第4話 安く使っていた会社から、百二十万円で呼ばれました
里帆が抜けたあと、東都リビングソリューションでは、少しずつ問題が表面化していきます。
「瀬川さんが細かく見ていたので」
その一言で、会社はようやく気づき始めます。
安く扱っていた仕事は、本当に“誰でもできる仕事”だったのか。
今回は、里帆を便利に使っていた会社が、彼女の本当の価値を知る回です。
最初に起きたのは、納期確認の漏れだった。
佐久間が発注期限を一日遅らせた。
大成ホーム側の仕様変更も、最新版の資料に反映されていなかった。
宮原はすぐに気づき、東都側へ問い合わせた。
佐久間は慌てた。
奈々は引き継ぎ資料を開いたが、どこを読めばいいかわからず、奥村に相談した。
奥村は不機嫌そうに言った。
「瀬川さんの資料、細かすぎるんだよ」
だが、細かすぎるのではない。
その仕事が、最初から細かかったのだ。
二週間後、東都リビングソリューションは、大成ホームから役員宛の正式なクレームレターを受け取った。
宛名は営業部長ではなく、代表取締役だった。
初回発注期限の認識違い。
仕様変更の未反映。
合意事項の記録漏れ。
さらに、担当者によって説明内容が変わることへの不信感。
文面は冷静だった。
だからこそ、重かった。
契約そのものは即時解除されなかった。
しかし、大成ホームは次回以降の追加発注を一時停止し、東都リビングソリューションに再発防止策の提出を求めた。
その知らせは、社内に重く広がった。
奥村は営業部長会議で詰められた。
「なぜ初回からこんなミスが出るんだ」
「提案時の資料精度と、実務の精度が違いすぎる」
「役員宛にクレームレターが届くということの重さを理解しているのか」
「誰が管理していた案件なんだ」
奥村は答えに詰まった。
佐久間は言った。
「以前は瀬川さんが細かく見ていたので」
その瞬間、会議室の空気が変わった。
「瀬川さんとは?」
「先月退職した営業企画のアシスタントです」
「アシスタント?」
役員の一人が眉をひそめた。
「そのアシスタントが抜けただけで、大型案件が回らなくなったのか」
誰も答えなかった。
その日の夜、里帆のスマホに奥村から電話が来た。
画面に表示された名前を見て、里帆はしばらく眺めた。
出ないという選択肢もあった。
しかし、里帆は出た。
「瀬川です」
「あ、瀬川さん。久しぶり」
奥村の声は、いつもより少し柔らかかった。
「お久しぶりです」
「元気にしてる?」
「はい」
「実はさ、大成ホームの件で少し相談があって」
里帆は黙った。
奥村は続けた。
「引き継ぎ資料は見てるんだけど、やっぱり実務のところがわかりにくくてね。少しだけ手伝ってもらえないかな」
「私は退職しております」
「もちろん、無償でとは言わないよ。謝礼は出すから」
「業務委託ということでしょうか」
「ああ、まあ、そうだね」
里帆はパソコンを開いた。
「では、業務範囲を確認のうえ、見積書をお送りします」
電話の向こうで、奥村が少し笑った。
「見積書って、そんな大げさな。以前の会社なんだから、もう少し気軽に」
「以前の会社だからこそ、正式にお願いします」
奥村は黙った。
「わかった。じゃあ送って」
「承知しました」
電話を切ったあと、里帆は少しだけ手を止めた。
胸がざわついていた。
戻ってきてほしい。
手伝ってほしい。
そう言われることを、どこかで待っていたのかもしれない。
だが、もう戻るつもりはなかった。
里帆は見積書を作った。
業務内容は、大成ホーム案件に関する進行管理の再設計、資料レビュー、担当者向けレクチャー、初回一か月。
金額は、百二十万円。
さらに、緊急対応は別料金。
里帆は送信した。
翌朝、奥村から電話が来た。
「瀬川さん、見積見たんだけど」
「はい」
「これは、ちょっと高すぎないかな」
「そうでしょうか」
「一か月で百二十万って、会社員時代の給料の何倍だと思ってるの」
里帆は静かに答えた。
「会社員時代の給料が、私の仕事の価値を正しく表していたとは思っておりません」
奥村は言葉に詰まった。
「いや、でも、元社員なんだからさ」
「元社員だからこそ、業務の難易度は理解しています。そのうえでの金額です」
「もう少し下げられない?」
「業務範囲を減らせば可能です」
「じゃあ、最低限でいいから」
「最低限とは、どこまででしょうか」
奥村は黙った。
その沈黙に、里帆は苦笑しそうになった。
彼らはいつもそうだった。
何が必要なのかを決めない。
どこまで頼むのかを言わない。
ただ「いい感じに」「なるべく早く」「できる範囲で」と言う。
その曖昧さを、里帆が十年かけて埋めてきた。
「奥村部長」
里帆は、もう部長と呼ぶ必要がないことに気づいた。
でも、あえてそう呼んだ。
「私は以前、御社で同じような業務を担当していました。そのときは、職務範囲が曖昧なまま、多くの業務を引き受けていました」
「それは、みんな助かってたよ」
「はい。助かっていたのだと思います」
里帆は一拍置いた。
「でも、評価はされませんでした」
電話の向こうが静かになった。
「今後は、助かるかどうかではなく、業務として必要かどうかで判断してください。必要であれば、見積書の条件でお受けします。不要であれば、ご依頼は辞退いたします」
奥村は低い声で言った。
「ずいぶん変わったね」
「変わったのではありません」
里帆は言った。
「戻ったんです。本来の自分の値段に」
その日の夕方、東都リビングソリューションから正式に発注書が届いた。
見積金額は、満額で承認されていた。
しかもそれは、役員承認を経た正式発注だった。
里帆はしばらく画面を見つめた。
勝った、とは思わなかった。
ただ、終わったのだと思った。
安く扱われていた時間が。
便利な人として消費されていた時間が。
ようやく終わった。
翌週、里帆は外部コンサルタントとして、東都リビングソリューションの会議室に入った。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
「会社員時代の給料が、私の仕事の価値を正しく表していたとは思っておりません」
里帆はもう、自分を安く差し出しませんでした。
そしてついに、満額で発注書が届きます。
次話、里帆は“外部コンサルタント”として、かつて自分を評価しなかった会社の会議室に入ります。




