第61話 新しい魔法少女と新しい獲物 2
姫子は自室のベットの上で目を覚ました。
永田町にいたアングザイエティーズ・キスは、彼女の分身である。
魔法の才能に溢れた姫子は、準備とコストの問題、そして規模の小ささはあれどおよそなんでもできる状態になっていた。
むしろ魔法少女エティーズ・ルテティア状態の方が、制約があると言っていい。
「……ふう。さすがに、疲れますね」
身体を起こし、軽くめまいをはらう。
分身を出現させる魔法は、それなりに負担が大きい。
分身は作れるが、本体と同時に行動させることはできないし、本体は行動不能となる。
便利ではあるが、扱い方にはかなり問題がある魔法だった。
奇しくもこの魔法はタイダルテールのアバターと同じ扱い方を、ハイコストながら実現させていた。
今やエティーズ・ルテティアの代名詞ともなっている他者を治療する魔法も、消費が激しく連続使用はできない。
プレイルームでお菓子食べることで回復できるが、相当量食べないといけないのでそれはそれで制限といえる。
さらに先天性の病気は治せないし、重病や致命傷を治すとなると消費はかなり膨大となる。
警官隊を治療するため初めて披露した治療魔法は、直前にプレイルームで大量のお菓子などを大量に食べて文字通りはち切れんばかりに魔力を回復させていたからこそできた。
いわば初めて魔法少女になったさいの初回ボーナスである。
なんでもできるが、決して良い条件で行使はできない。
それが魔女アングザイエティーズ・キスの限界だった。
「ちょっとお腹が空きましたね……」
体のどこにある器官かわからないが、お腹の中で何かが魔力不足を訴えている。
少し前ならばここで、おやつ代わりにと街へ犯罪者狩りへでも出かけるところだが……。
今は積極的に犯罪者を襲うようなことはもうしていない。
警察や政府はいい顔をしないし、なによりうやむやにしているだけで法的に魔法少女そのものはかなり危うい立場にある。
愛人である取り巻きのところへ行くのは、さすがに深夜であって迷惑だ。
約束してあるならまだしも、彼女たちにだって生活とプライベートがある。
それなりの節度は魔女となった今でも持っていた。
そしてアジトへ行くには、ミンチルの協力がいる。
ミンチルから完全に信頼されていない姫子は、アジトへのフリーパスを持っていない。
具体的には理解はしていなくても、姫子が小夏へ異常な情念を抱いていることは察しているからだ。
もちろん小夏の自宅に、深夜押し掛けるのも迷惑である。
「はあ……。気晴らしにでかけましょうか」
少なくても三大欲求のうち一つを紛らすことはできる。
姫子は自宅の窓を開け、暗がりに紛れるように闇を纏ってふわりと住宅街の空に飛び上がった。
スコラリス・クレキストはまだ飛行はできないが、アングザイエティーズ・キスはなんなく飛行することができる。
翼のように闇を広げると、姫子の姿が夜空に露わとなった。
俗に言う裸マント状態だ。
小夏と違って、姫子は裸族ではない。
人前で脱ぐことで興奮するタイプでもない。
あくまで手段。魔女の状態では、自分の魅力として肌を晒すことで、能力がより強く発動するためこのような姿になることも多い。
なによりコストがかなり下がるので、魔力の消費も淀みとなって出る魔物もほとんどない。
自室の窓を開け、夜の空に飛び立つ。
姫子の自宅は東京下町にあり、イメージにそぐわない鉄筋コンクリート工法三階建ての近代的な住宅だ。
彼女のイメージにあう日本邸宅ではない。そうだった時期もあるのだが、さすがに彼女が生まれる前に建て替えられた。
三階の目立たない窓から飛び出し、翼のように黒い魔力を広げて夜の東京へ飛び出した。
寝静まった下町の上を飛び、隅田川を越えて、まだかろうじて眠っていない都心へと向かう。
道路沿線の灯火が目立つ下町と違い、都心は煌々と光り輝いている。駅周辺と繁華街はより顕著だが、とくに政治中枢や行政施設の灯りが姫子の目についた。
「あの灯りの中で、さっきの方達がまだ眠らず仕事で唸っていると思うと楽しいですね」
さきほどまで会話を交わしていた政府関係者たちを思い、少しだけ嗜虐心を満たされ姫子は嗤う。
眼下の様子を見れば、通行人たちが空を見上げている。
ほぼ裸体の姫子を見つけて、見上げているわけではなかった。
明るい地上から、暗い空を見ても人間の目で姫子のシルエットすら見えないはずだ。
「……以前と違って、上を向いて歩く人が増えましたね」
姫子が魔法の力を手に入れたばかりの頃。
まだ魔法少女もタイダルテールもなかったアラームショック前。
そのころの人たちは、みなスマホや足元をばかりを見て歩いていた。
アラームショック後の今では、魔法少女が飛んでいるかもしれないと、上を向いて歩く人が増えた。
決して気持ちが上向きだからというわけではない。
だが下ばかり見て歩いている人たちの黒い頭頂部を見ているより、時々でも空を見上げる人たちがいる東京の光景の方が姫子は好きだった。
今では夜空の散策は、姫子の趣味となっている。
一般的な光学的機能しかない防犯カメラは簡単に光と闇の幻覚で誤魔化すことができるし、人間の目で明るい地上から姫子の姿を見つけることは困難だ。
時々、レーダー式の動体センサーがついた防犯カメラが、姫子の動きに反応するが、結局映像は光学的な情報で録画しているので魔女の姿を捉えることはできない。
赤外線で撮影しているカメラでもあれば別だが……おそらくそんなものは政府施設でも珍しいので、観測施設や一部の大使館、軍事施設にしかないだろう。
そういったところには、近づかなければよい。
姫子は地上の人々の営みと、街フラクタル性を持った街の灯りを空から楽しみながら、日本橋の一際高いビルの屋上に降り立った。
黒い翼を纏い、露出の少ない魔女スタイルへと戻る。
無数のまち針でパーツが組み立てられたような黒いコートを翻し、昨年完成したばかりの五十階越えビルの屋上から、夜の東京の街並みをぐるりと見回す。
「いい眺めですね……本当に」
魔女になって、一番良かったことといえば空を飛べるようになったことだろうか。
姫子はその過激な活動に反して、ささやかだか常人では得られない小さな幸福感に浸っていた。
この人がひしめく東京なら、どこかに姫子の欲を満たしてくれる人がいるだろう。
小夏は…………満たしてくれそうだが、痛い目に会いたくない姫子は耐えている。
魔法が使えるようになったとはいえ、自分にとって都合のいい人物を使える魔法を姫子は使えない。
失せ物、探し物、未来予知など、占い師の才能は、魔女である姫子にはなかったようである。
そういえば……と、姫子は気が付く。
「リリカさん。あまり親しくありませんでしたが、彼女もなかなか美味しそう……いえ、魔力を持ち合わせていましたね。襲うわけではなく、ちゃんと仲良くなってからなら……」
姫子は次の獲物に狙いを定め、舌なめずりをした。
もしもここに誰かがいて彼女を目撃したならば、夜の東京を食して平らげる鬼を見たと慄いたことだろう。




