表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
カナミ彗星—光は必ず届く  作者: リンダ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
19/58

日曜、教団の前で

 第十九章 日曜、教団の前で

 ① いつも通りの朝のふり


 日曜の朝、金沢の空はうす曇りだった。


 雨こそ降っていないが、空気には湿り気があり、じっとしていても肌にまとわりつくような重さがある。

 真田家の朝も、見た目だけなら普段と変わらなかった。


 栄子は少し早めに起きて、静かに身支度をしていた。

 外出用の落ち着いた服。

 小ぶりのバッグ。

 中には財布と、会の資料、そして数珠のような小物がそっと入っている。


 圭一はその様子を、何気ない顔で見ていた。

 香奈美も、わざと遅く起きたふりをして、階段の途中から母の動きをうかがっている。

 茂之はまだ不安そうな顔のまま、父の近くを離れなかった。


「今日、ちょっと出てくるし」


 栄子は、それだけ言った。


「……そうか」


 圭一も、それ以上は聞かなかった。


 もう、知っているからだ。

 どこへ行くのかも、何のためかも。


 だがここで止めれば、栄子はすぐに身構える。

 だから今は、あくまで自然に送り出すしかない。


 香奈美は、その“普通のふり”が苦しかった。

 今すぐ玄関で止めてしまいたい。

「行ったらだめ」と言いたい。

 でも、父に止められている。


 圭一の言う通り、今日は“感情でぶつかる日”ではない。

 取り戻すために、段取りで動く日だ。


 栄子は靴を履き、バッグを肩にかけた。

 その横顔は、奇妙に落ち着いていた。


(試練や)

(今日を越えたら、もっとはっきり道が開ける)


 そんなことを思っているのかもしれないと、圭一は感じた。


「いってきます」


 その声に、家の中の誰も、すぐには返せなかった。

 数秒遅れて、圭一が低く言う。


「……いってらっしゃい」


 栄子は気づかぬまま、家を出た。


 ② それぞれが動き出す


 玄関のドアが閉まった瞬間、家の空気が変わった。


 圭一はすぐに携帯を取り出す。


「今出た」


 それだけを送る。

 相手は沢渡沙織だ。


 すでに、栄子の向かう先の近くで待機しているはずだった。


 香奈美は、息を詰めるように聞いた。


「間に合うよね」


「間に合わせる」


 圭一の声は短い。

 もう余計な言葉を使っている余裕はない。


 その数分後、インターホンが鳴る。


 最初に来たのは栄子の両親だった。

 父は硬い顔をしており、母は来る前から泣きそうな表情だった。


「圭一君……ほんまなんか」


 栄子の父が低く言う。


 圭一は、うなずくしかなかった。


 続いて、圭一の両親も到着する。

 こちらも表情は重い。

 電話では聞いていた。

 だが、玄関先の段ボール、本の束、居間に置かれた資料の気配が、その話の現実味を何倍にもしていた。


 香奈美と茂之は、並んで祖父母たちを見ていた。

 今日はもう、家族だけの問題ではない。

 一族全体で止める日だ。


 ③ 教団の前での時間稼ぎ


 そのころ、栄子は《真光の輪》金沢支部の建物へ向かって歩いていた。


 日曜の午前。

 街はまだ完全には混んでおらず、道には買い物客や観光客が少しずつ増え始めている。


 教団の建物は、表向きには目立たない。

 地味な看板。

 相談室のような外観。

 初めて見れば、まさか内部で人の人生が飲み込まれているとは思わないような場所だ。


 栄子は、入り口のある角を曲がろうとした時だった。


「すみません」


 背後から、控えめな女の声がした。


 振り返ると、少し困った顔をした女性が立っていた。

 上品だが、どこか不慣れそうな様子。

 小さな地図アプリの画面を持っている。


 沢渡沙織だった。


 もちろん栄子は、それに気づかない。


 沢渡は申し訳なさそうに言う。


「金沢駅に向かうには、どう行ったらいいですか」

「不慣れなものですから、一緒に案内してもらえたら助かります」


 栄子は一瞬だけ戸惑った。


 本当なら急ぎたい。

 でも、目の前の女性は本気で困っているように見える。


「駅ですか……」


「はい。こっちの道で合っとるのか自信なくて」


 沢渡は、絶妙な具合に“手間をかけさせすぎない困り方”をしてみせた。


 すぐに終わる道案内ではない。

 でも、放っておくには気が引ける。

 まさにその塩梅だった。


「少しなら……」


 栄子はそう言って、駅の方向を説明し始める。


 沢渡は、わざと一度で理解しきれないように聞き返した。


「ええと、この信号を右ですか?」

「そのあと、地下を通ったほうが早いんでしょうか」

「すみません、ほんと土地勘なくて……」


 数分。

 たった数分。

 だが今の圭一にとっては、その数分が必要だった。


 ④ 建物の前に集まる家族


 そのあいだに、圭一たちは車で教団近くまで移動していた。


 圭一。

 香奈美。

 茂之。

 栄子の両親。

 圭一の両親。


 車を降りると、皆の顔には緊張が張りついている。


 香奈美は、教団の建物を見た瞬間、背筋がぞくりとした。

 何の変哲もない建物だ。

 看板も穏やか。

 でも、ここに母が奪われかけている。


 茂之は小声で聞く。


「ここなん……?」


「そうや」


 圭一の返事は短かった。


 栄子の母は、建物を見るなり口元を押さえた。

 まさか娘が、こんな場所に通っていたのか。

 そう思うだけで足が震える。


 圭一の父は、怒りを押し殺すように低く言う。


「えらい普通の顔しとるな」

「こういうとこほど厄介なんやろな」


 圭一はうなずいた。


 目立たない。

 恐ろしくない。

 やさしそうに見える。

 それが、いちばん厄介なのだ。


 ⑤ 見つかる母


 沢渡が時間を稼いでいるあいだに、圭一たちは建物の前まで来ていた。


 そして、ちょうど説明を終えようとしていた栄子が、家族の姿に気づく。


 最初は、何が起きたのかわからないという顔だった。


 次の瞬間、その表情が凍る。


「……何しとるん」


 声が細くなる。


 沢渡は、そこで一歩引いた。

 もう役目は果たした。


 香奈美は、母のその顔を見て、胸の中で何かが大きく揺れた。

 怒っている。

 驚いている。

 そして何より、“ここに来られたくなかった”という顔だった。


 それだけで、もう十分だった。


 圭一が一歩前へ出る。


「話がある」


 栄子の目が、家族全員を順に見ていく。


 圭一。

 香奈美。

 茂之。

 自分の両親。

 義理の両親。


 逃げ場を塞がれたと感じたのか、その顔にさっと怒りが差した。


「なんでこんなことするん」


 栄子の母が、涙声で言う。


「それはこっちの台詞やよ、栄子……」


 その声に、栄子の表情がまた揺れる。


 ⑥ 最初の本格対決


 教団の建物の前。

 日曜の午前。

 通りを行き交う人は少ないが、まったく人目がないわけではない。


 それでも、真田家にとってはもう、そんなことを気にしている場合ではなかった。


 圭一は、持ってきた封筒を栄子の前に突きつけるように見せた。


「壺の契約書も、祈祷料も、本の契約も、全部見た」


 栄子の顔がこわばる。


「勝手に見たんやろ」


「そこやない」

「百万円の壺、四十万円の祈祷料、五百万の本」

「お前、自分が何しとるかわかっとるんか」


 栄子は、唇を引き結んだまま言う。


「わかっとる」

「全部、家族を救うために必要なことや」


 香奈美がもうこらえきれなかった。


「何回それ言うん!」

「うちらを救うって言いながら、ご飯減らして、金なくして、変な歌まで家で歌って!」

「それで何が救いや!」


 栄子は、娘を真正面から見た。


「香奈美、あんたはまだわからんだけや」


 そのひと言に、香奈美の顔がさっと青ざめる。


 もう、やはり母は自分を“対等な娘”として見ていない。

 “まだわかっていない側”としてしか見ていない。


 圭一の母が、そこで堪えきれず言った。


「栄子さん、目ぇ覚ましなさい」

「こんなん、どう見てもおかしいやろ」


 だが栄子は首を振る。


「おかしくない」

「みんな、真理に近づいとる人間を、異質に見とるだけや」

「こういう時に試されるって、ちゃんと教わっとる」


 その言葉に、栄子の父が初めて強く言った。


「教わっとる、教わっとるって……お前、自分の頭で考えとるんか!」


 栄子の肩がぴくりと揺れる。


「考えとるよ!」

「だからここまで来たんや!」


「違う!」


 今度は圭一が、はっきり言った。


「考えさせてもろうとるだけや!」

「都合のええ理屈入れられて、家族の言葉が届かんようになっとるだけや!」


 その声は、教団の建物の前に重く響いた。


 ⑦ 建物の中の気配


 そのやり取りを、建物の中から見ている者たちがいた。


 カーテンの隙間。

 半開きのドア。

 表には出てこないが、事態を観察している気配がある。


 《真光の輪》にとっても、これはまずい展開だ。

 家族が一度に揃い、建物の前で本人を引き止めている。


 だが、教団はこういう時、すぐには出てこない。

 あくまで“本人の自由意思”を装う必要があるからだ。


 沢渡は少し離れた位置から、その建物を見ていた。

 警察官として踏み込める場面ではない。

 だが、記憶にはしっかり刻みつけている。


 圭一も、その気配には気づいていた。


(見とるな)


 その事実が、逆に怒りを煽る。

 中の人間たちは、栄子が家族と壊れ合う様子すら、“試練”や“浄化”として利用するつもりなのだろう。


 ⑧ 茂之のひと言


 張りつめた空気の中で、ずっと黙っていた茂之が、ようやく前に出た。


 小さな声だった。

 でも、みんな聞いた。


「お母さん、帰ろう」


 栄子の目が、その小さな息子に向く。


「茂之……」


「もう、ここ行かんで」

「前みたいに戻ってよ」


 栄子の顔が、一瞬だけ崩れそうになる。


 百万円の壺の話にも、五百万円の本の話にも揺れなかったその心が、

 息子の“帰ろう”の一言で、ほんの少しだけ波打つ。


 だが、その揺れの上から、また《真光の輪》の理屈が覆いかぶさる。


(ここで帰ったら、全部無駄になる)

(ここで揺らいだら、家族を救う道が閉じる)


 その顔に、また硬さが戻っていく。


「茂之、今はわからんでもいい」

「でもお母さんは、ちゃんと家族のために――」


「違う!」


 今度は、香奈美ではなく茂之が叫んだ。


「家族のためなら、家族が嫌がることせんでよ!」


 その言葉は、子どもだからこそまっすぐだった。


 栄子は、その場で完全に言葉を失った。


 ⑨ 第一の壁


 その日の対決は、そこで決着がついたわけではなかった。


 栄子は泣き出したわけでも、突然目を覚ましたわけでもない。

 かといって、教団の中へ強行に入っていくこともできなかった。


 家族全員の前で、祖父母たちの前で、息子にまで「帰ろう」と言われてしまったからだ。


 そして圭一は、最後にはっきり言った。


「今日は入らせん」

「家に帰るぞ」


 栄子は、何度も首を振りかけた。

 だが、周囲の視線、家族の顔、建物の中から見ている気配、その全部に挟まれて、すぐには動けない。


 それは《真光の輪》にとっても誤算だったろう。

 家族の“最初の本格対決”は、栄子を完全に取り戻すには至らなかったが、少なくとも、教団の建物へそのまま入らせる流れは止めた。


 だが、それは勝利ではない。


 本当に厄介なのはここからだ。


 栄子はすでに、家族の引き止めを

 “真理に近づいた自分への大きな試練”

 として受け止め始めている可能性がある。


 つまり、この日止められたこと自体が、

 かえって教団への執着を深める材料になるかもしれないのだ。


 それでも、家族はやるしかなかった。


 このまま何もせず、笑顔と理屈だけの怪物に母を差し出すわけにはいかなかったから。


 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ