十二話
苦い。
煙が鼻をくすぐっていた。
粘着的な質感の煙。
血のせいもあるのだろう。
踏みしめる度に、砂利の音が耳に奇妙に残った。
出血と疲労でリュカの意識は朦朧として限界に近い。
──重い
苦痛に耐えてロザリーを抱えて歩み、不安な心が折れそうになる。
──重い……
先輩の姿を確認するために振り返って観たのは、黒騎士の剣に腹部を貫かれた姿だった。
辛苦にとらわれるリュカはそれを見て、これは夢なんだと思うことにした。
混濁した意識が、徐々に輪郭線を明確にしていく。
リュカが目を覚ますと、薄闇の中に木の柱と石の天井があった。
──は?
寝かされていることに気が付いて、体を起こすと右肩に痛みが走る。
「いっ……!」
思わず出た言葉に自分が、まだ生きていることにリュカは驚く。傷を負ったところを触れると包帯のようなものでまかれ治療がされていた。
──領主の城でいいんだよな……
リュカの記憶はどうも曖昧だった。先輩とロザリーのことが頭によぎったが、自分がどこにいるのかが不安になった。薄暗さに目が慣れてきて、格子、その向こうに通路があるわかると、ここが牢屋だと理解してくる。備え付けの粗末なベッドに寝かされていた。
一人用の牢獄にリュカはいた。
──捕まった……のか?
でも何故だ?とベッドから抜け出そうとすると、足元には別の誰かが寝ていて踏みつけそうになった。
驚いて目線を下に向ける。
横たわてていたのは三人ほどで、石の床と体には薄い布を引いて、体が冷えないようにして眠っていた。外はどうなっているのだろう、と通路の様子が気になった。
眠る人の横を静かに通り過ぎて、鉄格子の扉に手をやり、ゆっくりと力を込める。
──鍵はかかってない、……捕まったわけではない……?
静かに開ける中、金切る音が響いてリュカはどきりとした。
鍵はかかっていないし、治療もされている、つまり投獄された訳ではない……だろう、と推測したはずなのに、鼓動が跳ね上がる。
眠っている人の一人が目を覚ましてリュカを見上げた。「なんだ小便か?階段上がって、右手だ」と寝ぼけた声で教えてくれた。
「ありがとう……ございます」
リュカが礼を言うと、軽く手を上げて返答すると静かになり。
埃っぽい匂いに気が付いたのは、石の階段を登り切った後だった。
──地下だったんだ
夜明けだろう、青白い空が飛び込んできてリュカは思わず目を細める。
座り込む人、炊き出しをする人、薪を運ぶ人、鎧の手入れをする兵士、簡易の雨除けを造るために木材を運ぶ兵士。雑踏に似た音が心地よく感じる。
周囲を見渡していると、頬に葉っぱがあたった。
リュカは思わず、振り返り仰ぎ見る。見張り塔をかねた牢獄のようで、短い蔦が塔の足下にへばりついていた。
──助かった……
近くの井戸で顔を洗っていた青年がリュカに気が付いて声をかけてきた。
「おぉ、目が覚めたか……」
疑問符が張り付いた顔のリュカが兵士を見返すと、青年は納得したように「あぁ」と言った。
「満身創痍だったからな、覚えてなくて当然か。お嬢ちゃんが、人を担いで此処まで来たときに門番をしてたんだよ。二人を運んだんだぜ」
青年は恩着せがましい物言いにリュカは戸惑う。
「あ、ありがとうございます。ロザリーさん……私が連れてきた女性は、何処にいらっしゃいますか?」
リュカは礼を言いながら青年の視線が気になったが、今はロザリーと先輩が気になる。門番の青年が「あの建物だ」と指をさした。
お辞儀をしてその建物へと急ぐ。後ろから青年が何か言っていたが、リュカの耳には届かない。
建物は領主の邸宅のようで、玄関広間には怪我をしただろう街の住人が治療をおえて寝かされている。
その隙間を縫って看護に勤しむ一人がリュカに気がついて声をかけてきた。
慌ただしく忙しい中にきたリュカを邪険にする目線が突き刺さった。
萎縮しながらリュカはロザリーと商会の名前を告げ、二階の端部屋と教えられた。
ロザリーのもとに向かおうとすると、厳しい声がかかった。「様態は安定してるけど、状態はよくない」と言われてリュカは「そうですか」と淡泊に返答する。
──そんなのは、担いでた僕が……
うまく笑顔を作れない。愉快でない感情がたまっていくのをリュカは感じながら、二階への階段を上る。
リュカは扉の前に立って、深呼吸をした。逃げ出したい気分だった。
扉を開けると、薬草を煎じた軟膏の匂いが鼻を刺激する。
──薬師組合の臭いがする
小さく唸る声が聞こえてきたりもする。
使用人たちの寝所だったのだろう場所には、布をつるして仕切りまるで街の診療所のようになっていた。
治療薬を運んでいた医療師の蜥蜴人にリュカが、用件を訊ねてくる。名を出すと区切られた一つを指さす。
布をめくると、傍らに先輩が座っていた。
リュカは言葉が喉でつかえて出てこなくなった。
「……」
「起きたか?」
看病する先輩の周りに妖精が飛んでいる。
「えぇ」
「そうか」
妖精がふわふわと近寄るのをリュカが避けた。
「リュカにはみえるのか?」
「えぇ、見えますけど。なんですか、それ?」
「懐かれてな。一匹いるか? やるぞ」
軽薄に笑う先輩。
──ん?
何かがおかしい、とリュカは先輩に違和感を覚えた。そして恐怖を感じ始めていた。
奇妙さがあるのに、それに気がつけない。そんな恐怖がリュカの中に生まれていた。
いつもの声、いつもの姿、いつもの口調、にも関わらず、何かおかしい。まるで先輩の皮を被った別の誰かにすら思える。
──気のせい……
思考を変えようと、リュカは眠るロザリーを見た。
全身のやけどを負っているようで巻かれた包帯にうっすらと赤色が滲んでいる。顔の半分も包帯で覆われていた。
心配でリュカは顔をのぞき込んで驚く。
包帯からはみ出る傷が、驚く速さで蘇生してまた火傷の状態に戻っていくのを繰り返している。ひっ、と小さな悲鳴が出た。拍子に後ずさって先輩の傍らに見慣れない剣にリュカは気が付いた。
リュカは押し殺した声をだした。
「……なんですか、ロザリーさんはどうなってるですか?」
「助かる、が、助からない……」
「言ってる意味がわからない」と言い掛ける途中に妖精の一匹が、リュカの肩にとまる。突然、耳鳴りのような囀きが囁かれて、驚いたリュカは払い落とそうとした。
妖精はふわりとその手を避けてリュカの周りを飛び始める。
「言ってる意味が分からないんで、かみ砕いて説明しろ」
興奮気味にリュカがいつもの調子に、先輩が苦笑いをした。
「魔素汚染だ」
「治るって言ってたじゃないですか」
現にリュカは、今では吐き気も気だるさもない。
「あぁ、処理できる許容量なら問題ない……らしい。個体差はあるが、どうもおかしな事になった……みたいだ」
歯切れの悪い先輩が、傍らの剣を握っていた。
「おかしな事?」
話が見えず苛々がたまるリュカに、「あぁ」と先輩が難しい顔をする。
「ある種特定の、魔素を体内に大量に取り込むと、生命の……仕組みが変わって、しまう……らしい」
「変わる? 治るんですか?」
「いや、治らないんだ。もう」
眠っているロザリーをリュカはもう一度見る。痛々しい姿だが、呼吸は落ち着いているようだ。
リュカは拳をつくった。
「その話をした医療師、医者を教えてください。専門家がいるか、確かめてきます」
「いない」
「隣街にでも出かけたんですか?」とリュカが訊くと「そうじゃない」と先輩が首を振った。
「これが教えてくれる」先輩が剣を軽く持ち上げる。
「何です? なにかの冗談ですか? 新しい剣の自慢は後にしてください」
リュカは苛ついて先輩に噛みつく。
「いや、どう説明すればいいか、実際見た方が早いか」
徐に見慣れぬ剣を抜いて、自分の腕を斬った。
「ちょ、なにやってんですか!」
リュカが焦って声をあげたが、先輩は落ち着いてリュカを諭す。
「痛みは感じるが、それは慣れる」
斬られた傷が、なくなっていく。欠損を埋めようという再生する現象ではなく、もとの状態に戻ろうとする現象に近い。
先輩は無表情にその現象を見ていた。
奇妙さと不気味さが入り交じった恐怖にリュカは吐き気を催して、手で口を押さえる。
「すまない」
無表情な先輩の声は、心痛に聞こえた。




