だ」
「入域料?」
エミリが思わず言い返す。
「避難施設で?」
年上の兵が面倒そうに視線を向ける。
「今は管理地だ。水筒三本分の水、糧食四食分、あるいは同等の交換物資」
「多っ」
「嫌なら行け」
エミリは小声で何か言い返したようだった。
だが、クロムウェルが先に背嚢から小さな交換物を出した。
乾燥肉。
水浄化用タブレット。
釣り合いは悪い。
それでも兵は中身も確かめず取り上げた。
「武器は預けろ」
「断る」
空気が少し変わる。
若い兵が銃床を握り直した。
「聞こえなかったか」
「聞こえた」
クロムウェルの声は低い。
平坦だった。
「断る」
監視塔の上で、別の銃口がこちらを向く。
エミリが舌打ちした。
年上の兵は数秒、クロムウェルを見た。
値踏みする目だ。
旅人か。
元兵士か。
面倒な種類か。
撃てる相手か。
やがて兵は肩をすくめた。
「いいさ。ただし弾薬は規定数だけだ」
「規定を聞こう」
兵は少し黙った。
その沈黙で分かる。
規定などない。
今、思いつきで言っただけだ。
「……中で余計なことするなって意味だ」
「把握した」
年上の兵は顔をしかめた。
気に入らないらしい。
気に入らないが、今はそれ以上絡む気もないらしい。
門が軋んで開く。
「二日。二日以内に出ろ」
クロムウェルは黙って中へ入る。
エミリも続く。
背後で門が閉まる音がした。




