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カナミ彗星—光は必ず届く  作者: リンダ


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確かめたい父、止めたい娘

 第十三章 確かめたい父、止めたい娘

 ① 父と娘の小さな作戦会議


 翌朝の真田家は、表面だけ見ればいつも通りだった。


 栄子は台所で弁当を詰め、圭一はネクタイを締め、茂之はパンをくわえたまま教科書を探している。

 香奈美も制服姿で食卓についた。


 けれど、圭一と香奈美のあいだには、昨夜共有した“確信に近い疑い”が静かに横たわっていた。


 栄子は何も知らない顔で味噌汁をよそっている。

 その姿を見ながら、香奈美は胸の奥がざわつく。


(こんな普通みたいな顔してるのに)


 それが余計に苦しかった。


 朝食の場では、圭一も香奈美も余計なことを言わなかった。

 ここで刺激すれば、栄子が身構える。

 圭一はそう判断していた。


 圭一は出勤前、玄関で靴を履きながら、小さな声で香奈美に言った。


「今は、まだ直接ぶつかるな」


 香奈美はすぐに不満そうな顔をした。


「でも、もう十分おかしいやろ」


「わかっとる」


「じゃあ何で止めんの」


 圭一は娘の目をまっすぐ見た。


「今ここで頭ごなしに言うたら、お母さんは“理解されん”と思い込むだけや」

「向こうがそういうふうに考えさせとる可能性が高い」


 香奈美は唇を噛む。


 その理屈はわかる。

 でも気持ちは追いつかない。


「じゃあ、うちら何もせんの?」


「何もせんとは言うとらん」

「まず確かめる。落ち着いて、何に関わっとるか見極める」


 圭一の声は低く、しかし強かった。


 警察官としての冷静さと、父親としての焦りが、ぎりぎりのところで釣り合っているような声音だった。


「香奈美、お前は今まで通りでええ」

「変に探るな。問いつめるな」

「でも、気づいたことがあったら全部俺に言え」


 香奈美はすぐには返事をしなかった。

 だが最後には、小さくうなずいた。


「……わかった」


 ② 圭一、静かに見る


 その日から圭一は、露骨にならない程度に栄子の出入りや持ち物を気にするようになった。


 もちろん、家族の私物を勝手に漁るような真似はしたくなかった。

 それをすれば、もしまだ誤解の段階だった場合、取り返しがつかない。

 だが、見える範囲の変化は拾う。


 帰宅時間。

 財布の中身の動き。

 買い物袋の中。

 相談会らしき外出の日。

 封筒や紙の切れ端。


 ある日の夜、栄子が風呂に入っているあいだ、圭一は居間のテーブルに置かれたバッグに視線を向けた。

 口を開けっぱなしになっていたわけではない。

 だが、ファスナーの隙間から、白い封筒の角が少しだけ見えていた。


 そこには小さな字で、こう印刷されていた。


「家系の流れ相談」


 圭一の目が止まる。


 “相談”という言葉だけなら、まだ何とも言えない。

 だが、“家系の流れ”となると話は違う。


 昨夜の星の話。

 真理。

 神様。

 開運めいた言葉。


 点と点が、また一つ増えた。


 圭一は封筒を引き抜かなかった。

 見なかったことにして、その場を離れた。


 まだだ。

 まだ、こちらが先に踏み込みすぎる段階ではない。


 だが、疑いはもうかなり濃くなっていた。


 ③ 香奈美は止めたい


 一方、香奈美にはその“待つ”時間が苦しかった。


 部活帰り、友達と別れて一人になるたびに、母の顔が浮かぶ。

 星の話をした時の、あの妙に穏やかな表情。

 自分が何か変だと指摘しても、まるでこっちのほうがまだ未熟だとでもいうような視線。


(あれ、絶対おかしいやろ)


 その思いは日に日に強くなる。


 家に帰ると、栄子は相変わらず普通に夕飯を作っている。

 味噌汁の香りも、煮物の味も、見た目には何も変わらない。


 なのに、話し始めると違う。


「心が曇ると、ものの見え方も歪むし」

「人間って、真理から離れると、近い人のありがたさもわからんようになるんやよ」


 そんなふうに言われるたび、香奈美の中の苛立ちは強くなった。


 ある日の夜、ついに香奈美は圭一に食い下がった。


「やっぱり、何か言わんなんって」


 圭一は仕事帰りのシャツの袖をまくりながら、低い声で返す。


「今は我慢しろ」


「でも、このままやったらもっとひどくなるかもしれんやろ」


「それでもや」


「何で!」


 香奈美の声が思わず強くなる。


 圭一は少し間を置いてから、静かに言った。


「お母さんは今、自分が正しいことしとると思っとる」

「そこへ真正面から“おかしい”ってぶつけたら、余計に向こうの言葉を信じるだけや」


 香奈美は黙り込んだ。


 それが怖かった。


 母がもう、自分たち家族よりも“別の誰かの言葉”を優先するところまで来ているかもしれないことが。


 圭一は続ける。


「今は、まず相手を知る」

「何を言われとるのか、どこまで入っとるのか、そこを見んなん」

「お前は腹立つやろけど、ここは耐えろ」


 香奈美は視線を落としたまま、かすれた声で言った。


「……ほんとは、今すぐやめてって言いたい」


「わかる」


「お母さんが変なもん信じとるの、見てるのしんどい」


「わかる」


 その“わかる”が、逆に香奈美を泣きそうにさせた。


 父も同じように苦しいのだ。

 でも大人だから、止まりたい足を止めている。


 香奈美は拳を握りしめながら、うなずいた。


 ④ 栄子が気づく“空気”


 そんな二人の気配に、栄子がまったく気づかないわけではなかった。


 夕食時、圭一が以前より少し静かだ。

 香奈美も、あからさまではないが、どこか距離を取っている。

 茂之はまだ幼いぶん、そこまでわかっていないようでいて、家の空気を敏感に感じている。


 栄子は、その変化を胸の奥で感じ取っていた。


(やっぱり、来とる)


 そう思う。


(真理に触れ始めると、こういう試練が出るって言うとった)

(家族の空気が少し荒れるのも、曇りが表に出てきとる証拠なんや)


 その考え方は、栄子を奇妙な形で支えた。


 もし本当に、自分が間違っているのなら。

 もし変なことに関わっているのなら。

 家族の不穏さは“危険信号”になるはずだ。


 だが《真光の輪》は、その逆を教えた。


 家族の反発は、浄化の抵抗

 周りの沈黙は、真実に気づけていない証拠

 空気の悪さは、曇りが動き出した印


 そう習ってしまった今、栄子には家庭の変化が

 “立ち止まる理由”ではなく、

 “進むべき理由”

 に見えてしまう。


 それが何より危うかった。


 ⑤ 試練だと思うことで


 その週の学びの場で、栄子は不安げに打ち明けた。


「最近、家の空気が少し重たくて」

「夫も娘も、なんとなく……前より冷たいというか」


 藤代美和は、深くうなずく。


「やはり来ましたね」


 “来ましたね”。


 まるで予想通りの現象だとでもいうような言い方だった。


「真田さん、それは試練です」

「真理に触れ始めた方には、よく起こることなんです」


 栄子は、息をのみながら聞く。


「ご家族が悪いんじゃないんです」

「ただ、まだ見えていないものに、人は無意識で抵抗する」

「近い人ほどそうなんですよ」


 その言葉で、栄子の胸のざわつきは少し落ち着く。


 試練。

 そうか、これは試練なんだ。


 単なる家族不和ではない。

 自分が神の道に近づいているからこそ起こる、通るべき苦しみなのだ。


「ここで揺らいではだめですよ」

「真田さんがぶれたら、ご家族を救う道も閉じてしまうんです」


 その言葉は、栄子の背中を押した。


 本当なら、ここで一度立ち止まり、家族の違和感に耳を傾けるべきだった。

 だが、教団側はその違和感すら“正しさの証明”に変えてしまう。


 だから栄子は、家族に向き合う代わりに、教団の言葉で自分を補強していく。


 ⑥ 生活の中に小さな確認


 圭一はさらに慎重に見始めていた。


 栄子が出かける曜日。

 帰ってくる時刻。

 財布に増えたカード。

 見慣れない封筒。

 机に残ったメモ。


 ある夜、ゴミ箱の中に細く破られた紙片があった。

 たまたま目に入っただけだった。


 そこには断片的に、


 特別学習会

 家系

 浄化

 感謝


 といった文字が見えた。


 圭一の胸の奥で、冷たいものが広がる。


 まだ証拠として突きつけるには弱い。

 だが偶然では片づけにくい。


 相談会というより、もっと踏み込んだもの。

 しかも“家系”だの“浄化”だのという言葉は、普通の子育て相談からは遠い。


 圭一はその紙片を拾い上げなかった。

 ただ、目で焼きつけた。


 警察官としての習い性なのか、今はまだ“記録する段階”だと自分に言い聞かせる。


 ⑦ 家族の会話がずれていく


 その夜の夕食で、ほんの些細なことからまた空気がずれた。


 茂之が宿題を後回しにしてテレビを見ていると、栄子が言う。


「そうやって楽なほうへ逃げると、人はだんだん鈍るんやよ」


 茂之は意味がわからない顔で「あとでやるし」と返した。


 圭一がすぐに「まあ、飯食ってからでええやろ」と言う。

 その瞬間、栄子の表情がわずかに曇る。


「そうやって甘くしとるから、流れが乱れるんやって」


 圭一が眉をひそめる。


「流れ流れって、お前、最近そればっかりやな」


 しまった、と香奈美は思った。

 言い方が強い。


 だが栄子は、少し傷ついた顔をしただけで、声は荒げなかった。


「うちは、家のこと考えて言うとるだけやよ」


 その“家のこと”という言葉が、また会話を止める。


 家族のため。

 救うため。

 整えるため。


 その大義名分が出るたび、反論する側が冷たい人間のように見えてしまう。


 香奈美は箸を置きたくなる衝動をこらえた。


 圭一も、それ以上は言わなかった。


 そうして、はっきりした衝突は避けられる。

 けれど、会話は少しずつ死んでいく。


 ⑧ 夜、父は決める


 その晩、香奈美が部屋へ戻ったあとも、圭一はしばらく居間に残っていた。


 時計の針の音がやけに大きい。

 台所では、栄子が明日の米を研いでいる。


 その後ろ姿は、昔から何一つ変わっていないように見える。

 でも今の圭一には、そこに“別の何か”が重なって見える。


 沢渡沙織から聞いた被害の話。

 宗教団体。

 多額の献金。

 家庭崩壊。

 最初は相談会や開運から始まるという話。


 家で見つけた断片的な紙。

 栄子の言葉の変化。

 家計の読みにくい動き。

 娘の確信。


 もう、偶然が重なりすぎていた。


(確かめんなん)


 圭一は、ようやくそこをはっきり認めた。


 感情だけでぶつかるのではなく、

 職場で聞いたような“宗教団体型の囲い込み”なのかどうかを、

 自分の目で確かめる必要がある。


 家族として。

 父として。

 そして警察官として。


 その決意は、静かなものだった。

 だが一度固まると、もう後戻りはしなかった。


 ⑨ 止めたい娘、進む母


 そのころ、香奈美はベッドの中で眠れずにいた。


 止めたい。

 今すぐ止めたい。

 でも、お父さんは「まだだ」と言う。


 頭ではわかる。

 でも心はついていかない。


 一方で栄子は、布団の中で今日の学びを思い返していた。


 試練。

 浄化の抵抗。

 ここでぶれたら、家族を救う道が閉じる。


 圭一の沈黙も、

 香奈美の反発も、

 いまの栄子には、真理に触れた者に課される試しのように見えていた。


 家族は、止めたい。

 母は、進んでいると思っている。


 そのねじれが、同じ屋根の下で静かに深まっていく。


 真田家の夜は、外から見れば穏やかだった。

 けれどその内側では、もうはっきりと二つの流れが生まれていた。


 確かめたい父と、止めたい娘。

 そして、試練だと信じて進む母。


 その三つの思いが交わらないまま、

 家は少しずつ、確実にきしみ始めていた。

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