風の追想片々録/始まりの里
連れて来られたのは、子供から大人まで50人程が住まう里だった。
「一応俺はここで長をやってんだ。
──映、ただいま。客人を連れてきた」
畑仕事をしていた女性が立ち上がり、鼓を見て驚いた顔を見せた。
「また随分と若い方だこと。
妻の映と申します。うちの主人が無理矢理すみませんね」
「あ、いえ。
えーっと、俺、鼓、です」
慣れない敬語を絞り出して会話を試みる。
隠れるように過ごしてきた鼓にとって、蓬莱の外の人間ときちんと言葉を交わすのは初めてだった。
居間の中央に誂えられた囲炉裏の周りに、先程倹へ渡した魚が串に刺さって炙られていく。
「帰る場所はないって言ったな。そんなら行くあてはあんのか」
「……いや」
「無鉄砲な野郎だなあ」
「何でも良いから抜け出したかったんだ。後悔もない」
「その抜け出してきたってのはどこなのか、聞いても良いのか」
「言ったって信じられないと思うけど」
「信じるかどうかは俺が決める。言いたくないなら無理に聞きやしないが」
妙な心持ちにさせる男だった。
他者に対する信頼など金輪際持たずに生きていこうと決めていた鼓だが、彼のことは信じても良いのではないかと思わされる。
「……蓬莱。生まれも育ちも」
目を逸らしてぽつりと言った後、これまで歯切れ良く続いていた会話が途絶えた。
既に倹の何倍も生きてきた。しかし見た目は実年齢からは程遠く、倹からすれば子供に見えてもおかしくない。
やはり浮浪者の戯言と思われただろうか。
「……驚いたな」
「大概の人はそうだろうよ」
再び黙った倹は立ち上がり、隣の部屋へ入っていった。
彼の行動について鼓には見当もつかず、待つことしかできない。
次はどこへ行こうかとぼんやり考えながら。
「映ぃ! この間古本市で買ってきたやつどこにしまったっけな!」
窓から、外にいる奥方に向かって話している。
鼓は特に映の返答は拾わなかったが、どうやら目的の物の在り処が分かったらしい。
しばらく物を漁る音が続き、「あったあった」と言って戻ってきた。
「ちょうど面白い本を見つけてな。滅多に出回ってないなんて言われたもんだからつい買っちまったんだ。
値が張っただけに映にはえらく小言言われたが」
目の前に示されたのは古びた本で、擦り切れた表紙にはなんとか読み取れる程度に『蓬莱説話』と書かれている。
「……こんな本があんのか」
「真偽の程はほとんど検証しようもねえからな、適当なこと書いたって構わない類だろ」
「まんまと買わされてんじゃねえかよ」
確かになと快活に笑い、本を開く。
「地、水、火、風、空──。
さて、お前さんが使うのは“水”の力か?」
次に驚いたのは鼓の方だった。
誰がどう情報を得て書き残したのか──。“5つの力”について記されている書物が俗世に存在するとは思いもしなかった。
「いや、俺は“風”を──」
聞かれたことに返事をしつつも、視線は倹の持つ古書に釘づけだった。
「読んでみるか」
即座に頷いた。
差し出された古書を掴んだ途端、身の毛がよだつ。
視線を上げると倹と目が合う。水面に沈みゆく太陽のような、光と闇の両方を携えた瞳が鼓を凝視している。
動けない。
冷や汗が一筋流れるのが分かった。
過去にも向けられたことのある“殺気”──。
しかし今回は恐怖で終わらなかった。
対抗すべく腹の奥底から蠢く感覚を抑え込もうとするが、武者震いとなって発現する。
「戦いの素質もあるようだな」
倹が口角を上げると、伝わってきていた殺気がふっと途切れた。
「行き先が決まってないなら暫くここにいたらいい。飽きはしないと思うぞ」
「……そうみたいだな。
今更だけど、あんた、何者だ?」
「俺も、映も、ここに住む奴らは全員、忍だよ」
歯を剥き出して、堂々とした答えが返ってきた。
*
これはまだ、忍が正体を隠し、国の管理の下で暮らしていた頃の話──。
お読みいただきありがとうございました。
相変わらず書けることは多くありません。
引き続きどうぞよろしくお願いします。




