第10話 最後まで健全に
「なんでホテルにいるの?」
「は、いないが」
「嘘つけ、朝になってベッドに寝かさているのは男といる時だ。もしやお前女だな」
「なんで俺が女なんだ?」
「男は縛っているはずだからだ」
原はいつの間にか寝る予定の時は男を縛るという自衛方法を思いついたらしい。
「固いぞ。なぜこんなに固い」
「カラオケだからだよ」
「まさかお前、私とカラオケでエッチしたのか」
「飲みながら十回連続乾杯はどこの男でも引くからやめた方がいいぞ」
「帰る」
「帰っていいけど会計してからな。二日酔いの女を放っておくと被害者が増える」
「古寺、お前いいやつだな。やはり好意がまだあるのか。私も罪な女だな」
「新たな被害者を産まない為だ。今くらいのお前なら、まだ縛ることが出来るだろ。行くぞ」
「縄を買って来い。縛ってやる」
「絶対に嫌だ。そんで今日は出勤日だ。帰る」
「もう少し飲もうよ。最後だよ」
「これからまた会えばいいだろう」
「悪いけど、昔関係のあった男とはもう会わないことにしたの」
「なんで俺がフラれた風になっているんだよ。帰るからお前も帰れ」
スーツのすそを指先で掴まれた。俺はため息をついた。二日酔いの女を放って帰るほど俺も鬼では無い。
「家は?」
「瓢箪山」
「なんで梅田にした?」
「久宝寺が古寺は梅田を根城にしているって言ってたから」
「お気遣いどうも」
まだ五時だから何とかなるか、仕事場は大阪市内だし、家に帰れずとも出勤は出来る。ここからだと環状線鶴橋駅で近鉄乗り換えか。瓢箪山にはこの時間は普通しかないか。一時間ならどうにかなるか。
「行くぞ」
「お姫様抱っこ」
これは十回連続で頭を抱えて乾杯した罪を償ってもらおう。
「はいよ」
げらげら笑っていたのはつかの間、コンコースに入ると段々冷静になってきたようで暴れ始めた。降ろせとうるさいので降ろした。
「これで帰れるだろう。鶴橋まで見送ってやる」
「これで最後だよ」
「最後だな」
「うん、最後。こうやって何もせずに送ってくれることも大阪駅でお姫様抱っこをするのも最後」
「結婚でもするのか?」
「来月ね。今ならまだ人妻じゃないから、キスくらいしてあげるよ」
「いらね」
ひどいな、これでも昔好き合った男女かねと横で言っている。
好き合ったか。
ここは聞こえないふりをした方が良さそうだ。確認をして恥をかくより、確認して恥をかかない方が辛い。過去の自分が、現在の自分も、しこりを残したまま別れることになりそうだから、最後。今日で若かったあの日は終わり。
「今、誰が好きなのさ」
「会計課の六田さんは可愛いと思っている」
「嘘、顔はいないって言っている。私にしときなよ、たまに不倫する仲ならいいでしょ」
「五十鈴川の二の舞になったらたまったもんじゃない」
「へぇ」
声のトーンと雰囲気が一気に下がった。
「そこまで知っているんだ。もうアンタも戻れないかもね」
「戻れないってなんだ」
「その手札を出してくれたら、新しい朝に清々しくお別れが出来たのにね。探偵か、納得いった。向いているよ。深みにはまらないように防衛線を張って、弱いから踏みとどまれずに守りたい物と共に落ちてしまう。そんなアンタに俯瞰者は似合っている」
「答えになってない。戻れないってどういうことを」
「俯瞰者にすらなれないなんて、可哀想に。もうここでアンタと私は終わり、撮った寝顔は右手の恋人と一緒に楽しんでね。じゃ」
開いた扉は鶴橋駅だった。最高の笑顔でバイバイと言って、改札を出て行った。それを追いかけることが大きな裏切りに思えて追えなかった。
仕事から帰ってきて、シャワーを浴びてやっと二日分が終わったと思えた。
十一月なのにまだ暑い。テレビをつけると週末に寒気がやってくるらしい。冬物と毛布を出した方がいいかもしれない。寒くなってからだと動きづらい。
久宝寺からメッセが入っていた。どうだったかという報告をしていなかったが、それを書きだす気力が無かった。ベッドに寝転がり、ぼうっとしながら天井を見ていた。
昨日、分かった気がしたのに今やさっぱり何も考えられない。ただ何を分かったのにそんな気がしただけという残滓が脳内に残っている。気持ち悪い。
冷たい物が食べたい。冷蔵庫にはチャンジャと煮干ししか入っていない。たまには野菜が食べたい。総菜でも買いに行くか。気合を入れてジャージに着替えた。
暑いが、近くにスーパーがあるのは助かる。めったに行かないので本当に助かっているのか分からない。酒と氷菓にお菓子はコンビニ頼りで、コチュジャンと煮干しは仕事先の近くにある業務用スーパーで買うので、スーパーに行くとしたらやはり野菜を食べる以外に無い。
だが、スーパーに近づくにつれて心は野菜サラダではなく、ねばねば系のどんぶりになった。既に野菜では無いのだが、後処理が面倒では無いと思ったからだ。おくらにめがぶ、納豆にとろろ。とろろはする器具と皮をむく器具が無かったことを思いだしたが、少しくらい皮があってもいいだろうと思って、かごに入れた。
家に帰って、買い足した氷菓を冷凍庫に入れて俺はねばねばどんぶりの作成にかかった。上に乗せる具材を完成させて思い出した。疲れていたせいで飯を買ってない。棚にあるのは乾燥はるさめ。はるさめどんぶりになった。芋の皮が気になった。やはり疲れている。電話だ。
「はい」
「生きてる?」
「何とか」
「聞いたよ。第四夜終了お疲れ様。また報告会したいな」
「なぁ、これって終わる度に報告会みたいなことをするのか。もし止めたらまた」
「また何?」
思ったことを全部口に出さないこと。それは社会人になって身に着いた技術だ。また命を狙われるのかななんてここで打ったらいけないと本能的に感じ取った。
本当に五十鈴川は俺を探偵にしたかったのか。探偵という縛りをした結果、事が上手く進むと五十鈴川は本気で思っていたのか。
今、考えていることが全部合っているとは思わないが、どれか一つでもかすったらこの状況はとても不思議な物になる。そうする必要があったのか、事件は本当に起こっていたのか。
「何でもない。いや、仕事終わりにずっと時間を取られるのかって言いたかった」
「なるべく配慮するよ。会社員と主婦では時間の進み方も違うだろうし、その配慮は久宝寺にもするつもり、それで探偵さん。何か分かった」
「てんで見当がつかん。五十鈴川は俺に何をさせたいんだ」
「五十鈴川は何かをさせたがっている。だから探偵役にアンタを選んだ」
「なぁ、何で原とは会っていないんだ」
「向こうが忙しくて」
そうか、結婚前にすき間時間はあまり無いよな。
「原が飲み会の時に」
「なに?」
「何でもない」
「気になるじゃん」
何かてきとうなことを言って電話を終えた。向こうはまだ聞きたそうだが、ここは一つ一つ積み上げていかないといけない。これとこれが特級魔物になって、これは証拠になるかけらで、その手札の全てを集めても邪魔な物がある。
明日は休みだが、探偵なら探偵として、道化なら道化として可能性を潰すしかない。
来たくなかった。コープ山の出。怪しい男に囲まれた。
「吾郷さんにお会いしたくて」
そういうと男たちが退いた。様子がおかしい、中には表情が暗いもいる。
「兄ちゃん、あんなに酷いことをしたのに参ってくれるとは申し訳ないな」
あの軽薄そうな青年が机に頭をつけている。
「吾郷さんはどうして」
「頭を後ろからドーン潰されてた後、自宅マンションに練炭で一酸化炭素中毒。どうせ酔っぱらって頭打って、家に帰って秋刀魚焼いたって、確かに好きやったけど。最近変な電話で不在か確かめる電話も少しずつあって」
「ちょっと待った。電話って」
「何か脅されたことは無いけど、吾郷さんがおるかどうかの連絡があって、そういう時はおるということにしているから」
「その聞きにくいんですけど、五十鈴川かすみの件は」
室内が色めきだった。
「山田がうちの系列の端っこに出入りをする奴で、五十鈴川を捕まえてきた。この女やったらどうにでもなるから、金を絞ってくださいって、借金百万円あったからって」
「で、絞ったんでしょ」
「客に出す前に必死に逃げていったってのをうちの社員が見たらしくて、あまりに必死やから怖くて捕まえられんかったって、売られた女に情がいった奴は処分して、山田は逃亡した。先日、兄ちゃんと姉ちゃんは借金返しに来てくれたと思ってたで」
「あの家に帰れますか?」
「うちらがどうにかせんでも、兄ちゃんは相当危ない橋を渡ってるやろ」
「そうみたいですね。そのことを売春宿ってこちらが言って」
「その件を知っていた吾郷さんが好こうても無いのに言い寄られたけったいな女に金を払わんかったって話に繋がるわけよ。あの五十鈴川も山田に入れ込んでたみたいやけど、事情知ってたら金は出さんからな。五十鈴川は死んだんやっけ」
「はい」
「山田も死んでるかもな」
けたけたと笑う青年を正面にここからどうやったら家に帰ることが出来るか俺は脳みそをフル回転させていた。




