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国家を超える個人  作者: 福鳥シン
第2章:お披露目編
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第15話:上流階級の入口

「人を見た目で判断してはいけない」とは、誰もが一度は耳にしたことがある警句だろう。


みすぼらしい老婆だと思って粗略に扱ったら、実は魔女で王子を野獣に変えてしまう。そんなおとぎ話に不自然さを感じない程度には、人は目に見えないものを見極める大切さを理解している。


しかし、頭で理解していることに現実が追いつかないのもまた、世の常。

目で見たところでその人の性根の部分は見えてこない。


それでもその人の所属、つまりどの階級に属するかは、見る人が見ればかなり正確に読み取ることができる。

歴史を紐解いてみても、人類は有史以来、その身に纏うもので他者を判断してきた。


古代エジプトでは亜麻布の質と白さが身分を表し、中世ヨーロッパでは色彩そのものが権力の象徴だった。紫は皇帝の色であり、庶民がそれを身に付けることは法律で禁じられていた時代すらある。


産業革命以降、大量生産によって衣服の民主化が進んだ。誰もが同じ生地を、同じデザインで着られるようになった。

しかし、だからと言って人は目に見える情報で人を判断することをやめたわけではない。


なにせ、人間は他者との差を見出すことに懸けては、誰もが天才的な能力を持っているのだ。


服一つとっても、素材、縫製、シルエットと、その細部にはたくさんの情報が内包されている。 仮に服から情報が読み取れなかったとしても、靴、腕時計、バッグ、果ては太っているか痩せているか、その肉体にどれだけ投資されているかまで含めれば、見るべきところはいくらでもある。


結局のところ、目を閉じたままで人が人を判断することは不可能なのだ。

そのことをよくよく理解しているタカシから、シュウジは命令を受けた。3日後に迫ったお披露目用に礼服一式を買い揃えよ、と。




エアコンの利いた車内から外に出ると、芯まで冷え切った乾いた空気が、容赦なくシュウジの肌を刺した。降り立ったのは世界中の高級ブランド店が軒を連ねる、東京・銀座。


同じ都内とは言え、養護施設出身のシュウジにはこれまで無縁の土地だった。


「それでは、終わるころにまたお迎えに上がります」


車窓を開けてそう言うと、一ノ瀬キョウコは黒のアルファードを走らせ、通りを流れる車列の中に溶け込んで行った。


子供相手にも馬鹿丁寧。背が高くて一見スラリとしているが、そのくせ出るところはしっかり出ている。顔立ちも整っているが滅多に歯は見せず、感情らしいものは読み取れない。

取っ付きにくくはあるが面倒見は良く、ここまでの車中でも政治や経済について、あれこれとレクチャーしてくれていた。

口調は淡々としている。それでも複雑な内容をかみ砕き、中学生でも理解できるように話してくれるのがキョウコだった。


「ああいうのを、クールビューティーって言うのかな……」

「何がクールビューティーなの?」


無意識の呟きに対して背後から応答があった。

驚いて振り返ると、タカシの秘書、清水谷アイが立っていた。


「あ、いや、別にそう言うんじゃなくて……」

「ふふっ。シュウジくん、今日はよろしくね」


不意を突かれてアタフタとするシュウジに、アイは悠然と微笑を向けた。


「こちらこそ、よろしくお願いします」


そう言って、慌てて頭を下げた。


正直なところ、アイの笑顔は今のシュウジには直視できないレベルで目の毒である。

なにせ、これまでの人生において、これほど華のある女性と関わったことがなかったのだ。

周囲にいた大人の女性と言えば、あすなろ黎明園の保母さんと、学校の教師くらいのもの。保母も教師も大人の女性として最低限の化粧くらいはするのだろうが、この私設秘書は根本からして違う。


同い年の娘がいるのだから、年齢はどんなに若くても30代前半だろう。

なのにその肌には、そこらの女性がいくら安化粧を重ねたところで得られないような、若々しい透明感に満ちていた。


――この人は住んでる世界が違う


そう思い込むことで心の距離を保ちたいシュウジ。

しかし、アイはそんな内心など知る由もなく、ごく自然に距離を詰めてきた。淡い香水の香りが鼻腔をくすぐる。


「ほら、行こう」


アイはそう言って、立ち尽くしているシュウジの顔を下から覗き込んだ。この女性は、服をまともに買った経験すらないシュウジの買い物をアテンドしてくれることになっていた。


「最近、めっきり寒くなってきたね」


歩行者天国になっている目抜き通りを、アイと並んで歩く。

明らかに高級ブランドとは無縁そうな学生グループや、小さな子供連れの家族の姿も含めて、通りは人で溢れていた。

左右にはブランド店のショーウィンドウが並び、クリスマス向けに装飾された白と金色のイルミネーションが夕暮れの街路を淡く照らしている。


「銀座って初めて来たけど、思ったより親しみやすいんですね。勝手なイメージだけど、もっと排他的って言うか、金持ちしか歩けないようなところかと思ってました」


先を行くアイの一歩後ろから、シュウジが声をあげた。

ふたりの左手には、簡易テラスのような休憩スペースが設けられている。

黒いテーブルと金属製の椅子。その脇には細長いパラソルヒーターが置かれ、人々は肩を寄せ合うように温かい飲み物を啜っていた。


「んー、曜日と時間帯によるかな。今日は週末だから、人も多くてホコ天も賑わってるけど、夜はまた全然雰囲気違うのよ?」


そう言って振り返ったアイのロングコートが、ふわりと揺れる。

昨日はジャケットの上から黒のチェスターコートを羽織っていたのに、今日はアイボリーのロングコート。その首元からは、淡いピンク色のタートルネックが覗いていた。

色に温かみがある分、今日の雰囲気はだいぶ柔らかい。


「そうか、今日は土曜日か。だから昨日とは服装が違うんですね!……と言うか、すみません。せっかくの週末なのに付き合ってもらって」


軟禁同然の生活で曜日感覚を失っていたシュウジが納得しかけたところで、アイは小さく苦笑した。


「ふふ。勘違いしてるみたいだけど、政治家と秘書にとっては土日こそ繁忙期なのよ? 冠婚葬祭とか地元行事とか、むしろ週末の方が忙しいくらい」

「そうなんですか?」

「そう。だけど、わたしはタカシさんの計らいで土日のどっちかはお休み貰えることになってるし、今日はちゃんと仕事扱い。代休も出る予定だから安心して?」


なるほど、と納得しかけたところでシュウジはふとした疑問を口にする。


「でも、いいんですか?アイさんはパーティーの華なんでしょ?」

「ちゃんと調整すれば大丈夫。それにタカシさんはいつも大げさだからああ言ったけど、冠婚葬祭でゲストの秘書が目立つのはNGよ」


アイが可笑しそうにクスクスと笑った。


「だから気にしないで。それに、キミの買い物に付き合うの、ちょっと面白そうだし」


そうは言うが、アイが本人の意思とは無関係に注目を集めてしまう存在であることは間違いない。なにせ、こうして歩いているだけで感じるのだ――周囲からの視線を。


最初は気のせいかと思った。

だが、すれ違う人たちの様子を見てそうではないと気付く。


――見られている


しかし、当の本人は気付いているのかいないのか。

アイは胸を張り、微笑みを浮かべたまま銀座の街を闊歩していた。


程なくして二人が立ち止まったのは、銀座の中央通りにそびえ立つ、とあるファッションブランドの旗艦店前だった。建物は2階部分まで重厚な黒大理石とガラスに覆われていて、入口上部にはBから始まる筆記体が躍っている。

ショーウィンドウには、芸術品のように仕立てられたトルソーが数体飾られているが、値段を示すプレートなどどこにもない。

「値段を気にする人間は入るな」という、強烈なまでの門前払いがそこにはあった。


「タカシさん愛用のお店で揃えようと思うけど、いいよね」


そう訊かれても、シュウジには頷くしか選択肢が無い。

アイが歩み寄ると、真鍮の重厚なドアノブに触れるより早く、内側に控えていた白手袋のドアマンが恭しく扉を開け放った。


店内から溢れた暖気が顔を撫でる。

足音を吸い込む毛足の長い絨毯を踏みしめてアイがフロアを進むと、すぐに年嵩の店員が現れ笑顔を向けてきた。


「これはこれは清水谷さま、ようこそいらっしゃいました。今出川長官にはいつも格別の御贔屓を賜り、大変光栄でございます。本日はどのようなご用向きでしょうか?」

「今日はこちらの少年のスーツを見繕いたいと思って来ました」


アイの手が向けられたことで、すぐさま店員がシュウジに目を向けた。シュウジは上はキャメルのカーディガンに、下はストレッチデニムという出で立ち。キョウコが量販店に出向き、まとめて買って来てくれたものからのチョイスである。


「失礼ですが、この方は……?」

「彼は今出川家の縁者で、この度タカシの養子になったシュウジです」


アイの紹介に合わせて軽く頭を下げると、店員の顔がサッと引き締まった。


「失礼いたしました。わたくし、この店の店長を任されております、松田と申します。以後、どうぞよろしくお願いします」


そう言って差し出された名刺をどうしていいものか、シュウジは困惑した。

フォーマルな場での名刺の受け取り方はキョウコから教わっていた。


――でも、客と店員の立場でも「頂戴します」なんて馬鹿丁寧に受け取るものなの?


一瞬の躊躇の後、シュウジは「どうも」と言いながら両手でそれを受け取った。しかし、名刺入れなんて持っているはずもない。どう扱っていいか分からず、文字を一瞥したあと、気恥ずかしさを隠すようにカーディガンのポケットへとそっと滑り込ませた。

少年のそんな所作など気にする様子もなく、松田は「それでは5階のVIPルームへご案内いたします」と言ってふたりを誘った。


他の客の視線を遮るように設置された、奥の隠しエレベーター。

連れていかれた先は、全面ガラスから陽光が差し込む、静かで広々とした空間であった。あるのは革張りのソファと全身鏡、それにジャケットが吊るされたハンガーラックばかりで、客どころかスタッフの姿すらない。


「いま、フィッターが参りますので、少々お待ちを」


松田はそう言うと、ラックに向かってシュウジに合いそうな服を見繕い始めた。

アイはと言えば、ゆったりとソファに腰を掛け、お手並み拝見とばかりにその様子を眺めている。


――なんだか、世界が違うよな


ハイブランドの旗艦店にひっそりと設けられたVIPルーム。

窓際に寄れば、晩秋の乾いた空気に晒されたアスファルトの道路と、その上を行きかう無数の歩行者を見下ろすことができる。

そこは都会の中心にあって、都会の喧騒から最も遠い場所であった。


「シュウジくん、これちょっと着てみて」


アイに手招きされ、ジャケットを手渡された。それが学校の教師たちが着ていたものとは根本からして違うことは、目の肥えていないシュウジでもわかった。


色は漆黒よりもなお深い、光沢のあるミッドナイトブルー。触れた指先から伝わるのは、布地とは思えないほどしっとりとした、生き物の皮膚のような質感だった。

袖を通して鏡の前に立つと、そこには育ちの良さそうな見知らぬ少年がこちらを見つめていた。


「悪くないじゃない」


満足そうに目を細めた美女が、鏡の向こうからそう呟いた。


身に着けているものが違う。

それだけで別の人間になったような気がした。

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