私を信用してないの?
第二十三章 東京へ行かせるな
① 「私を信用してないの?」
七月の金沢は、朝からむっとする暑さだった。
真田家の居間でも、扇風機が回り続けている。
それでも、空気の重さは熱気だけのせいではなかった。
食卓のあと、圭一は真正面から切り込んだ。
「東京の話、ちゃんと聞かせてもらうぞ」
栄子は、少しだけ顔をしかめる。
「なんでそこまで」
「なんで、やない」
「懸賞で当たった旅行券や言うんなら、どこの何か、ちゃんと説明できるやろ」
香奈美も、黙って母を見ていた。
母の口ぶりや目の動き、言葉の選び方。
天文部で観測記録を取る時のように、今は感情ではなく細かい違和感を拾おうとしていた。
栄子は、あきれたような顔を作って言う。
「私を信用してないの?」
その一言で、空気がまたぴんと張る。
圭一はすぐには答えなかった。
やがて低く言う。
「今の状況で、無条件に信用しろってほうが無理や」
栄子の目が揺れる。
「うちは別に悪いことしようとしてるんじゃない」
「ちょっと東京行って、気分を落ち着かせたいだけやよ」
「なら、東京のどこ行くんや」
圭一の声は、前より一段固かった。
「詳しい場所を教えろ」
② 栄子の説明
栄子は、一瞬だけ言葉を探すように視線を落とした。
だが、すぐにもっともらしい答えを口にする。
「スカイツリーとか、浅草に行って、気分を落ち着かせたいなって思って」
香奈美は、その瞬間に違和感を覚えた。
浅草。
スカイツリー。
たしかに、東京観光の定番だ。
でも、母がそういう場所を自分から具体的に挙げる時の言い方ではない。
まるで“東京で一人旅といえばこのへんだろう”と、借りてきた答えを並べている感じがした。
圭一も、同じことを感じたのか、さらに聞く。
「泊まるホテルは?」
「日帰りで帰る」
返事が早い。
「何時に出る」
「朝七時に金沢を出るかがやきに乗る」
「帰りは、十九時ごろ金沢に着く新幹線で帰る」
そこだけは妙に具体的だった。
香奈美の中で、また警戒が強くなる。
観光先はぼんやり。
でも列車の時間は具体的。
普通は逆じゃないのか。
どこへ行くかが先で、それに合わせて列車を決めるはずだ。
なのに母は、“どこへ行くか”より“何時の新幹線か”のほうがはっきりしている。
つまり、目的地は別にあって、列車だけ先に決められている。
香奈美は、そう見た。
③ 香奈美の理詰め
その夜、香奈美は圭一に言った。
「お父さん、絶対変や」
圭一はすでにそのつもりでいたように、静かにうなずく。
「どこがや」
「観光やったら、先に行きたい場所の話が自然に出るやろ」
「でもお母さん、浅草とかスカイツリーって“それっぽい名前”言っただけみたいやった」
「しかも、列車の時間だけ妙に具体的やった」
圭一は腕を組んだ。
香奈美は続ける。
「あと、日帰りって言ったやろ」
「もしほんとに気分転換したいだけなら、そんなにカツカツの予定にせんと思う」
「誰かに時間を決められとる感じする」
天文部で観測計画を立てる時、香奈美は「何を観るか」と「何時にどう動くか」を分けて考える。
だからこそ、母の説明の不自然さがよけいにはっきり見えた。
目的と行程が噛み合っていない。
その時点で、母の言葉はかなり怪しい。
圭一は、娘の顔を見て言った。
「俺もそう思う」
その短い一言で、香奈美の読みが確信に近づく。
④ 圭一、沢渡に頼む
その晩のうちに、圭一は沢渡沙織へ連絡を入れた。
「沢渡、家内は東京に行くと言ってる」
「悪いが、ついていってくれないか」
沢渡は少しもためらわなかった。
「わかりました」
圭一は、すぐに続ける。
「乗る列車は、朝七時に金沢を出るかがやき」
「帰りは十九時ごろ金沢着の便やと言っとる」
「指定席番号も控えた」
そこまで調べていたのは、もはや父親としての執念だった。
「車両と席番、送ります」
「もし本当に観光ならそれでいい。でも、たぶん違う」
沢渡の声も低くなる。
「東京のどこへ向かうか、確認します」
圭一はそこで一瞬言葉を切った。
沢渡は同僚であり、事情を理解している。
それでも、人に自分の妻を尾行してほしいと頼むのは、胸をえぐられるような気分だった。
「頼む」
その一言に、父親としての焦りと、夫としての苦さがにじんでいた。
⑤ 教団が用意した東京
一方そのころ、栄子のスマホには教団側から詳細が送られてきていた。
だが、それは家族に話した内容とはまったく違っていた。
東京本部 修練会のご案内
場所:中野区内 真光の輪東京本部
開始:10時30分
終了:16時45分
金沢からの移動は指定の列車をご利用ください
そして、その下にはこうある。
今回は特別に、真田さんのために席をご用意しています。
真理の道を深める大切な節目です。
栄子は、その文面を何度も見返していた。
中野。
東京本部。
修練会。
浅草でもスカイツリーでもない。
観光ではなく、教団本部での“特別な学び”だった。
それでも栄子の中では、もう罪悪感だけではなかった。
むしろ、ここまで来たからには行かなければならないという感覚のほうが強かった。
家では責められる。
監視される。
否定される。
でも東京本部では、自分を待っている人がいる。
「ここがあなたの居場所です」
と言ってくれた人たちがいる。
その引力は、まだ圧倒的だった。
⑥ 旅行券の正体
さらに数日後、圭一は家の郵便受けに入っていた一通の封書に目を止めた。
差出人は、架空の旅行会社のような名前。
だが、封筒の質や表記の作りが妙だった。
どこか安っぽく、雑で、いかにも“表向きだけ整えた”印象がある。
中身を開けると、案の定だった。
ご当選おめでとうございます
東京日帰りご招待
だが細かく見ると、旅行商品としての体裁が甘い。
宿泊案内も、観光プランも、利用条件もない。
単に新幹線の往復手配に近い。
圭一は、その紙を見て冷たく思った。
懸賞ではない。
教団が“もっともらしい形”を作るために用意しただけだ。
つまり、栄子は最初から家族に嘘をつく前提で、この紙を与えられていたのだ。
⑦ 再び止めるための策
圭一、香奈美、そして沢渡の三人は、次の手を練り始めた。
「東京駅で追うか、中野まで確認するか」
沢渡が言う。
圭一は少し考えてから答えた。
「まずは、東京でどこへ行くかを確実に押さえたい」
「家内が本部に入るなら、それが決定的な証拠になる」
香奈美は、黙って地図アプリを見ていた。
浅草、スカイツリー、中野。
位置関係を頭に入れる。
「全然違うやん」
ぽつりとそう言う。
「浅草とスカイツリーは東側やろ」
「中野は西側やん」
「日帰りでその行程、普通に観光する動きと全然違う」
天文部で観測場所や移動経路を組む時の癖が、ここでも生きていた。
香奈美は感情だけでなく、地理や時間の整合性で見ても、母の話が成り立たないことを確認していた。
圭一は娘の画面をのぞき込み、うなずく。
「よし」
「当日、金沢から東京まで沢渡についてもらう」
「俺たちはここで待つだけじゃなく、向こうでどう動くかも考えんなん」
香奈美がすぐに言う。
「うちも行く」
「だめや」
圭一は即答した。
「なんで!」
「お前が行ったら、余計に話がこじれる」
「今はまだ、証拠と流れを押さえる段階や」
香奈美は悔しそうに黙った。
でも、理屈では父の言うことが正しいのもわかっている。
⑧ 栄子の中の最後の迷い
そのころ栄子は、東京行きの前夜に一人で空を見上げていた。
金沢の夜空は、街の光であまり星は多くない。
それでも、雲の切れ間からいくつかの星がのぞいている。
ほんの少しだけ、迷いがあった。
家族に嘘をついている。
それはやはり事実だ。
しかも今回は、今までよりずっと大きい。
けれど、その迷いのすぐあとに、教団側の言葉が上書きする。
ここで止まれば、今までの苦しみが無駄になる
家族はまだわかっていないだけ
東京本部での学びが、真田さんの人生の節目になります
そう思うと、迷いはまた“試練”へ変わる。
「……行かんなん」
小さくつぶやいたその言葉は、もはや自分に命じているようだった。
⑨ 東京へ行かせるな
真田家では、もうはっきりしていた。
栄子をこのまま東京へ行かせれば、
教団との結びつきはさらに深くなる。
ただの相談会ではない。
地方支部ではない。
東京本部での修練会。
そこまで行けば、もう“少し距離を置けば戻るかもしれない”段階を越えてしまうかもしれない。
圭一は、その危機感を冷たいほどはっきり持っていた。
香奈美も同じだった。
母は、自分の意志で行くつもりだ。
でもその意志そのものが、もう教団に作り変えられ始めている。
だから、次に必要なのは説得だけではない。
東京へ行かせないための具体策
だった。
真田家の戦いは、次の段階へ入ろうとしていた。




