第35話:疑心暗鬼
米中露の駐日大使を集めての非公式会合。
しかし、その場所が都内のサウナということもあって、ヴィンス=グッドフレンドは完全に油断していた。
今日この場で行われるのは精々意見交換。具体的な交渉までは行わないだろうと高を括っていた。
しかし、突如としてロシア大使、イワン=チストフが具体的な条件に言及したため、蒸気立ち込める個室の中は一気に緊迫した空気に包まれた。
「チストフ大使、経済支援延長のお申し出は大変ありがたく存じます。が、よろしいのですか?地階エリアはまだまだ分からないことだらけ。そもそも、発見された緑色の石に特別な効果があるかも不明ですが」
「構わない。我々の条件を飲むのであれば」
チストフは縦にも横にも幅があり、顎を覆う赤茶色の髭から、その風貌はグリズリーを連想させた。愛想が悪く、言葉数も少ない。だが、一度口を開けば迫力満点。
そのチストフに物怖じすることもなく、タカシが問い掛けた。
「条件、とは?」
「まず、既存エリアにおける割当て区域への即時立入許可を出して欲しい。また、モンスターとやらが出現する地階エリアの事前調査を行い、危険度が想定の範囲内に収まることの確認も絶対だ。加えて、ロシアへ採掘許可が下りるまでの期間、地階エリアへの自衛隊単独での立入自粛もお願いしたい」
「なるほど……それはまた、大きく出ましたね」
タカシがそこで言葉を切った。
場には重苦しい沈黙が流れる中、グッドフレンドはチラリとチストフの横顔に目を遣った。
――正直、ロシアがここまで踏み込んだ条件を持ち出すとは予想していなかった
しかし、割当て区域への立入許可は、今後の経済支援をどうするか以前の話だ。
既存の条約の中で支援国に認められた、当然の権利だからであり、そもそも、自衛隊の救助作戦の直後から米国が要求していた事項の一つでもある。
それを日本は、安全確認がどうのこうのと言ってダンジョンそのものを封鎖して拒否してきたのだ。
この対応の遅さは、日本に対するとある疑惑を生んだ。
つまり、日本の盗掘疑惑だ。
「チストフ大使、日本への経済支援延長の申し出、ありがたく思います。つい先日、内部の安全確認が終わりましたので、割当て区画への立入は間もなく行えるようになるでしょう」
タカシはそう言うが、グッドフレンドは「安全確認」ではなくて、「黄色い石の有無確認」だったのではないかと、どうしても訝しんでしまう。
発端は今から3年前、各国が調査・発掘区域の割当てを受けて数か月が経過した時分、ダンジョンにて出現以来3度目となる噴火が起きた際に遡る。
「噴火の前後でダンジョン内の資源が一気に増える」
事前にそのように聞かされていた支援国は――もちろん、秘密を知るごく一部の人間に限るが――魔素噴火のニュースを聞いて沸き立っていた。
早く鉱区を調べたい。
その気持ちに水を差すように、日本は魔素濃度の低下が確認された後も1ヶ月近くダンジョンを封鎖した。
そして散々待たされた挙句、いざ鉱区を探索したら一つも黄色い石が出てこなかったのだ。
これでは疑うなと言う方が無理だ。
しかし、全ては電子機器が機能しない躙口の向こう側でのことである。
監視カメラもGPSもなく、入退場記録すら完全ではない状況下で、支援国が事態を把握することは不可能であった。
「貴国が新エリアの事前調査を求めるのは当然のことと思います。日時や人数に制限を設けた上で実施いただくことに異論はありません」
タカシが恭しい態度でロシア大使に言葉を投げかけ、言葉を切ってから声を低くして更に続けた。
「ただ、新エリアへの立入自粛は約束しかねます。大方、日本が石を採り尽くしてしまうことを懸念されているのだと思いますが、それは杞憂です」
「どういうことだ?」
チストフは唸るように問いかけた。
「大規模な人員派遣が行えないからです」
沈黙に促され、タカシは言葉を続けた。
「ご存じの通り、地階には太陽らしき光源があり、木々や山々があり、モンスターも生息しています。その広さは未だ計測できていませんが、専門家の所感では上層エリアと同等か、それ以上ではないかと見られています。その広大な新エリアに対して、日本が大規模な自衛隊の派遣を行う予定は現状ありません。大噴火で多数の死者を出した後で、未知の領域に手を出すのは時期尚早との声が根強いからです。実際に、自衛隊の派遣は新エリアの出入口から半径500メートルに限定され、1回あたりの要員は5名としています」
「……うぅむ」
チストフは呻吟するも、それ以上反論はしなかった。
だが、当然納得はした訳ではないだろう。
熊のような巨体は微動だにしないまま、灰色の瞳だけがタカシを見据えていた。
「しかし、採掘における先行者有利は決して小さくないだろうね」
敵の敵は味方。ここで日本有利に事を進められて得することは何もないため、グッドフレンドが口を挟んだ。
「我が国のゴールドラッシュは、最初に金を掘った連中の中には億万長者になる者もいたが、話を聞きつけてやって来た後発組はほとんど儲けにならなかったと言われている。もっとも、後発組に採掘道具や食料を売った連中は儲かったらしいがね」
ロシアが後追いで地階を探索しても、得するのはその権利をロシアに売る日本だけではないのか?
そう暗に問い掛けると、マオも「中国にも『後発制於人(後から発すれば人に制される)』という諺がありますね」と呼応した。
米中露対日本。
いざ交渉となればほぼ必定となるその構図が薄っすらと浮かび上がったところで、タカシは上気した頬にフッと笑みを浮かべ「じゃあ、どうしろと?」とばかりに周囲を見渡した。
しかし、相手の出方を窺うように誰もそれ以上の言葉を発しない。
場に沈黙が数秒流れたところで、それまで控えていた鵜川が不意に壁に掛けられた12分計を指差した。
「話の途中ですが、もういい時間です。1セット目はこの辺にしませんか?」
視線で同意を求める鵜川に対して、グッドフレンドは「まぁ、皆が望むなら」とばかりに控え目に頷いた。もちろん、実際のところはのぼせる寸前である。
全員の意志を確認した後、「では」と言ってタカシが立ち上がったので、全員でぞろぞろと小部屋を出た。
サウナから脱出したグッドフレンドは、シャワーブースに突進し頭から冷水を被った。
全身を伝う熱を帯びた汗が冷水と混ざり合い、火照りと共に洗い流されていく。
そこまできて、ようやくひと心地つくことができた。
時を置かずして隣のブースにチストフが現れ、背後から鵜川が声をかけてきた。
「シャワーは冷水よりも、むしろ熱めにすると水風呂が気持ち良くなりますよ」
そんなこと言われても、既に冷水を浴びてしまった後ではどうしようもない。
「そうか」と呟いて温調ハンドルを弄るチストフを尻目に、グッドフレンドはさっさと外気浴エリアに足を運び、給水タンクの水をがぶ飲みしてからサンベッドに身を投げ出した。
そうして考えたのは、今日のここまでの流れの不気味さであった。
それは全て、ロシアが経済支援の延長を申し出たことに起因する。
ロシアが今の日本政府を交渉相手と見做すこと自体には、一定の理がある。
仮に次の選挙で与党が大敗する、そこまでいかなくても島津政権が退陣となれば、次期政権はダンジョン政策に関して大幅な方針転換をすることが予想される。
それこそ、日米中露の4か国で独占してきた権利を開放し、ダンジョンの国際管理に移行する可能性は高い。そうなれば、ロシアの権益は必然的に縮小される。
だからこそ、ロシアが日本の現政権を応援する動機は無くもない。
しかしそれは、ダンジョンの価値が一定以上あると確信できる場合に限られる。
原因不明の魔素噴火を起こす。用途不明の綺麗な石が採れる。
そんな情報からだけでは、とてもではないが踏み込もうとは思えない。
となれば、考えられる可能性は一つだけ。
つまり、事前にロシアに情報がリークされているのだろう。
ロシアはダンジョンに関する詳細な情報を持っていて、ディールに進めばリスク以上のリターンを得られると確信した。
でなければ、先程の言動は説明がつかない。
一方で、日本政府の動きも謎だ。
ロシアに情報をリークしたのはいいとしよう。米中露で固まられてはやっかいだから、三国の関係に楔を打ち込もうとしての行動なら理解できる。
しかし、このタイミングでそんなことをして、一体何の意味がある?
日本政府の理想は選挙前に経済支援交渉を纏め上げること。
最低でも仮合意にまでは漕ぎ着き、その実績をアピールして支持率アップに繋げたいのだろう。
しかし、具体的な道筋が見えない。
先程チストフが提案した「地階エリアへの自衛隊単独での立入自粛」は、一見すると国家の主権に触れる過激な要求だが、結果的に日本政府が受け入れる可能性は高い。
何せ、魔素噴火で人死にを出して以降、国民のダンジョンへの不信感は強いままだ。
「地階の探索をするにしても選挙後」と考える向きは強く、今の段階でやり過ぎれば有権者の反発を招く。
――とすれば、日露での仮合意までは可能だが……
しかし、「そんなこと」のために日本がロシアだけに情報をリークする理由が見当たらない。
ロシアと結ぼうと、米中に不信感を持たれては先の交渉が難航するからだ。
――それでは現政権が動く意味はない
どうあれ、一国との、それも選挙後まで実行が留保される条約の仮合意など、支持率回復の起爆剤としては弱過ぎる。
――ぼくは一体、何を見落としているんだ?
他に考えられる可能性は、野党勢力の主要人物に関するスキャンダルをロシア側が握っていて、今回の交渉の進展次第で、それをリークする密約が交わされているというシナリオだ。未だに映画の中から出てきたかのような容貌の美女をダース単位で他国の財政界に忍び込ませているような国のことだから、これは十分にあり得る。
しかし、グッドフレンドとしてはどうにもシックリこなかった。
そこまで考えたところで、浴場エリアに繋がる引き戸が開く。
腰にバスタオル姿の4人が現れると、彼らは無言のまま、グッドフレンドとは反対側に並べられたサンベッドに身を横たえた。
隣り合ったタカシと鵜川、そして二人から一つずつ間を開けて中露の大使。
その位置取りを見て、グッドフレンドはふと、このポジショニングが今のダンジョンを取り巻く各国の微妙な距離感を暗示しているようだなと思った。
本来的な話をすれば、同盟国である日本とアメリカは最も距離が近くて然るべきなのだ。
しかし島津ヨリコ、そして目の前の今出川タカシが現れてからというもの、日本は表面的な親密さは演出しながらも少しずつアメリカから距離を置くようになり、むしろアメリカを掣肘するが如く中露と接近した。
脳裏に浮かんだのは、今からおよそ4年前に行われた、日本への経済支援交渉のことである。
始まりは、正にあの時であった。
それから今に至るまで、グッドフレンドは一度もタカシに借りを返せていないのだ。
目を半開きにした状態で視線を遣ると、その宿敵は気持ち良さそうに外気浴に興じていた。
何かを感じ取ったかのように、急にタカシが目を見開いた。
米国大使は、反射的に目を逸らしていた。




