第44話:最上階金融アジトの強制調定、および存在権抹消
34階には、もはや石膏ボードの仕切り壁もスチール製のキャビネットも存在しなかった。内藤慶次の金融アジト(最上階)は、生成り色の純毛カーペットが敷き詰められ、蜜蝋で磨き上げられた打ちっぱなしコンクリートの支柱が並び、神戸港を一望する床から天井までの巨大な全面ガラス窓が広がる、広大な荒野と化していた。空間全体に、密輸された高級タバコと、高価な本革の臭い、そして鏡面の壁の背後で低く唸りを上げるプライベートサーバー群の発する静電気のオゾン臭が漂っていた。
鉄製の手すりの衝撃によってマホガニーの扉が木っ端微塵の破片の束と化し、内側へと爆飛した時、内藤は一人ではなかった。
造集組は、その最後の予算を港湾の民間軍事警備へと注ぎ込んでいた。そこにいたのは十二人――自衛隊の元特殊作戦群に所属していた傭兵たちだった。彼らは荷役用の道具など持っていなかった。身に纏っていたのはアルミ蒸着アラミド繊維製の対NBQ(核・生物・化学)特殊防護服であり、手にした短銃身のアサルトライフルには、軽戦車の装甲をも貫通するように設計された劣化ウラン芯のタングステン徹甲弾(APFSDS)が装填されていた。
前置きは一切なかった。三メートルの至近距離から、同時一斉の波状面制射撃が開始された。
――バリバリバリ、バリバリバリ!
密閉された空間内での風圧と轟音は、鼓膜を狂わせるほど凄まじかった。秒速千メートルを超える速度で放たれたタングステン弾芯は、解体工事のエネルギーさながらの猛烈な破壊力で山田の胸部へと着弾した。互助会の灰色のコートは最初の1秒で炭化繊維の霧となって完全消滅し、左脇腹の硝子化した自己修復痕は黒いスラグの無数の破片となって爆裂した。監査官の右肩には4発の直撃が集中し、玄武岩の関節構造を完全に粉砕した。手すりの鉄棒を固持していた右腕全体が、乾いた破断音とともに胴体から完全に引きちぎれ、墓石が倒れるような鈍い質量音を立てて白いカーペットの上へと転がり落ちた。
山田は両膝から崩れ落ちた。彼の三トンの自重によって最上階の床面には蜘蛛の巣状の亀裂が走り、中央が五センチメートルほど陥没した。
傭兵たちは楔形の陣形を維持したまま前進し、彼の禿げ上がった頭部へ向けて容赦のない制圧射撃を継続した。弾丸はサイバネティクス頭蓋を次々と穿ち、虚脱した右眼の眼窩から黄色いプラズマの火花を弾き飛ばし、玄武岩の下顎を粉砕していった。右側の駆動四肢を失い、質量の喪失によってコア(心臓)が完全に露出した胸部の不死鳥は、戦術ヘルメットの通信インカム越しに兵士たちの耳から出血させるほどの、激しい無線ノイズのごとき高周波の断末魔(悲鳴)を放射し始めた。
三メートルのパリスアンドロ(紫檀)製デスクの背後に身を潜めていた内藤慶次は、ニコチンで汚れた歯を剥き出しにして歪んだ笑みを浮かべ、ニッケルメッキの自動拳銃を構えた。
「撃ち続けろ! コアを叩き割れ! 床に転がる前に完全に木っ端微塵にしろ!」内藤は血走った眼で狂ったように絶叫した。
だが、山田の質量は、単なる肉と石の塊ではなかった。それは――『重力崩壊を伴う慣性制御システム』そのものだった。
右腕と頭蓋の三分の一の質量を喪失したことで、不死鳥の密度勾配は左側へと急激に偏重した。後方へと倒れ込む代わりに、山田は破壊された右肩の切り株を「慣性ラム(質量駆動)」として利用した。胸骨の精神の不死鳥が一瞬だけ猛烈な紫色の明滅を放ち、床面に対する両膝の摩擦係数を完全にゼロへと反転させたのだ。彼は三トンの質量を引きずりながら、射手たちの防衛ラインへと向けて、水平かつ盲目的な超高速スライド(突撃)を敢行した。
極限状態におけるその衝突には、軍事的な英雄譚など微塵も存在しなかった。それは――『花崗岩の岩塊と十二人の人間の肉体が激突した、低速の交通事故』だった。
先頭の3人の傭兵の両膝は、三千キログラムの垂直圧力に耐え切れず瞬時に逆方向へと圧し折れた。唯一残された左腕一本で這い進む山田は、砕けた玄武岩の指先を使って防護服のストラップを強引に引っ掛けた。彼は殴打しなかった。ただひたすらに男たちを自らの胸の下へと引きずり込み、前進するための「肉のベアリング(滑車)」として利用したのだ。山田のホウ素の腹部の下で、柔らかい組織と骨盤がグチャグチャに圧し潰される重苦しい油圧音がデスクを満たし、純毛の白いカーペットを濃厚な脂血で完全に汚染していった。
一人の傭兵が、露出した彼の首筋に向けてコンバットバヨネット(銃剣)を突き立てようとした。山田は砕けた顔面を強引に旋回させ、兵士のライフル銃身をその顎で直接噛み締めた。石灰化した奥歯の凄まじい噛合力によってクロムモリブデン鋼の銃身はぐにゃりと歪み、閉塞した薬室から発生した逆流ガスによって機関部が爆発し、射手の顔面を自らの発射薬の圧力で吹き飛ばした。
わずか九十秒足らずの間に、最上階の金融オフィスは不気味な静寂の沈溜池へと化した。生き残った傭兵たちは、両脚を破壊され、あるいはコンクリート柱との間に肉塊となって圧し潰され、サーバーから流出した冷却オイルと自らの血が混ざり合う床の上を声もなく這い回っていた。
山田は左膝を立てて辛うじてその身体を起こした。右脚はすでに神経パルス(駆動信号)を一切受け付けないスラグの塊と化していた。右腕の側には肩甲骨の接合部しか残されておらず、そこから液状のホウ素が床へと直接滴り落ちて、33階へと直通する溶融穴を穿っていた。
左腕だけを使って破壊された構造体の残骸を引きずりながら、彼は紫檀のデスクとの間に残されたわずかな距離を静かに踏破した。
内藤慶次は狂ったように拳銃の弾倉が空になるまで監査官の顔面へ向けて連射した。九ミリ口径の弾丸は黒焦げになったケラチン質に弾かれ、チィン、チィンと虚しい金属音を立てて床へ転がった。スライドが後退したまま固定されると、内藤は銃を山田の顔面へと投げ付け、背後の港を見下ろす全面ガラス窓へと激突するまで狂乱状態で後退した。
「貴様、一体何者だ……!」内藤は白髪混じりの揉み上げに冷や汗を流しながら、過呼吸を起こした。「私は……局長からの特別許可を得ている! 次官補への裏金も期日通りに支払っている! 私は通行免責を持っているはずだ!」
山田はデスクの縁へと到達した。左手で、彼は内藤の最高級イタリア製シルクのネクタイを静かに掴み取った。その握力は決して乱暴なものではなく、不備のある申請書を淡々と回収する役人のそれと完全に同質だった。彼は総支配人の身体をデスクの高級木材の上へと引きずり戻し、デザインランプや電話機、コンピューターの端末群を次々と破壊しながら、唯一残された彼の人間の左眼――黒い体液のプールに浸かった左眼の二十センチメートルの至近距離まで引き寄せた。
山田/宇宙の不死鳥:――その声はもはや喉から発せられたものではなかった。それは内藤の奥歯の金属詰物を直接激しく共振させる、純粋な電磁誘導そのものだった――『――強制調定手続きの……最終確定。当該債務者は……、指定期間内に……合理的な異議申し立てを行わなかった。……よって、技術的破産による……「存在権の消滅(強制執行)」を直ちに執行する』
「待て! 資産を移転する! ケイマン諸島の秘密口座があるんだ!」内藤は監査官の胸部から放射され始めた致命的な超高熱を感じ取り、絶叫した。
山田は答えなかった。彼は変形した指先が残る左の手のひらを、内藤慶次の顔面へと直接、静かに圧着した。
不死鳥のコアは、熱虚脱を起こす直前の最後の安定期において、腕部のすべてのカウンターベント(排気弁)を臨界解放した。温度は段階的には上昇しなかった。それはわずか一マイクロ秒の間に、直接**『摂氏三千二百度』**へと跳ね上がった。
肉体的な苦痛を感じる時間すら与えられなかった。内藤の頭髪と眉毛は一瞬でガス(気体)へと変貌した。顔面の皮膚は収縮し、炭化し、神経組織が脳へ痛覚信号を伝達するよりも前に完全に蒸発(気化)した。そのあまりにも過酷な熱勾配に晒された東側ファサードの全面ガラス窓は、外側の神戸港の海へ向けて、融解したシリカの凄まじい砂嵐(ガラスの霧)となって一斉に爆発・滑落していった。
――ッス、ス、ス、ス、ス、ス、ス、ス、ス、ス、ス、ス、ス、ス、ス。
内藤の頭部から立ち上った煙は、分子レベルで炭素が崩壊していくことを示す特有の電気的な「青紫色」を帯びていた。山田は握力をさらに絞り込み、融解した左手を極道の頭蓋へと深く埋め込み、前頭骨、頭頂骨、そして脳漿のすべてを一塊の沸騰する灰色のペーストへと液化させ、それは乾いた を残して大気中へと消滅していった。わずか五秒で造集組総支配人の肉体は左手にぶら下がる黒焦げの骨格へと変わり、十秒が経過する頃には、石灰化した骨そのものが純白の細かい粉末へと崩壊し、港から吹き付ける夜風によって粉々に飛散していった。
内藤慶次はもはや存在しなかった。カーペットの上に彼のDNAの破片すら残されていなかった。ただ、コンクリートの床面に、彼の靴の形をした一筋の「煤の跡」だけが刻まれていた。
山田は虚空を握っていた左手を静かに開いた。最後の執行(出力)によって、彼のエネルギー貯蔵は完全に空になっていた。
胸骨の精神の不死鳥は完全に鎮火し、かつてホウ素のパラサイトが脈動していた場所には、冷たく灰色の灰が詰まった暗い空洞だけが残された。彼の(胸部)を構成していた玄武岩プレートは磁気結合を完全に失い、左肩が脱落し、肋骨は陶器が割れるようなバキバキという音を立てて崩壊し、彼の三トンのデッドウェイト(死重)は前方へと激しく崩れ落ち、紫檀のデスクの残骸の上へとうつ伏せに衝突した。
監査官の破壊し尽くされた構造体は、上の梁から降り注ぎ続ける石膏の粉塵と、下層階から立ち上る濃厚な黒煙の中に半ば埋もれながら、完全に沈黙した。内藤ビルは、神戸の星空の下でミシミシと軋む、赤熱した鉄骨の巨大な骸骨と化していた。
切断された彼の左手のわずか三センチメートル先、傭兵たちの返り血と執行の煤煙に半ば隠されるようにして、青いゴム引きのノートが静かに閉じられたまま転がっていた。そこに見える最後のページ――最上階の事務所に対応する監査インデックスの行には、折れた赤ペンの芯によって、不格好ながらも力強い一本の「横線」が冷徹に引かれていた。
実地監査はこれをもって完全に終了した。調書は閉鎖された。
【作者より一言】
第44話をお読みいただき、ありがとうございます!そして、内藤ビル実地監査編、ここに堂々の完結です!
最終決戦はまさに壮絶の一言でした。3200度という、太陽の表面温度に迫る極超高熱によって内藤慶次という「システムの不純物」を分子レベルで蒸発させ、骨の粉末すら神戸港の風へと散らせる幕引き。山田先生が最後の力を振り絞り、建築基準法と労働安全衛生規則に基づきながら、自らの存在と引き換えに「差押執行」を完了する公務員としての狂気と執念に、胸が熱くなりました。
すべてが灰となり、崩壊していく赤熱したビルの頂上で、折れた赤ペンによる最後の抹消線が引かれた青いノートだけが残されるラストシーンの静寂。
「3200度の熱でネクタイごと消滅させる描写の硬質さが最高」「公務員の監査調書が閉鎖された瞬間の鳥肌がヤバい!」など、ここまで山田先生の戦いを見守ってくださった皆様からの最終的な感想、評価、ブックマークを心よりお待ちしております!
次回からは新章突入、あるいはエピローグへ。監査官・山田の次なる「現場」とは……!?本当にありがとうございました!




