表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
カナミ彗星—光は必ず届く  作者: リンダ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
21/58

切れない糸

 第二十一章 切れない糸

 ① 「もう関わらない」の軽さと重さ


 家族会議のあと、真田家にはしばらく妙な静けさが続いた。


 あれだけのことがあったのに、月曜日は来る。

 圭一は仕事へ行き、香奈美は学校へ行き、茂之もランドセルを背負って出ていく。

 栄子もまた、スーパーの惣菜部門へ向かった。


 日常は、何事もなかったような顔で戻ってくる。

 だが、それは元に戻ったことと同じではない。


 朝の食卓で、圭一が低く言った。


「……《真光の輪》とは、もう関わらんでくれ」


 栄子は一瞬だけ箸を止めた。

 それから、小さくうなずく。


「……わかった」


 香奈美も、茂之も、その返事を聞いていた。

 けれど、誰一人として安心できなかった。


 “わかった”

 その言葉は、表面だけなら従順だった。

 だが、圭一には見えていた。

 その目の奥に、まだ何かが残っていることが。


 それでも、今はその言葉を受け取るしかなかった。


 ② 表向きは従う母


 その日から数日間、栄子は目立った外出を控えた。


 教団歌も歌わない。

 妙な言い回しも少し減る。

 夕食時の空気も、あの夜よりはましになった。


 香奈美は、それが逆に不気味だった。


 前までなら、もっと反発すると思っていた。

「うちは間違ってない」と言い張って、また教団へ行こうとすると思っていた。


 なのに、栄子は意外なほど静かだった。


「お母さん、今日まっすぐ帰ってきたんやね」


 そう言うと、


「うん。仕事終わって、そのまま」


 とだけ返す。


 それだけ聞けば、何も問題はないように見える。

 だが香奈美は、母のその静けさに、どこか“閉じた感じ”を覚えた。


 怒っていない。

 でも、心を開いているわけでもない。


 “従っている”のではなく、

 “内側へ引っ込んでいる”

 ような感覚だった。


 ③ 教団から届く声


 栄子のスマホには、そのあいだも教団側からメッセージが入り続けていた。


 最初は控えめだった。


 無理なさらないでくださいね

 いまは心が揺れて当然です

 神様は、真田さんの苦しみもちゃんと見ておられます


 それが数日経つと、少しずつ色が変わる。


 家族に囲まれて、苦しかったですね

 真理に触れた方ほど、身近な人に否定されるものです

 でも、あなたは間違っていません


 栄子は、仕事の休憩中、バックヤードの隅でその文面を見つめていた。


 否定されていない。

 責められていない。

 むしろ“苦しかったですね”と先に言われる。


 それだけで、胸の奥の張りつめたものが少しほどける。


 家では、誰もそんなふうには言わなかった。


 圭一も、香奈美も、祖父母たちも、正論ばかりだった。

 間違っている。

 やめなさい。

 おかしい。

 騙されている。


 それは正しいのかもしれない。

 でも、今の栄子の心が欲しがっているのは、正しさよりも先に

 “わかってもらえる感じ”

 だった。


 教団はそこを、絶対に外さなかった。


 ④ 「ここがあなたの居場所なんだから」


 ある日の夕方、栄子のスマホに藤代美和から直接電話が入った。


 家では出られない。

 だから、スーパーからの帰り道、人通りの少ない場所で立ち止まり、栄子はそっと通話ボタンを押した。


「……もしもし」


 藤代の声は、相変わらず穏やかだった。


「真田さん、大丈夫ですか」


 その一言だけで、栄子は泣きそうになった。


「……大丈夫、やない」


「そうですよね」


「家で、ずっと責められとるみたいで」

「みんな、うちが全部おかしいみたいに言うし」


 藤代は、少し間を置いてから言った。


「真田さん」

「ここが、あなたの居場所なんだから」


 栄子は足を止めたまま、息をのんだ。


「家には、いま居場所ないでしょう?」


 その言葉は、あまりにもまっすぐだった。


 栄子はすぐには否定できなかった。


 たしかに今の家では、どこに座っても気まずい。

 食卓にいても視線を感じる。

 黙っていれば不自然で、何か言えば警戒される。


 圭一は慎重に見ている。

 香奈美は明らかに距離を取っている。

 茂之は怯えたような目でこちらを見る。


 前のような居心地のいい家では、もうない。


 その弱ったところに、藤代の声が入り込む。


「真田さんが落ち着いていられる場所は、ちゃんとあります」

「ここでは誰も、あなたを潰そうとしない」

「あなたがどれだけ家族を思って苦しんできたか、みんなわかっています」


 “潰そうとしない”


 その言葉に、栄子の胸の奥にあった暗い感情が、すっと名前を持った。


 ああ、自分は、あの家族会議で潰されそうになったのだ。

 そう感じていたのだ。


 藤代は続ける。


「今は無理に来なくてもいいです」

「でも、つながりだけは切らないでください」

「ここは、真田さんが戻ってこれる場所ですから」


 そのやさしさが、何より危険だった。


 ⑤ 口では切る、心では切れない


 その夜、栄子は家に帰ってきても、何事もなかったような顔をしていた。


「今日、遅かったな」


 圭一が言うと、


「仕事がちょっと長引いて」


 と答える。


 それも嘘ではない。

 仕事のあと、少しだけ電話をしただけだ。

 だが、その“少しだけ”が、すでに大きな裏切りだった。


 口ではもう関わらないと言いながら、

 裏では関わり続けている。


 しかも栄子の中では、それは“裏切り”ではなかった。


 本当に苦しい時に支えてくれる相手と、

 完全に関係を断てるわけがない。

 そう思っていたからだ。


 家族はわかってくれない。

 教団はわかってくれる。


 そういう構図を一度受け入れてしまうと、

 関係を断つことは、自分の居場所を失うことと同じになってしまう。


 だから栄子は切れない。


 切りたいのではなく、そもそも切るべき関係だと思えていないのだ。


 ⑥ 圭一、外に助けを求める


 一方で圭一は、もう家の中だけで対処する段階ではないと見切っていた。


 勤務の合間を縫って、宗教被害や霊感商法の相談を受けている窓口を調べ、被害対策弁護団にも連絡を入れ始める。


 電話口で事情を説明するたび、圭一は何度も同じ言葉を口にした。


「本人はまだ、自分が被害に遭っている自覚がありません」

「むしろ、家族を救うためだと信じています」

「高額な契約もしていて、すでに家計に影響が出ています」


 返ってくる答えは、どれも重かった。


「その段階は典型的です」

「今すぐ説得で変わるとは限りません」

「孤立させないことが大事です」

「教団との接触をどう減らすか、支払いをどう止めるか、並行して考える必要があります」


 圭一はメモを取りながら、唇を引き結ぶ。


 典型的。

 典型的であることが、逆に恐ろしかった。


 つまり、自分の家に起きていることは、特別な不幸ではなく、

 すでに何度も繰り返されてきた“被害の型”なのだ。


 それでも、型だとわかったから救えるほど簡単ではない。

 そこがいちばんきつかった。


 ⑦ 香奈美は見抜く


 香奈美もまた、母の変化を細かく見ていた。


 表向きは落ち着いている。

 でも、スマホを握る時間が増えた。

 通知が来るたび、画面を伏せる。

 家族の前では何も言わないくせに、一人になると表情がふっと変わる。


 ある夜、居間で向かい合ってテレビを見ていた時だった。

 栄子のスマホが震えた。

 画面が一瞬だけ見える。


 ここはあなたの居場所です


 その文字を、香奈美は見逃さなかった。


 背中がぞくりとした。


 もう関わっていないなんて、嘘だ。

 お母さんはまだ、向こうとつながっている。


 その瞬間、香奈美の中で、母への怒りと哀しみがまた膨らんだ。

 でも今は、すぐに言わない。

 圭一に伝える。

 そう決めていた。


 ⑧ 家の中に残る断絶


 その夜、香奈美は父に伝えた。


「やっぱり、まだ切れてない」

「スマホに“ここはあなたの居場所です”って来とった」


 圭一は目を閉じ、数秒黙った。


「そうか」


 驚きはなかった。

 むしろ、やはりそうだったかという確認に近い。


 香奈美は、悔しそうに言う。


「何で切れんのやろ」

「うちら、こんだけ言ってるのに」


 圭一はすぐには答えなかった。

 やがて、低く言う。


「向こうは、ただ金取るだけやない」

「“わかってくれる場所”として入り込んどる」

「そこを奪われたままやと、簡単には切れん」


 香奈美は唇をかんだ。


 それがいちばん厄介だった。

 お母さんは、騙されているだけじゃない。

 本当に“救われた気がした”のだ。

 だからこそ、家族の正論だけでは引き戻せない。


 ⑨ 長くなる戦い


 表向き、栄子は従っている。


 教団にはもう行かない。

 そう言っている。

 家でも大人しくしている。

 少なくとも外から見れば、問題は少し落ち着いたように見えるかもしれない。


 だが実際には違う。


 心の中では、まだ教団とつながっている。

 スマホの向こうで、優しい言葉が栄子を引き留め続ける。

「家には居場所ないでしょう」

「ここがあなたの居場所なんです」

 そう言われるたびに、切れかけた糸がまた結び直される。


 圭一は、外の専門家とつながり始めた。

 香奈美は、母の動きを見逃さないようにしている。

 茂之はまだ全部は理解しきれないまま、それでも家の空気の悪さに小さくなっている。


 誰ももう、“少し変だ”とは思っていない。

 完全に異常事態だとわかっている。


 それでも、すぐには終わらない。


 宗教被害の本当の恐ろしさは、

 証拠を突きつけても、

 数字を見せても、

 本人の心の中の“居場所”まで一緒には消えないことだった。


 真田家の戦いは、まだ始まったばかりだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ