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第9話 第四夜、明日阪急グランドビル三十階で待つ

 後ろから背中を叩かれた。振り返らずともその手は原だと分かった。


「お通夜ぶり」


 原は手を横に振った。えくぼのかわいらしい女だった。


「あぁ、お通夜ぶり」

「アンタが久宝寺に嫉妬して帰るから、もうみんなアンタの悪口大会に、気まずそうな久宝寺、愉快やったわ。連れられて来た久宝寺先輩ほっといて自分だけ帰るとか何ですかってね」


 いつの間にか、久宝寺が俺に連れられてきたと思ったらしい。反対でも同じことをきっと言われただろう。久宝寺先輩に連れてきてもらったのに何で残らんと帰るのかって、久宝寺を擁護したい人間が多いほど俺へのヘイトが募っていく。


「それを見て何か感じたか?」

「三十過ぎても寄ってくれる男の子はいるものでね。少し遊んだわ。どう遊んだか聞きたい?」

「止めておくよ。他人がする高尚な遊びに興味は無い」

「ベッドに引き込むのは特別な男の子だけよ。大体、古寺もいじわるね。覚えてないとか嘘ついて、自分がそのひと時でも好きだった相手にする態度じゃないもの」


 原に告白したことがあるのは本当だ。これまで原と五十鈴川、神路の記憶は無いと久宝寺に言ったが、原だけは顔を夢でしか思い出せないものの、告白を幾度もしたという記憶は色濃くある。


 予約していたのか半個室の部屋に入れられた。コース料理らしい。前菜が出た。ここ美味しいのよ。接待で使ってくれたらまた会ってあげると言ったが、そう言って引き込んだ男でお遊びをしているかもしれない。



「一回や二回じゃないでしょ? 十回くらいは愛をいただいたわ。食べちゃったからどんな言葉か忘れちゃった。もう一度食べさせてくれない?」

「用が無いなら帰る」

「五十鈴川のこと、調べてるの?」


 鶏皮ポン酢を口に運びながら、少し笑った。


「第四夜。って何を知っているんや」

「五十鈴川と神路、そして私が交わした約束。神路はもう既に死んでいる」

「は?」


 マジっぽい顔で原は言った。会っていないうちに事故で死んだのか。久宝寺は知っているのか。葬儀は、時間は、場所は。


「その死では無いわよ。女は本当に信じている人に裏切られたら一度死ぬのよ。奪われた物が大きいほど鬼になる。知らないでしょう。まだ子どもだもんね」


 失礼な奴だ。夢にしか現れない女。原文子。もっと出てくれてもいいだろうに、この先何年経っても夢に出るのはこの顔なのだろう。


「それで約束って」

「一緒に酒を飲むって話」

「五十鈴川は死んだから、あの通夜の時に思い出話をしながら出来たやろ」

「約束は反故にされた」


 え、あの輪の中におそらく神路はいたはずだ。それでそのまま飲み屋で暗いのは通夜らしくないといい、どんちゃん騒ぎをしただろう。


「結構、人数いたから分からなくてね。いつも通り育成をするのが楽しかったから」


 思い出してきた。原がどうだったか忘れてしまったが、飲むと特殊性癖に走るやつ。


「育成って、なんだっけか」

「知りたい?」

「やっぱいい」

「そうするにはもう少し体重を落とさないと窒息するわよ」

「しばらく痩せないよ。もう話は終わり?」

「五十鈴川さんが何かしたの?」


 原の不安げな様子にもしかして何も知らないで召喚されたのかと疑った。そんな女は間抜けではないだろう。知っていて、間合いを図っている。

 どれくらいの手札をお互いが持っているか探りたいというのが実情だろう。それにしても困った。出せる手札はこれしかない。


「五十鈴川の潔白を探す為の推理をしている」

「嘘」


 くそ、分かるよな。でもこれしか出せない。


「まだ二十五年前の恋愛引きずっていて、手札が出せないの?」

「そうやって挑発したら出してもらえると思っているのか?」

「へぇ、もう私はあなたの中にはいないの」

「思った人は自分自身に一生生き続けるらしい」

「そういう宗教?」

「恩師に言われたのさ。宗教だと言えばいい」

「そんなやけくそにならないでよ。私は直樹に会えて嬉しいわよ」

「俺も文子に会えて嬉しいよ」

「だったら、ごまかさないでちゃんと事情を教えてよ」


 これ以上出せないのは文子に恋慕しているからではなく、誰かが死ぬことを久宝寺は歓迎しないということが想像出来るからだ。


 そう、久宝寺は俺のブレーキ。


「何か分かったの? 犯人とか」

「いや、分からない」


 気をつけよ。敵は近くに。


「そうだ。おかしい、おかし過ぎる。出来すぎだ」

「何、探偵さん」

「探偵、何で俺が探偵だと知っている」


 立ち上がって文子の肩を揺らした。近くに敵、探偵と知っている女。まさか文子がと力をこめると鈍い音がした。首が痛い。


「ごめん、そんなにきれいに入るとは思わなくて」

「ほねっ」


 左の顎を押さえた。首だけじゃない頭にも来る痛み、ぐわんぐわんする。


「そうよね。肉のはずなのに骨にいったのは本当にごめんなさい。でも冷静になって」


 店員におしぼりをいくつか持って来てもらった。奇異の視線がやや辛かったが、数分で何とか話せるようになった。狙いが低かったせいか口の中は切っていなかった。


「どうして探偵って」

「なり振る舞いからそう見えただけ、それだけよ」

「これ以上は」

「分かっている。尋常じゃないことが起こっている。だからあんなことを言った」

「原文子。アンタは誰だ」

「駒山市立北村中学吹奏楽部の卒業生よ」

「悪い変なことを聞いた」

「こっち見て」

「なんだよ」

「いいから」


 横を向くと肩をぐっと掴まれた。警戒して引くと「もう叩かないから」と言って、自分の頭を俺の額に押し付けた。


「冷たい」


 文子の額は冷たかった。


「こっちは温かいね」

「その何で、第四夜って」

「かすみから連絡が来たの。死んだのに連絡が来るって変よね。そのうち空メールを送るからその時に久宝寺へ第四夜と送って、古寺に会うようにしてって、必要な話は全部古寺がしてくれるから、なんて言ったか後で教えてって」


 額の位置が下がった。鼻の辺りに額がある。


「探偵さんには犯人は分かっているの?」

「まだ分かるとは言えない。ややこしくて推理が出来ない」

「だったらそう伝えるね。古寺は現状ややこしくて推理が出来ないって、ご飯さっさと食べてよ。映画に行くんだから、バリバリの恋愛物観る為に今日、遠回りをしてここに来たのよ」

「そんなのいまさら見てどうする」

「女とはね、日々アップグレードする物なの。色々な男と様々な映画やショーを観て知性を磨き、男の恥ずかしいところを研究して金に換える」

「後半がろくでもなさすぎる」

「金はいいわよ。あればあるほどいいし、何でも買える。狙うは未婚者、性癖がゆがんでいればなお良し」

「需要あんのか」

「三十代の謎多きお姉さまは大学生には大人気よ。体は売らないわよ」

「いつかひどい目に遭うぞ」

「今日で終わりだからいいじゃない。遊べるうちに遊びましょ」


 終わり。もしかして原は殺されるのか、メッセ通りの指示を遂行して秘密を知ったから処分。それを分かって原はやけになっている。

 また俺のせいで誰かが傷つく。止めよう、これは俺の悪い想像だナーバスになっているだけで、誰も死んでいない。


「何、思いつめた顔をしているのよ。あの店は行かないし終わりよ。もう少し身長が低かったら頬に入ったのにアンタの背が高いせいで骨に当たって私も痛かったから損よ。殴ってスッキリとはいかなかったわよ」


 思いつめることは面倒じゃん。東宝の小さなスクリーンで上映された。真ん中も空いていたが、原は本当の隅で見たいといった。

 首がスクリーンをむくのに痛かった。しばらくビンタの厄は響くかもしれない。


「映画の後はカラオケかしら」

「妙に元気だな」

「五十鈴川が死んで、神路があんなことになったでしょ。あの会に来ていたかもしれないのに私はすっかり忘れてああいうことしたから、すっきりしなくてさ。根性無しだから私を襲わないだろうし」

「あんまり舐めているとひどい目に遭わすぞ」

「舐めてないわよ。信頼よ。アンタはそんなことしない」


 カラオケでずっと長渕剛の乾杯を唄われた。がぶがぶと酒を飲み、長渕剛の乾杯を唄う。選曲が渋い。

 せっかくだからと思って、曲をいれようとしたらリモコンを抱え込む。

 最初は上手いと思ったが、上手いと思っても三回目からはさすがにしんどい。しかも酒に酔って段々劣化する。

 携帯を触ると空のコップが飛んでくる。ちゃんと聞けと怒る。七回を超えた辺りから数えなくなった。完全なる無。


 最後、君に幸せあ、で寝た。聞こえなくなった。ぼそぼそと酒、酒と言っている。始発まであと三時間、送らないといけないかもしれないがコイツの実家しか知らない。朝の五時にマンションに行っても迷惑だろうな。カラオケ屋が閉まる前に聞けばいいか。


「幸せそうな笑顔してさ」


 記念に写真を撮った。これくらいは勘弁してください。うるさくて起こしたら厄介だと思い、音量は最小にして朝を待った。きっかり三時間で起き上がった。

 髪はぼさぼさだったが、化粧はさほど崩れていない。そう言えば座面に一度もうつぶせになっていなかった。自然に身についた技術なら大したものだが、乾杯のサビで髪の毛をぐしゃぐしゃ触るのはどうにかした方がいいと思う。

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