十五話
小雨の中、濡れた人々の身体から白い湯気が立ち上っていた。
怒鳴り終えた領主が、人々を静かにさせる。
ゆっくりと見渡してから領主は微笑んだ。それから、それを告げると、住民たちが大きな歓声をあげることになった。
街の一区画が、蟲の殲滅に成功したのだ。蟲除けの結界を張り直すことにも成功した、と領主は宣言した。
住人たちは一区画づつに分けられるが、家に帰れるようになる。ただ、家がなくなった人たちのために、しばらく城は開放して寝る場所と食べる物は保証すると言う。
今すぐに帰りたいと訴える住民を領主は一度諫めてから、兵士を休ませたいから二刻ほど待ってくれと言うと誰も何も言わなくなった。
領主が自分の娘の名前を言ったと思えば、領主の娘が走ってきて、抱きつく。
益々、その場にいる誰もが何も言わなくなった。
リュカは一部始終を冷ややかな眼で見ていた。
旅回りの芸人がする芝居のような展開が、リュカの心を逆撫でしていた。
──こっちは、この身をっ…
ジェラールは、“それ”を必要としている者がいるから、“それ”はお金に換えられるのだとリュカに常々言っていたことが頭に過る。
知らずに片手で、もう片方の手首を握っていた。
何かを得ようと思ったなら何かを差し出すしかないのが、商人の界隈だ。義理人情や切った張ったで解決するなら、いずれ誰も相手をしてくれなくなる。
この体も金に換えれるのだろう、と商人見習いとしてのリュカは悩んでいた。
考えれば考えるだけ、頭の中は空っぽになっていく。答えがでないから当然だった。
外ではまた歓声があって、リュカは意識を外に向けた。
自然と身体に力が入っていたのか、息苦しい。
リュカには雨の音がうるさく感じた。空を睨むと、一羽の鳥が森に向かって飛んでいく。
飛んで逃げ出せたのならどれほどいいだろう、とリュカは思う、自分の行く先を選べるだけで恨めしかった。
こんな時に軽口を叩いて、どうにかしてくれる先輩はもう帰ってきたのだろうか?
窓下の群衆に眼を向けていると、後ろに気配があった。
「おかえりなさい」
振り返らずに声をかける。自分でも冷たい声にリュカは驚いた。
「あぁ」
先輩も淡泊な返事をする。リュカが振り返ると、先輩は旅支度を調え気まずそうに佇んでいた。
雨除けの上等な外套に、見慣れぬ剣を背負い、腰にはリュカも知る馴染み深い剣が二本。
「なんですかその格好?」
「ん、あぁ、燃え跡から引っ張り出してきた」
「竜でも狩りに行くんですか?」
「そうなるかもな」
「……こんな時に言う冗談じゃないですよ、先輩」
「お嬢さんは?」
「一度、目をさましましたよ。また眠りなさいましたけど」
「そうか」と言って、先輩は手にしていた刺突剣と肉厚の短剣をリュカに差し出した。
「売れば、そこそこの値段になる」
「店、焼け落ちてんすっよ。そこそこの値段でも端金です。まぁ一応貰っておきますけど」
受け取りながらリュカは大事に二振りを抱えた。
「それと地下は無事だった」
先輩はそう言ってリュカの頭を撫でる。撫でられ刹那にリュカの中に感情が溢れて、泣きそうになってしまう。
それはリュカにとって希望の一言だった。
──泣かない、泣いたってしょうがない
涙をこらえてこれからの算段を始めたリュカを先輩は優しく見ていた。店の地下にも酒を保存する蔵があり、そこに商品はあるのだ。
プコへの条件をのまなくても再興可能の可能性の糸口だ。
必死にリュカは考え始める。
再建するにもしても、何人かには暇を出さないといけない、もしかするとリュカ自身もその中に含まれるかもしれない。他の店への紹介状をロザリーの名で書けば解決するだろう。あとは、得意先への連絡をしなければならない。先輩の剣を売って元手はあるのだから、なんとかなるかもしれない。隣街の商人組合に売り先を紹介してもらうことをも考えなければ、とリュカの頭は丁稚として働き出していた。
「入り口の確保はしておいたから」と先輩は鍵をリュカに渡す。
リュカは内心、先輩を誉めた。なんだかんだで頼りになる人なのだ、とリュカは頬があがる。
先ほどとは違い前向きな思考が考えれるのだから考え続けないと、リュカは気を引き締めた。
これからよくなっていく、そんな気分だ。
「あと、さよならだ、リュカ」
考え事をしていたのもあって、先輩の言っている意味が解らなかった。
「は?」
間抜けな声で聞き返すリュカに先輩は淡々と言葉を続ける。
「お嬢さんには、死ねないことは伝えが、おそらく覚えていないだろう。まぁせっぱ詰まってたし、仕方ないと言えば仕方ないけど」
承諾を得るときには朦朧とされていたから、と渋い顔の先輩。「恨んでくれていいと、伝えといてくれ」と漏らす。
「ちょっと、待ってください」
リュカがそれを遮ろうとして声をかけるが先輩は無視して話を続けた。
「恨まれても仕方ないと割り切れているが、恨み言はお前が聞くことになるだろうから、すまん。あぁそれと、周りにはオレは死んだことにしてくれ。理由は何でもいい、暇を出されて放浪の旅に出たでもいい。届いた手紙は開けて金になる内容なら、全部お嬢さんのものにしてくれていいから。死ねないのに死んだことにしてくれって変なことを言ってるとは自分でも思うけどな」
先輩の空笑いが終わると、リュカは持っていた剣を捨てて握り拳を先輩の腹に向けて突き出す。
「待てって、言ってるだろ」
驚くほど弱々しい打撃音。
そして、沈黙。外の騒音と雨音だけの時間。
「本当に行くのかよ」
ようやく出した声は震えている。
「すまん」
リュカは泣きじゃくって引き留めようとした。けれど、なぜか涙はでてくれない。
先輩は無表情にただ謝った。




