第8話 無関係を願えないほどの地獄
「アンタはアンタの地獄を歩んできた。私の話をしよう。このティッシュで顔を拭きな。私には今は家族がいない」
今は、に。含まれた重さが重かった。
「五十鈴川か」
「あぁ、あの女は悪魔だ。五十鈴川が死んでから、旦那が持っていかれた」
五十鈴川が死んだことの情報をどこかの誰かが触れ回った。誰も本気にしなかった。ただの変な話だと思って、聞き流していたら各所で不自然な怪我をする者が増えた。
木皿の旦那はアングラの人間だったが、本気にせずに表の企業に出勤途中で事故に遭った。持病は無かった上に健康体だったのに心筋梗塞が突然起こった。幸い、幸いとは言えないのだが旦那以外に怪我をした人間はいなかった。
ある朝、木皿の家のポストに封書が届いた。開けると紙束と現金十五万。紙束は五十鈴川という女が自分は死ぬがそれを調査する人間が必ず木皿を訪れる。その者に情報を渡せ、じゃないと。
「全員死ぬ。旦那だけで止まらない。笑ってくれ、全部偶然だって、死におかしい点は無かった。でもタイミングがあまりにも悪かった」
死は自然だと言ったのはこの二人きりを作り出す為の方便だった。そうしないと神路は帰らずに一緒に来ただろう。
「十五万の仕事をするしかないじゃないか。子どもがいれば子を守りたいのは絶対だろ」
「アンタ、死ぬだろ」
「どうかな、死ぬかもしれないくらいにとどめて欲しいところだ。五十鈴川の遺言書には吾郷が死ぬと記されている。消印は無かった」
「てことは一件一件、五十鈴川が封書を配り歩いているのか」
「五十鈴川たちの可能性もあるよね」
「一体、何が起こっている」
「それは私にも分からない。どうして古寺とあの男の子が狙われているのか。何か向こうさんにとって都合の悪い真実を知ってしまったのか。恐ろしいね」
「誰が」
「どうせ死ぬ身だ」
死ぬ気だってふざけんな。子どもがいるのだろう。それなのに命を捨てるなよ、ちゃんと生きろよ。
「古寺は意外と正しいらしい。生きろと言われても死ぬことは変わらない。死は隣人だ。子どもをただ残して死ぬわけじゃない。ちゃんと考えている」
いつの間にか車内はいびきすら聞こえないほど静かになっていた。
「お客さん、終点」
顔を上げると制服の男性が立っていた。
「すみません。木皿さん」
そうやって隣を見ると誰も座っていなかった。ただ便箋が一枚。古寺と書かれたものが落ちていた。
慌ててホームに出ると蒸し暑い風とほとんど無人のホームがあった。駅名看板には桂と書かれていた。どこに消えたのかとんと見当もつかない。
「深夜割増で県をまたぐ移動はキツイよ」
駅前からしばらく歩いた近くのネカフェに空きがあった。個室に入って、何も持たずに身を投げ出した。疲れた。おかしいことだらけだ。
持って来た便箋を開けてみることにした。煙のように消え去った木皿という女、幻だったのかもしれないと思わされたくらいの存在だった。
開けてみると、一言。
「気をつけよ。敵は近くに」
「それで木皿はなんて?」
次の休みに電話がかかってきた。あまりにもうるさいので九月の休み予定の中で二連休の休みの初日を出したのだ。俺はもう電話がかかってくるのも、不在を確かめる人間も、つけられることも慣れた。
誰も直接的なことをしてこないし、困ったことも特にない。ただ会社の人が心配で警察に相談へ行こうと誘うのが少し面倒なくらいだ。
「特に、悩みを聞いてもらって終わった」
「子どものことは?」
「いるという話もあった」
嘘は言っていない。いるにはいて、木皿と共に命を狙われている。
「もう手詰まりよ」
「その五十鈴川の遺言書は?」
「あれから送られて来ないし、どうなっているのよ」
送られて来ないなら万々歳だ。平穏な日常に戻る。
敵は近くにいる。それにしても敵はどういう意味だったのか。
「もういいじゃないか」
「アンタはそりゃ何もないでしょうよ。問題は久宝寺よ、久宝寺の事情知ってる? アンタはいいわよ一人だもん、あそこは身重の姉貴がいるのよ」
姉がいるのは知っていたが、東京にいたという話だった。
「里帰り出産よ。久宝寺は心配させるから古寺に伝えるなって、変な電話がかかってきたら、姉も平穏無事ではないでしょうよ」
知らなかった。だって本当にそんな素振りを見せなかったじゃないか。
「ということで知っていることを話しなさい。しばらくは私とアンタで話を進めるわよ。どうせ向こうからやってくるわ」
電話を切った後、しばらくして携帯電話が鳴った。久宝寺からだった。
「もしもしジーコ」
「悪い、俺」
「もう神路さん言うたんやな、心配しなくてもいいよ。有給休暇とってお母さんか僕がそばにおるようにしているから、それよりも変なメッセが来てさ」
変なのは今更だろうと思った。それでもその上でも変だと言うのだろう。俺は何も言わずに久宝寺の話を待った。
「原さんって覚えてる?」
原文子、あの中学と高校の六年間思い続けた中学の吹奏楽部同期だ。
「会いたいって、ジーコに」
その言葉に胸が躍るほど俺の心に若さは無い。いまさら何をという不審感を覚えた。
「それでな、スクショ送るな」
電話をバックグラウンドにして、メッセを見た。そこには久しい挨拶と軽い近況そして、古寺に伝えてくれ。第四夜、明日阪急グランドビル三十階で待つ。と、書かれていた。
「なんで原が第四夜って、こんな対応は神路のが得意やろ」
「分からん。でも原さんが選んだのはジーコやった。会ってくれへんかな、僕は家と会社しか動けんし、なんでか神路さんとは連絡取れないし、もうジーコしかおらんねん」
「急やな」
「時間の変更は聞くって、でも僕を通してくれって」
昔起こした事案に今でも信用されていないのか。それなら俺ではなく、神路の方へ回せばいいのに、泣いて喜ぶぞ。
「明日は十九時以降で伝えてくれ、場所に異存はない」
「了解、また電話する」
次の日、指定された店の前に立った。少し高級な焼鳥屋だった。必要も
関係性の進行も無いのにお金を少し多めに持って行った。もし、フリーだったらと昔の俺が顔を出したのだ。
「待った?」




