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第36話:純血の狂犬(前)

駐日大使を拝命する以前のヴィンス=グッドフレンドは、米国財務省に勤めていた。

そして財務省時代の最後にして最大のヤマが、日本との経済支援交渉だった。

当時、財務次官補を拝命していたグッドフレンドは、対日経済支援交渉団の現場におけるトップとして、日本との交渉を取り纏める任務を与えられていたのだ。

米国の国家債務が途方もないことは周知の事実。しかし、対GDP比で見た日本のソレは米国よりさらに悲惨な状況だった。


不思議なことに、多額の債務を抱えながらも、日本の経済は長いこと安定していた。それが崩れ始めたのは、今出川ヤスシが暗殺されてからのことであった。

他国であるはずの日本の経済危機は、アメリカにも影響する。何せ、日本は腐っても米国債券を一番保有している主体なのだ。

彼らが苦し紛れに米国債を投げ売りするようなことがあれば、アメリカもタダでは済まない。

幸いにも、日本にはダンジョンという興味をそそられるカードがある。

金を出す代わりに、日本に首輪を着けてダンジョンの利権を確保する。

それが当初の目論見だった。


水面下での交渉が始まった時点では、日本への経済支援は現在よりもっと大規模なものになることが想定されていた。

具体的には、今アメリカが行っている為替安定化支援に加え、通貨スワップの恒久化、レポ取引枠の拡大。更にはIMFスタッフの派遣を条件に、西側諸国で資金を出し合って日本国債購入のための基金を設立することまで検討されていた。


そして当然、その見返りも比べ物にならない。

それは、一部区域における採掘権などというケチなものではなく、日本と支援国でダンジョン採掘を行うSPC(特定目的会社)を設立するというものであった。支援国はその法人を通して、ダンジョンを所有し、全体の管理権を得る。

昔から日本は「ダンジョンは我が国固有の領土」と叫んでいた。

しかし、SPCができればその主張は建前でしかなくなり、事実上「支援国みんなの領土」になる。


出資比率は日本と西側諸国で半々を想定していた。

仮に最後の最後で中露を参加させるとしても、それは日本の持分を削る形で行う。

少なくとも当時のアメリカはそう考えていたし、その方向性でカウンターパートであった西川財務大臣との交渉も進んでいた。

大筋の条件が纏まり、後は細部を詰めるだけ。

そこまで話が進んだタイミングで事態は急変した。


『西川大臣、政治資金収支報告書を改竄か!?』


日本のメディアが、突如として西川のスキャンダルを報じたのだ。

本人は秘書が勝手にやったこととして直接の関与を否定したが、世論は沸騰。

それによって、西川の身動きが取れなくなり、交渉自体が立ち行かなくなってしまったのだ。

その直後に結成されたのが、日本経済対策タスクフォースなるものだった。

日本の金融危機に対処すべく立ち上げられたこの枠組み、座長には当時副総理だった島津ヨリコが就任した。同時に、それまで秘密裏に進めていた交渉はいったん白紙。


――今思えば、あの時がターニングポイントだった


当時のグッドフレンドは、日本のちゃぶ台返しでそれまでの努力が水泡に帰したことへの怒りと焦燥が募る一方、ある種の胸騒ぎも覚えていた。

それは、タフ・ネゴシエーターで知られるヨリコが出てきたからである。

かつて今出川ヤスシの右腕として、ダンジョンにおける日本の主権を確立した女傑であり、次期総理大臣の呼び声も高い島津ヨリコ。その評判はワシントンにまで届いていた。

しかし、実際に再交渉が始まって以降のヨリコの動きは、事前の想像とは大きく異なっていた。

脅迫めいた言葉を突き付けられても動じず、エサをぶら下げてみても喰いつかない。

ただ、ニコニコと笑みを浮かべながら場を観察する。

正直、どうにも捉えどころのない人物というのがグッドフレンドの第一印象だった。

しかし、後から思い返せばこの時は未だ気付いていなかったに過ぎなかったのだ。

その笑顔の裏で事態が大きく動いていることに。


最初の大きな変化は、それまで支援国に名を連ねていた欧州諸国が、突如交渉の場から退場したことから始まった。

きっかけは、日本の週刊誌がまたしても西川の疑惑を報じたことに端を発する。

その疑惑とは「欧州某国が西川に袖の下を通していた」というものである。ご丁寧に、その報道には西川が脂下がった顔で曲線的なボディラインのラテン系と思しき美女たちに囲まれている写真まで添えられていた。

その内容は、よくよく読めば確たる証拠も何もない、ただの憶測記事でしかなかった。

しかし元々、利害や負担割合の調整でギクシャクしていた欧州だ。

この疑惑を受けて足並みが乱れ、対立し、最終的には最も負担の重かったドイツの離脱をきっかけに他国が追随したことで、空中分解してしまった。

予想だにしなかった日本の方針を聞かされたのは、財務省のいつもの会議室にて、欧州が離脱してすぐのタイミングだった。


「離脱してしまった欧州に代わって、中国とロシアに支援を仰ごうと思います」


いつもの微笑みを浮かべながら、ヨリコはとんでもないことを口にした。

グッドフレンドとしては青天の霹靂。

むしろ、日本の第一声は「欧州は去ってしまったけど、アメリカだけはわたしたちを見捨てませんよね!?」と哀願じみた確認から始まるだろうとさえ思っていた。

しかし、実際そうはならなかった。

日本が動揺を見せるどころか機敏に、また控え目に言っても「奇抜な」別案を出してきたのだ。

後になって考えれば、奇妙どころか異常。

しかし、当時のグッドフレンドは日本の身勝手な提案にただただ驚き、困惑するばかりだった。

どうあれ、アメリカとしては日本の勝手を許すわけにはいかない。


「ふうむ……日本が中露に頼るというなら、ぼくたちの出る幕じゃないのかも知れませんね」


グッドフレンドは思案気に交渉打ち切りを仄めかしたが、日本に慌てる様子は見られなかった。


「如何に貴国でも、単独での支援となれば負担も小さくないでしょう。であればやはり、複数国でその負担を分担する形がベターかと……例えば、アメリカが通貨安定を、中国が国債を、ロシアがエネルギー支援をそれぞれ引き受ける、とか」


どこまで本気なのか、気遣わしげに大胆不敵なアイディアを提示するヨリコ。

しかしその意味するところは、「日本はアメリカの支配を受けるつもりはない」である。


――コイツは自分たちの立場が分かっているのか!?


中露が容喙するのなら、アメリカは手を引くだけ。

となれば、日本は早晩IMFに泣きつくことになる。


――そしてIMFが介入するとなれば、日本の財政に関する自主権は大幅に制限される。それくらいのこと、分からないはずはないだろうに……


しかし、そのような暗い未来など決して来ないと確信しているかのように、三国支援を前提とした財政再建計画を語りだしたヨリコ。


――もしかして、米国債を人質に交渉すればアメリカが折れるとでも考えているのか?


もしそうなら、勘違いも甚だしい。

日本の苦しい台所事情を勘案すれば、米国債は売りたくて仕方が無いだろう。

しかし、米国債を大量に保有することによって、アメリカが日本に一定の気遣いをしていることも事実。


――ロールオーバーの減額や停止までは条件付きで応じる。しかし、市場で債券を乱売するようなマネをすれば……


その時は、日米関係は事実上の手切れとなるだろう。

グッドフレンドはアレコレと思案を巡らせたが、結局相手の本心は読めず仕舞い。ジリジリと時間だけが過ぎ、その場での交渉はそれ以上の進展を見せなかった。

ヨリコから呼び出しを受けたのは、場がお開きとなった、その小一時間後のことである。


『腹を割ってお話ししたい。ついては今夜、独りでこちらが指定する場所に来て欲しい』


怪しさ満点の誘いだったが、無視するわけにもいかない。

指定された川崎市の建物は、表札も看板もない五階建ての雑居ビルだった。

ひと目見て場所を間違えていると思ったが、その前には見覚えのある黒服の姿。

ヨリコの部下を名乗る彼に案内されたのは、最上階にある執務室だった。

入った瞬間、タバコ特有の臭いが鼻を突く。

よく見ると、正面のデスクに座ったヨリコの前に吸い殻の入ったクリスタルの灰皿が一つ。

また、壁際には経済対策タスクフォースの一員である今出川タカシの姿もある。

ヨリコは立ち上がって「よく来てくださいましたわ、ヴィンス」と言って歓迎の意を示すと、手前のソファーに腰を掛け、正面の席を勧めた。


――ヨリコ=シマズ。それに、タカシ=イマデガワか……


タカシの名前も、当時からワシントンではよく通っていた。

なにせ、凶弾に倒れた悲劇の総理大臣、今出川ヤスシの嫡子である。その時点で30代半ばだったが、既に2回の当選を果たしており、精悍で押出しの利くルックスと血筋の良さから政界のプリンスやらサラブレッドやらと騒がれ、メディア受けも抜群であった。

とは言え、政治の世界ではまだまだ若造であることに変わりはない。

経済対策タスクフォースに名を連ねてはいるが、会議の場で発言するようなことはなく、資料に目を落としているか、窓の外を眺めているか。

直截に言えば、ここまでの活躍はセントラルパークのそり犬像といい勝負だ。

名前だけは売れてるが、自分からはピクリとも動かない。

単に、将来の有望株に箔付けするために同席させているだけだと思っていた。


――そんな男がなぜここに?


その疑問に反応したかのように、ヨリコの隣に腰掛けたタカシが口火を切った。


「財務次官補殿、まずはこれをご覧いただきたい」


そう言ってタカシが取り出したのが、小さな金属製のケース。

その中には、一つの黄色い綺麗な石が納められていた。

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