第39話:暴挙と暴論(前)
「さて、そろそろ2セット目いきましょうか」
タカシの声がやけに遠くに聞こえたのは、グッドフレンドがいつの間にか微睡んでいたからなのだろう。
続いて、カラカラと引戸を開ける音が鼓膜を揺らす。
「先行ってますよ!」
ゆっくりと目を開けると、こちらを見つめる鵜川と目が合った。
頷き、上体を起こす。
長い夢を見ていたようだが、脳裏を掠めた淡い記憶は覚醒と共に霧散してしまった。
ただ、どうやらあまり愉快なものではなかったのだろう。
外気浴後の頭の冴える感覚がある一方、胸中にはザラりとした不快感が残っていた。
皆の背中を追い掛けてサウナに入る寸前、グッドフレンドは一瞬だけ冷水シャワーを浴びた。
長丁場の前の備えである。
個室の中に入ると、皆は先ほどと同様の位置に腰掛けていた。
グッドフレンドは少し悩んでから、皆より一段低いスノコに座った。
高みの見物のつもりが低みの見物になってしまうが、こんな所でやせ我慢をしても仕方がない。
入ってすぐの所に据えられたストーブの中には、いつの間にか新たな薪が追加されている。
その薪がガラスの向こう側で燃え盛る火にくべられ、パチパチと乾いた音を室内に響かせていた。
「どうしましょう?ロウリュ、増やしますか?」
鵜川からの問いに、全員が沈黙を返す。
それを受けこの財務副大臣は、アロマオイルが混ざった水を先ほどと同じく、杓子一杯分だけサウナストーンに掛けた。
――ジュウ……
「早速質問してもいいですか?」
水が蒸発する音が収まったタイミングで、サウナハットを頭にのせた中国大使、マオ=ジェンライが口火を切った。
「もちろん」
タカシは何の衒いもなく頷いた。
「中国としても、新たに発見された地階エリアには興味を持っています。しかし、いくら興味があっても簡単に契約とはいきません。大金を払って契約して、いざ採掘してみたら成果はゼロ。今回もそんなことになったら、目も当てられませんから」
「……では、どうしろと?何やら腹案がありそうですが……」
少し間を開けて怪訝そうな反応を見せたタカシに、マオは間髪入れずに言葉を飛ばした。
「まずは日本側の想定を確認させてください。これまでの契約では、我が国は日本指定の区画に対する調査・開発権を付与されていました。一方で、地階エリアは地形が一様ではなく、モンスターという移動する危険要因も存在しています。従来の方式はそぐわないように見受けられますが、この点に関して貴国はどのようにお考えですか?」
「それについては、従来の区画ではなく、年間採掘人工を割り当てる方式を考えています。私の方から説明させてください」
鵜川が声を上げ、説明を始めた。
それによれば、採掘人工とは地階エリアで活動する作業員の人数と時間の掛け算である。
すなわち、1人が1時間活動することを1人工と定義し、支援国にその負担の重さに応じて採掘人工を割り当てると言うのだ。
この仕組みであれば活動場所は制限されないし、少人数を長時間、もしくは大人数を短時間送り込むなど、やり方も自由だ。
「なるほど、その方式自体は問題なさそうですね。仮にですが、中国が来年以降も支援を継続した場合、つまり無利子国債3兆円分のロールオーバーに応じる場合、どれくらいの人工を割り当てていただけるのですか?」
その質問を受けて、鵜川は年下のボスを見遣った。
しかしそのボスが無言を貫いたため、室内には暫しの沈黙が流れることとなった。
マオは一度サウナハットを取って額を流れる汗をタオルで拭った。
一方のタカシはそんな様子には目もくれず、何かを見出す様にガラスの向こうで揺れる炎を見つめている。
やがて薪が崩れる鈍く乾いた音が室内に響き、それを合図にタカシが徐に口を開いた。
「旧エリアの割り当てを終了してその分を新エリアの採掘人工とした場合の話ですが、年間で中国に2000人工と考えています」
「ロシアは?」
すぐさまチストフが質問をぶつけた。
ロシアのこれまでの支援内容は、年間800万トンに及ぶLNGの大幅割引輸入枠の設定と、サハリン油田における日本企業への優遇措置だ。
「現状の条件を引き継ぐと仮定すれば、1400人工くらいになるかと」
タカシの言葉に、グッドフレンドは脳内で算盤を弾いた。
現状、アメリカはダンジョンにおける有効採掘範囲全体の13%を割り当てられている。
中国は10%、ロシアは7%だ。
この割合から言えば、アメリカが継続取引となった場合の割り当て人工は2600程度と計算できる。
しかし、アメリカが負っているのは日本円の防衛という、最も重い任務だ。
無論、無制限介入ではない。
表向きの合意事項は「金融市場における日本円の急激な変動に対して適切な対応をする」との文言だけである。しかし実際は、年間7兆円を上限として米国財務省、及び連邦準備制度理事会が1ドル200円を防衛線として為替介入するというものだ。
確かに去年、一昨年は島津政権の安定した政治運営によって出番はなかった。
しかし、先月は魔素噴火が起きたことで短期筋からの集中砲火を浴び、それこそ数日の間に年間枠の半分以上の実弾を市場に投入せざるを得なかった。
アメリカは身を挺して円を、延いては日本経済の防衛を担っている。
だからこそ、もしこれまでと同じ割合で見返りを提示されたとしても到底納得できない。
「……仮の話だとしても、それが妥当なのかどうか今の時点では見当もつかないなぁ」
日本がこれまでのアメリカの献身をどう評価しているかは、もちろん興味がある。
しかし、「アメリカは?」とは訊かず、代わりに素朴な疑問を口にした。
今日はあくまで見学、精々が試合前の「練習」として来たのだ。
なのに、中国もロシアも気付けば「マネー」の話を始めてしまっている。
そこに巻き込まれたくなかったのだ。
ここですべき一番大事なことは、中露に日本との取引を思いとどまらせること。
――そうやって交渉をズルズルと先延ばしにする。島津政権に得点をあげさせずに選挙まで時間を稼いで、あわよくば彼らが失脚すればそれがベストだけど……
そんな内心はおくびにも出さず、グッドフレンドは言葉を続けた。
「ぼく個人としては、もちろんこの先も日本とは良い友人関係でありたいと思っているよ。ただ、我が国は採掘開始から今日まで成果をあげられてないからね……3年もあれば一つ二つの黄色い石が採れるだろうとの見込みで日本への経済援助に踏み切ったわけじゃない?となると、割り当て人工がいくらだろうと、その期待値に対して必要十分であると確信を持てない限り、本国を説得するのは難しいんじゃないかなぁ」
なんとも心苦しそうな口ぶりでそう発言したが、言うまでもなく、本心では「すまない」などとは微塵も思っていない。
「それに、宝箱がどの程度あるのか、見つかった緑の石にどんな効果があるか、そもそもの話、黄色い石と同じような人知を超えた奇跡を起こせるかどうか。そんな基本的なことも分からない状況ではね」
皆が黙っているので、対面に座っている中露大使に念押しもしておいた。
直後、タカシが短く息を吐き、やおら言葉を紡ぎ始めた。
「では、参考までに一つ。最近のことなのでまだニュースにはなっていませんが、日本は地階の宝箱から緑に続いて二つ目の石を手に入れています。今度は黄色でした。そしてこの2つを手に入れるのに要した人工は100未満です」
「流石日本だ!自衛隊の派遣を大幅に制限していると言っておきながら、既に二つ目を確保している!」
タカシの爆弾発言に対して、チストフが吠えた。
「100人工未満で二つと言っても、2000人工で40個とはいかないんですよね?」
「まぁ、ここまでは入口付近に宝箱があったからというのが大きいでしょうね」
マオが指摘すると、タカシは素直に同意した。
「とすると、やっぱり最初にぼくが指摘した問題に戻ってしまうね。断片的な情報をいくら与えられたところで、人工の妥当性なんて分かりっこないよ」
グッドフレンドがそう言ったのは、日本に情報開示の圧力をかけたいという動機の他、その行動に小さな違和感を覚えたからだ。
最初に日本が中国への割り当て人工を2000と言った時、「随分小さいな」というのが率直な感想だった。50名の小隊一つを派遣したとして、40時間しか活動できないのだから。
しかし、日本は一度の派遣人数を5名としている。
1セット目でその理由を「自衛隊の大規模動員を抑えるため」と説明され、その時は納得した。
突如地下への階段が出現したダンジョンを調べるため、5名までという制限を課した上で作戦に臨んだというならおかしくはない。
おかしいのは、「地階には人間に対して攻撃的なモンスターがいる」と分かった上でなお、5人での調査を継続していることである。
――1部隊の人数を5人とすれば2000人工は少なくないのだろうけど……
しかし、モンスターの存在が明らかになった時点で人数の増強を行うか、政治的理由でそれができないなら調査を見合わせるのが普通だ。
日本がその普通に反している理由を、グッドフレンドは見付けられないでいた。
地階の調査が始まって、まだ1ヶ月も経っていないし、動員できるリソースも限られている。
それなのに日本は、まるで何がしかのルールに気付き、それに従って動いているように見える。
――でも、もしそうなら、日本はまるで最初から「正解」を知っているみたいじゃないか……
身体の火照りが気になりだしていたグッドフレンド。
皆より一段低い所に座っている彼の頬に、一筋の冷たい汗が流れた。




