↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/41

第38話:純血の狂犬(後)

大統領から勅命を受けたグッドフレンドは、タイトな旅程で日本にとんぼ返りしていた。

西川大臣との交渉は日本の一番寒い時期に始まったが、今では桜が咲き、その桜も間もなく散る。

つい最近までは「交渉が進展している」という事実、及び「その交渉が間もなく合意に達し、西側諸国が団結して日本を救済するだろう」という市場の楽観により、日本を取り巻く金融市場は小康状態を保っていた。

しかし、西川の失脚と交渉の仕切り直しによって日本は再び投機勢からの売りを浴び、円と日本国債の価値は再び急落に見舞われていた。

最早、時間的猶予が残されていないのは誰の目にも明らか。

だからこそ、グッドフレンドとしては早急に裏の交渉を進めたかったのだが、スケジュール調整の時点で難航した。

まずもって、財務次官補は交渉団の現場責任者である。石のことを誰にも話せない状態では、中露の代表を交えた表向きの経済支援交渉を最優先にせざるを得ない。

一方で、日本側も忙しい。

自進党内で一大派閥を形成していた西川のスキャンダルを受けて、野党は勿論、与党の内部からも解散圧力が急激に高まったのだ。


「国民が経済危機で苦しんでいるのに、その裏で政治家たちが私腹を肥やしている」


そのようにメディアも煽り立てるものだから、国民からの反感も相当なもの。

流石に経済危機のさなかに選挙をするほど日本のトップも呑気ではないが、時間がないことも間違いなかった。


グッドフレンドがヨリコ、タカシと再度の話し合いに臨んだのは、日米共に時間に追い詰められた斯様な状況下でのことだった。

場所は前回同様、川崎の雑居ビル。


「ダンジョンを日米の共同管理とすること。それがぼくたちの条件だ」


ソファーに腰を下ろすなり、グッドフレンドはストレートに手札を切った。

もちろん、時間さえあるならもう本心を韜晦しての鍔迫り合いから始めたいところ。

しかし、この二人相手に無駄なことをしてもしょうがない。

正直なところ、欧州勢が手を引いた時点で交渉の前提が大きく変わっているのだから、「アメリカが交渉の席に残る」という事実だけでも相手から譲歩を引き出したいくらいだ。

しかし、表の交渉が既に胸突き八丁を迎えている状況でそんなことを言っても仕方がない。

不本意を胸に抱えての発言だったが、対してヨリコは木で鼻を括るような反応を示した。


「残念ながら、ダンジョンの管理権をお譲りする気はありません。その代わりにですが、ご支援いただけるお礼として貴国にはダンジョンにおける所定の区画での調査・採掘権を貸与できればと考えています」


提示されたのは、あくまで日本がイニシアティブを握り続ける案。

続けてヨリコは「中露とはその条件で概ね合意できています」と言った。

そのスピード感から察するに、先日日本が「交渉に中露を入れたい」と言ってきた時点で、持ち掛けられた「相談」は「事後報告」だったのだろう。


「困ったなぁ……ぼく個人としては同盟国の日本を助けたい気持ちはあるんだけど、外国への巨額の援助となると、国民や議会が反発するだろうからなぁ」

「欧州勢に続いて貴国まで手を引くとなると、中露はその分だけ前のめりになるでしょうね。なにせ、西側が持っていないカードを手に入れるチャンスですから」とタカシ。

「そうだろうね。でも、いいのかい?」


グッドフレンドが問い掛けると、タカシは無言のまま片眉を上げた。


「交渉相手が中露だけとなれば、間違いなく彼らは足元を見てくるだろうね。それこそ、石の秘密が渡っている状態で、今後の交渉が不芳に終わった場合を考えてみて欲しい。そうなったら、彼らはキミたちの秘密を暴露するんじゃないかな?そしたらダンジョンを巡って武力衝突が起きかねない。それはキミたちにとって非常に困ることだと思うんだ。いや、実際にリークしないとしても、それをネタにキミたちを強請ることだってできる。もちろん、ぼくだって彼らを悪く言いたくはないけど、でもやっぱり、ねぇ……」


同盟国に対する心配を表情に浮かべつつの口上。

もちろんその意味するところは、「こちらはいつでも日本を戦争の当事者に追いやれる」との脅しである。

言い終えたグッドフレンドは、二人の反応を窺った。

タカシは背にもたれ、顎先に手をやっての思案顔。

ヨリコに至っては相変わらず優雅に紅茶を口に運んでいた。

まるで慌てる様子を見せないふたりの態度。

対するグッドフレンドは、無意識のうちにネクタイへ手を伸ばしていた。


「貴国が第三次世界大戦を望むのなら、我が国にそれを阻止する手立てはありませんね」


程なくして、上長から何もなければ自分からとばかりにタカシが発言した。


「いやいや、勘違いしないでくれ。アメリカは戦争なんて望んでいないよ。ぼくはただ、可能性の話をしただけなんだ」

「その仮定はどこまで現実的でしょうか?」


タカシの短い問い掛けに、グッドフレンドは言葉を詰まらせた。


「石の秘密が公開された場合、次に世界中の国々が主張するのはダンジョンの国際管理でしょう。そうなれば、主導権はどうしても西側が握る。現状で石の利権に手が届きかけているのに、わざわざ無茶な条件を出して交渉をご破算にするようなリスクを彼らが負うでしょうか?」


――この口ぶり。どうやらアメリカが手を引くシナリオまで含めて中露とは実際に交渉の見通しが立っているな……


二人の態度から察するに、そうとしか思えなかった。


「しかし、実際に戦争になる可能性はあるわけで――」

「そのような事態に陥った場合、貴国は日本を守ってくれますか?」


グッドフレンドの言葉を切り、ヨリコが問いを投げ掛けた。

その凪いだ瞳からは、一切の感情が読み取れなかった。


「もちろん!と言いたいところだけど、アメリカは民主主義国家で、国民と議会の同意なしには政府も動けないからね……同盟がある以上、何もしないってことはないはずだけど、どこまでリソースを割けるか、今の時点では、ね」


言葉を濁して交渉の余白を求めたグッドフレンド。

それに対して、タカシは虚空に目を遣り、どこか遠くを見通すかのように視線を流しながら口を開いた。


「仮に貴国が我が国を見捨てたとしても、日本が戦渦に巻き込まれることはありませんよ」

「それは、なぜ?」

「日本は憲法上、交戦権を有しません。同盟国が守ってくれないのなら、中露に攻められた時点で日本は無条件降伏します」


無条件降伏――


その言葉が発せられた瞬間、タカシの鋭い視線がグッドフレンドを射抜いた。


――この男は何を言っているんだ?


本気とも冗談とも取れない発言。

目だけヨリコの方に遣ると、彼女は目を瞑ったまま否定も肯定もしない。


――正気、なのか?


十中八九、ブラフ。グッドフレンドの直感はそう告げていた。

しかし、この二人を正面から切り崩せる未来も、財務次官補には見えない。

何かを言おうにも、口が重く、喉の締め付けられるような感覚のせいで言葉が出てこない。


「失礼。一本よろしい?」


唐突にヨリコがそう言った。

何のことかと思っていると、目の前の小柄な女性は手元のクラッチバッグからブリキ缶を取り出し、グッドフレンドの前に差し出した。缶の中には紙巻タバコが詰まっていた。


――ここでタバコ?


断ろうとして、やめた。

健康を気にして何年もご無沙汰だったが、こうして目の前にあると吸いたくなるから不思議だ。

グッドフレンドが一本咥えると、ヨリコは手慣れた様子で火を付けた。

そうして自分でも一本吸う。


「折角だし、わたしも貰っても?」

「あら、貴方が吸うなんて珍しいわね」

「ふふっ。貰いタバコは嫌いじゃないんですよ」


タカシまで加わり、そのまま3人でヤニを吸った。

紫煙がゆっくりと天井へ昇っていく。

急に場の空気が弛緩したことに、グッドフレンドは困惑した。

同時に、先程目の前の男が発した「無条件降伏」は何かの間違いだったのではないかとの気がしてくる。


「気を悪くしないでもらいたいんだけど、よくあるお国柄ジョークで、日本人は真面目で冗談が分からないっていうのがあるだろ?」

「ええ、聞いたことがあります」


何気ない語り口を意識したが、喋り出しでグッドフレンドの声が少しだけ震えた。

表情もぎこちなかったかもしれない。

対するヨリコの反応は、いつも通りの滑らかさだった。


「でも、実際に冗談が分からないのはぼくの方なのかもしれないね――」

「いや、冗談ではありませんよ」


皆まで言う前に、タカシが短く声を発した。

「何が」なんて言わなくても通じたし、通じている。


「その前提で財務次官補殿、我々はどうすべきでしょう?」


やや姿勢を前かがみにしたタカシからの言葉。

グッドフレンドの喉は再び狭まり、明確な答えを返すことは出来なかった。




雑居ビルの薄暗い階段を下り、川崎の夜気へ踏み出した瞬間、グッドフレンドは自分が酷く汗をかいていることに気づいた。

夜風が濡れたワイシャツを冷やし、不快な寒気が背筋を走る。 無意識に顔に手をやると、先ほどヨリコから勧められたタバコの、独特な甘い残り香が鼻先を掠めた。


──セントラルパークのそり犬像なんてとんでもない。あれは狂犬の類だ


命乞いでもなく、ハッタリでもない。アメリカが梯子を外せば、そのまま国ごと中露に倒れ込む。その混じり気のない「狂気」の残像が、網膜の裏から離れなかった。

とは言え、ワシントンに泣きつくのには早過ぎる。

情報が足りていないからだ。

と言うことで、グッドフレンドは別方面からの可能性を探るべく次の行動を起こした。

中露への接触である。

ダンジョンの管理権を日本から引き出すべく、一時的に米中露で協力できないか。

そう思って秋波を送ったが、先方の反応はけんもほろろ。

中露としては、アメリカと組むよりむしろアメリカを退かせた方が利が大きいのだから、それも当然の対応だった。


そうこうしている内に時間が過ぎ、日米中露による表の交渉は大詰めを迎えてしまった。

当初は表の交渉を纏め上げることで、日本から裏側の交渉で妥協を引き出せないかとの淡い希望があったが、この期に及んでヨリコ、タカシの二人からは何の連絡もなかった。

ここでアメリカがちゃぶ台返しをするようなことがあれば、世界経済に悪影響がある。

また、アメリカが引けばアジアにおける中国の存在感を否応にも増す。相対的に我が国のプレゼンスが低下することとなり、内外から外交上の不手際として批判を浴びる可能性が極めて高い。

それらは全て、秋に控えた中間選挙に跳ね返る。

そこまでのリスクも責任も負えないグッドフレンドに残された道は、率直にモリアーティに相談することだけだった。


「ダンジョンの管理権は絶対に渡さないと言っています」

「……ふむ、それをどうにかするのがキミの仕事だと思ったが」

「ダンジョンを抱えることで中露が攻めてくるなら、無条件降伏も辞さない。彼らはそう言っています」


電話口の向こうで、大統領の息を呑む音が聞こえた。

しばらくの沈黙。その後で受話器からモリアーティの乾いた声がした。


「……無条件降伏したら、どの道ダンジョンを失うんだ。そんなことをするくらいなら、日本には他にできることがいくらでもあると思うんだがね」

「わたしも同意見です」


こんな自爆テロまがいのこと、平和ボケした日本人がするとは思えません。

そう続けようとして、ヤメた。

よくよく考えれば日本はカミカゼの国。自爆テロはお家芸と言ってもよい。

グッドフレンドが喉まで出掛かった言葉を飲み込むと、また二人の間に再度の沈黙が流れた。


「その発言、どう考えてもブラフだろう?」

「9割方は同意します」

「残り1割は?」


その問い掛けに、グッドフレンドは答えられなかった。

結局、全てはアメリカが情報をリークした場合の仮定の話なのだ。

そのような事態になれば、日米関係に亀裂が生じることは避けられない。

無条件降伏とまではいかなくとも、日本が東側に寄る可能性はある。

そこまで考えれば、日本の発言がブラフかどうか以前に、アメリカが経済交渉から降りて情報をリークすることのリスクは明らかである。

電話口の向こうでどれだけの逡巡があったか、グッドフレンドには分からない。

しかし、ダンジョンのすべての利権──あの「奇跡の石」も含めて──が、完全に東側諸国のものになる可能性は受け入れられなかったのだろう。

最後は大統領の判断が下され、アメリカは日本のプランを飲むこととなった。


ちなみに、タカシの無条件降伏発言についてグッドフレンドは正式には本国にレポートしなかった。既に終わったことに対して、無用な蟠りを残したくなかったからだ。

ただし、石のことは抜きにしても、タカシとヨリコが「日本そのものを人質にしてアメリカを脅し付けてきたこと」は非公式のメモにして内部に共有した。その具体的な内容であるタカシの無条件降伏発言も、一部には口頭で伝えた。

その話は尾ひれがついて米国財務省、そこから外務省の中まで広がり、いつからか出自卑しからぬ今出川タカシは「純血の狂犬」としてアジア外交筋の間で知られるようになっていた。


余談であるが、間もなく行われた総裁選で自進党のトップに就いた島津ヨリコは、メディアから「永田町の猛獣使い」と呼ばれるようになった。

配下の有力政治家に動物の名前の入った人物が多いのがその理由である。

だが、最も凶暴な猛獣がどこに潜んでいるのか。

それを知るのは、実際に噛み付かれた人間と、その周囲にいた者だけだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。