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第38話:長田区の強制執行、および高純度負エントロピーの解放

4号室におけるプロパンガスの風切り音は、途絶えたのではなかった。それは原子レベルの絞殺シュトランクツィオンによって圧殺されたのだ。


3階の踊り場で、鼻梁を潰された幹部が新富士バーナー社製の携帯トーチのトリガーを引き絞った。圧電素子の火花が飛び、地獄の業火を点火するために設計された二千ボルトのアークが走ったが、そのプラズマが燃料ガスと交わることはなかった。ドアの隙間に充満していたプロパンガスは引火せず、半透明の不気味な凝固物――凍結した水銀のような粘度を持つ、極低温のドロドロとしたオイルへと相転移し、木製のドア枠を伝って滴り落ちていた。トーチの炎は消え入るような点へと縮小し、次の瞬間、鈍い破裂音とともに金属の熱収縮によってトーチの本体が縦方向に真っ二つに裂けた。マイナス百度を下回る超低温の暴力が、工具の構造を破壊したのだ。


幹部:――手の中で割れた鉄屑を見つめ、パニックで歯の根をガタガタと震わせながら――「な……、何だこれは!? 火をつけろ! ライターだ、早くしろ、クソが!」


二度目の火花を散らす時間すら与えられなかった。


4号室の薄い合板のドアは、外側へ向けて爆発したのではなかった。廊下側の気圧が急激に低下したことで発生した気圧真空ニューマチック・バキュームに引きずり込まれるように、室内へと向かって内側に猛烈にインプロージョン(爆縮)したのだ。


山田が、その境界を越えて姿を現した。


「非常勤講師モード」は、すでに長田の側溝へと遺棄されていた。公営団地の踊り場へと足を踏み出したのは、宇宙の不死鳥と都市事案特例監査官が完全に一つへと融合した統一体だった。それは、高圧油圧ピストンの速度で駆動する、縞状の玄武岩、液化した硫黄、そして黒いケラチン質で構成された5トンの精神的質量だった。内務省のホウ素封印によって彼の肋骨のクレーターに溶接された教職互助会の段ボール箱は、構造体のコンクリートを共振させ、壁の石膏をパラパラと剥離させるほどの重低音のシステムパルスを周囲に放射していた。


そこから始まった屠殺は、銃撃戦などではなかった。人間という組織(肉体)に対する、純粋な産業解体デモリッションだった。


トーチを持っていた幹部が、ポケットからセレーションの入ったトカレフを抜こうとしたが、それより早く山田のケラチン質の細腕が、彼の左前腕を完全にホールドした。その衝撃は骨を砕いたのではなかった。熱力学的な負の移動があまりにも瞬間的かつ致命的であったため、ナイロンジャンパーの内部で橈骨と尺骨が一瞬で結晶化したのだ。山田が機械的な(大股)で腕を引き戻すと、極道の四肢は真冬の森で凍りついた松の枝のような乾いた音を立てて、肘の関節からパキリと切断された。死んで霜に覆われた肉体から血が流れることはなかった。それは、灰色のマーブル(大理石)の破片のように踊り場の床へと転がった。


もう一人の刺客、釜山の港湾荷役から上がってきた男が、九号の散弾が装填されたレミントンM870(ソードオフ・ショットガン)の銃口を辛うじて教師の禿げ上がった頭部に向け、至近距離から引き金を引いた。


リード(鉛)の散弾が山田の融解したプラスチックフレームの50センチ手前に着弾したが、それが玄武岩の皮膚に届くことはなかった。弾丸の運動エネルギー(キネティック・エネルギー)をゼロに固定する不死鳥の障壁――負のエントロピーの防壁――が、一マイクロ秒で散弾の速度を完全に消失させた。弾丸は弾道学的な推進力を失い、分子収縮によって平たく潰され、冷え切ったBB弾のような音を立ててテラゾーの床の上にバラバラと無力に落ちていった。


港湾労働者がフォアエンドを引いて次弾を装填するより前に、山田の右の爪が男の心窩部みぞおちを貫通していた。腹筋による抵抗など存在しなかった。硬化した灰の指先は、熱せられた鉄の杭がバターの塊に突き刺さるように腹部へと侵入し、触れた内臓と大動脈を一瞬で凍結フリーズさせた。山田は二メートルを超える巨漢の身体を一本の腕だけで軽々とリフトアップし、天井のコンクリート骨組み(スラブ)を陥没させるほどの油圧の力で叩きつけた。床に落下した時、男の肉体は焼きの甘い磁器の壺のようにパカリとひび割れ、アンモニア臭を放つ、石化した内臓と白い骨の破片を周囲に撒き散らした。


踊り場に残された唯一の生存者となった幹部は、非常階段を三段飛ばしで転げ落ちていった。伝導凍結によって彼の指先の皮膚はすでに鉄の手すりに張り付き、ベリベリと引き剥がされていた。彼の呼吸は、断末魔の風切り音のようだった。山田が上階から放射する極寒の冷気によって、彼自身の気管支が急速に凍結壊死(虚脱)を起こしつつあった。


彼は裏路地へと辿り着き、工業用のゴミコンテナに何度も衝突しながら、長田の幹線道路へ続く出口を探して狂ったように這い進んだ。しかし、足元の地面はもはやアスファルトではなかった。側溝から溢れ出た液化プロパンのペーストが完全に凝固し、街頭の水銀灯の光を電気的な青色に屈折させる、揮発性の「黒いブラックアイス」のリンクを形成していたのだ。


山田は階段を使わなかった。彼は3階からそのまま自重を落下させた。


三トン半のデッドウェイトが裏路地に着地した瞬間、重砲弾の着弾を思わせる凄まじい爆発音が轟き、凍結したアスファルトと砕けた舗石の破片が散弾となって周囲に飛散した。その「瓦礫の暴風」が、逃走を図ろうとした幹部の両足首を水平に切断した。


極道は凍りついた泥濘の上に仰向けに転がり、地面に触れた瞬間に凍結していく出血中ちづけの断端を引きずりながら、必死に後方へと(後退)していった。彼の目には、首吊り縄の重量を冷酷に点検する執行官のような緩慢さで近づいてくる、禿げ上がった神のシルエットが映っていた。山田の唯一残された綺麗なレンズは、湾の向こう側、公営住宅の屋根の遥か先で不気味にそびえ立つ内藤ビルの34階の光を正確に反射していた。


幹部:――凍りついた黒い血の塊を吐き出し、形而上学的な恐怖ホラーに目を見開きながら――「て、てめえ……、役人じゃねえ……。線路の悪魔だ……。内藤社長が……内藤社長が基地ごと自衛艦を吹き飛ばしてやるって言ってたぞ……。ドックの下にはもう……改質モルタルが回ってるんだ……」


山田は二メートルの距離で足を止めた。彼の胸の不死鳥は、査察官の正当防衛において都市事案制御法(規約)が許容する最大出力の破壊基準インデックスに固定され、冷徹な駆動音を響かせていた。彼は左脇の下から、ページが一枚も破れていない青いゴム引きのノートを取り出し、2本の黒い爪で教職互助会の支給品である赤ペンを静かに引き抜いた。


山田/宇宙の不死鳥:――その亜原子的な咆哮が長田の裏路地を席巻し、C棟のすべての窓ガラスを内側に向けて一斉に粉砕(爆縮)させ、ガラスのひょうの雨を降らせた――『――刑法第百四十五条……。職務執行中の公務員に対する暴行・脅迫は、緊急事態下における国家反逆罪サボタージュに該当する。また、居住専用地域における未承認炭化水素の不法使用は……、公訴手続き(裁判)を経ない、即時執行の要件を満たす。――第八突堤の実地実査調書は、これをもって確定ラティフィカードした。直ちに……直ちに債務者に対する「強制執行クエポ」を開始する』


山田は玄武岩の足を、幹部の胸骨の上に真っ直ぐに下ろした。胸籠が押し潰される音は、骨折の音ではなかった。それは、材料試験所のプレス機の下で、強度の足りない欠陥コンクリート構造物が一瞬で圧壊していく時の、あの物理的な崩壊音そのものだった。負のエントロピーの暴力的な移動が、一瞬にして男の生命維持(熱量)を完全に奪い去り、内藤の暴力装置の残骸を、湾岸の夜風に吹かれて即座に風化していく灰色のアッシュ(灰)とドライアイスの地殻へと変質させた。


長田の裏路地には、教師のクレーターから放射されるコバルトブルーの残光に照らされながら、墓場のような静寂が戻った。造集組の3人の構成員は、警察が探知できるような銃声を一発も残さぬまま、わずか四分足らずでこの世界の住民登録(戸籍)から完全に消去された。


山田は赤ペンを互助会コートの上ポケットに仕舞い、青いゴム引きのノートを左脇の下へと収め直すと、再び内藤ビルを見据えた。長田区の補習カリキュラムは終了した。監査官は、事業者の最高責任者と直接対峙し、企業の清算調書マニフェストに最終的なサインを交わすため、34階の執務室へとその足を進め始めた。

【作者より一言】


第38話をお読みいただき、ありがとうございます!


長田区の公営団地を舞台にした極道たちによるガス暗殺作戦は、山田先生と宇宙の不死鳥の「合同フォーム(一体化)」による圧倒的な技術執行によって返り討ちとなりました。火花を散らすことすら許さず、プロパンガスの揮発性(分子結合)そのものをマイナス百度以下の絶対零度で「差し押さえ」て不活性のオイルに変えてしまう圧倒的なエントロピー制御。


刑法第145条(公務執行妨害および国家反逆罪)を適用し、裁判所の手続きをすっ飛ばして「即時強制執行」として刺客を分子レベルの灰へと清算する山田先生の姿は、まさに法律というシステムそのものが歩いているかのようです。


「トカレフや散弾が熱力学的障壁で完全に無力化される描写の絶望感が最高」「ラスト、赤ペンをポケットに仕舞いながら内藤ビル34階を見据える山田先生の姿に鳥肌が立った」など、皆様からの感想、評価、ブックマークをぜひお願いいたします!

次回第39話、いよいよ Arco 3 最終決戦!内藤ビル34階、内藤慶次の目の前に「歩く絶対零度」がエントリーします!

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