開かれた音
希の耳に届いたのは紛れもなく“呼び合いの笛”のものだという。
しかし彼女自らの手で“伝鳴の術”を施した瑞には聴こえていないとは。
「忍の里に生まれた者は出生時に特別な術を掛けられる」──これが呼び合いの笛の音色を聴き取るための秘術概要である。
それ以上のことは知らされていない。分からない。
忍の里は10年前、希の目の前で炎の海に飲まれ、消えていった。
赤黒い炎と焦げるような熱さは、鮮明に脳裏に焼きついている。
もう一度、高く澄んだ音が困惑の最中にいる少女の鼓膜を震わせる。
その音の奏法を知る由もなく、乱れそうな呼吸を落ち着かせて、自身に贈られた笛を口につけ、そっと吐く息を送り込む。
──風の音を聴き、風に乗せて流すように──
瑞にも聴こえる音色だった。奏法は知らずとも、意味は記憶している。
震えを懸命に抑え鳴らした澄んだ一音は“希の音”──、自らの居場所を伝える時に使う音だ。
続けて、問う。
── ど こ ──
沈黙を経て、揺らぐ音色が続く。
── だ れ ──
再びの沈黙、正しくは瑞にだけ訪れる静寂が満ちる。
笛の音は流れない。代わりにへたりとしゃがみ込む希と、微かに聞こえる涙を押し込める声。
「希……っ!!」
「……──きてる」
「え?」
「生きてる、って返ってきた。
父さんも、母さんも、みんな……!」
生粋の忍にしか聴こえない音で成りすますことなどできるのだろうか。書にも残さぬ秘術を、忍以外の者が操れるのだろうか。
──否、極めて低い可能性だと断定していいだろう。
「どこで……どうやって生き抜いてきたんだ……」
「笛だと単純なやり取りしかできないから、『潜伏』ってこと以外詳しいことは分からない……」
「……会えるのか」
「聞いてみる」
呼吸を整え、かつて教わった合図を奏でる。
── ご う り ゅ う せ よ ───
希を介して返答を待つ。
ここまでのやり取りの様子から、既に返ってきていてもおかしくない間隔だが、希は俯いている。
まだ、待っているのか──?
「……会えない、みたい」
ぽつりと呟いた。
「は……? なんでだよ」
「それも分かんないけど、『待て』って返ってきた」
責めるような言い方に少し後悔した。
最も混乱しているのは希だと、気持ちを落ち着かせて最大の疑問を尋ねる。
「──相手は錦さんと榮さんなのか?」
「うん、聴こえたのは父さんと母さんの音。間違いない」
全ての忍に一音ずつ割り当てられる笛の音。毎朝呼び続けてきた音。ようやく捉えた愛しい音色。今すぐにでも飛んでいきたい衝動を生む合図。間違えようのない絆。
けれど────。
「まだ、やらなきゃいけないことがあるんだね」
──再会を果たす前に成すべきことが自分に、ひょっとしたら両親にも──。
「了解」の意味を表す音を送り、やり取りを終えた。握り締めた手から、僅かに輝きを反射した笛が覗く。
「旋、鼓のこと呼べる? 大至急、お願い」
返事の代わりに希の頬に自身の顔を擦りつけ、舞い上がりながら空気に溶け込んでいった。
「ほんとに、もー……。
次から次へと混乱させるなあ…………」
空の手で顔を覆う。決意を固めた側からやってくる、謎を伴う試練。
「でも、きっと、今日まで知らなかったことも、鼓が記憶を私に戻したことも、全部に意味があるんだよね」
独り言のようにも、縋るような問いかけのようにも聞こえる。
そうだと答え、同意すべきなのだろうと、頭では瑞には分かっている。
「……俺には、確かなことは分からないけど」
項垂れたまま、溢れる瑞の本音に耳を傾ける。変に寄り添われるよりも正直に言ってくれた方が断然良い、と希は思う。
最後は一人で乗り越えて、自らの足で立たなければいけないと、巨大な渦を押し込めた時に気づいたのだから──。
「意味が見えなきゃ頑張れないことだって多い。知りたくても誰からも明示されないこともある。
だけど俺は信じたいから。鼓も錦さんも榮さんのことも。そのために“意味”を見出す」
幾度も消えそうになる光を、ただ絶やさぬように優しく見守るようなことは、この少年はしない。
潰えそうになるたびに更に煌々と燃え上がらせる道を、常に選んでいる。
「──そうだね、そうだよね。ありがとう」
彼女はきっと、立ち上がり続ける。ただひたすら、進みゆくために。
たとえどれほどの傷を負おうとも。
お読みいただきありがとうございました。
次へ、次へと進むのみです。
8月はあと1回、更新できるかどうか、というところです。
公開できそうであればどこかしらで告知します。
引き続きよろしくお願いします。




