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荒野に命令は生きている  作者: ほらほら
第十七前進補給デポ
4/9

復興期の紙片

整備室を出ると、デポの空気はさっきより少しだけ動いていた。

人が二人歩いただけで、長く沈んでいた埃が目を覚ます。


冷たい灯りの下で、その細かな粒がゆっくり舞っている。


クロムウェルはライフルを肩に戻した。

ボルトの動きは滑らかになっている。

それを確かめるように、一度だけ、手で閉鎖部を撫でる。


エミリはその横顔を見て、口の端を上げる。


「どう」

「使える」

「だから言った」

「お前が直したわけじゃない」

「でも私が見つけた」


クロムウェルは返さない。


エミリもそれ以上は言わなかった。

勝った顔だけして、先に通路へ出る。


中央区画では、管理AIの声がまだ淡々と響いていた。


『定時点検時刻を経過しています。未実施項目が三百二十六件あります。補給群管理規定に従い、速やかな是正を要求します』


「しつこいなあ」


エミリが天井を見上げる。


「何十年放っておいて、まだ怒れるのすごいよね」

「怒ってるわけじゃない」

「じゃあ、あれ何」

「仕様だ」

「仕様って便利な言葉だよね。嫌なこと全部それで済む」


クロムウェルは通路の奥を見た。


整備室と反対側。

中央端末から伸びる低い廊下の先に、半分だけ閉まった引き戸がある。

上部の表示は消えかけていたが、文字の跡は読めた。


物流記録室

資材計画区画


クロムウェルはそちらへ向かって歩く。

エミリもついてくる。


「そっち、物資庫じゃないの?」

「記録室だ」

「記録読むの?」

「読む」

「珍しいね。アンタ、文字より銃のほうが好きそうなのに」


クロムウェルは足を止めずに言った。


「残ってる施設を使うなら、何の施設だったか知る必要がある」

「なるほど。ちゃんとしてる」

「ちゃんとしてないと死ぬ」

「夢がないなあ」


引き戸の前まで来る。

扉は開ききらず、途中で止まっていた。

内部のレールに砂か何かが噛んでいるらしい。


クロムウェルが手を掛け、横へ押した。

金属が低く軋む。

少しだけ開く。

その隙間に体を入れ、さらに押し広げた。


中は狭い部屋だった。

壁際に古いファイル棚。

中央に低い机。


端末は三台。二台は死んでいる。

一台だけ、薄く待機灯が点いていた。


机の上には紙が散っている。

紙。

今では、きちんと保存されているだけで珍しいものだ。


エミリがそれを見て目を丸くする。


「うわ」

「騒ぐな」

「だって紙だよ。ほんとの紙。しかも束。滅多に見ない」


クロムウェルは何も言わず、机のそばへ寄る。


乾いた紙の匂いがする。

古いインクと、わずかなカビ。

だが思ったほど傷んではいない。

室内の湿度が低かったのだろう。


一番上にあった表紙を指で払う。

埃が散る。


広域道路建設計画

第五方面西部接続線 第一七拠点補給群運用資料


エミリが横から覗き込む。


「道路建設計画?」


クロムウェルは無言でページをめくる。


古い地図。

荒野の上を、いくつもの直線が走っている。

コロニー。中継所。水処理施設。補給拠点。

それらを繋ぐ太い線。


赤いペンで書き込みがあり、一部には中止印が押されていた。


接続予定区画

第八浄水塔

西部農業生産区

旧連合鉄道貨物線再利用

暫定軍政管理道路


そして、西部地区総合避難拠点


「へえ」


エミリが低く言った。


「一回ちゃんと、国っぽいことやろうとしてたんだ」


クロムウェルの指が、紙の上で止まる。


「国じゃない」

「え?」

「軍管区を広げただけだ」


エミリは少しだけ瞬きをする。


クロムウェルは計画書を見たまま続ける。


「道を通して、補給を繋いで、配給圏をまとめる。命令が届く範囲を広げる。そのための道路だ」

「それって、復興じゃないの?」

「そう呼んだ」

「呼んだ?」

「連中は、な」


エミリは黙る。


クロムウェルの声は平坦だった。

すり減った歯車の、僅かばかりの作動音。


彼は別の紙を引き抜いた。

道路断面図。

横に、仮設宿営地の配置。

さらに、労務配分表。


作業要員区分

建設要員A

輸送要員B

警備補助C

再配置対象個体


エミリの眉がひそむ。


「……再配置対象個体?」


クロムウェルは答えない。

紙を机に置き、次の束へ手を伸ばす。

そこに、特別な布帯でまとめられた厚い紙束があった。

色は褪せている。

だが印刷ははっきりしている。


統一軍票

第三期広域流通圏試験券


エミリが息を呑んだ。


「うわ、紙幣だ」

「紙幣じゃない」

「何が違うの」

「軍票だ」

「同じようなもんでしょ」


クロムウェルは束を解いた。

中から何枚か抜き出す。


額面がある。

水供給単位。

燃料単位。

食料配給単位。

単一の金額ではない。


用途ごとに色が違った。

青。浄水配給券。

茶。穀物転換券。

黒。燃料供給券。

灰。広域輸送優先証。


エミリが目を細める。


「通貨っていうより、引換証の詰め合わせだね」

「最初からそのつもりだった」


クロムウェルは一枚を指で弾いた。

紙の張りはまだ生きている。

だがそれは、もうどこにも届かない硬さだった。


「統一通貨なんて作れない。当然だ、軍系列、その他各省庁、民間……需給バランスがコロニー単位で断絶していたからな。

だから先に配給を統一した。水、食料、燃料、輸送。生きるのに要るものから順に」

「……なるほど」


エミリは軍票を受け取ろうとして、途中で手を止めた。


「触っていい?」

「今さら聞くのか」

「紙は余計。破ったら嫌でしょ」


クロムウェルは一枚だけ差し出した。


エミリは指先で受け取り、表裏を眺める。


中央には、褪せた紋章。

その周囲に極小の認証文字列。

端には細い番号。


裏には小さく、注意書き。


本券は第五方面広域流通圏においてのみ有効

未登録個体への高額交換を禁ず

徴用対象者への支給は現地司令部判断による


エミリがその文を読んで、口元を歪めた。


「へえ。ちゃんと嫌な感じだ」


クロムウェルはそれを取り返し、束へ戻した。


「嫌で済んだ時代じゃなかった」


「それ、擁護?」

「説明だ」


エミリは少し黙る。

それから軍票の束ではなく、その下にあった薄い帳面へ目をやった。


「これ何」


クロムウェルが手を伸ばす。


表紙に打たれた文字。


広域再接続事業

暫定住民登録実施要綱


エミリが顔をしかめた。


「うわ」

「読め、歴史の勉強だ」

「読みたくない感じしかしないけど」

「だからだ」


エミリは帳面を開いた。

一ページ目から、細かい字がびっしりと並んでいる。


登録対象は占有地域内全個体

未登録個体は保護対象外とする

技術保有者は適性に応じ区分再編

移送命令への拒否は規定違反に該当

再生個体は別表管理


そこでエミリの指が止まった。


「……これ」


クロムウェルは帳面を覗き込まない。

もう内容を知っているような顔だ。

エミリが低く読む。


「人をまとめるんじゃなくて、先に番号振って仕分けするんだ」

「そうしないと配れない」

「配るために?」

「拾うためにだ」


エミリが顔を上げる。


「拾う?」

「人間をだ」


部屋の中が静かになる。


廊下の向こうから、管理AIの遠い声だけが聞こえていた。


『物資庫Aの封緘状態は正常です。医療室の在庫照会が可能です』


エミリは帳面を閉じた。


「へえ」


その声には、いつもの軽さが少しなかった。


「一回ちゃんとしたことやろうとしてたんだ、って思ったけど」


クロムウェルは地図を見たまま言う。


「ちゃんとはしてた」

「……嫌な意味で?」

「そうだ」


エミリは机の端に腰を預け、軍票の束を見る。


「でも、こういうのがあれば、たしかに道は通るよね。交換もしやすいし、運ぶものも揃えられるし。コロニー同士を繋ぐなら、必要だったんじゃないの」


クロムウェルは少し間を置いた。


「必要だった」

「じゃあ、なんで駄目になったの」

「広げすぎた」

「軍管区を?」

「命令を」


エミリは何も言わない。


クロムウェルは地図の端を指で押さえた。


そこには、複数の線が重なっている。

西部接続線。

中央配給路。

東部警備回廊。


さらに別の手書きで、矢印と訂正が増えていた。


「道を通すには守る兵が要る。兵を動かすには食料が要る。食料を集めるには登録が要る。登録すると逃げる奴が出る。逃げた奴を拾うために、また兵を増やす」

「うわ」

「そうやって広がった」

「それ、復興っていうより」

「戦時体制の延長だ。……戦争はあっという間に終わった。その後が、長かった」


クロムウェルの声は低い。

断定というより、記録の読み上げに近い。


エミリは計画書の一枚を引き寄せる。

余白に手書きの赤字があった。


西部第九住民区画 反発強し

配給差配に対する騒擾あり

建設要員の離脱増加

現地司令部へ治安権限の拡張要請

「文句言ったら、兵隊が増えるんだ」

「それが安全だ」

「やだなあ」

「嫌でも進んだ」


エミリは別の紙を見る。

そちらには、押印の上からさらに別の印が重ねられていた。


統合保安会議承認

一部保留

運用停止

関係機関解散


「ぐちゃぐちゃだね」

「末期はもっと酷かった」

「見たの?」


クロムウェルの返事は少し遅れた。


「……ああ」


その「ああ」は短かった。


だが、それだけで十分だった。

エミリは横目で彼を見る。


「その頃、アンタ何してたの」


クロムウェルは答えない。

代わりに、机の隅にあった薄い金属箱を開けた。

中には記録媒体が数本と、封の切られていない軍票の束がもう一つ入っていた。

こちらは表に大きく印字がある。


軍政復興局

統一交換券 試験発行第七次分



エミリが吹き出しそうになる。

「名前からして危ない」

「笑うな」

「だってさ、いかにも今度こそうまくやりますって感じで、その実ぜんぜん駄目だったやつじゃん」


クロムウェルは束を持ち上げ、重さを確かめた。


ずっしりしている。

価値があった頃には、きっと人がこれを奪い合ったのだろう。


「一時は通った」

「本当に?」

「隊商も使った。交換所も受けた。引換券の変動相場も成立した。道路がまだ生きてた間はな」

「へえ……」


エミリは少しだけ本気で驚いた顔をした。


「じゃあ一回は、ほんとに繋がりかけたんだ」

クロムウェルは軍票の束を箱へ戻した。

「繋がったのは補給線だけだ」

「人は?」

「置いていかれた」


その一言で、部屋はまた静かになる。


エミリが視線を落とした。


軍票。登録要綱。道路計画。

どれも、人を救うためのものに見えなくはない。

だが並べて見ると、最初から順番が違っていた。


人の前に、線がある。

暮らしの前に、運用がある。

名前の前に、区分がある。


エミリがぽつりと言った。


「私、さっき国っぽいって言ったけど」


クロムウェルは何も言わない。


「たしかに、国じゃないね。これ」


クロムウェルは短く返す。


「そうだ」

「でっかい工廠とか、でっかい補給区とか、でっかい管理台帳とか、そういうのを無理やり繋いだだけだ」

「そういうことだ」

「人はその間を埋める部品」

「……ああ」


エミリは小さく息を吐いた。

そのとき、机の下にもう一つ箱があるのに気づく。


薄い木箱。

蓋は半分割れていた。

しゃがみ込み、蓋をずらす。


中には写真が何枚かと、腕章と、古い徽章。

そして一冊の黒い手帳。


「これも記録?」


クロムウェルが目をやる。

エミリは手帳を開き、最初のページを読む。


第十七前進補給デポ

運用主任記録


その下に、癖のある手書き。

本拠点は戦時弾薬集積所としてではなく、第五方面西部接続事業に伴う復興支援拠点として再指定された。

目的は軍需再編ではなく、広域道路の維持、配給の安定、住民再登録支援、技術人員の集積である。


エミリが読んで、顔を上げた。


「ほんとだ。ここ、戦争のためのデポじゃなかったんだ」

「最初はな」

「最初は?」


クロムウェルは手帳を受け取る。

数ページめくる。


途中から筆圧が荒くなっていた。

住民移送に抵抗あり

登録対象の逃散増加

外縁コロニー側、軍票受領を拒否

護衛部隊、建設大隊より独立運用を要求

司令部命令系統、現地判断によりしばしば逸脱


「崩れ方が早い」


エミリが呟く。


「道作って、札刷って、登録して、それでもすぐ崩れるんだね」

「すぐじゃない」


クロムウェルは手帳を閉じた。


「何年かは保った」

「それでこの有様?」

「保ったから、この有様なんだ」


エミリは意味を測るように彼を見た。


クロムウェルは部屋の奥を見ていた。


もう死んだ端末。

積まれた計画書。

誰にも使われないまま残った統一軍票。

復興支援拠点。

その名だけが、まだ紙の上で生きている。


管理AIの声が、また一段近く聞こえた。


『物流記録室における長時間滞留を検知。必要であれば記録端末の照会補助を行います』


エミリが天井を見上げる。


「聞いてたの、こいつ」

『要請があれば応答します』

「あるの?」


クロムウェルが端末の前に立つ。


「このデポの最終運用記録を出せ」


待機灯が強くなる。

画面に横線。

文字化け。

それから、断片的な表示。


第十七前進補給デポ

最終運用段階:治安維持優先

道路建設事業:停止

住民再登録事業:未完

広域流通圏:断絶

軍票交換率:無効

補給対象:現地駐留部隊に限定

備考:民間協力団体の離反を確認

備考:第九・第十一・第十四拠点との通信喪失

備考:統合司令部命令系統、参照不可


エミリが乾いた笑いを漏らす。


「うわ。最後、完全に駄目じゃん」

「最後はいつもそうだ」

「アンタ、そういうの見慣れてる言い方するね」


クロムウェルは画面を見たまま、答えない。

その沈黙が、逆に答えになっていた。


エミリは机の上の軍票を一枚だけ取り上げる。

今度は許可を取らなかった。


クロムウェルも止めない。


褪せた券面を、灯りに透かす。

細い繊維。

認証用の埋め込み。

無駄に手が込んでいる。


本気だったのだ。

少なくとも作った側は、本気でこれを回すつもりだった。


エミリはそれを見ながら言った。


「これ、紙切れだけどさ」

「そうだな」

「最初から紙切れだったわけじゃないんだよね」


クロムウェルは短く息を吐く。


「一時は、人を動かした」

「物も?」

「ああ」

「じゃあ、やっぱり一回は本当に世界を戻しかけたんだ」 


クロムウェルは首を振った。


「戻してない」

「まだ言う」

「戻したのは配給と徴発だ。人の暮らしじゃない」


エミリは軍票を見つめたまま、小さく言った。


「でも、それを戻ったって思っちゃう人、いっぱいいたんだろうね」


クロムウェルは何も言わない。

しばらくして、エミリは軍票を机へ戻した。


「分かる気がする。道が通って、水が届いて、札みたいなのが使えて、名前が登録されたら、それだけでちゃんとした社会に見えるもん」

「見えるだけだ」

「うん」


エミリは頷いた。

けれど、その返事には軽さがなかった。


「見えるだけでも、人は乗っちゃう」


クロムウェルが初めて彼女を見る。


エミリは机の上の帳面を指先で叩いた。


「工房もそうだったよ。規則があると、ちゃんとしてる気がする。番号があると、公平な気がする。配置表があると、必要なことしてる気がする」

「……」

「でも、その中にいるほうからすると、あれってたまに、ただの綺麗な檻なんだよね」


管理AIの低い動作音が鳴る。

画面の隅に、新しい通知が出た。


補助記録を検出

対象:西部接続線第九区画 事業停止報告

閲覧しますか


クロムウェルの目がわずかに細くなる。


やがて彼は端末に手を伸ばす。


「出せ」


画面が切り替わる。

ノイズの向こうに、崩れた報告書が現れる。


西部接続線第九区画

事業停止報告

原因:治安悪化、住民離反、補給途絶

備考:警備部隊の一部独自行動を確認

備考:登録済み技術個体の流出

備考:再生個体輸送計画、凍結


そこでクロムウェルの指が止まった。


エミリが横から読む。


「再生個体輸送計画?」


クロムウェルは画面から目を離さない。

その目の奥で、何かが古く硬い音を立てたようだった。


エミリは彼の横顔を見て、それ以上はすぐに喋らなかった。


珍しく、間を置く。


「……それ、次の話?」


クロムウェルはしばらく答えず、やがて低く言った。


「かもしれん」


エミリは頷く。

軽口は叩かなかった。

部屋の中には、失敗した復興の紙が積まれている。

道を通すための計画。

人を数えるための帳簿。

生きるための券。

支配するための登録。


それらはすべて、もう終わったはずのものだった。

だが終わったからこそ、こうして残っている。


クロムウェルは端末の表示を見つめたまま言う。


「このデポ、使える区画はまだあるな」


エミリが少しだけいつもの調子を取り戻す。


「急に現実」

「現実だ」

「こういう話したあとで、じゃあ寝床と水を確保するかってなるの、すごいよね」

「そうしないと死ぬ」

「またそれ」


クロムウェルは端末から視線を外す。


「記録は持っていく」

「紙を?」

「必要な分だけだ」

「軍票も?」

「持っても使えん」

「でも見本にはなるよ。交換所に持ってけば、昔話のネタには」

「お前はすぐ荷物を増やす」

「文化財じゃん」

「紙だ」


エミリは肩をすくめた。


「文化財って、だいたい紙とか壺とかだよ」


クロムウェルは初めて、ほんのわずかに笑いに近い息を漏らした。

エミリは目を丸くする。


「今、笑った?」

「笑ってない」

「いや笑ったって」

「気のせいだ」


エミリは口を尖らせたが、それ以上は追わなかった。


彼女は机の上の計画書を一枚抜き、広げる。

赤線で引かれた西部接続線。

途中で切れている。

切れた先は、今の荒野だ。


「ねえ」

「何だ」

「この道、もし本当にできてたらさ」


クロムウェルは計画図を見る。


「私たち、もっと楽だったかな」


クロムウェルは少し考えた。

そして答える。


「歩く距離は減っただろうな」

「それだけ?」

「検問は増えた」


エミリは少し黙って、苦笑した。


「……そっか」


「楽な道は、たいてい数えられる」

「嫌な言い方」

「本当だ」


エミリは図面をたたむ。

そして軍票の束の横へ戻した。


「じゃあさ」

「何だ」

「今のほうが少しはましってこと?」


クロムウェルは即答しなかった。

その沈黙は長くも短くもなかった。

ただ、軽々しく言えない長さだった。


「ましな場所もある」


エミリはその答えを聞いて、小さく息を吐いた。


「優等生の答えだ」

「事実だ」

「でも、全部じゃない」

「全部じゃない」


エミリは頷いた。

それで十分だった。


二人は必要な紙だけを抜いた。

道路計画の地図。

住民登録要綱の一部。

そして、西部接続線第九区画の停止報告。


軍票は持たなかった。

重いだけで、今の荒野では何にもならない。

だが何にもならないからこそ、あの紙束には妙な重みがあった。


部屋を出る前に、エミリが一度だけ振り返る。

机の上。

灯り。

計画書。

軍票。

終わったはずの復興。


「ねえ、クロムウェル」

「何だ」

「これ作った人たち、ほんとに世界を戻せると思ってたのかな」


クロムウェルは扉に手を掛けたまま、少しだけ目を伏せる。


「思ってた奴もいた」

「アンタは?」


彼は答えない。

代わりに扉を押し開く。


冷たい通路の光が、また二人を包んだ。


『簡易居住区画の利用が可能です』


『食料配給棚の一部が開放されています』

『技術軍属エミリへの寝具支給申請は未完了です』


エミリが顔をしかめる。


「うわ、まだそれ言う」


クロムウェルは歩き出す。


「寝具ぐらい受け取れ」

「軍属扱いのまま?」

「今さらだ」

「今さらじゃないって」


そう言いながらも、エミリはついてくる。


通路の先、中央区画の灯りは変わらず青白い。

棚は整然としている。

規則も記録も、まだそこにある。


デポの深部、まだ誰も開けていない別系統の機械が、低く目を覚まし始めていた。


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