十八話
虫の羽音が響いて、リュカはそちらを凝視してしまう。
そして城壁内だと思いなおして、息を吐いた。
安全と解っていても、心細くなっているのだろう。
夕暮れの薄暗い路を再び歩み始めると、どこからか明滅しながら妖精がリュカの周りを飛びだした。
「お前はついてくるなよ」
肩の力を抜け小声でリュカは妖精に言うが、理解していないようで楽しそうに飛び回り、リュカの肩にとまる。
街が蟲に襲われて四日、先輩がいなくなって四日経った。
街は普段通りとはいかないまでも、ゆっくりと動き出してる。害がある蟲は討伐され、夕暮れにも歩き回れるようになっていた。
──ほんとに、なにしてんだろ
自戒の念にかられながらも、目的の場所、運河沿いの公園を目指した。
やけに朱い太陽がゆっくりと沈んでいく。
リュカと言えば、この四日間は多忙を極めていた。ジェラールの葬儀手配、店の設計の手はずや地下蔵の商品確認、買ってくれる酒場を探したり、金銭の交渉と、リュカは走り回っていた。
街の所々に、街頭用の灯が点けられていく。ただ、歯ぬけの部分が目立つ。
燃え落ちた大きな瓦礫は、早々と片づけられて、もう街の何処にない。
ジェラールの店はなんとかなるだろうと、リュカの中で目算ついた時期に散り散りになっていた丁稚たちが、ちらほらと帰ってきた。
──うまくいく、うまくやるんだ
手応えを感じはじめ、リュカの仕事を少しづつ他の丁稚に引き継いでいく。
そんな折、ロザリーの連絡係もしていたリュカに待ったがかかった。
ふらふらと部屋に入ってきたリュカを、ロザリーは見過ごさなかった。
「リュカ、ちゃんと寝てる?」
思わず目をそらしたが、リュカは白状する。
「……寝てないですね」
「明日、休み決定」
ロザリーは、働きづめだったリュカを気遣って丸一日休ませることになった。他の丁稚からは少しの不満がでたが、反対はない。あるはずもない働きぶりだったからだ。
休みを与えられて一番戸惑い困ったのは、調整役を失った現場でもなく、連絡が遅いと憤慨するロザリーでなく、リュカ本人だった。
誰にも必要とされていないかもしれない、という強迫観念はリュカを強烈な孤独感に襲わせた。
朝、間借りしていた牢屋で起床したリュカはぼんやりと座っていた。
小さな窓から、鳥の声、木々の揺れる音。そうして、段々と人が活動する音が大きくなって聞こえてくる。
──なにしたらいいんだろ
何もすることがないとなって、リュカはただ無力感に苛まれていく。
身体を自分で抱きしめても、空しさが増した。ため息。
──身体でも動かそうかな
そういえば休めと先輩に言われた時は相手もしてくれていたな、と思い出して泣きそうになった。
駄目だ、こんな場所で動かずにいればいるだけ気が滅入る、とリュカは外に出ることにした。
大勢の中にいれば、少しは孤独感が薄れるかもしれない、と思えたからだ。
外の空気は予想通り、リュカの気分を上向かせた。
足をのばして市場をひやかしていたら、品卸している娼館の息子につかまった。「先輩」の友人の一人で、リュカとも顔見知りだ。
店は無事だったとか無事じゃなかったとか、他に馬鹿馬鹿しく話しながら歩き、昼時になると奢ると言われ、リュカは喜んだ。
着いて行った飯処でプコに会った。
暮れた暗い地面を踏める音は少し重い。
どうしてリュカが、運河沿いの公園に向かっているか、それはプコと会うためだった。
娼館の息子とは別れて、今は独りだ。蟲の驚異がなくなったとはいえ、やはり心細いとリュカは思う。
昼にプコに出会ったのが、良くなかったとリュカは思っているが、過去は変えられない。公園に近づく道のりはリュカには遠く感じた。
「アイツの行き先を知っている」と言ったプコの嘘を、嘘と理解しながら、呼び出された場所に向かっている自分にも嫌だった。
ただ情報があるなら少しでも手に入れたかった。
昼の食堂でどうにか聞き出そうとしたが、のらりくらりとかわされて、結局、黄昏近く人気のない場所で落ち合うことになってしまったのだ。
運河側の手すりに持たれかかった男がリュカを見据えていた。
「傷ちゃん、待ちわびたよ」
近づくと、プコは良いなりの服装でリュカを出迎えた。リュカは小さく会釈をする。
「そんな堅くならんでよ」
猫撫で声でプコが笑う。愛想笑いが張り付いたような顔に、思わずリュカはぞっとした。
「本当に先輩の行く先をしってるんでしょうか?」
「そんなに急かんでよ」
「何がお望みですか?」
意を決したようなリュカの言いようにプコが嗤う。
「傷ちゃん、と言っても、そっちの話じゃないんだ」
無意識にリュカは身構えた。プコは意地悪い間をあけて、リュカに向き直る。
「こちらの商会に、こんか?」
「へ?」
「妾としては、……諦めてないけんど、そっちは一旦ナシでいいんよ。実は、君の手腕が欲しいんよ、商人としての」
プコの言葉には、頭をガツンと殴られたような感覚があった。
「どじゃろ?急ぐ理由もないから、今すぐ決めいとはいわんよ。考えといて、欲しいんよ」
「え?」
混乱する。予想外の勧誘にリュカは、どう反応すればいいか迷っていた。
「叢に連なる商会なんですよね?」
現実離れした大商会からの勧誘に、手すりを掴んで動揺を鎮めようとする。
「そうでよ。あ、疑っとるね?」
「そんなことは……」
だからだろう、運河の波音に紛れていた羽音を聞き逃してしまった。
「商人の間じゃ、偽りで“叢に連なる”って使うとどうなるか知っとるでしょ」
「確かにそうですけど」
「……、羽音?」
「は?」
「傷ちゃん!避けろ!」
プコが叫んで、リュカは運河側に振り返る。
鋭利な鋏のような口器が、リュカの目の間一杯に映ったかと思うと、リュカは反射的に身をよじった。その甲斐も空しくリュカは右肩から食い千切られ、そのまま運河に落ちた。




