十九話
暗黒の中にリュカはいた。
これが夢だと解っていたが、自分の中の何かがそれを否定し続ける。
見る夢は、闇の中に独りリュカが彷徨い、逃げ続けるという内容だ。
何処からか羽音が聞こえてきて、音から逃げ続ける。
段々と近づいてくる音に怯えながら、走っていると、突然に音がなくなった。
ほっとして、後ろを振り返ると、蟲の顎。
蟲が眼前に現れたところで、リュカの意識は一気に解放される。
リュカが目が覚めると、のぞき込んでいる蜥蜴人の老人顔があった。
「わぁぁあぁぁ!」驚いたリュカが叫ぶと、老人も驚いたようで叫び出す。部屋が二人の絶叫に満たされた。
息を切らした老人が、「ちょ、待っ」と絶え絶えにリュカを止めようとする。叫びすぎて咳込む老人。
リュカは冷静になって、周囲を見た。
埃の臭いがまず気になった。天井窓から入ってくる光で部屋は、明るい。人が三人もいれば、窮屈に感じる手狭な部屋。石壁に暖炉があり、料理鍋が吊されている。薪の弾ける音が時折聞こえてきた。特徴的なのは、壁一面にこさえた棚板に羊皮紙の本が数十冊並んでいる。
立ち直った年老いた蜥蜴人が威厳もなくたじろぎながら、ベッドに近寄ってくる。
「あー、えー、うん。ゴホン。げ、元気?やほー、なんちゃって」
リュカが大声を上げたことを謝罪する。
「あ、いいよいいよ。こっちも大きな声だしちゃったしね、ごめんねぇ」
「あ、えっと助けてくださったん、ですよね?」
リュカは自分が蟲に襲われ、身体半分を食いちぎられた事を思い出しながら、身体を確認する。蟲の一咬みで破れた服の代わりに別の服を着ていた。
上半身を起こすと、怠い感覚をリュカは覚えた。
不死のお陰で、五体満足だ。身体に力が入るか確認する。
「そう。河岸に流れ着いてるところ、事故でお亡くなりになった人か、水葬された人か、と思ってたんだけど、息してるから、家まで背負ってきたぁ。疲れたぁ。うわー、疲れたわ」
不自然に伸びをしたり、腰を叩いたりし始める老人。リュカは老蜥蜴人に慌てて礼をしようとしたが、公園に向かう時に何もない持っていないことを思い出した。
「すいません、今手持ちがないので、謝礼も何も出来ないのです」
老人に謝罪をして、リュカは自分の街の名を告げる。
「ワインを商いする商会で、私は丁稚をしていますリュカと申します。この謝礼は必ず致します」
年寄り蜥蜴人はきょとんとして、首をひねった。
「放棄されたよ」
「何がでしょう」とリュカが返答する。
そんなリュカの様子を見て、老人は悟ったような仕草をしてから、姿勢を正して言葉を続ける。
「あ、えー、その、非常に、唐突に告知してしまったことは、申し訳なく、思いますデスね。ただその顔は理解しておられない様なので、もう一度、言わせていただきますマス。えー、十日程前に、その街は放棄されました、たぁたぁたぁ……」
リュカは、この老人が何を言っているか解らなかった。
「えっと、はい。まだまだ信じてもらえてないので、詳細をお伝えしたいと思い、ますね。伝聞なので、間違ってるかもしれないけれど、ね。街は大型の蟲が現れて、街の三分の一を占拠したらしく、領主は街の放棄を決め、住民を保護しつつ、別の街へ逃げた、ようだね」
「そこで国軍に討伐の要請や兵の借用を陳情しているみたいだね」と老蜥蜴人は続けて言った。言葉を失っているリュカに老人は、「人生色々あっから」と慰める。
「あれよ、僕、あ、バルヴィダと申します。バル爺と気軽に呼んでもらって構わなくてよ。それで、このバルが思うに、思うによ、あと数日経てば国軍の討伐隊が派遣されると思うの。だから、その報まで待っとけばいいと思う。まぁ、このバルが思うにね」
バルヴィダの人を食ったような物言いや仕草に戸惑い、寝起きも相まって理解が追いついてこなかったリュカだが、話を咀嚼して理解すると、いてもたってもいられなくなってくる。「帰らないと」とベッドから降りようとするリュカだったが思うように身体が動かず、バルヴィダに元の位置に戻された。
「儀紋人リュカとやら、僕の話を聞いていたのかい、このバル爺の話を。うん、ショックだよね、すごく解る、解るよぉ。でも、今、病み上がりな状態の君が街に向かったところで何も出来ないんだよ。えー、ちょっと強く言い過ぎたかなぁ、何も出来ないと思いますよ。だからねだから、しばらく休養を兼ねて、街解放の報を待てばいいと思うよ、このバル爺の思うにね」
励ましたかと思うと「……カイホウのホウ」と呟き続けるバルヴィダは、長い首を左右に揺らしていた。
項垂れるリュカはぎゅっと太股をつかむ。
「リュカお主、さては悲劇病だな?」
気がついたバルヴィダが、深刻な顔をするリュカの顔をのぞき込んできた。
「なんですか、それは」
「何でもかんでも悲観して、自分が全部悪いんだ、と思い込む病気だ」
「へぇ」と、リュカはこの老蜥蜴人は博識だなと感心する。
「今、僕が考えた」
「は?」
「ついでに言うと、真面目な奴ほどかかりやすい」
リュカは「は?」と二度目の間抜けな声を出した。
「あ、その顔は、疑ってるよね。この命の恩人に対して、その眼は疑ってるね。やめて、やめてコワイ怖い。博識よ、うん。バルね、賢なんす、カシコ。街の封鎖の話とか、うん、信じてほしいと思うけど、うん、証拠が欲しそうな顔してるね、うん」
勿体ぶりながらバルヴィダが何かを呟くと、青とも白とも言えぬ薄い光が幾つも生まれた。
妖精をまといながら、嗤う老蜥蜴人。
「『塔』の魔術師、バルヴィダ=アダス、妖精使いでありませう。さっきの街の情報も、このコ達に教えてもらったの。僕って、すごくね?」
三度目の間抜けた声は、バルヴィダに聞こえない。
リュカは気を失っていた。




