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第7話 第三夜、木皿に会え

 目を覚ました。動悸と耳鳴りがうるさい。深呼吸をして、まずは息をついた。夢、どこからが、全部が? 氷菓を我慢した辺りから? 時計を見ると朝の五時だ。おはようございますという声が携帯から響いた。台所にはコップは無かった。


 九回目、十月頭に事態は動いた。余裕を持って集合していた俺たちはさっさと最終の準急に飛び乗った。五号車の三扉前の席に座ろうとすると先客がいた。ピンクのエコバッグを持った若い女性が先に座っていた。


「あのアンタが木皿さん?」

「だったらなんだ」


 声も若かった。これが木皿だと、勝手に老婆と思っていたのは失礼なのは承知だが、拍子抜けした。


「そのこの女が用を」

「五十鈴川かすみの件で」

「死んだのか」

「えぇ」

「文面で利口なのか馬鹿なのか分からない女だった」


 五十鈴川を知っていた。少なくとも俺と久宝寺よりは知っていそうだった。木皿はエコバッグからメンソレータムを取り出し唇に塗った。

 お茶をごくごく飲み、一息ついた。人はどんどん増え、酔っ払いの若者や疲れた様子のサラリーマンでいっぱいになった。ホームで発車メロディーを鳴らして扉が閉まった。



「利口なのを信じているわ」

「遺言書か」

「知っているのね」

「あぁ、あの女は自分が死んだ後に来るから、そいつらを占ってくれと半年前にメールで」

「本当に五十鈴川かすみだったのか」

「さぁね、五十鈴川と名乗ったからそれ以上のことは知らないよ。でも目の前にいるアンタかもしれないね」

「ふざけないで、私はあの子の親友よ。いくら払ったの?」

「十五万」


 俺ののどが引き笑いをした時の音みたく鳴った。


「訳は聞かないよ。こういう世界は深入りをするとろくでもないことを知っているのさ」

「山田という男と五十鈴川が不倫をしていた」

「それで終わりでいいじゃないか」


 そうだ。その通りだ。不倫をしていた終わりだ。裁判をして親権を取ればいいし、慰謝料を逆に請求し、養育費も貰えばいい。それで全部終わりだ。

 今日こうして木皿に会うまでも無く全部終わりだ。良かったな、明らかになって、いかに自分たちが時間を無駄にしたかの確認に時間を取られ過ぎた。


「終わりにしたいけど、それじゃ私たちずっと命を狙われたままよ」


 おい待てよ。変な電話はかかってくるが、命の危険なんて感じた覚えはないぞ。久宝寺を見るとかなり難しい表情をしていた。久宝寺は事前にそんな話をされていたようだ。


「そこの男は信じていないようだけど」


 十三に着いた。次は南方だ。


「信じてなくても前に進むしかないの。この男が仮に死んでも信じているこっちの男の命は救わないと」

「アンタは流れる通過駅を見て、今すぐに誰かが飛び込んで電車が止まればいいのにって思ったことは無いか」

「そんなの無いわよ。人でなしだわ」

「女に聞いてないわよ。そこの信じてない、その」

「古寺だ」

「古寺は思ったことは無いか」

「ある。なぜ聞いた」


 何を言ってんのと神路は俺に詰め寄った。


「価値観の確認さ、死ぬということの」


 電車が速度を落とし始めた。まもなく南方だ。


「私たちが言葉を交わすくらい自然な関係で簡単なことと同時に死はいつでもそばにいる。それと同じくらい私たちは誰かの死を簡単に願う」

「何? それが何よ。私たちが死んでもいいっていうの?」

「私にとってはアンタの生き死になんて知ったことじゃないよ」

「人道に反するわ。人の命は守られて当然よ」

「おかしなことを言うね。さっきそっちの男の命は守って、この古寺の命は捨てたばかりじゃないか」

「それは言葉の綾よ」

「命の選別に人道を謳う人間はするべきじゃないね。私は話を聞く人間は選ぶ権利があると思うよ」

「命は大切よ。丁寧に扱われるべきだわ」

「それは当然のことだ。だが命の終わりは簡単に祈られる。さっきと同じことを言った。無駄なことだ。さて女は死ぬのが怖いか? 怖いならこの件に関わるのは止めておけ」

「でも使命がある」

「十五万前払いだ。話くらい聞いてやる」


 南方の扉が開いた。


「その前にそこの男はどうだ」

「僕?」

「死はいつだって隣人だろう。どう思う」

「僕はよく分からんけど、痛いのは嫌や」


 木皿は体を丸めて笑った。


「本当の人間だな。その感性を大事にするなら、この女が事件を解決するのを家に帰って黙って待っておいた方がいい。南方を出た。淡路までに聞いてやる。で、何がききたい。古寺」

「ちょっと待ってよ。何で私じゃないの?」

「価値観が合う人間と話したいだけだ。二つ聞いてやる」

「分かった」

「あの事聞いてね。絶対よ」

「一つ目、この状態はどこから来た。知らんは無しだ」

「いつから始まったかを考えろ。いつからこの状態が始まったかを冷静に考えるんだ。もう一つは?」

「二つ目、俺たちはどこに行けばいい」

「それは次のターニングポイントという意味か?」

「いや違う。もっとふわっとしたものだ」

「難しいな」


 崇禅寺を過ぎた。まもなく淡路だ。


「今からこの電車に乗って私に着いてこい。その代わり、そこの男と女は連れて来るな」

「古寺、ダメよ。どうせ連れ込まれたと言って警察に通報するだけよ」

「安心しろ。家まで着いてこいとは言わない」

「あの明日仕事だし、タクシー代」

「車で送ってやる。旦那が」

「アンタ既婚者だったの?」


 電車は減速を始めた。


「古寺としか話さない」

「絶対に聞くのよ。次にどこに行けばいいか、じゃないと久宝寺も死ぬわよ」


 久宝寺が死ぬだと。命の危機は俺だけで十分だ。


「そうやってずるいことをするのだな。古寺があまりに不憫だ」

「絶対に聞くのよ。絶対よ」


 淡路には同じホームに北千里行きの最終が止まっているが、天下茶屋方面に乗るだろう。扉が開いて、急ぎ足の二人は俺を見て電車を降りた。

 扉が閉まった。車内が少し空いたので、誘われるまま俺は木皿の横に座った。


「それで古寺。色々教えておくれ」


 教えたら命が危ないとこの木皿という女が言っていた。


「なんだ。私の身を案じているのか」

「アンタは若い女だからという言い訳は通じるか」

「いささか私を不快にするがね」

「同世代が先に一人死んでいる。こらえてくれ」

「いいだろう。許そう。それで死の話をしよう。古寺はどう思う」

「死は望まれて訪れる事も、望まれて願われる事も自然だが、それが全てでは無い。自己責任だけではなく、起こす理由になった家族や他の友人も関係はあるはずだ」


 木皿はクスクス笑った。大声で笑いたいのを我慢しているようだった。


「何と言うか、途中まで一緒だったから同一だと思っていたが、少々違うようだ。お前の方が優しいのだな」

「旦那なんていないだろう」

「久宝寺なんて好きじゃないだろう」


 お互いの急所をついてつかれた気がした。


「木皿から話せよ」

「お前からだ」

「じゃんけんしよう」


 何回勝っても三回勝負が五回に変わり七回に変わった。


「いい。俺から話す」

「いいだろう」

「俺は久宝寺が憎い」



 他のメンバーに元々よくされていたのは、俺が久宝寺と同じ高校で同じ吹奏楽部だったからで、連れて来る可能性があったからだ。


 五十鈴川の葬儀も久宝寺の周りに人が集まり、俺は一人だった。中学校を卒業して二十五年。そのうちたった十年でみんなの態度が変わった。


 陰口で「本当にあいつ久宝寺先輩を連れて来るかね」と、言ったのは少しこたえた。久宝寺があってしか俺は見てもらえない。


 付き合いが長くなるほど久宝寺の善人さが自分の矮小さを見せつけられるように苦しかった。


 久宝寺無しで、久宝寺が来るという期待を込められたから卒業生、中学生連中から、あだ名をつけられて、ちやほやされて、親しみを持たれて、連絡先を交換しても行きつく話題は久宝寺のこと。


 久宝寺先輩ってどんな先輩ですか。久宝寺先輩と吹いていたんですよね。トランペットの後輩で他の後輩から人気のある鮎川も久宝寺を支持していたから、見たことのない久宝寺へ期待するメンバーを見た。


 久宝寺のせいだ。久宝寺の野郎。久宝寺が全部悪い。ただの善人かぶれだ。久宝寺の馬鹿野郎。いなくなってしまえ。みんな何で俺を見てくれない。久宝寺のことばかり気にするなよ。俺を見てくれよ。久宝寺から見たちっぽけな俺じゃない。ちゃんと俺を見てくれよ。



「小さい人間だね。でもあまりにも人間臭いや」


 ボロボロと涙をこぼしていた。軽く肩を抱かれ抱擁された。

 周りの客は減ってしまっていた。ほとんどが寝息を立てて、こちらを見ている乗客はいなかった。

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