5. 月に向かって
◇◇◇◇◇
ご主人様の朝は早いです。
それは、メイドの私よりも。
本当なら主の目覚めと共に私も起きないといけないんですけどね……いや! 最近、起きるように頑張ってるんですけどね! 案外体のリズムは崩せないというか、苦労しているというか。例え起きられた日があってもその次の日がダメになるという本末転倒ガガガ
大体、ご主人様こそ一体どうなってるのです? 朝の3時半はまだ夜ですよォー!
まあ、ライト様自身の言葉もあり、そんな時間帯に起きる変人はライト様くらいですが、先輩もアリサちゃん達も4時には起きてるんですよね。場合によっては不眠不休というし、あの人たちはあれですかね、もしかして私とは違う種族かもしれませんね。
そんなねぼすけメリーも5時には起きます。〈メイド基本術 鶏と競争〉です。偶に先輩から怒られます。
今日は怒られなかったなぁ、と思いながら私はメイド服に着替えました。
ーーここで大胆タイトル変更ーー
『先輩が、風邪を引いただようです』
あのベテランメイドが体を崩すなんて私には到底理解できなかったのですが、先輩は本当に寝込んでいました。
先輩の部屋まできた私。ドアの音で気付かれて、気だるげな目を向けられます。ほんのりとエッチな表情は、なるほど具合が悪そうです。
「何しに、きたのよ……」
「えへへぇ、もちろお見舞いですよ」
「馬鹿な事しないでいいの……あなたはライト様の、メイドでしょう」
「そのご主人様から言われたんですよ。モノマネしますね。コホンッーー……よし、メリーお前はもうロッテンマイヤーのところへ行け。そんな調子じゃ、仕事に手がつかないだろうーーと。似てました?」
「ライト様が……そう」
目を開けるのも億劫なのか、瞼を開きません。これはいよいよ、重症ですね。
「全く、私とした事が不甲斐ないわ。実はね、私をここまで運んでくれたのもライト様なのよ」
「そうなんですか?」
「ええ、自分でも知らないままに倒れててね」
「頑張りすぎなんですよ先輩は!」
「別に、そんな事ないわ。ただ出来る事をしているだけよ。そして私はその出来る事が人より多いだけ。出来る人間がやるのは、当たり前でしょ」
「先輩……」
メイド組合でも、トップの成績を誇っていた先輩。けれど先輩は特に努力をしたわけではないらしい。推測ではなく本人から聞きました。
私には才能があるのよーーと。
やれば大抵何でも出来る。出来てしまう。当然、たくさんの嫉妬を受けてきたんだと思います。それでも先輩は強いから、平然としているのです。
それが当たり前のように。当たり前でないと、いけないとでも言うように。
一種の強迫観念にも似ています。多分、私には一生理解できない考えです。
「っていうか、結果倒れてるじゃありませんか。ププッ、先輩って自分の事過信し過ぎているでしょー。先輩も普通の人間なんですから、ちゃんと寝て食べて休まないとダメですよ」
「……そうね。反省だわ」
「お、おおう。素直に受け止められても調子が狂うといいますか。でもその調子です。先輩は、自分を甘えさせる努力でもしてください。へたっぴなんですから」
「貴女は、とても上手そうね」
「もうプロですよプロ。先輩にならいつでもご指導します。コツはですね、周りを見る事です。そうすれば安心出来ますから。先輩は、一人じゃないんです!」
「……」
「ハロルドさんがいます。サティーさんがいます。マナミーさんとミレイさんが、それに何といったってアリサちゃんがいます!」
私が自信たっぷりに最後の部分を強調させて言いました。すると、廊下に通じる扉がガチャリ。
「私が、なに?」
人形のように可愛らしいアリサちゃん、ご本人登場です。今日も可愛いです。あ、そのうざきちゃんリンゴも可愛い。
しかし侮るなかれ。アリサちゃんは私よりも歳下で、先輩と同じくらい優秀なのです。神は彼女に二物を与えました。
……自作自演!?
「ちょうどアリサちゃんの事を話してたんですよー」
「そう」
アリサちゃんは私と先輩を交互に見て、それから安心したように一息つくと、持ってきたリンゴを私に渡してさっさと帰ろうとしています。
ああ、先輩の癒しが
「もう帰っちゃうんですか?」
「うん。もう、大丈夫そう、だから」
私はもう一度先輩の方を向きます。相変わらず顔は赤いし、体は熱っぽくてとても大丈夫そうには見えません。
私が首を傾げている間に、アリサちゃんは帰ってしまいました。
なんか申し訳ない。
けれど先輩は、アリサちゃんがいないにも関わらずリンゴを嬉しそうに食べ、少し元気になっているようでした。そんなにリンゴが好きでしたかね?
「……さっきの話」
「はい?」
「貴女の言った周りを見て安心しろって話、ちょっと無理そう」
「えー、どうしてですかー?」
「だって、私の周りには、いつも貴女がいるもの。安心なんて出来ないわ」
「ひどい!?」
全く先輩はいつも私をいじめる……って、あれ、今のはちょっと違うような?
むむむ、分かりません。私も先輩やアリサちゃんみたいな賢い頭になりたいと願っていますが、中々どうして叶いません。そういう魔法の道具ないかしら?
「それにしてもおかしな話。貴女に教えられるなんて、これじゃあ立場が逆ね」
「ホントですね。先輩はいつも、私を叱ってくれましたから」
「何の嫌がらせか。貴女の教育係に選ばれちゃったんだから仕方ないでしょう。本当に面倒だったんだから」
「私の方こそ泣きそうだったんですから。何で先輩が私のーっていつも思ってましたよ。もう何度実家に泣き言を言いそうになったか」
「……イヤ、だった?」
「ほへ?」
「だから、その、私が教育係はイヤだった?」
「ええっと、別に嫌という程ではありませんけど。今の私がいるのも先輩のお陰ですし。先輩がいなかったら、私は今もきっと落ちこぼれメリーですし、ね。もちろん先輩には感謝してますとも」
「そう……それは……嬉しいかも」
「誰だ貴様」
偽物かな?
「貴女、まだその癖治ってなかったの」
呆れたようにため息をつく先輩。
私はとりあえず先輩の頬でもつねって変装かどうか確かめようとしましたが、それをするとせっかくのか弱い先輩がどこかへ行ってしまいそうだったのでやめておきます。
しっかし、おっどろきーというやつです。まさか今日はこんなにいい日だったなんて、朝の私には分かりませんでしたよ。
向こう1週間はこれで先輩を弄れそうです。まあ、そんな事すると向こう一年はお説教されそうなのでしませんけど。
「先輩はそのくらい弱気の方が可愛いですよ」
「え、何か言った?」
「いえ何でも。あ、そうだ、体を拭きましょうか? 汗かいてるでしょう?」
「……お願いしようかしら」
「喜んで!」
いつか先輩の裸見てみたいなーっと思ってたんですよ。実はとっても興味がありました!
「やっぱり嫌な予感がするわ。やめて。サティーに頼んでちょうだい」
「サティーさんは今頃お昼ご飯の準備に忙しいです。大丈夫、私は〈メイド高等術 せせらぎの手〉を会得しています。今なら全身マッサージもしてあげられますよ」
「マッサージなんて頼んでないわよ!」
「ええー、先輩のケチ。じゃあ体を拭くのとマッサージをされるのとどっちがイヤなんです?」
「マッサージに決まっているでしょう」
「仕方ないですね。じゃあ体だけ拭く事にします」
かかったな! 今のはメイドと何の関係もない技、ドアインザ・フェイステクニック!! あれ違ったけ? まあいいや!
「わかりました。じゃあ、今服を脱がせますね。もちろん、汗を拭くだけです」
「んっ……私の肌に傷をつけたら許さないから」
「優しくしますよー」
いつもは髪をまとめてあるのに、今はそれを下ろして弱気な態度。これには思わずグヘヘと言いたくなる状況ですが、ここからさらに服を脱がせるなんてもう私どうしたらいいんでしょう。
っと、冗談はおいといて。
私の思った通り、先輩はプロモーションも完璧でした。いはやは、美しい鎖骨をしてますね。おっと、見惚れてしまいそうな肩甲骨。ここの背骨なんてつついちゃいたい。
「……ん……んぅ」
「ちょっと先輩、変な声出さないでください」
「し、仕方ないでしょ。人に体を拭かれるなんて、初めてなんだから」
メイドですもんね。どっちかというと、体を拭く方ですし。
「……っ」
先輩は私の言葉を忠実に守ろうとしています。ええ、守ろうとしているのは分かるんですが、押し殺したような声が余計に官能的で。
自分から言い出したんですけど、こんなのさっさと終わらせてしまいましょう。これ以上は、私の理性が持たない!
……この時の私は、そんな思いでいっぱいで、油断していました。
言い訳をさせてもらうならば、私も私で混乱してたんです。早く終わらせる、その考えが頭を埋め尽くしていて。
他の事に対処出来ませんでした。しかし、お忘れでなければ、私には勝手に動く口があるのです!!
ーーコンコン
扉がノックされました。
『入っていいか?』
「はいどうぞー!」
言ったのは先輩ではなく、私の口です。私ではなく私の口です。先輩もここで冷静になればよかったのに、体調が悪かったので「えっ」という声を出すだけに終わり、この世の終わりみたいな表情でその時を待ちました。
その方は入ってきます。
何の悪気もなく、私がどうぞと言ったばかりにーーご主人様は、入ってきます。
ご主人様の目には、タオルを持つ私と、すぐ側にいる半裸の先輩を捉えます。そこからは的確に迅速な判断でした。
「すまない忘れる」
すまないの時点で扉はほとんど閉まっていました。私はやっちまったーと思いながら先輩の方を見ます。
先輩はかなりショックを受けたらしく、顔をリンゴのように真っ赤にさせて、布団に顔を押し付け悲鳴をあげました。そのお陰で乙女の叫びが低音の唸りに変わったので、外には気付かれなかったでしょう。
これぞご主人様に対する体調の優れない優れたメイドの配慮。さすがは先輩、といったところでしょうか。ベテランメイドの名前は伊達じゃない。
……テヘッ
〜〜〜〜〜
私は結構慰めました。大丈夫、後ろ姿だったよ、とか、ギリギリ下は履いていたよ、とか。先輩は私を叱るのも忘れて、すっかり参ってしまったようですが。
そこはベテランメイド。立ち直れば早いもの。大体ライト様の前では一度湯浴み姿を見せつけたらしく、今更何を恥ずかしがるというのか! と、そんな堂々とした立ち振る舞いでしたけど、計ったようにように丁度ライト様がやってきて、また頬を赤らめたのを私は見逃しませんでした。
変に律儀で真面目なライト様は、やってきて一番に土下座をしようとします。私と先輩は慌ててご主人様の暴挙を止めました。
ライト様は不満顔でした。
「しかし、俺はとんでもない事をしてしまったんだ。嫁入り前の女性の裸を見てしまったなどと、ロッテンマイヤーの未来の夫に申し訳が立たない」
「ラ、ライト様……そこまで気にせずとも。元はと言えば私が裸になっていたのが悪いんですし」
「いや、想定しておくべきだった。体を動かせないロッテンマイヤーの体を、メリーが服を脱がして拭くなどと、十分想像できる範疇だったというのに。俺としたことが、そんな事少しも思い浮かべなかったんだ」
「思い浮かべていたのなら、それはそれで私も困りますし、本当にもう気にしないでくださいライト様」
「くっ……では何か代わりとなるもので償おう。ロッテンマイヤーが考えておいてくれ。どんな要求でも、甘んじて受け入れよう」
「は、はぁ……わかりました。では、考えておきますね。それでこの話はおしまいにしましょう。せっかくライト様が来てくれたというのに、変な話ばかりではもったいないです」
「それもそうか。確かに、今はお前の方が重要だな。倒れたお前を見たときは気が動転してしまったが、案外元気そうでホッとしている」
「メイドの私をそこまで気にかけてくださるなんて、嬉しいです」
「ロッテンマイヤーには、いつも迷惑をかけているからな。偶にはゆっくりしてくれ。お前は少し、頑張り過ぎている」
あ、それ、私も言いましたよ! 私も。
「私は幸せ者ですね。当然ライト様も、私の周りにいてくれたのですから」
「そう、なのか? んー……どちらかという俺の周りにお前達がいてくれるんだが」
「それはもちろんですとも。ご安心ください。私は、私たちは、いつもこの館にいるのですから」
これは……いつもみたいに猫かぶってるんでしょうか? それとも、本音なんでしょうか?
ま、いっか。
何だかとっても、良い感じ。
ご主人様はこれ以上いても先輩に悪いと思ったのか、自分の部屋へとお戻りになりました。私にはもう少しだけここにいろ、と言って。
みんなどうして私と先輩を二人っきりにさせたがるんでしょうか。仲が良いと見抜かれているからですねきっと!
「そういえばメリー、ご主人様の事だけど。貴女まさかまだご主人様の前でご主人様と言ってるんじゃないでしょうね?」
おや、先輩のこれはお叱りモード。体調が回復している証拠なんでしょう。喜ぶべきやら悲しむべきやら。
「質問の意図が分からないのですけど、つまりどういう? あ、絵にして書くと分かりやすいかもしれません!」
「何で絵にするのよ……あのね、ご主人様は、ご主人様と呼ばれるのを嫌うの」
「今先輩言ってるじゃありませんか」
「いないからいいの。それに、ご主人様と呼べと言ったのはお館様、つまりロメルド様よ。もちろん、ライト様が嫌がる事を分かって言っている、ただのからかいのようなものね。
それで、どうなの?」
鋭い視線にたじろいでしまいます。記憶を探っても、このメリーは昨日の晩御飯より今夜の夕食を当てる方が得意なんですから、期待されても困ります。
「どうでしょう。言ったことない気もしますし、時々言ってるかもしれません。だ、だって、ご主人様は一度も嫌だなんて言ってませんよ?」
「はぁ……だから、私はちゃんと、ご主人様の前ではライト様と言ってるじゃない。そういうところが貴女は未熟なのよ。ちゃんと周りに目を向けないとだめよ。ご主人様が嫌がっているのは、よく見れば分かったはずよ」
「うーん、つまり、これからはライト様とお呼びすればいいんですね。ご主人様もそう言ってくださればいいのに」
「それで、本当にいいの?」
「えっ……あ、そうですね。私がしっかりすればいいだけの話ですよね」
主の気持ちを汲み取るのがメイドのお仕事。アリサちゃんから、教わったはずなのに。ミレイさんから慰められてすっかり忘れていました。
アリサちゃんもミレイさんも、言っていることはどちらも正しく、私が極端に生きているだけ。もっと、器用になりたいものです。
「リンゴ、食べる? 私だけじゃ食べきれないわ」
お言葉に甘えていただきます。
美味しかったです。
でも少し、酸っぱかったような?
まるで今の私の心の内のように甘酸っぱい。この不思議な気持ちは、私にはよくわかりませんでした。
頑張れメリー。
心の中で応援しました。
◇◇◇◇◇
商人ロメルド様は今日はとても忙しくしていらっしゃいます。時々、そういう日があるそうですけど、今回のは訳が違っていました。
なぜならあの日が近づいているから。
そう、もうすぐ年に一度のビッグイベント。秋の収穫祭が始まろうとしているのでした。
だから今日は、私は長めにご主人様と夜を過ごします。朝昼は先輩と楽しく過ごして(先輩はほとんど寝ていたけど)、だからその分まで私は頑張るのです。
意気込む私。しかし、当のご主人様は今この部屋にいません。また私は、一人にしてくれと命令されたのです。
お茶を淹れる練習でもしているのかな? と考えるメリーの鼻腔を、温かく甘い匂いが襲いかかりました。
こ、これはクッキー!
扉が開き、やってきたのはその通りクッキー……ではなく、クッキーをお持ちになったご主人様でした。聞くと、自分で焼いてきたようです。
「それなら私がしましたのに!」
「いい。何でも任せっきりはよくないだろ。それに、偶には自分でやり遂げたいものだろ?」
どうだ、と言われて私もクッキーをたくさん貰います。流石に、サティーさん達のと比べると味は数段落ちますが、中にはハート型なんてものもあって、これをご主人様がお作りになられたのだと思うと微笑ましかったです。
クッキーといえば。
私は知っていることがあります。それは、これがご主人様の機嫌を直す必須アイテムだという事です。よほど甘味が好きなのでしょうね。
私がここに来て当初、先輩とご主人様がお話になられたのをまだ忘れていない優秀メリーでした。
……あれ
「ん、今度本格的にサティーから教わるか」
サクサクッ、と小気味良い音が私の耳に届きます。でもメリーの頭の中では、あの日の先輩とご主人様のやり取りが鮮明に思い出されていました。
あの時の言葉で、お水とタオルの用意をする事が出来ました。ご主人様の色々を知る事が出来ました。
私は新入りながら、まあまあ誰にも聞かずに動けていた。でも本当はそうではなくて、最初から言われていたんです。
先輩に話す、という形で。
ご主人様は私に気を使っていたのでした。そういえば先輩はあの時から、ご主人様の事をライト様と呼んでいたではありませんか。
「もう一ついるか? ……ん、どうした?」
「いえ。ただ、私は本当に、馬鹿だなぁと」
「……急になんだ。おかしな奴め。そんな事、とっくに分かっているさ」
「ひどい!」
でも否定できない!
むしろ納得してしまう。馬鹿だから。
ただ落ち込まないと言えば嘘です。結構、心に多大なショックを受けています。
「ーー俺はジッと黙りすぎていた、か。これでは父上を叱れないな」
「ぐすんっ、今何かおっしゃいました……?」
「何でもない。メリーも食べろ。これは、お前の為に作ったものでもあるんだからな」
「私の為、ですか?」
「今日はつきっきりでロッテンマイヤーの事を任せてしまったからな」
「私、ほとんど寝てましたけど」
「そうは言っても、病人の看護というのは何もしないでも疲れるものだ。そして疲れた体には糖分だ。これ、大事だぞ」
私は言われるがままにクッキーを貰います。それはまだ、ほんのりと熱を帯びていました。これはクッキーの熱でしょうか。それとも、ご主人様の温もりでしょうか。
私はそっと、胸の内にしまいます。本当のメイドさんはご主人様から物を頂けるなんて、そうそうないんですけどね。
ここに来て良かったです。
クッキーの話だけではなくて!
皆さん、とても親切だし。
それに……
「ご主人様は、本当に優しいですものね」
「……」
「あっ」
〜〜〜〜〜
バタンッ! と。
ご主人様の部屋の扉が背中の方で閉まります。私は廊下に追い出されたような形です。
し、しまったぁ〜!
先輩からこれも聞いていたのに。ご主人様は、優しいと言われるのが病的に嫌いだと。
きっとここに先輩がいれば、お馬鹿と叱られていた事でしょう。
うーん、困りました。その時でした。私に悪魔的発想が浮かびます。自分の脳が恐ろしい。
コンコン、と。
私は扉をノックします。
〜〜〜〜〜
「それで、お前は俺がお前に渡したクッキーを持ってきた、と」
「えへへぇ……えへ…へ」
だって、クッキーは凄いですから。大抵の事は、水に流せちゃいますから。
「ったく、今回はそのお前の度胸に免じて許してやる。まあ、有無を言わせない俺の方にも問題があったからな」
「あの、ライト様、私聞きたいです! どうしてライト様は、優しいと言われるのが嫌いなんですか?」
「メリーお前っ……本当にいい度胸、いや度胸か? 常人には真似できない肝の太さだぞ」
呆気にとられたご主人様は、困ったように首を振ると、自分の分の最後のクッキーをサクッと食べて考え込みます。
そして、長い沈黙の後、重い口を開きました。
「特に、理由なんてない。ないが、しかし、強いて言えば……優しいだけじゃ、何にも出来ないからだ」
「優しいは、世界を救うかもしれませんよ?」
「ふんっ、そうかもな。だが、その優しさとやらが母上を殺した」
「ライト様の、お母様を?」
「……」
ライト様は何とも言えない表情をしながら、私を見つめます。その顔は、笑っていながら、泣いているようでもあり、怒っているような感じもしました。
ライト様がご自身の事を私に何かを話すのは、これが初めてかもしれません。
私は黙って聞きました。
ライト様の事。ライト様の、お母様の事を。
「恥ずかしい話、俺は不治の病を患っていた時期があってな」
「……いや、え? ちょっとメリーいきなり難しすぎて分かんない。貴様の話難しい。不治の病を過去形にはできない」
「おお、びっくりした。うん……悪かった。もっと分かりやすく言うなら、俺は一度死んだんだーー悪かった。悪かったから、もう考えなくていい。ゆっくり話す」
メリー、考えない。
ゆっくり、きく。
「俺は、難しい病気を患ってた事がある。とても小さい時だ。今から、十年前の事かな。そのくらい小さい時だ。
頭がボーッとしていて、当時の記憶はよく覚えてないんだが……今でも思い出せる。霞の向こうで、母がずっと子守唄を歌ってくれたのを」
ロメルド様は優しい方です。当然、ライト様のお母様……ムーン様も優しく美しく、聡明な方だったそうです。
私と全然違いますね。
「俺の病気を治すのには、特別な薬が必要だった。父上が苦労したと言えば分かるだろう? それほど、特別なんだ。
当時、俺はほとんど諦められていたらしい。サティーやハロルドに聞けば分かるだろう。俺の症状はそれほど絶望的だった。
それからもっと悪い事が起きた」
「もっと悪い事……もしかして」
「ああ、母も同じ病気にかかってしまったんだ。本来、人に移る病気ではないから、それは悪魔みたいな運命だった。その日から俺のベッドの側ではなく、隣に母が来たよ。優しい母上だった。俺に心配かけまいと、あの人はいつも元気に振舞っていたよ」
「……何だか想像できます」
「良い事も話そうか。父上は商売ほっぽりだして探しつくし、ようやく薬を見つけた。奇跡的に手に入れる事が出来たんだ。だけど世の中そう上手くはない。薬は一つだけだった。
そして……そして母は死に、俺が生き残った。分かるだろう? 母上は優しかったから死んだんだ。全く、お馬鹿な人だっ。そんな事で死ぬなら、優しくなんかなくてもよかったのに……!」
「……」
私は、とても簡単な性格をしてますから、ムーン様のした事は正しかったと思います。きっとムーン様も、自分のした事は絶対に間違ってないと確信しながらライト様を助けたに違いありません。
もちろん、ライト様の考えも分かります。ライト様、貴方はーー
自分が許せないんですね。
優しかったからムーン様は死んだ。だけどライト様は生き残った。そんな自分が、優しいはずなんかない。優しいなんかいらない……と。
それがおかしな考えだって、ライト様も分かっているはずなんですけど。
理性と心って、難しいですからね。
単純な私を見習ってください!
「お母様が死んだんじゃないと思います」
誰が悪いとかそういう問題ではなく、言い方の、問題だけど。
「ライト様が、生きたのです」
「……難しいな」
「いいえ、簡単ですよ。つまりそれは、とっても美しいという事なのです。
こう言うとライト様はお怒りになるかもしれないですけど……私、今こうしてライト様が元気に暮らしているのは、良かったなって心の底から思っています! ライト様のお母様が優しくて、本当に良かったと思っています!」
「……やっぱりお前は」
「はい」
「おバカ、だな」
「えー」
私の反応に、ライト様はハハッと元気よくお笑いになられました。えーっと……元気そうなら、いいのかな!
「ほら、食べるぞ一緒に」
「でもそれ」
「元々はお前のために作ったんだ。そしてこれは今俺のものだ。つまり、半分こだ。いらないならいいのだが」
「っ……いえ、頂きます!」
今日という日は色々ありました。
先輩の病気から……ライト様の病気の話。何となく、はぐらかされた部分があったような気がしたけれど。
また、ご主人様の事を知る事が出来ました。明日は今日よりも素敵な日になるのでしょうか? 分かりません。
でも、メリーはメイドです。
ご主人様にとって素敵な日にする事は出来るかもしれません。その為なら、たくさん頑張りたいと思えます。
ーームーン様、ありがとうございました
お空の上で見守ってください。ライト様の周りには、みんながいますから。




