表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
カナミ彗星—光は必ず届く  作者: リンダ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
31/58

静養という名の連れ出し

 第三十一章 静養という名の連れ出し

 ① 具体的な場所


 八月の金沢は、朝から空気が重かった。


 栄子が仕事へ向かう前、スマホに入ったメッセージを見て、指先がぴたりと止まる。


 送信者は藤代美和。

 文面は、これまでよりもはっきりしていた。


 真田さん、短期で静養できる場所を準備できます。

 金沢支部の関係者が使っている滞在先で、二、三日ゆっくり心を整えることができます。

 ご家族と少し距離を置くだけでも、見え方が変わる方が多いです。


 その下には、さらに続きがあった。


 必要なら、迎えも手配できます。

 真田さんがこれ以上、家の中で潰れないようにしたいのです。


 迎え。


 そこまで来たか、と栄子は思った。

 今までは“離れるのも一つの選択肢”という、ぼんやりした言い方だった。

 でも今回は違う。

 どこへ行くか、どうやって行くか、その輪郭まで示している。


 短期。

 二、三日。

 静養。


 言葉だけ見れば、悪いことをしているようには見えない。

 むしろ、疲れ切った人を休ませるための親切にすら見える。


 だからこそ危ない。


 栄子は、スマホを握ったまましばらく動けなかった。


 もし、そこへ行ったらどうなるのだろう。

 家から離れられる。

 圧から離れられる。

 向こうは、自分を責めない。

 わかってくれる。


 そう思う一方で、家を本当に出たら、戻れなくなる気もした。


 ② 家族の目と、教団の手


 その日の夕食後。


 圭一は、栄子の表情が朝より少し落ち着かないことに気づいていた。


 隠そうとしている時の顔だ。

 怒っている時とも、落ち込んでいる時とも違う。

 何かを決めかけていて、でもまだ言えない時の顔。


 香奈美も同じことを感じていた。

 天文部の観測で、ほんの小さな光点の移動を見逃さなかったのと同じように、今は母の“気配のずれ”を見る。


「お母さん、今日なんかあった?」


 香奈美がさりげなく聞く。


 栄子は、一瞬だけ箸を止めた。


「別に」


 その“別に”が、もう何かあると言っているようなものだった。


 圭一はそこで、あえてそれ以上は聞かなかった。

 今はまだ、問い詰めればまた殻にこもる。


 だが、その夜遅く、香奈美が一つのものを見つける。


 洗面所に置かれたままの栄子のスマホに、通知が一瞬だけ表示されたのだ。


 静養先の件、明日中にお返事ください


 その文面を見た瞬間、香奈美の心臓が跳ねた。


 静養先。

 やはり、そうだ。

 教団は母を家の外へ出そうとしている。


 香奈美はすぐに父へ伝えた。


 ③ 圭一、先手を考える


「やっぱり来たか」


 香奈美の報告を聞いた圭一は、低くつぶやいた。


 教団が次に打ってくる手として、最もありそうなものの一つだった。

 本人が揺らぎ始めた時、いったん家から引き離し、完全に自分たちの空気の中へ置いてしまう。


 二、三日でも危ない。

 いや、むしろ二、三日だからこそ危ない。

 その短さが“ただの静養”に見えるからだ。


 圭一はすぐに考えを巡らせた。


 止める方法はいくつかある。

 だが、正面から「行くな」と言うだけでは弱い。

 栄子の中では、それが“家族による妨害”に変換される可能性が高いからだ。


 必要なのは先手。

 教団が“居場所”として差し出す前に、家の側が別の現実を差し出すこと。


 そこで圭一の頭に浮かんだのが、香奈美だった。


 いや、正確には――

 香奈美の彗星発見をきっかけに、家の中に生まれかけているもの

 だった。


 ④ KANAMI COMET の余韻


 彗星の発見以来、家の中にはわずかな変化があった。


 劇的ではない。

 教団の影が消えたわけでもない。

 でも、あの夜以降、栄子は香奈美の前で以前ほど安易に“神様が”と言わなくなった。


 一度止まる。

 一瞬考える。

 そのわずかな間が生まれている。


 圭一はそこに賭けようとしていた。


 本物の観測。

 本物の努力。

 本物の喜び。

 家族の誰かが、現実の中で見つけた光。


 教団が差し出す“真理”が曖昧な言葉でしかないなら、こちらは曖昧でないものを見せるしかない。


 圭一は香奈美に言った。


「お母さんを、もう一回“お前の世界”の中に入れられんか」


 香奈美が顔を上げる。


「どういうこと」


「彗星のことや」

「お前が見つけたもんが、家の中でいちばん本物や」

「今、お母さんを引き止める最後の糸になるかもしれん」


 香奈美は黙り込んだ。


 たしかにあの時、母は何も言えなくなった。

 宗教の言葉で上書きできない現実を、初めて真正面から突きつけられたからだ。


 ⑤ 家を出る前に、家でやること


 翌日、圭一は学校側にも連絡を取った。


 天文部の顧問に事情を完全に話すことはできない。

 だが、香奈美の発見に関する追加説明や、観測記録の整理、今後の発表の可能性などで、家庭でも確認したいことがある、といった形で相談を入れた。


 顧問は香奈美の発見を高く評価しており、快く協力的だった。


「データ整理なら、家庭でも見られるようにまとめましょうか」

「ご家族にも、どうやって確認したのか見てもらえるといいかもしれませんね」


 その言葉に、圭一は手応えを感じた。


 教団が“静養先”を提示して栄子を引き抜こうとするなら、こちらは

 家の中で栄子が立ち会うべき、本物の出来事

 を作る。


 逃げるように家を出る前に、

 家の中にまだ残っている現実へ向き合わせる。


 それが、今のところ一番ましな先手だった。


 ⑥ 栄子の中の揺れ


 その日の帰り道、栄子は教団側へまだ返事をしていなかった。


 静養先はいつでも整えられます

 来られるなら週末が最適です


 そんな追いメッセージが届く。


 栄子の心は、確かにそちらへ傾いている。

 家を出たら楽になるかもしれない。

 少なくとも、今の圧からは離れられる。


 だが同時に、香奈美の顔も浮かぶ。


 彗星の話をした時の、あの怒り。

 それだけではない。

 観測会で見た、部員たちの真剣な目。

 自分が“神秘”とひとまとめにしていた宇宙を、あの子たちは地道な観測と計算と比較で見ていた。


 あれは、嘘ではなかった。

 誰かが与えた意味ではなく、自分たちで確かめた結果だった。


 栄子の中で、教団の言葉と香奈美の現実がぶつかる。


 だからこそ、すぐに返事ができない。


 ⑦ 香奈美の提案


 その夜、香奈美はあえて母に話しかけた。


「お母さん、今度さ」


 栄子が顔を上げる。


「彗星のデータ、ちゃんと見せる」

「どうやってわかったか、最初から全部」


 栄子は少し戸惑った顔をする。


 香奈美は続けた。


「前の写真と、今回の写真と、赤経と赤緯と、アプリで何と照らしたかと、国立天文台に送ったデータも」

「お母さん、まだちゃんと見てないやろ」


 その言い方は、責める調子ではなかった。

 むしろ、静かに

 見て

 と言っている。


「うちら、運が良かったから見つけたんじゃない」

「みんなで見て、考えて、確かめたから見つけたんや」

「それを、お母さんにも知ってほしい」


 栄子は、その言葉にすぐには答えられなかった。


 家を出る話が頭の中にある今、その提案は妙に重い。

 もし本当に見てしまったら。

 もしそこで、自分の“神様が見つけた”という感覚がまた崩れたら。


 でも、だからこそ逃げたくもなる。


 ⑧ 教団はさらに踏み込む


 同じ頃、藤代美和からはさらに直接的な電話が入っていた。


「真田さん、もう迷っている時間が長くなるほど苦しいだけですよ」


 電話の向こうの声はやさしい。

 でも、そのやさしさの中にじわじわ圧がある。


「静養先は、土曜からなら空けられます」

「二泊三日だけでも全然違います」

「本当に疲れ切る前に、家を少し離れませんか」


 栄子は、何も言えなかった。


 藤代は、沈黙を肯定に近いものとして扱う。


「大丈夫ですよ」

「誰も真田さんを責めません」

「ここでは、ちゃんと休めます」


 それは、今の栄子にとってあまりにも危険な誘いだった。


 責められない場所。

 休める場所。

 居場所。


 家の側が今、一番弱いところを、教団は的確に突いてくる。


 ⑨ 最後の糸


 その夜遅く、圭一は一人で居間に座り、静かに考えていた。


 もし栄子が家を出れば、教団は一気に囲い込みを強めるだろう。

 そうなれば、金も心も、さらに取り戻しにくくなる。


 だが、ただ止めるだけでは足りない。

 家の中に、

 出ていかない理由

 を作らなければならない。


 その時、二階から降りてきた香奈美が、父の横に座った。


「お母さん、まだ揺れとると思う」


 圭一はうなずく。


「俺もそう思う」


「やったら、今しかないかもしれん」

「ちゃんと見せる。うちらが何を見て、何を見つけたか」

「お母さんが、まだ少しでもこっちを見るなら」


 圭一は娘の横顔を見た。


 KANAMI COMET。

 その発見は、ただの快挙ではなかった。

 家族の中に、まだ“本物”が残っていると示すものになった。


 教団が差し出す居場所が、曖昧な承認と言葉だけなら、

 こちらが差し出せるのは、現実の中で一緒に何かを見る時間だ。


 それが、最後の糸になるかもしれない。


 圭一は、小さく言った。


「……まだ切れてないなら、つなぎ直す」


 その言葉に、香奈美も静かにうなずいた。


 真田家は、家を出る誘惑と、家に残る光のあいだで、ぎりぎりのところに立っていた。


 次はかなり自然に、


 第三十二章 見せたい空、奪いたい家


 で、


 香奈美が栄子に彗星発見の全過程を見せる

 教団側は同じ週末に静養先への移動を迫る

 栄子は「家を出るか、家に残るか」の最初の本格的な分岐に立たされる


 この章で、かなり大きな心理的山場を作れます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ