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カナミ彗星—光は必ず届く  作者: リンダ


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理解される人 されない人



第九章 理解される人、されない人


① わからない人たち


四月の半ば、金沢は雨の日が増えていた。


朝からしとしとと降り続く雨が、住宅街の屋根や電線を濡らし、真田家の窓にも細かな水の筋を作っている。


栄子は台所で弁当のおかずを詰めながら、昨夜のことを思い出していた。


香奈美の

「宗教っぽい」

という言葉。


あの時はさすがに胸がざわついた。

腹が立ったわけではない。

むしろ、少し悲しかった。


(うちは家族のために考えとるだけやのに)


そう思えば思うほど、香奈美の言葉は“理解されなかった痛み”として残る。


圭一もそうだ。


表立って否定はしない。

でも、あの人は結局、何でも現実的に片づける。

「考えすぎや」

「気にしすぎや」

そうやって、目に見えない苦しさを軽く流してしまう。


以前なら、それを頼もしさだと思っていた。

地に足のついた人。

家族を守るために現実を見る人。


けれど今の栄子には、その現実的な態度が、少し冷たく見え始めていた。


(わからんのやろうな)


その思いが、静かに胸の中へ沈んでいく。


理解しようとしないのではない。

理解できないのだ。

まだ、そこまで気づいていないだけ。


そう考えると、自分の立っている場所のほうが、少しだけ高いところにあるように思えてしまう。


② 圭一を見る目が変わる


その日の夜。


圭一は勤務から戻ると、濡れた上着を脱ぎながら、いつものように「ただいま」と言った。

栄子も「おかえり」と返した。

声だけ聞けば、何も変わらない夫婦のやりとりだった。


だが夕食の途中、ニュース番組で詐欺被害の特集が流れた時、栄子がぽつりと口にした。


「ほんと、今は心の弱っとる人が狙われる時代やね」

「人間が正しい道から外れると、いろんなものが入り込んでくるし」


圭一は味噌汁のお椀を置いた。


「正しい道って、なんや急に」


「いや……人として大事な道やよ」

「心を荒ませたり、欲に流されたり、そういうとこから全部崩れるやろ」


圭一は数秒黙ってから言った。


「まあ、極端な話やな」


その返しに、栄子の胸がちくりとした。


まただ。

また、この人はそうやって浅いところで受け取る。


“極端”ではない。

“本質”なのに。

そう思いかけて、栄子は自分の中の言葉に一瞬驚いた。


本質。

いつのまに、自分はそんなふうに考えるようになったのか。


けれどその違和感も、すぐに別の感情に塗りつぶされる。


(圭一さんは、まだわからんだけや)


その結論は、栄子の心を妙に落ち着かせた。


夫を責める必要はない。

ただ、まだ理解が追いついていないだけ。

そう思えば、栄子の中で圭一は“対等な相談相手”ではなく、

“まだ気づいていない人”

へと少しずつ変わっていく。


③ 香奈美へのまなざし


数日後の朝。


香奈美は寝不足気味の顔で階段を下りてきた。

中間テストが近く、部活との両立で疲れていたのだ。


「おはよう……」


「おはよう」


栄子はトーストを皿に載せながら、娘の顔を見た。


以前なら、単純に

“疲れとるんやな”

と思っただろう。


だが今は違う。


(この子も、心が少し乱れとるんかもしれん)


そんな見方が、すっと入り込んでくる。


勉強もしている。

部活も頑張っている。

まっすぐな子だ。

それは知っている。


それでも、最近のそっけなさや、刺々しい言い方を見ると、

“年ごろだから”

で済ませるより、

“まだ気づいていない状態”

と考えたほうがしっくりくる気がしてしまうのだ。


「香奈美」


「ん?」


「疲れとる時ほど、心を荒らしたらだめやよ」

「人って、弱っとる時にいちばん悪い流れに引っぱられるし」


香奈美はパンをかじる手を止めた。


「……何、それ」


「何って、だから、弱っとる時こそ自分を整えんなんってこと」


香奈美は露骨に嫌そうな顔はしなかった。

ただ、目の奥にまたあの戸惑いが浮かぶ。


「うち、別に荒れとらんし」


「そうやなくて、まだ自分でわからんだけかもしれんやろ」


そのひと言が、香奈美の胸に引っかかった。


“まだ自分でわからんだけ”


それは、いかにも母親らしい心配の言葉にも聞こえる。

でも同時に、

“あなたは自分のことがわかっていない”

と決めつけられたようにも感じられた。


香奈美は何も言わずに牛乳を飲み干した。

だが、その胸の中には小さな反発が生まれていた。


お母さんは、最近、うちのことをちゃんと見てるんじゃなくて、

何か別のものを通して見てる気がする。


そんな感覚だった。


④ 相談会の先へ


その週の相談会は、いつもより人数が少なかった。


会の終わりに、栄子はまた別室へ通された。

そこにはこれまでの進行役ではなく、もう少し年長の、落ち着いた雰囲気の女性が座っていた。


「真田さん、今日は少しだけ、深いお話ができたらと思って」


その女性は、

《真光の輪》金沢支部の幹部・藤代美和

と名乗った。


物腰は穏やかで、声も低く静かだった。

いかにも幹部という威圧感はない。

むしろ、どこか上品で、丁寧な相談員のように見える。


藤代は栄子の話をひと通り聞いたあと、ゆっくりと言った。


「家族を救いたいと思うお気持ち、ほんとうに尊いです」


栄子は少しうつむく。


「でも、うちなんかに何ができるんやろって……」


「できますよ」


藤代は迷いなく言った。


「ただ、救済には順序があるんです」

「周りを救うには、まずご自身がしっかり神の流れに乗ること」

「そのためには、形のある献身も必要になります」


“形のある献身”。


栄子はその言葉を頭の中で繰り返した。


金銭のことか。

すぐにはわかった。

だが、露骨な言い方ではない。

寄付とも、献金ともまだ言わない。


藤代はやわらかく続けた。


「真光の輪では、古くから“流れを整えるための持ち物”も大切にしているんです」

「たとえば、開運の印鑑とか」

「お財布とかもありますよ」


栄子は思わず顔を上げた。


「財布?」


「はい。身につけるものって、日々の気の通り道なんです」

「これで運が開けたって方、多いんですよ」


藤代の口調は、商売人の押し売りとは違った。

むしろ、親切な紹介のようだった。


「それに、真田さんみたいな方には、四柱推命や姓名判断も合うかもしれません」

「ご自身の持って生まれた流れや、家系の影響が見えてくると、今の苦しさの意味も整理しやすくなります」


四柱推命。

姓名判断。


そのあたりなら、宗教というより占いや人生相談に近い。

栄子の警戒は、そこで少し下がった。


⑤ もっともらしい入口


藤代は紙を一枚取り出し、いくつかの項目を指で示した。


「もちろん、無理にとは言いません」

「ただ、家族の流れを変えたいとか、ご自身の苦しみの根を知りたいと思う方は、こういうところから入られることが多いんです」


紙には、きれいな文字で並んでいた。


* 開運印鑑

* 浄化財布

* 姓名判断

* 四柱推命鑑定

* 家系の流れ相談


どれも、単体で見れば街の占いサロンや開運グッズ売り場にもありそうな言葉だ。

だからこそ、不気味さが薄い。


「印鑑は、契約や人生の節目で使うでしょう?」

「お財布は、毎日持ち歩くものですし」

「そういう日常のものを整えるだけでも、だいぶ違うんですよ」


栄子は、自分でも意外なほど真剣に聞いていた。


香奈美の受験。

家計の不安。

圭一とのすれ違い。

自分の気にしすぎる性格。


もし、そういうものが少しでも良くなるなら。

もし、家の空気が少しでも整うなら。


その考えは、危ういほど自然に心へ入り込んでくる。


藤代はさらに、決定的なひと言を置いた。


「真田さんみたいな方は、家族を救う役目のある人です」

「その役目を果たすには、形にして示す献身が必要なんです」

「神様は、心だけでなく行いも見ておられますから」


“家族を救う役目”

“形にして示す献身”


その響きは、栄子の中でじわじわ広がった。


⑥ 圭一には話しづらい


家に帰ってからも、栄子はその話をずっと考えていた。


開運の印鑑。

財布。

姓名判断。

四柱推命。


一つひとつは、そこまで異様には思えない。

世の中には、そういうものを信じる人だって珍しくない。


でも、圭一に話したらどうだろう。


「そんなんに金使う必要あるんか」

「印鑑や財布で人生変わるわけないやろ」

きっとそう言う。


その返しは、もう栄子の頭の中で簡単に再生できた。


そして今の栄子には、その言葉が

“現実的な忠告”

ではなく、

“理解のない拒絶”

に見え始めていた。


(やっぱり、まだわからんのや)


その思いが、また団体側に向かう心を強める。


あそこでは、話の途中で笑われない。

最初から否定されない。

“それはおかしい”ではなく、

“それには意味があります”

と返ってくる。


人は、意味を与えてくれる場所に寄っていく。


たとえその意味が、どこかで作られたものであっても。


⑦ 少しずつ生まれる亀裂


数日後。


香奈美が学校から帰ると、栄子が居間で何かの紙を見ていた。

慌てて隠すほどではないが、香奈美が近づくと少しだけ手元を寄せる。


その動きが、香奈美には見逃せなかった。


「何見とるん?」


「別に、大したもんじゃないわ」


また、それだ。


大したことじゃない。

そんな感じ。

ちょっとしたこと。


でも、そういう言葉の奥に何かがあるのは、もう香奈美にもわかる。


「お母さん、最近なんか隠し事多くない?」


その声に、栄子の表情が少し曇った。


「隠し事なんてしとらん」


「じゃあ見せればいいやん」


「香奈美」


名前を呼ぶ声が、少し低くなる。


「何でもかんでも疑うの、よくないよ」

「心が荒むと、人はすぐ悪いほうに見るようになるし」


その言い方に、香奈美ははっきりとむっとした。


またその調子だ。

普通に聞いただけなのに、こっちが“心の乱れた側”みたいに言われる。


「別に疑っとるわけじゃないし」


「でも今、そういう目しとった」


栄子はそう言って、紙を封筒に戻した。


その動作は静かだった。

怒鳴り合いにはならない。

でも、その静かさがかえって厄介だった。


言い争いなら、まだ本音が見える。

けれど今の栄子は、正しそうな言葉でこちらを押し返してくる。


香奈美は何も言えなくなって、自分の部屋へ上がった。


階段を上る背中を見ながら、栄子は胸の中でつぶやく。


(この子も、まだわからんだけなんや)


そう思う自分に、少しだけ安堵していることに、栄子は気づいていなかった。


⑧ 真綿が締まり始める


その夜、《真光の輪》金沢支部では、栄子についての報告がまとめられていた。


「家族への優位感が少しずつ育っています」

「“まだわからない人たち”として見始めています」

「物品の提案にも拒否感は薄いです」


支部長・野々村千鶴は、その内容を静かに読み終えた。


「順調です」


それだけ言って、目を細める。


「次は、本人に“献身の形”を選ばせましょう」

「押しつけてはいけません。自分で決めたと思わせること」

「家族を救うため、という文脈を必ず保って」


野々村の指示は、相変わらず冷静だった。


宗教団体が家庭を壊す時、最初から大きな力で引き裂くわけではない。

もっと静かに、もっと日常の顔をして入り込む。


ちょっとした言葉。

ちょっとした違和感。

ちょっとした買い物。

ちょっとした“正しいこと”。


その積み重ねが、やがて家族の真ん中に、見えない亀裂を走らせる。


真田家も、もうその途中にいた。



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