第65話 形無しの大災害
休日の早朝。やっと梅雨に入り、少しぐずり始めた空の下。
リリカは久しぶりに早起きをして、散歩のため動きやすい服を着た。
「姉ちゃん、大丈夫? 最近、このあたりストーカーが多いんだってよ」
「平気、平気。早朝から不審者なんていないって。コーディリアもいるからさ」
リリカはつま先で玄関床をトントンと蹴って靴を履き、愛犬コーディリアのリードを持つ。
「おう。コーディリア。いざってとこは姉ちゃんを守ってくれよ」
「ワン!」
カイチの言っていることをわかっているのかいないのか。
コーディリアは短く吠えて応えた。
「悪いね、姉ちゃん」
「いいって。カイチは大会なんだから」
リリカの弟カイチは、サッカーのユニフォーム姿で出掛ける準備をしていた。
今月はカイチがコーディリアの散歩当番だったが、少年サッカークラブの大会直前ということもあり今回限りはリリカが散歩のピンチヒッターとなった。
…………サッカー選手のピンチヒッターとは?
ヒットリフターだろうか?
それはともかく。
サッカー大会へ向かう弟の自転車を見送ってから、リリカは愛犬コーディリアと散歩に出かけた。
大都会東京といえど墨田川以東の、それも早朝では人もまだまばらだ。いや、むしろ早朝の活動人口は、東京の中心地より下町の方が多いかもしれない。
リリカと同じように犬の散歩をしている近所の人たちに挨拶する。
「おはようございます! おばさん」
「足が治ったんだね、良かったねぇ、リリカちゃん」
「最近はいろんな人が増えてるから気をつけてね」
「増えてるわよねぇ~。観光客なんだかなんだか」
「そっちも増えてますけど、怪人もねぇ」
「聞きました? 戦車を壊すなんて」
「あら、奥さん。あれは戦車じゃなくてよ。米海兵隊のはLAV-25。自衛隊のはパトリアAMV。フィンランドで開発されたものだけどノックダウン生産で日本に正式採用され、現行陸自で採用されている96式装輪装甲車に代わり配備中の──」
「ワンワン!」
「美人さんなのに、兵隊さんをやっちゃうなんて怖いわねぇ」
「うちの子なんてファンになった、とか言い出して悪の組織へ行きたいとか言い出してるのよ」
「やだ。うちの旦那、大丈夫かしら? カナなんとかさんの動画集めてるのよ」
「あんたがあの恰好してあげれば? ムチを持って」
「やだー、あたしなんてムチはムチでも、お腹がムチムチよぉー!」
挨拶ひとつしただけで、下町の奥さんたちの会話が止まらない。
下町の狭い路地で姦しい飼い主たちに、犬たちは呆れて寝転がっている。
もしも電脳が実用化されて、ゼロタイムで直接SNSやチャットに書き込みが出来る時代が来た時、トラフィックがおばさんたちの会話で埋め尽くされるかもしれない。
──そんなことを、リリカの足元であくびをしているキャバリア・キング・チャールズ・スパニエル(犬種名)のコーディリアは考えていた……かもしれない。
雑談から解放されたリリカは、コーディリアの散歩を再開した。
コーディリアは同胞同種たちとの別れを惜しんで振り返るが、飼い主であるリリカは振り向かない。おしゃべりから逃げているようにも見えた。
この立ち話で時間が取られ、少しづつ街には人の姿が増え始めていた。リリカが振り向かないのも、時間的な問題だろう。
そしてこの増え始めた人たちは、以前の散歩では見られなかったタイプの人たちだった。
魔法少女目当ての観光客だ。
アクションカメラやスマホなどの撮影機材を片手に、期待に満ちた爛々とした目で静かな下町の早朝を歩いている。
日本人が多いが、外国人の数もそれなりにある。
もしかしたら日本人に見えても、中国や韓国からきた観光客である可能性も高い。
彼らの最優先対象は魔法少女だが、この辺りに住む人たちへも視線が向けられていた。
この街は魔法少女の目撃例や出現率が非常に高い。
そのため観光客は魔法少女の正体を探るため、この地域に住む人たちを注視している。
特にリリカのような若い女の子が狙われていた。
別に危害を加えてくるわけではないが、魔法少女くらいの年頃の女の子を見ると、視線が追いかけてくる。
──もしかしたら、あの子が魔法少女かもしれない。という視線だ。
もしもこの瞬間、タイダルテールが活動を始めれば、目の前の子が行動を開始するかもしれない。
あわよくば変身する姿を撮影できるかもしれない。
そんな期待も込められた視線だった。
しかし、幸いなことにリリカの後をつけるような人物はいなかった。
これにはスコラリス・クレキストの善性と、エティーズ・ルテティア……厳密にはアングザイエティーズ・キスの悪名によるものがある。
まずスコラリス・クレキストは限定的ながら活動的に、街の良き隣人をやってくれている。
怪人退治に留まらず、転んでケガしたおばあさんを病院へ送ったり、迷子の子を探したり、木から降りられなくなった子猫を助けたり──。
行動範囲が狭いため、彼女の手が日本全国へ届くことはないが、それでも彼女の善性は世間に知られている。
これにより、興味本位が勝っていても社会性やそれなりの良心を持つ者は、彼女の正体まで明かそうとはしなかった。
次にアングザイエティーズ・キスが、犯罪者狩りをしていた実績がある。
魔法少女の正体を明かそうと女の子にストーカーまがいをして、まして拉致してしまい、本当に彼女だった場合は?
魔女の活動で死者こそ出ていないものの、かなりの肉体的損傷をおったものがいる。片目失明した者や数年分の記憶を失った者、すべての髪の毛を失った者もいる。
もしものことを考えれば、二の足を踏むのも当然であった。
リリカに限らずこの地域の女の子たちは、スコラリス・クレキストへの好感度と、アングザイエティーズ・キスへのもしも? もしかして? ひょっとして? によって守られていた。
──だが、見逃さない者も存在した。
◇ □ ◇ 魔 ◇ □ ◇
リリカを追うのではなく、待ち構える者がいた。
長い髪を後ろで高く縛り上げたスポーツウエア姿の小桜姫子だ。
前述のもしアングザイエティーズ・キスへ手出しをしたらただでは済まないというブレーキは、本人相手では役に立つはずがない。
この辺りで見かけない美少女がいると、通行人から視線を受けている。
「やはり、ワンちゃんを話しの起点にすべきでしょうか」
軽く走ってきた姫子は、汗を拭きながらリリカとの接触方法を思案する。
かつてあった材木業者の移動にともない作られた防災用の大きな公園から親水公園を通過し、運河跡の公園まで続く長い遊歩道。その途中にある埴輪が並ぶ公園の一角で、姫子はリリカが通りかかるのを待っていた。
中学で同じ学区の姫子だが、リリカとは小学校が違う。やや西に離れた地域に住んでいる。
今日は走り込みでちょっと遠出をして、偶然を装って散歩中のリリカに出会う振りをするつもりであった。
散歩ルートを事前確認し、弟がサッカー大会の予定を調べ上げ、犬の散歩を代わることを想定し、待ち構えている姫子は完全にストーカーである。
樹木の幹と植え込みの影に隠れ、リリカが犬と一緒にやってくる姿を見つけ、タイミングを見計らう。
やがて無理のない早足くらいの速度で、遊歩道をジョギングするリリカの姿が見えてきた。
犬はリリカの前へ決して出ようとせず、飼い主を見上げながら真横をちょこちょこと歩いている。
その犬の愛らしい行動より、姫子は薄着なリリカの姿に見とれていた。
小柄ながら女性的に成長しているリリカの揺れる双丘を眺め、姫子は人には見せられないような下品な笑みを浮かべる。
「ふふふ。いずれその身体を……」
舌なめずりどころかよだれを腕でぬぐいつつ、いよいよここだというところで一歩踏み出し……姫子は予想外の人物と出会った。
ばったり。
これ以上の表現は存在しない。
姫子が隠れていた植え込みの反対側から、矢のように飛び出してきた存在がいた。
高い身長に見惚れるような引き締まったボディ。それに相反するようにふくよかな女性的ライン。
その手には革製のムチが握られ、露出の高く独創的なコスチュームを着こなし、ふてぶてしく仁王立ちをして姫子の前に立ちふさがった。
姫子とばったり出くわした存在。それはムチを持ったカナキャタクリズミクリィだった。
「はっ、ひっ! カナ……、おば、おば、おば、お、おね、お姉様っ!」
姫子はカナキャタクリズミクリィを見るなり、過呼吸を起こしたようで、胸を抑えて引きつりながら膝をついた。
この異常事態に気がついたのだろう。
リリカは姫子に気がついて、駆け寄ってきた。
「わっ! え! なに! 小桜さん!? どうしたの! だいじょう──うわっ! カナカナなんとか!」
姫子の近くまできて、カナキャタクリズミクリィの姿に気がついて身をすくめるリリカ。
「カナキャタクリズミクリィだ!」
名前を覚えてもらえないカナキャタクリズミクリィは、気がついてもらえて嬉しい半分、名前を間違えられて悲しさ半分、急に現れて過呼吸を起こした姫子に驚き半分であった。
……1.5になってしまった。
◇ □ ◇ 悪 ◇ □ ◇
「あー、もうはちゃめちゃだよ!」
カナキャタクリズミクリィは演技も忘れて叫んだ。
めちゃくちゃではない、はちゃめちゃだ。重要。
計画がたった一歩で破綻した。
カナキャタクリズミクリィこと笛奈は、苛立たしげにムチを無意味にパシンパシンと鳴らしながら内心では狼狽しきっていた。少し涙目でもあった。
過呼吸でうずくまる姫子と、この光景を見て驚くリリカと、異常事態に吠えまくる犬のコーディリア。
この三方を交互に見やり、カナキャタクリズミクリィは明らかに狼狽していた。
一方、リリカも激しい動揺を見せている。
昨日、世界を騒がせた恐ろしいカナキャタクリズミクリィが目の前に……いるのも驚きだろうが、その後ろで姫子が過呼吸になっており、戦闘員たちから呼吸を整えさせるため──
「はい座って前かがみで~吐くの意識して~」
「は、は、は、ふ、ふー、は……は……はあ」
「気を確かに。キミの過呼吸は浅い」
「傷は浅いんじゃないすね?」
──と補助している光景は彼女も理解の範疇外に違いない。
浅い過呼吸とは?
この光景を背に、カナキャタクリズミクリィは引きつった笑みでリリカに相対した。
「……み、見られてしまったからにはしかたない! かわいそうだが目撃者には消えてもらう」
「あれ? この状況でセリフ変更無しのそのままアドリブなし予定通りのゴリ押しっすか?」
「大筋では大丈夫だと思うのでいいでしょう」
桜子を介抱していたペーとアーが、カナキャタクリズミクリィのゴリ押し進行に呆れる。
当初の予定では、河川敷の公園の埴輪がモニュメントかもしれないと調査しているときにリリカと接触するはずだった。
リリカにムチで一撃を加え…………それが謎の力(カナキャタクリズミクリィの絶技で宙を叩く空振り予定)で防がれ、これを見たカナキャタクリズミクリィが「どうやらあなたには才能があるようね。今回は見逃してあげるわ。その力が目覚めたら相手にしてやる」と強者の余裕で見逃したあと、ミンチルミンチルに接触させて魔法少女の力に目覚めるという脚本だったのだが…………。
過呼吸になっている姫子を介抱している最中などという、どうリカバリーしていいかわらかない状態となってしまった。
「戦闘員は黙ってろ。とにかく消えてもらう!」
カナキャタクリズミクリィはムチを振るって、縁石を叩き破壊する。
びくりとリリカの身体が硬直し、コーディリアの吠える声も止まった。
強引な進行だ。かなりムリヤリだ。
介抱している最中を見られて、目撃者を消すとか整合性が取れていない。意味がわからない。
カナキャタクリズミクリィもそれを理解しているようで、勢いに任せて進行させるつもりである。
悪の組織として見るも無残なグダグダな状況であったが、巻き込まれた(巻き込んだ)リリカはあくまで一般人。ただの女子中学生だ。
震えて一歩も動けない。
主を守ろうと唸るコーディリアも、カナキャタクリズミクリィの実力に野生の勘で気が付いているのか、ジリジリと後退りしている。
もうどうにでもなれー、と内心叫びながら、カナキャタクリズミクリィはムチを振り上げた!
「や、やだーっ! 笛奈ぁぁっ!」
身をすくめリリカが助けを求める。ここにいない──はずだが目の前にいる笛奈の名を叫んだ。
瞬間、カナキャタクリズミクリィの動きが、笛奈として硬直する。
直後、ぱぁぁんっ! と、気持ちいい音が鳴り響いた。
「い……たーぁあああっぁぁぁっ!!!!」
振りかぶって途中で止まったため、鞭の軌道が乱れて先端部がカナキャタクリズミクリィの臀部を強かに叩いてしまった。
完全な自爆。
ムチに限らずヌンチャク、三節根など扱いの難しい武器を使い、初心者が自分を叩いてしまうあれだ。
カナキャタクリズミクリィは跳ねとんでリリカの前から離れると、涙目で必死にお尻を撫でた。
不格好なジョギングみたいな動きをしながら、何度もなさけなくお尻をさする。痛そうだ。
「い、痛い、い、いたー! これ絶対腫れるよ!」
「またデカくなるっすね」
「デカくねーよ!」
ペーのセクハラに、涙目で無駄な抵抗をするカナキャタクリズミクリィ。
さすっているお尻は腫れあがっている。
恐怖の悪の組織登場! から一点、愉快な悪の組織の様子を、唖然を見つめるリリカ。
「ふ、ふふ。どうやらあなたには才能があるようね」
強引にも脚本通り、ムチの攻撃が防がれた際に放つ予定だったセリフを言い出すカナキャタクリズミクリィ。
「いや、無理があるでしょ」
強引な進行にアーが突っ込みを入れるが、顔を引き攣らせるだけでカナキャタクリズミクリィは予定通りのセリフを続けた。
「こ、今回は見逃してあげるわ。その力が目覚めたら相手をしてあげる」
「……いや、ここでそのセリフは無理があるっすよね?」
「うるせえな! ならお前らがリカバリーしてみせろよ! できねぇだろ!」
失敗を棚にあげ、逐一ツッコミをいれてくる戦闘員へモラハラを繰り出すカナキャタクリズミクリィ。
「たしかに」とアーとペーが頷き、「だろぉ?」とカナキャタクリズミクリィがドヤる。
タイダルテールはアットホームな昭和の組織です。
一方──。
いつの間にか過呼吸の収まった姫子は姿を消し、コーディリアは大人しく座っている。
どうやらコーディリアは、姫子の邪悪な気配に対して吠えていたようだ。今はお尻をさすっているカナキャタクリズミクリィの足元へ近づき匂いを嗅いでいた。
悪の組織のコントに警戒を解いて近づく愛犬を見て、リリカは少しだけ緊張がほぐれた。
そして何かに気が付き、カナキャタクリズミクリィの背に問いかける。
「もしかして…………笛奈?」




