第34話:汗と鳥肌
「仕事は練習。試合はマネー」
これは、かつてマスターズを何度も制したプロゴルファーが残した言葉である。
試合本番よりもその準備が重要だとの趣旨だが、この原則はスポーツに限らず、あらゆる分野に当てはまる。
外交という分野において、それは特に顕著だ。
交渉が相手に会う前から始まっているのは当然だし、相手に会う前に終わっていることだってザラ。
そのような世界に長年身を置き続けた駐日米国大使、ヴィンス=グッドフレンドは、タカシからの呼び出しに応じる以前から、相手の目論見について様々な思案を巡らせていた。
亜空間庁から非公式会合の打診を受けたのは12月中旬、日本政府がダンジョンの地階に関する発表を矢継ぎ早に行っていた時分のことである。
名目は「封鎖中の亜空間についての意見交換」で、自分以外にも中露両国の大使が参加予定とのこと。
その意図するところは、グッドフレンドにも概ね想像がついた。
なにせ、先月に発生した第4次魔素噴火の影響で、日本は条約に定められた内容を履行できない状況が続いている。これは、経済の安定を米中露に依存している日本にとっては非常にマズい。
経済支援の期限は来年の6月だが、これを前倒しで打ち切る口実を与えてしまっているからだ。
実際に打ち切りとなれば日本のみならず世界経済に影響が及びかねないため、強行策の現実味は薄い。しかし、6月以降の契約継続に関しては大幅な条件の見直しが見込まれる。
今回の会合はそれを睨んだ上でのものだろうが、問題はそのレベル感だ。
いきなり合意書にサインを求められることは無いだろうが、その手前まで詰める腹積もりが先方にあるのか、それとも本当に意見交換のレベルなのか。
その論点はしかし、後日送られてきた招待状から読み取ることができた。
日時は12/30、参加者は亜空間長官の今出川タカシ他若干名と、米中露の大使。
ここまでは良い。グッドフレンドが注目したのは、そのロケーションだ。
場に指定されたのは、官邸でも迎賓館でもない都内の高級サウナだったのだ。
であれば、少なくとも日本政府として正式な提案を行う場ではないだろうし、意見交換と言っても相当ライトなもの――日本人の好む根回しの類――と見て良さそうだった。
これには肩の力が抜けると同時に、軽い失望も覚えた。
なにせ、グッドフレンドにとってタカシは、嘗て煮え湯を飲まされた宿敵なのだ。
――あわよくば、あの高慢ちきな男が無様に跪く様が見られるかとも思ったが……
招待状にも、「ドレスコード:裸(バスタオル持ち込み可)」などとふざけた文言を載せるくらいには、まだまだ相手も余裕の様子。どうあっても大荒れの展開とはなるまい。
しかし同時に、相手には選挙まで時間が無く、今のうちに少しでも点数を挙げたいと焦っているのも間違いない。
であれば、本会合でグッドフレンドが採るべき戦略はひたすら「見」に徹することだ。相手の情報を吸い出せるだけ吸い出し、こちらからは一切言質を与えない。
そうすれば、日本の方から大幅な譲歩を提案してくるのは時間の問題だろう。
――いや、わざと交渉を難航させて、島津政権に外交成果を与えない方が得かもしれない。
今の日本で、タカシやヨリコ以上に厄介な交渉相手はそう多くない。
選挙で彼らが政権から追い出されれば、次はこちらの番。
外交官として事前に色々と考えた末、結局ヴィンスは高みの見物を決め込んだ。
――今回ばかりは日本人の流儀に合わせて「裸の付き合い」とやらに乗ってやるか
グッドフレンドが交渉の席に着いた時の心持は、それ以上でも以下でもなかった。
「最初は1杯だけにしておきますね」
鵜川は、そう言って杓子で掬った水をストーブ上部のサウナストーンに掛けた。
途端に、シューという音と共に白樺のスモーキーな香りが室内に満ち、熱い蒸気が肌を撫でる。
この熱気立ち込める10畳ほどの空間には、日米中露の代表者が集まっていた。
ヴィンスの他には、中国大使のマオ=ジェンライ、ロシア大使のイワン=チストフ、財務省副大臣の鵜川サダマサ、そして今回の主催者である亜空間庁長官の今出川タカシ。
サウナストーブを囲むよう、コの字型にスノコ状の木材が段組みされている室内にあって、日本人二人は中央の2段目に腰掛けている。
中露の大使はその右手にやや距離を置いて座り、グッドフレンドは左手側に座を占めた。
この場にいる者たちは皆、世界情勢に影響を与える最重要機密、黄色い石の真の価値について知っている。
ちなみにアメリカでこのトップシークレットを把握しているのは、大使を除けば大統領と国家安全保障担当補佐官、それにCIAの長官くらいだ。少なくとも、グッドフレンドの知る限りは。
各国とも、状況は似たり寄ったりだろう。
秘密の出元である日本ですら、島津政権の成立前夜までは誰も知らなかったテイになっているのだ。
ちなみに、鵜川はかつて今出川ヤスシの秘書を務めていた男である。
この男がここにいる時点で、日本のこれまでの説明には無理がある。
だが、タカシはそんなことを気にする男ではなさそうだ。
必要な人間を連れてきた。きっと、それだけなのだろう。
「今回集まってもらったのは他でもありません」
サウナストーンが静かになったところで、タカシがやおら口を開いた。
「ダンジョンに関して、ここ最近で立て続けに動きや発見がありましたから、そのことについて皆さんに共有させていただきたいと思います」
「例の事故から既に一ヶ月経つけれどキミからは大した報告がなかったからね、ちょっと心配していたんだよ」
今の日本の経済を支えているのはアメリカであり、中国でありロシアである。
そのスポンサーに対する報連相がなってないんじゃないのか?とヴィンスが婉曲的に不満を漏らすと、中露の大使もはっきりと頷いた。
しかし、タカシは「未確定の情報で混乱を与えたくなかったんですよ」と悪びれる様子すら見せない。
未だ30代、この中で最年少のタカシは着痩せするタイプなのだろう。服の上からはなんとなく、スポーティーな体型だなくらいにしか思っていなかったが、こうして見れば相当に鍛えられている。
とは言え、タカシがサウナを会場に指定してきた時点で、こんなことだろうと予想はついていた。
盤上での交渉はもちろん、盤外戦術にも手を抜かない男というのが、過去に辛酸を舐めさせられた大使から見たタカシである。衣服を剥ぎ取られて無防備な大使たちに対して、筋肉の鎧を見せ付けて事を優位に運ぼうというのだろう。
この中でタカシに対抗できそうなのはチストフだけ。
彼の場合は如何にも壮年期のスラブ人らしく、縦にもデカければ横にもデカく、厚みだって相当なものだ。
「なるほど、御三方ともに色々と御質問がある様子。であれば、最初から質問に答える形ですすめさせてください」
「では、まず旧エリアの状態について教えてください。これまでの経験則に照らせば、噴火の前後でダンジョン内の資源が一気に増えているはずですが、今回もそうだと思ってよいですか?」
タカシの発言に、持参したサウナハットを頭にのせた中国大使、マオ=ジェンライが反応した。
通常の外交においては、最初に世間話をしてお互いの距離を確かめ、十分に場が温まってから本題に繋げていくのがある種のマナー。
しかし、マオの直截的な物言いは正直ありがたかった。
そもそも、サウナの中にいるのだ。今さら場を温めるも何もない。
「本格的な調査は未だですが、魔炭の量は目に見えて増えてるようですよ。噴火の予兆としてはほとんど魔炭生成は認められてなかったのでどうなるかと思いましたが、封鎖解除後に自衛隊が軽く確認した感じだと、前回の噴火同様か、それよりも少し多いみたいです」
「なるほど。では黄色い石が生成されている可能性についても期待して大丈夫そうですか?」
踏み込むジェンライに、タカシは軽く首を捻る。
「さあ、それは実際に探してみないとなんとも」
「ふむ、最初に日本から奇跡を起こす石について知らされた時はホワイトハウスも私も非常に期待していたのだがね。しかし、たいした予兆もなく噴火を起こす可能性があり、石も採れるかどうか怪しいとなると、ダンジョンの価値は4年前に聞かされていた程では無いのかも知れないなぁ……」
言質を与えないタカシの物言いに、ヴィンスは呟くように自国のスタンスを仄めかした。
そもそも、各国が日本への経済支援を開始したのは島津政権成立と同時期の3年半前。
当時の日本円は1ドル250円に迫る勢いで暴落しており、日本政府はダンジョンの調査・採掘権と引き換えに、アメリカ、中国、ロシアから大規模な支援を取り付けた。
時に、日本は経済交渉開始時点、つまり島津政権による本格的なダンジョン開発が行われる前の時点で12個の黄色い石を取得していたと言う。
その取得数と採掘面積に基づいて試算したところ、各国は3年もあれば少なくとも一つ、運が良ければ二つの石を得られる見込みだった。
にも拘らず、3年半が経過した現在も実際の成果はゼロ。
報告が正しければ中露も事情は同じで、日本の採掘数も僅かに一つ。
どの支援国も、投資に見合うリターンが得られているとは到底言えない状況だった。
「まぁ、ちょっと待ってくださいよ」
ヴィンスがダンジョンの価値そのものに疑義を呈すると、日本側がすかさず食い付いた。
「これまでのエリアに関しては実際に調べてみなければわかりません。ただし、今回の大噴火でダンジョンが変容し、地階エリアが出現したのは皆さんもご存じの通りです。新エリアではモンスターと呼称される見える脅威はありますが、そこを何とか出来れば実入りがあるのは間違いありません」
「その話をする前に、前提の摺合せからさせて欲しい。これまで我々が割当てられていた採掘エリアはキミも知っての通り、事前に想定した通りの成果を出せていない……一つも黄色い石が採れていないんだ。少なくともアメリカは」
グッドフレンドが見渡すと、中露の大使は「我々もだ」と口々に同意を示した。
黄色い石が採れない。
そのことについて、アメリカはこれまでに散々日本へ抗議していた。
いざ掘ってみても石が出てこないのは、日本がこれまでの成果に関して虚偽の報告をしたか、もしくは何らかの不実を働いたからと考えるのが自然だ。
しかし、日本の回答は「ダンジョンが休眠状態に入った可能性があるため」というものだった。
その根拠として魔炭の生成ペース低下やら何やらと提示されたが、到底納得がいかない。
結果、米国は今から3か月程前に亜空間庁を通してヨリコ本人に苦情を入れ、それに対して日本は最低限の「誠意」を見せてくれてはいた。
つまり、庭先取引として黄色い石を一つ譲ってくれたのだ。
もっとも、その対価として20億ドルをブラックバジェットから支出したとあって、当局の不満は小さくない。
ヴィンスとしても、当初の期待値からアンダーパフォームした分は、キッチリ日本が補償すべきと考えている。
その苛立ちが、声色の中にじんわりと滲んだ。
「どうだろう、これまでの採掘結果がお粗末だったことに対して一旦置いておくとしても、代わりに地階エリアの採掘権を割当てて貰えないだろうか」
「採掘結果が思わしくなかったとしたら、それはお気の毒だとは思います。ただ、残念ながら、元々の契約でも採掘の成果そのものに関しては保証していませんので、新エリアの割当ては再交渉ですね」
タカシは笑いながら首を振って答えた。
グッドフレンドとしても、タカシの答えは予想通りであり、仮に追い詰められた日本が妥協の余地を示して見せるのであれば、話くらいは聞いてやろうくらいのスタンスで投げた提案でしかなかった。
だと言うのに、タカシの隣に控えていた鵜川が訊いてもいないことを説明しだした。
「念のため、日本が貴国と締結した『日本に出現した亜空間における調査・採掘に関する覚書』の第4条1項に、『割り当てられた区画における資源の存在・量・品質について、日本政府がいかなる保証も行わない』の文言があります。この条項は一般的な探鉱契約を踏襲した内容になります」
「そうだったね。サンキュー、ミスター鵜川」
まとわりつく熱気と併せて余計イライラしていたグッドフレンドは、タカシの腰巾着に模範的な外交官スマイルを向けた。
「もう一つ質問させてください。ニュースでは宝箱に入っていた綺麗な石が報じられていましたが、色は緑でした。我々が知る石は黄色ですが、もしかして効果の違う、新種の石だったりするのですか?」
既に十分な量の汗をかいている。
そろそろ一度外に出て冷たいシャワーを浴びたいグッドフレンドだったが、しかしここに来て中国大使から本質的な質問が飛び出したものだから、一瞬浮かせた腰を再び落ち着けざるを得なくなった。
「それについては現在調査中です。従来の石も効果が分かったのは偶然でしたから、今回の緑の石に何らかの効果が宿されているとしても、それを知るにも今しばらく時間がかかるかと思います」
――なんだ、結局そこも分かっていないのか
もちろん日本が情報を伏せている可能性はある。
しかし、この場で出してこないのであれば、今日は本気で交渉するつもりがないのだろう。
――やはり招待状から受けた印象通りか
そう思って立ち上がろうとしたタイミングで、これまで沈黙を保ってきたロシア大使、イワン=チストフがゆっくりと口を開いた。
「ロシアとしては、地階エリアの採掘を早急に認めてもらいたい」
重く、どこかくぐもった声を受けて全員が黙った。
地階の採掘権は今しがたアメリカが却下されたばかりである。
――いったい、どういうつもりだ?
炉の中を流れる空気と薪の爆ぜるパチパチという音。
誰も何も言わない空間で、チストフは炉の中で揺らめく炎を見つめていた。
「もし認められるのなら、来年以降の経済支援について、従来と同様の条件で更に3年間延長してもよいと考えている」
その一言で、グッドフレンドの腕に鳥肌が立った。




