第66話 リリ勘
リリカは埴輪の並ぶ公園で、置き去りにされてしまった。
不安で──というより手持ち無沙汰で愛犬のコーディリアを抱き上げ、呆然と立ち尽くす。
コーディリアがいつものように頬を舐める。
とても先ほどまで、非日常がここで繰り広げられていたとは思えない。
悪の大幹部カナキャタクリズミクリィは災害を振り撒くことなく、リリカの前から慌てて立ち去ってしまった。
騒ぎを聞きつけた通行人が「ここで何かあったのかな?」と公園を覗くが、これといった異変がないためそのまま立ち去ってしまう。
そんな通行人を何度か見かけた後、少し冷静になったリリカは過呼吸に陥っていた小桜姫子のことが心配になった。
たぶん彼女はランニング中にカナキャタクリズミクリィと出会い、驚いてあんなことになってしまったのだろう。そうリリカは納得した。
呼吸も整ったのか、この場から立ち去っているので無事だろう。いまごろ警察を呼んだり、スコラリス・クレキストへ情報が届くようにSNSに書き込みでもしているかもしれない。
それよりもカナキャタクリズミクリィ……いや、笛奈である。
筋肉で鬼の面が出そうな背中をざっくりと露出させたカナキャタクリズミクリィに向け、笛奈かと尋ねたら──。
「あなた。な、なかなか見どころがあるようね! おお覚えておくわよ、リリカ!」
と、リリカの名前を呼んで立ち去ってしまった。
もちろんリリカは自分の名前など明かしてない。名前を知っているであろう姫子が、リリカの名を口に出すことも過呼吸で無理だった。
「あれ、かなり笛奈だよ」
かなりの確信を得たリリカの口から出た言葉は、かなり核心をついていた。
◇ □ ◇ 人 ◇ □ ◇
翌日の月曜日。
いつものように学校への登校中、正門も近くなって生徒が歩道に溢れる中。
女子の中では長身の笛奈の後ろ姿を見つけ、リリカは駆け寄り挨拶する。
「おはよう! テッキーナ!」
「お、おう! おはよう、リリカ! いやぁ、今日もいい天気だな」
くもり空である。
梅雨空と言わないまでも、下校時には傘が入りようになりそうな空模様だ。
務めて自然なリリカに対し、極めて不自然な笛奈がぎこちない返事だ。
「あ、あのさー。リリカ」
朝の挨拶の後、一瞬の間に耐えられないように笛奈が切り出す。
「なーに? テッキーナ」
「実はさ、オレ様には姉がいて」
「プリン先生のこと?」
「いや、もう一人さ。大学生の姉がいてさー。これがね。こまった姉でさー」
「ふーん」
「最近、どこに行ってるのか、悪いことでもしてなきゃいいと思ってるんだが。あー、それでさ。その姉ってオレ様にそっくりだから見間違うこともあるかなーっと。ほ、ほら。どっかで悪いことしてても、それオレ様じゃないから。あー、どっかで変なことをやってなきゃいいんだけどさー」
聞かれてもいないのに、今まで話したこともない存在するか怪しい姉について語り始める笛奈。
興味なさそう……というか、疑うような目つきのリリカを直視できないのか、笛奈は視線を合わせずペラペラと喋る。
らしくない。
リリカはちょっとイラ立った。
いつも凛々しく余裕があって、オレ様気質でかっこいい笛奈が、まるで呑んで遅帰した時のお父さんが、お母さんへ必死に言い訳している姿に見えたからだ。
こんな笛奈は見たくない。
ちょっと上を見て、ちょっと斜めに視線を向け、まったく目を合わせず話す笛奈。
リリカはその腰あたりをジッと見つめ────
「あー、あの困った姉は今頃、っッ!」
不意に、ムギュっと笛奈の右臀部を掴んだ。
「ひぃっっつっ! いったーっ!」
昇降口の真ん前で、いきなりおしりを掴まれ、突然、飛び跳ね叫んだ笛奈は、周囲生徒たちから一斉に注目を浴びる。
リリカはそんな目も気にせず、笛奈のお尻を掴んだ右手を神妙な面持ちでわきわきとさせていた。
「な、なな、なにすんだよ! オマエら、見んな、バカ!」
おしりを掴まれて跳ね飛んで痛がる笛奈は目立つ。
美人で背が高く、なにより存在感がある。自然と目線を向けられている状態で、リリカの奇行である。
それが百合セクハラとあっては、目立って当然。
大注目され、笛奈は拳を握って見るなと周囲を威嚇した。
「あ、ごめん。痛かった?」
「痛いよ!」
「なんで?」
「ぐ……」
お尻を掴まれた程度でおおげさに痛がる理由を聞かれ、言葉に詰まる笛奈。
……美人さんのおしりの事情が聴ける! と、近くで下駄箱を開け閉めする男子生徒たちの動きが非常にスローリーになる。耳も心なしか大きく、体も笛奈側に向けて傾いていた。
「昨日、ちょっと転んで……」
「あー、そーなんだぁ。……ムチでお尻を叩かれたわけじゃないんだ」
昇降口の空気が、ざわ……と変わった。
若干の沈黙が昇降口に広がり、打ち破るように笛奈が乾いた笑いを搾り出す。
「は……はは。な、な、何を言っているんだい、リリカくん。そそそんな変なことあるわけじゃないか。…………さ、さあ教室へ行こう!」
お尻を摩っていた笛奈は、姿勢を正してなんでもないぞという態度を取る。
しかし、追求するかのようなリリカの目から逃げるように、そそくさを教室へ向かう。
あまりに不自然で、情けない姿だ。
「あんなテッキーナ。見たくない」
リリカはそれなりに怒っていた。
──その後、教室で朝のホームルーム後、そのまま授業が始まっても、笛奈のぎこちなさと、それを監視するようなリリカの目は変わらずだった。
「……ではこの問題! 解いてみるのじゃ! 笛奈!」
暗号のような数式を黒板の下の方にデカデカを書き連ねたディスキプリーナが、教鞭をびしりと妹である笛奈へ向けて解答を求めた。
ちょっと青ざめ気味の笛奈が、慌てふためくように立ち上がって抗議する。
「それ中学レベルじゃないっ! 待て、なんかΣから入ってんぞ! それゼータ関数じゃねぇか?」
「うむ。それに気が付くなら解けるはずじゃ!」
「マジでゼータ関数かよ! 無茶言うなっ! 立って歩けるならフルマラソンで二時間切れるだろうって言ってるようなもんじゃねぇか! ……って、なんだよ! 触らないで、リリカ!」
立ち上がって抗議する笛奈の臀部をジッと凝視するリリカに気がつき、笛奈は慌てて尻とスカートを抑えてお澄ましに座る。
似合わない、とリリカは思った。
お澄ましな座り方も、逃げるような仕草も目線も、笛奈には似合わない。リリカはそう強く思った。
「ええい、じゃあいい。笛奈よ。こっちを因数分解するのだ!」
さきほどより遥かに短い式を書き、バンッと黒板を手の平で叩く。
一見簡単なようだが、中学2年生では進学校でもないかぎり因数分解はまだである。
「因数分解を習うの中3だろ! あ、それ、でかい方のΠの上に100って、オマエこれって望遠鏡和だろ? ざっけんな! 手作業じゃおわらねぇよ!」
「うるさいやつじゃの〜。ではこれはただの三角関数だからできるじゃろ?」
「Σの上に1000って書いてる時点で、1000項あるじゃねぇか! いやがらせやめろ!」
「では少なくしてやるのじゃ」
「ざっけん! Σが二つ並んでるじゃねぇか。そこだけでもう計算量大爆発だ!」
「まだまだじゃのぉ。調和数とか、対称性を使えばいいのじゃ!」
「それでも手計算は、授業中におわらねぇよ!」
プリン先生が書いている途中で、笛奈がやめろと噛み付く。
プリン先生と笛奈のやりとりに、成績のいい生徒たちもポカーンとしている。
数学好きな生徒一人くらいは理解しているようだが、ほとんどの生徒は置いてきぼりだ。リリカもその一人だが、今は笛奈のお尻に夢中である。
やたらとプリン先生から笛奈が狙い撃ちされた受けた授業が終わり、休み時間となって生徒たちが銘々行動を始める。
その中、笛奈も視線を合わせることなくよそよそしく立ち上がり、その背にリリカが言葉を投げる。
「プリン先生。遺伝子的な病気……だったんだよね」
「そうだが。その話は……」
転校初日に、姉であるプリン先生の体型についてリリカが質問した際に、笛奈は遺伝子的な病気でセンシティブだからと具体的に答えなかった。
それをあえて蒸し返すリリカだが、笛奈も強くやめてくれとは言えないようだった。
「タイダルテールが探してるモニュメントだけどさ」
「ああ……」
務めて動揺しないように、笛奈は気をつけているようだが、リリカにはお見通しである。
笛奈は警戒するとき、ポニーテールの毛先がわずかにリズムを取るように揺れる。それをリリカは知っている。
「モニュメントに隠されている情報って、どんな病気も治すなにかの情報なんだよね……。それがあれば、先生、治るかな?」
「へえ、そうなんだー。そ、そっかー。それがあればアネキも治るかもしれねぇなぁー。はははは……、あはは。いや、オレ様たちには関係ないけどなー。どっかに落ちてねぇかな、そんな薬」
「そこらに落ちてる薬って怖くない?」
「そうだな! あはははは。おっと、そのアネキから用事を頼まれてたんだ! じゃ、じゃあな!」
逃げ出す笛奈。見送るリリカ。
リリカの探るような会話に対して、笛奈は完全に持て余している。
目線も合わせず、必死に誤魔化そうとしている様子しか見えなかった。
教室から逃げるように出ていく笛奈を見送り、リリカは考えをまとめる。
リリカの推論は、こうだ。
悪の組織の総統は病気だと、河川敷で襲ってきたアーマード十字斬り男は発言していた。
その病気とは何か?
何かはわからなくても、総統は通常では治らない病気であることは確かだ。
笛奈が、悪の組織の大幹部だとした場合。
姉、出杉・プ・リーナの先天性の病気を治すため、活動している可能性があるのでは?
そうなると──。
「プリン先生が、総統?」
断片的な情報とざっくりした推測、そして幼児体型であるディスキプリーナの偽装設定。これらのピースが、リリカの中でかっちりと繋がってしまった。




