十六話
「後は頼む」
リュカに託す先輩は出て行く理由を、最後まで言わなかった。
引き留める言葉をリュカは何度も言ったが、先輩は辛そうに首を横に振るだけ。
立ち去るその足音だけは、リュカの耳にまだ残っている。
──思い出した……
筆を握る手を止めたリュカは、大きなため息をついた。
リュカは出来るだけ細かく書いた指示書の覚え書きを認めている。
避難している中に商人組合の知り合いに出会えたのは、僥倖だったといえた。
譲り受けたこの羊皮紙も墨汁にも限りがあるのだ。慎重に書き記さねばならないことに集中をし直す。
先輩が旅立ってしまった。その形容しがたい喪失感に、リュカは身動き出来なかった。永遠の時間が流れた気がする。その時、息をしていたかすら思い出せない。
先輩に頼むと言われたという事がリュカの中で反芻されていた。
「仕事をしよう」と思い立ち、リュカは動き出していた。そして先輩が出て行ってから半刻も経っていないことにようやく気がついた。
周囲は夜への準備を始めている。
──まだ少し、明るいな
何かしないと寂しさを感じてしまって自分が駄目になりそうでたまらなかった。
何かしていれば余計なことを考えずに済んだが、ふいに思い出して動きが止まってしまう。
──思い出すな想い出すな
思い出すだけで息があがる。筆の握る手に力が入った。深呼吸をして、それをどうにか抑えた。
中庭の軒先に置かれた小さな机で、再建のために思いついたことを書き連ねていく。と、ロザリーを起こす時間になっていた。文具を片づけて、席を立つ。
ロザリーが眠っているはずの治療部屋に向かう途中、プコに出会った。
「愛しの傷ちゃん、そなんに急いで何処に行くぅ?」
ゆったりとしたプコの言葉に、内心リュカは苛つく。
「ロザリーお嬢さんのところです」
「あぁ。あの話考えてくれたか?」
「何の話でしょうか?」
「再建の援助の話」
言われてリュカは、自分の体温が下がったような気がした。
「いえ、援助をいただかなくても何とかなる手はずがありますので」
「えぇ?」とプコは驚く。
「これでも叢に連なる商会なんよ、信用ならん?」
「いえ、そういうわけではないですよ」
うまく笑えているか自信がない、とリュカは苛立つ。「では急ぎますので」と嫌悪感を極力抑えながら、挨拶をすると身体を翻して歩き出した。
笑みを絶やさぬままプコは、それでもリュカの背に声をかけた。が、リュカは聞こえないふりをして、そのまま足早になっていく。
建物に入ると、両腕をさすった。
そのままの速さで足を進める。
息を整えてからリュカがそっと仕切布をくぐると、ロザリーは身体を起こしていた。
「リュカ、なにか面白いこと言ってみて」
不機嫌そうな開口一番。その姿は身体の半分以上を包帯で巻かれていて、どこか痛々しい。
──ご機嫌斜め、上昇中と言ったところですかね
本人は痛がるそぶりもないので気にせずリュカが愛想笑いを試みるが、どうにも上手くいかないようだ。
「……エプジャ王国の埋葬みたいですね」
エプジャ王国とは、その昔にあったとされる国の名で、枯骸という遺体をその形を保持保存する埋葬方法が有名だ。
「……、笑えないわね」
主従の関係だがもう三年の付き合いなので、こいう場面で変に取り繕うと怒りだすことをリュカは知っている。
「すいません」
謝りつつ書いていた指示書を取り出すリュカ。
──前も、こんな感じだっけ……
その内心、リュカは怯えていた。以前のロザリーと自分はどういう具合に話をして、どういう風に笑いあっていただろうか。急にそのやり方の全てを忘れてしまったような感覚に陥っていた。
ただリュカの中で、何かが変わってしまっていた。
先輩がいなくなったことを隠そうとしている自分にリュカは怯えてるのかもしれない。
それとも彼女ロザリーが変わったからなのか、自分が変わってしまったと理解したからなのか、それは判らなかった。
隠れてリュカが深呼吸して、ロザリーを見る。
片目は包帯が巻かれているロザリーは、眉をハの時にしつつ読んでいる。片目で読みにくいのだろうか、とリュカは思った。
「店の大体のことは、これに書いてあります」
ロザリーの指先は損傷の跡すらなく完治していたが、手首から巻かれた包帯が痛々しい。
「リュカ、私、文盲よ」
「いや、半分くらいは読めるでしょう。一緒に机を並べたんだから」
ジェラールの計らいで、同じ時期にリュカとロザリーは文字を習っていた。
今となって考えれば、自分の娘の教育の為のついでだったのだろうとリュカは思う。ついでとはいえ文字が読み書きが出来るようになったのだから、リュカは感謝していた。
「この半年は文字なんて見なかったんだもの、読める訳ないでしょ」
「読んでください、これからは貴女が商会長ですよ」
「面倒ね」
丸めた羊皮紙を投げるように傍らに置くロザリーに、そういうものです、とリュカは諫める。
「甥のジェスをよびましょう」
思いついたようにロザリーは言った。「なるほど」とリュカは感嘆して、それを記すために羊皮紙を受け取る。
──その発想はなかった
何処かの貴族の従者として奉公にだしてたはずだな、とリュカ。これから忙しくなる身内は多いに越したことはない。
「では、それも書き記しておきます」
「そうね」
愁いを帯びた顔のままロザリーが堪らずに尋ねてくる。
「そういえばリュカ。あの人は何処?」
「用事があるみたいで、出かけたんです。すぐに戻ってきますよ」
「嘘よね」
ロザリーの口元は優しく笑っている。
「あの人は、こういう時には必ずいるもの」
「……そう、ですね」
「そういう人」
「そうですよね」
その言葉がリュカの中で腑に落ちて、涙が止まらなくなった。
「ロザリーさん早く治してください。なんなら追いかけて殴りに行きましょう」と、言うつもりだったが、涙がとまらない。
ただ、とまらなくなった。




