第10話:鷹の爪(後)
島津ヨリコが世間に思われているイメージの一つに、「交渉上手」というものがある。
そのイメージは今から10年前の黎和2年、ダンジョンが出現した年から始まった。
突如として多摩丘陵にダンジョン――地球の理が通用しない亜空間――が出現したのだから、世界から注目が集まるのは当然のこと。
普通に考えれば、ダンジョンは日本に出現したのだから、その空間には日本の主権が適用される。しかし、あまりのイレギュラー、かつ未知の可能性を秘めているダンジョンに対し、当時の各国は安全保障、科学研究、資源開発等々の名目で声高にその開放を主張していた。
その要求をうまいこと躱し、国際法を盾にしつつ、各国の足並みの乱れを突いてダンジョンにおける日本の主権を国際的に認めさせた。
それが、当時総理大臣だった今出川ヤスシと、亜空間庁初代長官として交渉を主導した島津ヨリコの実績である。
そんなヨリコは、4年前に更に大きな国際交渉を成功させている。
経済危機に陥っていた日本を立て直すべく、ダンジョン利権の一部と引き換えに、米中露から経済支援を引き出すことに成功したのだ。
当時の日本は国家財政への信用を大きく失っており、一部ではIMF管理下入りすら囁かれていた。
その土壇場で交渉を纏め上げたことで、ヨリコの名声は決定的なものとなった。
世界と伍して交渉し、日本に利益を齎す女傑――
混迷していた自進党内部を糾合し、50代にしてガラスの天井を破って権力を手にしたのには、そのようなイメージから齎される圧倒的な国民人気が背景にあった。
今出川ヤスシ暗殺以降に日本が陥った政治的混迷――北極星を失い離合集散を繰り返す政治勢力、度重なる財務規律度外視のバラマキ、相次ぐ不祥事――と、その帰結として生じた国家経済における極度の不安定。
言わば、その敗戦処理として、国民にも政治家にも不人気な財政緊縮政策を一貫して掲げてきた島津政権。
市井に住む人々がこの禁欲主義的な政府を支持したのは、ヨリコ個人に対する信認があればこそと言えた。
まだまだ途上とは言え、日本再生の端緒を付けた立役者、島津ヨリコ。
彼女はしかし、ここに来て初当選以来最大の危機を迎えていた。
任期満了まであと半年のタイミングで発生した魔素噴火。
その結果として111名の犠牲が生じた事で、これまで心の拠り所であった支持率は60%台後半から半分まで低下してしまった。
しかしながら、ヨリコはこれしきのことで諦めるような女ではない。
実現可能性はさておき、その脳内には自進党が与党第一党を維持する青写真がキチンと描かれていた。
その第一歩は、自衛隊がダンジョンで新しく発見された地階を調査するところから始まる。その地階から資源が豊富に見つかれば僥倖だが、正直そこにはあまり期待していない。
仮に魔炭が大量にあったとしても、採掘できるのは当面先だ。
大事なのは未開拓故の地階の可能性であり、それが米中露との交渉カードに成り得ることだ。
4年前は、そのカード1枚をフル活用して三国から経済支援を取り付けた。
つまり、各国のごく一部の人間だけに耳打ちしたのだ。
「ダンジョンではあらゆる身体の不具合を癒す奇跡の石が採れますよ」と。
今回も同じ方法、つまり地階で黄色い石が採れることを仄めかして経済支援を引き出し、その実績でもって支持率を回復させる。
それが苦しいながら、もヨリコが思い描いていた勝利への青写真だった。
にも拘わらず、その初手で部下から思わぬストップが掛かったのだから、その動揺は無理からぬことであった。
「危険って、どういう意味かしら?」
目下防衛省が作戦立案中のダンジョン地階の現地調査。
その計画に疑義を呈した亜空間庁長官に対して、ヨリコは波立つ内心を隠しながら問いを投げた。
「すみません、具体的に何が危険かはわかりません。ただ、シュウジが言うんです。地階は軍隊の常識で侵入すると悲劇が起きるって」
「なんだか、占い師みたいな物言いね。その子の狂言って可能性は無いの?」
「全部が狂言ってことは、まず無いでしょうね」
タカシがあっさり否定したことに、驚きはなかった。
とかく、政治家は噓に敏感な生き物である。
まだ年若いとは言え、永田町の住人になって久しいタカシがそこらの中学生に騙されるとは考えづらい。
「本当に何も知らないなら、最初からそう言えばいいだけです。自分が日野シュウジであることを認めるにもまごつきがあったようなので、少なくとも外見が変わった理由については心当たりがあるんでしょうね」
「ああ、メールに書いてあったわね。外見が変化しているって……そんなに違うの?」
ヨリコの言葉に応じて、タカシは胸ポケットから写真を1枚取り出した。
それは、どこにでもいそうな男子中学生が正面を向いている写真。
それと比較できるよう、タカシは自身のスマホを写真の横に並べた。映っているのは、ベッドに横たわる、天使のような少年の寝顔。
「なにこれ!?全然顔違うじゃない!?」
「全然ってことはないと思いますよ?面影はありますし」
その軽口にヨリコが目を眇めると、タカシは両の掌を天井に向けて肩をすくめた。
「一応確認するけど、これって本人で間違いないのよね?同姓同名ってことはないの?」
「ないです。DNA鑑定も済んでます」
タカシの断言を受けて、ヨリコは暫しの黙考に沈んだ。
ここまで情報が揃えば嫌でも察しがつく。
狂言でも妄想でも無い。
対象はダンジョンの奥地で、地獄の砂に確かに触れたのだと。
――なるほど、となると
「可能性は高そうね」
唐突なその呟きに、タカシは「何がですか?」と苦笑した。
「対象は新しく発見された地階への階段付近で発見された。ならば、地階に人の容姿を変化させる仕組みがあるはずよ!例えば、落ちたら顔が綺麗になる水溜りとか」
――もしそうなら、三国との交渉もずっと楽になるわ!
「状況だけ見れば、俺もその可能性はあると思ってますけど……」
「なぁに?まさか、まだ何か隠してるの?」
煮え切らない態度に口を尖らせると、タカシは少し考える素振りを見せた。
その間、ヨリコは鷹の爪を摘まみ、少し噛んでからお茶で飲み込んだ。辛味と渋味の組み合わせは、これはこれで悪くない。
「……いや、今話すことじゃないんで大丈夫です」
「そう?これ以上の後出しはやめてよ?」
「やだなぁ、最初からそんなつもりありませんよ!」
タカシはそう言って笑ったので、ヨリコも満面の作り笑いをしてみせた。
――まったく、こういうところは父親譲りなのよね
「さて、ここまでの話の通り、シュウジはいろいろ有用な情報を握っていることが予想されます。が、それをどう引き出すのかが難しい」
タカシは急に顔を引き締めて声を落とした。
「そりゃあ、法的に存在しない人間に対して証言を促す手段なんていくらでもありますよ?ただ、問題はシュウジがそれなりに頭の切れるガキだということです」
「あら、あなたが他人をホメるなんて珍しい」
「茶化さないでください……頭が切れると言っても、中学生の割にって意味ですよ」
タカシが鷹の爪を口に放り込んだので、ヨリコもつられて手を伸ばす。
「話を戻すと、シュウジから無理矢理に証言を得たところで、それが本当かわからないってんじゃ問題です。検証するにも時間がかかるが、チンタラやってる余裕は我々には無い。ってことまでヤツから面と向かって指摘されましたよ」
「まぁ!」
――それは確かに頭の切れる中学生みたいね
「で、ここからが本題です。単に北風を吹かして脅しつけても、それだけじゃちょっと上手くいきそうにありません。そこで、ここは絡め手でいこうかと思っています」
「絡め手?」
部下の意味深な発言に、ヨリコはオウム返しで発言を促した。
「要は太陽政策ですね。どの程度の火力にするかはシュウジ次第です」
尚も煙に巻くような発言に、ヨリコは顔を顰めた。
「よくわからないけど、それで上手くいくの?」
「はい、お任せください」
――どうしても手段は言いたくないみたいね
両者の沈思黙考によって作り出された短い静寂は、突然鳴りだした内線のコールによって引き裂かれた。
「総理、そろそろ次のアポの時間ですが……」
耳に当てると、受話器越しから秘書の気遣わしげな声が聞こえてきた。
ふと壁掛け時計を見上げると、時刻は柿内幹事長と約束した17時半を既に3分ほど過ぎてしまっていた。
ヨリコは短く了解の旨を伝えると、タカシに向き直って口を開いた
「今出川長官、対象の扱いはあなたに一任しましょう。ただし――」
一瞬の間。
「期限は1週間とします。1週間以内に対象から証言を得てください」
その言葉に、目の前の男はポーカーフェイスのまま無言で頷いた。
「もし1週間経っても進展が見られないようであれば……その時は、対象はわたしが直接管理します。 ――よろしい?」
「承知しました」
タカシは立ち上がって一礼すると、部屋の扉に足を向けた。
「あと、1週間経たずとも報告は定期的にするのよ?中身のある報告をね」
大きな背中に向けてそう念押しすると、タカシは振り返って「わかってますよ」と苦笑気味に言葉を返した。
扉が閉まった後、ヨリコはローテーブルに置かれた平皿にチラリと目を遣った。
そこには、鷹の爪がひとかけらだけ残されていた。
――あら、いつの間にかタカシくんがたくさん食べてたのね
ヨリコは残された一つを食み、奥歯ですり潰した。
既に麻痺している味蕾は、最早何も感じなかった。
いったんここまでで第1章です。第2章も5月中に投稿予定となります。




