はじめての相談会
第四章 はじめての相談会
① ごく普通の場所に見えた
週末の午後、金沢の空は薄い雲に覆われていた。
真田栄子は、財布に入れていた案内カードを何度も確かめながら、指定された会場へ向かった。
住宅地の中にある、小さな集会室。
古びてはいるが、特に目立つ建物でもない。
町内会の集まりや手芸サークルでも開かれていそうな、ごく普通の場所だった。
入口には、手書きの小さな案内板が立てかけられている。
「子育てほっと相談会 本日はこちら」
その文字も、丸みのあるやさしい書き方で、警戒心を抱かせるものではなかった。
栄子は、少しだけ緊張しながら中へ入った。
すると、すぐに二人の女性が笑顔で迎えた。
「こんにちは。はじめての方ですよね」
「どうぞどうぞ、寒かったでしょう」
声の調子も、表情もやわらかい。
いかにも“勧誘”という感じはまるでない。
近所の気さくな世話好きの人、といった雰囲気だった。
室内には、すでに五、六人の女性たちが丸く座っていた。
年齢は三十代から五十代くらいまでばらばらで、服装もごく普通だ。
エプロン姿のまま来たような人もいれば、買い物帰りらしい服装の人もいる。
宗教施設らしい飾りもない。
祭壇もなければ、教義らしきポスターもない。
机の上にあるのは、急須と湯呑み、個包装のお菓子、スーパーで売っていそうな煎餅や小さな焼き菓子だけだった。
栄子は、そのあまりの“普通さ”に、少し拍子抜けした。
② 千円で得られる居場所
「参加費、今日は千円だけお願いしとります」
受付の女性がそう言って、小さな封筒にお金を入れるよう促した。
千円。
お茶とお菓子が出て、話を聞いてもらえるなら、高くはない。
むしろ、気軽な集まりとしては妥当に思えた。
栄子が千円を渡すと、女性はにっこり笑った。
「ありがとうございます。無理なく続けてもらえたらそれでいいんです」
「続けるかどうかも、来てみてからで大丈夫ですからね」
その言い方にも、押しつけがなかった。
案内してくれた席に座ると、すぐに湯気の立つ温かいお茶が置かれた。
皿には小さなカステラと、塩味の煎餅が並んでいる。
「どうぞ、食べながらでいいですよ」
「堅い話する会じゃないし」
周りの女性たちも自然に笑っていて、誰かが何かを話すたびに、
「わかるわあ」
「それ、あるよねえ」
と、やさしく相づちを打っていた。
栄子は湯呑みを両手で持ちながら、少しだけ肩の力を抜いた。
たった千円で、こうして座って話を聞いてもらえる場所がある。
それだけで、なんだか自分が少しだけ報われた気がした。
③ 否定されない時間
会が始まると、進行役らしい女性が穏やかな声で言った。
「ここでは、誰の話も否定しません」
「正しいとか間違っとるとか、そういう話はしません」
「ただ、毎日頑張っとるお母さんたちの気持ちを、安心して話せる場にしたいんです」
その言葉に、栄子の胸がわずかに動いた。
まさに、自分が欲しかった言葉だった。
最初は一人ずつ、簡単な自己紹介から始まった。
小学生の息子が言うことを聞かなくなった人。
高校生の娘との距離感に悩む人。
夫が子育てに無関心でしんどいという人。
悩みの大きさはそれぞれ違う。
でも、誰かが話すたびに、周囲は決して遮らない。
「そんなの気にしすぎやよ」とは言わない。
「もっと大変な人もおるし」とも言わない。
ただ、
「つらかったね」
「よう頑張っとるね」
「それはしんどいわ」
と、受け止める。
栄子は、そんな空気の中で、自分も少し話してみようと思った。
「うちは中二の娘がおって……別に、悪い子じゃないんです」
「うんうん」
「勉強もするし、部活も頑張っとるし。でも最近、なんか距離がある気がして」
「そうなんやね」
「何聞いても“別に”とか“普通”とかばっかりで……うち、気にしすぎなんかもしれんけど」
そこまで言ったところで、進行役の女性がやさしく首を振った。
「気にしすぎなんかじゃないですよ」
「お母さんやもん。気になるの当然です」
「むしろ、そこまで見とるんは、ちゃんと娘さんを大事にしとる証拠やわ」
その言葉を聞いた瞬間、栄子の胸の奥がじんと熱くなった。
まただ。
また“わかってもらえた”気がした。
④ 友達ができた気がした
会が進むうち、栄子は少しずつ口数が増えていった。
自分だけがこんなことで悩んでいるわけじゃない。
同じように、子どもの態度に傷ついたり、距離感に迷ったりしている母親がほかにもいる。
それがわかっただけで、気持ちがずいぶん軽くなった。
隣に座っていた女性が、小さく笑いながら言う。
「うちの娘なんか、中二の時なんて“話しかけんといて”やったよ」
「ああ、それきついですね」
「きついきつい。でも、今はまた戻ってきたし。あの時は、母親のほうが心折れそうやったわ」
周りからくすっと笑いがこぼれる。
栄子もつられて笑った。
その笑いが、ありがたかった。
悩みを共有できる。
わかる、と言ってくれる人がいる。
ここには仲間がいる。
栄子は、そう思った。
これまで一人で抱えていた不安が、少しだけ薄まる。
圭一には言いにくいことも、ここなら言える。
家では「大丈夫や」と流されるような気持ちも、ここでは丁寧に拾ってもらえる。
帰るころには、栄子の中に、小さな安心感が芽生えていた。
「また来てもいいですか」
気づけば、栄子は自分からそう言っていた。
進行役の女性たちは、そろってやわらかく笑った。
「もちろんですよ」
「ここは、いつでも戻ってこれる場所やし」
その言葉が、またうれしかった。
⑤ ほんの少しだけ見えたもの
会の終わり際、進行役の女性が、何気ない調子で言った。
「人の悩みってね、一人で抱えとると、どんどん苦しくなるんです」
「でも、ちゃんと心の持ち方を整えていくと、家族との関係も変わっていくんですよ」
「昔から、そういう心の整え方を伝えてきた学びの場があってね」
栄子は、その言葉を特に気に留めなかった。
“学びの場”という言い方も、ただの人生相談や講座のように聞こえたからだ。
別の女性が続ける。
「私もここに来て、人を責めん考え方を教わって、楽になったんよ」
「心の向け方ひとつで、家庭って変わるもんやね」
それもまた、よくある自己啓発めいた話に聞こえる程度だった。
宗教らしい言葉はまだ出ない。
祈りもなければ、教祖の名も出ない。
聖典もなければ、信仰告白のようなものもない。
ただ、“考え方”“学び”“心の整え方”という言葉が、やさしい布のように会話の中に混ざっているだけだった。
だからこそ、栄子は身構えなかった。
⑥ その裏側で
会が終わり、参加者たちが帰っていくと、部屋の空気は少し変わった。
さっきまでのやわらかい笑顔の奥に、別の緊張が差し込む。
進行役の女性の一人が、スマホを手に取り、小さく報告を入れた。
「新しく来た真田さん、かなり反応よかったです」
「娘さんのことで不安が強いみたいで、共感にしっかり乗ってきました」
「次、もう少し家庭のことと、夫との温度差も聞き出せそうです」
画面の向こうで、それを受けたのは
《真光の輪》金沢支部支部長・野々村千鶴
だった。
野々村の返事は短く、冷静だった。
「焦らなくていいです」
「まずは“ここが居場所”だと思ってもらうこと」
「家庭で孤立している感覚を深めすぎず、でも軽くもしない」
「次回は、娘さんだけじゃなく、ご主人が理解してくれない苦しさも丁寧に拾ってください」
「本人に“もっと話したい”と思わせる流れを優先して」
指示は、驚くほど具体的だった。
どの話題にうなずくか。
どこで涙を誘うか。
何をまだ言わないか。
どこで宗教色を隠し、どの段階で“学び”を“導き”へ変えていくか。
すべてが、最初から手順として決められていた。
会の参加者たちに出されたお茶も、お菓子も、笑顔も、共感も。
そのすべてが“善意だけ”で成り立っているわけではなかった。
それは、弱った心の輪郭を探り、
どこに触れればもっと深く入り込めるかを見極めるための、
静かな入口でもあった。
⑦ 栄子はまだ知らない
その帰り道、栄子は心が少し軽くなっていた。
空は夕方の灰色に変わり、金沢の町を湿った風が抜けていく。
それでも、来る前より足取りは少しだけやわらかかった。
「なんか、よかったわ」
思わず口に出る。
話を聞いてもらえた。
否定されなかった。
同じように悩む人と笑えた。
仲間が増えた気がした。
自分だけじゃなかった。
わかってくれる人がいた。
また行ってもいいと思える場所ができた。
それは、今の栄子にとって、たしかに救いだった。
だが、その救いの手は、栄子を支えるためだけに差し出されていたわけではない。
新興宗教団体《真光の輪》は、
こうしてごく普通の母親たちの孤独に寄り添うふりをしながら、
少しずつその心の奥へ入り込んでいく。
最初は千円。
お茶とお菓子と、やさしい共感。
そして次は、もう少し深い話へ。
もう少し個人的な悩みへ。
もう少し、“ここだけで通じる安心”へ。
栄子はまだ知らなかった。
今日、自分が得たと思っている“仲間”の中に、
どれだけ本物の善意があり、
どれだけ計算されたやさしさが混ざっているのかを。
次はかなり自然に、
第五章 少しずつ深くなる話
として、
栄子が二回目、三回目と通い始める
個別に声をかけられる
「あなたは特に感受性が高い」と特別扱いされる
家庭の悩みが、少しずつ《真光の輪》の教えに結びつけられる
支部長・野々村千鶴が本格的に栄子を“見込み客”として扱い始める
この流れで一気に不穏さを増せます。




