第3話 第一夜、古寺直樹と久宝寺春也と神路野江を集めよ
久宝寺の顔色が普段より暗い。このように緊張している久宝寺を見るのは初めてだった。観る映画を考えている様子では無い。
何か嫌な予感がした。今すぐに逃げ出して、何事も無かったように映画を観て、この神路を振り切って家に帰りたい。心の底から思った。だが、現実は非情だった。
「四つ目、なぜ五十鈴川は事件の解決を遺言書で古寺に託したのか」
中津にある喫茶店に向かったのは理由あってのことだった。久宝寺が信用出来る。なおかつ静かなところとして案内したのが喫茶ナンバーという店だ。
そもそも今日、珍しく呼び出されてウキウキしたのも、映画に行く想像をしていたのに裏切られたことも、思えば自分の期待したことだったが、神路に怒りがわいた。
「ジーコ、ホンマにごめん」
「神路どうしてくれる」
「うちに言われても、この場を設定したのはうちちゃうし、全部この遺言書に書いてある。これはコピーやけど」
「第一夜、古寺直樹と久宝寺春也と神路野江を集めよ」
「ふざけているな。付き合ってられん」
立ち上がることが出来なかった。マスターがミックスジュースを持って来た。
「神路、話したらもう戻れないことは無いわな」
「もう引き返されんよ。遺言書はコピーや言うたやろ。五十鈴川かすみの手によって、色んなところにまかれている。ほれ、この着信履歴。全部、五十鈴川の関係者や。アイツ、先に犯人見つけた奴に隠し遺産を寄越す言いおったみたいや。うちらかて、安心なわけないやないで」
五十鈴川は五十鈴川かすみという名だったのか。
「やったらどうすんねん」
「もう見つけるか、高飛びするしかない」
「そんなん五十鈴川の勝手やろ。久宝寺帰ろ」
「うちの家の前に昨日、知らん男が居座った。警察帰ったらまた知らん男が来て、警察呼んだ」
久宝寺の顔が暗かったのはそのせいだろう。
「そんなアホな、ふざけているやろ。こんな遺言書? に目の色変えて関係者? が引っ掻き回すって」
「五十鈴川の頭はよく切れていたらしい。久宝寺の家に変な奴が来ることも、古寺の怒りも書いてある」
「その紙束読ませろ」
「私も全部持って来て無いからこんだけ」
そのままでは無かったが、大方今神路が言った通りだった。ご丁寧にミックスジュースで黙るとも書いてあった。頼んだのは久宝寺だ。ミックスジュースとぼやくと久宝寺は申し訳無いと首肯した。
「そのうち会社に連絡が行くかも」
「それは困る」
仕事場の関係性は可もなく不可もなしだが、この件で昇給に難が出るとかなり困る。怖いおにいさんに来られると厄介だ。
「何とかしてくれ」
「何とかするのはうちらしか出来ない。この遺言書通りにことを進めると厄介なことは起こらんって」
別れた次の日から不審な電話やおかしな訪問客が少し増えた。そう思ってしまうと、誰かから見られている気もしていて、気疲れしてしまった。六月に入ってしばらくした時に、限界を迎えていた久宝寺から連絡が入った。
「限界や、仕事先にも連絡が来た。五十鈴川の言う通りにしよ」
会社にも怖いおにいさんは来ないまでも電話は増えた。どれも不在かどうかを確かめる物で、かけ直しても全部つながらなかった。神路に連絡するとナンバーへ集合することになった。
「第二夜、早間町の吾郷と会え」
「第二夜って何や?」
「知らん、ただこの件を調べている間は何もない。とりあえず早間町の吾郷やな」
「あごうってのは、どういう漢字を?」
「差し当って重要でない。探偵さん」
「早間町に行けばええんやな。それで吾郷ってのは、どこにおる?」
「アンタ、アホやな。早間町やがな」
「だから、早間町のどこにおんねん」
「コープ山の出五階の一号室。全部遺言書に書いてあった」
遺言書というのは本当にあるのだろうか。この神路に全て踊らされていて、本当に無い遺言書とグルになっている山田の自作自演で、俺たちは狂気の場に誘い込まれているだけではないのか。
「遺言書って、ホンマにあの後にあるんか?」
「あるけど、送られて来る」
は? 思わず声が出た。ますます自作自演説が濃厚になってきた。明日くらいにでも警察に相談しよう。どう相談すればいいのだろうか。
証拠も無い、ただ会社に不審な電話や不審な訪問者が来るということを相談すればいいのか。もう三十も過ぎた。もう部長補佐くらいにはなっておきたい。たまったもんじゃない。
「メール見てみ」
中には探偵からの調査結果と若い男が山田と一緒にいるところを撮られた写真が貼ってあった。
これが吾郷か、どう見ても借金の催促をしているようにしか思えない。写真のふちには十二月二十九日と書いてある。この頃にはもう首は回りにくくなっていたのかもしれない。
「そもそもさ、おかしいねんけど。何で五十鈴川の痕跡を追うわけ? 山田はともかく五十鈴川なんて恨んでも同然やろ。何をそんな一生懸命に調査するわけ?」
久宝寺の意見は最もだ。夫の不倫相手の遺言書に何をそんな焦ることがある。
「事情や」
「事情って?」
「子どもを山田に盗られとる。さっさと退園手続きと十万置いて逃げられた」
「それこそ警察に」
「法テラスは?」
「行った。弁護士もつけた。でもどこにおるか、そもそも存在しているかすら分からん」
おいおい、待ってくれよ。神路のホンマにおるか分からん子どもを取り返す為に俺たちは動かされ、脅かされているのか。存在しているかすら分からんってなんやその暴論。こちらの表情を見て察したのか。携帯を寄越した。
画像には「ママごめんね」と書かれた。いや書かされたのかもしれない紙。
「これでも存在を疑う?」
久宝寺はうつむいて、ごめんと言った。俺はまだ信じていない、これが全て神路の妄言であることを俺は疑っている。そもそも探偵役というのが気に入らない。何を解決すればいいのだ。
実害は家や会社に電話が入り、見張られ尾行されることくらいだ。くらいで済まされないのだが、何をどうしたら探偵をすることになる。
「いいよ。信じてもらうには今から行動するかどうかやから」
神路の席からトイレの前まで久宝寺を誘い出した。
「やっぱりあかん。あれは病気やって」
「でもそんなこと言うても子どもの話はホンマっぽいし」
「嘘の可能性があるやろ。考えろ、神路は何で俺らを巻き込むよ。しかも俺なんかを探偵にするってアホらしい」
「ホンマの意味で奪いきりたいねんやろ」
「ホンマって」
「それを考えて、神路は色々なことを明らかにして立ち向かって勝ちたいとか、想像しか出来ないけど」
そんなことのもしかしての何かに巻き込まれてしまうなんて迷惑過ぎる。仕返しも略奪も俺たちの知らないところでして欲しい。何で俺たちなんだ、五十鈴川。
何で俺たちを巻き込んだ。俺なんて、お前のことを全然覚えていない。お前とは違う世界で一生懸命に生きてきた。なんで、俺たちを巻き込む。どうして心を不穏にする。
鼻つまみ者の俺から奪えるものはないだろ。まさか久宝寺の身を危険にさらすのが目的なのか。五十鈴川と久宝寺に何の関係があるんだ。何も分からない。
「話は済んだ? おトイレにしては長かったけど」
「俺はこの第二夜に乗ってやる。いいか、信用したわけではないぞ。本当に何も起こらないか確認するだけだ」
「その大口はいつまで続くかしら」
「何か、女親分と交渉人みたいになっているね」
そんなことがあってたまるか。そう思って、久宝寺をにらみつけた。
「その前に何で、旦那の不倫相手の五十鈴川にこんなに執着するか教えてくれんと」
「乗るっていうたやん、嘘つき」
「ということは言ったら都合悪いんか。普通に考えたらな。山田から慰謝料を貰える立場にある。それに実際に子ども盗られたんなら、そっちの交渉を弁護士と詰めるのが先や、こんな旦那の不倫相手の遺言書? その通りにしている時間なんて無いやろ」
「分かってない。お前はなんも分かってない。弁護士から連絡が来るのは毎日毎時間じゃない。かかってこない間、ずっと私は家の中で五十鈴川かすみの幻影におびえている。私にとっては挑戦状なんやどうしても奪えんやろ。子どもと山田を奪い取ってみろ言う、挑戦状なんや」
「やっぱりおかしい。なんで俺なんや、なんで俺が? お前らのことを全然覚えていない俺が探偵? おかしいやろ。そんなもん他のやつにさせて俺はなんも関係ないで終わりでええやろ。やのに俺に変な役目つけて逃げられんように細工しようとしとる神経を疑うわ」
「それはまさか五十鈴川はアンタを指名すると思っていなくて」
「理由は何や、何で俺やねん。で、何で俺には遺言書は届かんねん」
「親友の私に五十鈴川かすみは全てを託したんや」
「だから破綻している。なんで明らかに悪い五十鈴川の肩をお前が持つねん」
「親友やからや、悪いか」
「不倫相手やぞ」
「あー、そんなこと言うな。犯人がおるんや、やからその可能性に賭けている」
親友が実は不倫していなくて、他の下手人がいると踏んでいるのか。
「なんで俺に連絡が来ない」
「五十鈴川がアンタの連絡先を知らんからや。ウチだけ高校を卒業してから絡みがあった。かすみとウチと原。親友や思っていた。結婚するって話もしたら二人ともめちゃくちゃ喜んでくれた。有志一同が花を出して、笑えるで花出したら飯食っていいと思っている奴ら」
「それで裏切られたわけやな」
神路は悲しそうに俯いた。これくらいは言わせてもらわないと納得のスタートラインにすら立てない。




