『8ヶ月目』
今年も後数日で終わる。
最上階にある灯台の照明を点検しながら今までの事を振り返る。
飯島にとっては決して小さくは無い出来事があった。仕事を辞め、地元に戻り、今は灯台守として雇われている―――50半ばを過ぎてから生活や職場、住環境の全てが変わっていた。
「‥‥‥‥‥‥寒いな」
マニュアルに沿った通常点検を終え、雪の降る海を眺める。厚ぼったい灰色の雲が、海の上に重くのしかかっているように見える。海は少し波があり、陸地にある雪を少しずつ削っているように見えた。
「去年の今頃は、何をしていたのか‥‥‥」
雪を見ていると何となく昔を思い出す。
思い出したくはない記憶だが、それでも自分の生きてきた軌跡であり、既に過去の事となっている。今の自分を追ってまで苛むものではないと思った。
「去年か‥‥‥‥‥‥去年‥‥‥?」
ふと気が付く。
去年の事がぼんやりとしか思い出すことが出来ない。年末まで仕事をしていたことは覚えている。上は休み、下も休みに入る中、自分だけが遅く仕事を納めをしていた。
そして年明けの仕事始めにやってくる面倒事に辟易することも毎年の事であった。
―――しかし、去年はそんな経験をしていただろうか?
「‥‥‥いや、仕事を辞めていたんだから、覚えがないことも当然か‥‥‥」
去年か今年か―――その線引きは少し曖昧だがそこを気にしていても仕方がない。
いちいち気にするほど若くも無い、と自分に言い聞かせる。
今は灯台守として働いている。今後は分からないが、今やれることをこなすだけだと考えを改め、階段に向かう。
「‥‥‥‥‥‥」
虫の知らせか、階段に降りる直前に振り返り、灰色の景色を視界に入れる。
天候も海も何も変わりはない。だが、何かが灯台守をじっと見つめているような気がしてならなかった。
「気味が悪いな‥‥‥」
気温以外の要因で寒気を覚える。
灯台守として働くようになってから奇妙な事を何度か経験してきたが、この怖気だけはいつまで経っても慣れない。
「‥‥‥‥‥‥後4ヶ月の辛抱だ‥‥‥」
1年という契約は2/3を越えている。契約が満了したら別の仕事を斡旋してもらい、この灯台から離れるだけで良い。それで不可解なものに恐れながら過ごす日々とは決別出来るのだ。
――――――――――――――――――――
『灯台が出来る前は、小さな診療所があったのです』
数カ月前、担当者から聞いた話だ。
戦前、島には小さな診療所があったそうだ。
小船で来ることも難しい離島に、何故そのような施設が建てられていたのかは定かではない。
1960年代前半頃、既に廃墟となっていた診療所を壊した跡地に灯台を建設したらしい。
その後1度だけ改修が入り、現在に至る。
『飯島さんが赴任する前にも灯台守の方は何人もいました。赴任期間はまちまちですが、大体は1年から3年程度で代替わりをしています』
『人によって程度の差はありますが、いずれの灯台守も不可解な現象を経験しているそうです』
『無線に謎の声が入る‥‥‥海の真ん中に得体の知れないものが見えた‥‥‥見知らぬ人物が敷地内を歩いていた、など‥‥‥様々な事象が確認されていました』
『何故それを最初に説明してくれなかったのですか?』
『面接の段階で質問が無かったからです。それに、書類にはきちんと明記されておりますよ』
『確かにそうですが‥‥‥っ!』
『勿論、その場合の手当というものも付きます‥‥‥想定外の現象が起きた場合、その報告と記録を詳細に残す事‥‥‥それが確認出来た時点で別途報酬を上乗せしております』
『‥‥‥』
『灯台守として1年赴任して頂く‥‥‥既に契約も交わされています。我々も貴方が仕事を途中で投げ出さない方であると判断したため、このような特殊な仕事をお願いしました‥‥‥途中で辞められるとなると‥‥‥』
『‥‥‥‥‥‥もしもの場合は、安全を保証していただけるのでしょうか?』
『出来る限りは保証いたしましょう』
『分かりました‥‥‥受けた以上は満了日まで勤めさせて頂きます‥‥‥ですが、その後は‥‥‥』
『ええ、その後は別のお仕事を紹介させて頂きます。ご安心を‥‥‥』
『ありがとうございます‥‥‥それと、灯台のことについて他に把握していることはありませんか?出来れば聞かせて頂きたいのですが‥‥‥』
『構いませんよ‥‥‥とはいっても、我々も詳しいことは分かりません。それでよければ‥‥‥』
『お願いします。自分の職場について‥‥‥少しでも知っておきたいのです』
『分かりました‥‥‥我々が把握している情報によると、灯台が建てられる前に存在した診療所というものは‥‥‥』
――――――――――――――――――――
「まさか曰く付きの土地だったとな‥‥‥」
点検を終えて定時連絡を済ませた後、ソファに全身を預けながら数ヶ月前の遣り取りを思い出していた。
今でも桜井に向けて言いたいことはあるが、納得した上で契約を結んだ以上は従うしかない。
考えているだけで肚の奥底に不安が重くのしかかる。
【ブツッ、ザァーーーーーー】
【ブツッ】
【―――ぃし、かの山―――小鮒釣りし― かの川―――夢は今も めぐりて―――忘れがたき― 故郷―――】
「‥‥‥」
沈みかかった気分を変えるためにラジオの電源を入れると、流行りのものとは明らかに違う歌が流れていた。
どうやら童謡を特集している番組であるらしい。独特な曲調を聞くだけで、名前がすっと頭に思い浮かぶ。
―――ふるさと
どこか郷愁を誘う曲と歌詞に、言葉に出来ない感情を湧き起こる。
懐かしい地元の風景、生まれ育った生家、そして家族―――
―――愛されていた、筈。
しかし、いくら思い出そうとしても彼らの顔を思い出すことが出来ない。
「‥‥‥‥‥‥」
溜息をつく。
この年にもなって昔を―――それも家族の事を懐かしむとは思わなかった。思い出は既に過去のものとして心の奥底に仕舞い込んでいる。いまさら意識するまでもないもの。
気が付くと歌は終わっており、次の童謡が流れ始めていた。
【―――通りゃんせ 通りゃんせ ここはどこの 細道じゃ 天神さまの 細道じゃ ちっと通して 下しゃんせ 御用のないもの 通しゃせぬ この子の七つの お祝いに お札を納めに まいります 行きはよいよい 帰りはこわい―――】
次に流れた歌にも聞き覚えがあった。
“通りゃんせ”―――意味については諸説あるとされるが、歌詞の通りに読み解くと、子どもの為に親が神社へとお参りに行くというもの。
親の感謝と優しさに溢れる歌だが、後半の歌詞については長らく疑問が残っていた。
”誰と問答をしているのか“
”行きはよい、帰りはこわい“
これらは一体何を示しているものなのか。
子どもの頃から歌の意味が分からず、薄気味悪いものという印象があった。
「良い歌ではあると思うが‥‥‥どうにも好きになれんな‥‥‥」
素朴でありながらも、何処か浮世離れした雰囲気のある曲と歌詞に一種の神秘性を感じる事もまた事実。思わず口ずさみたくなる気持ちも分かるが、どうにも好きにはなれなかった。
【こわいながらも 通りゃんせ 通りゃんせ―――ブツッ ザァーーーーーーーー】
【ーーブブッ―――通りゃんせ 通りゃんせ―――】
「またか?‥‥‥いや、これは‥‥‥」
歌が終わってからラジオに手を伸ばす。
しかし、ラジオは短いノイズ音の後、再び“通りゃんせ”を流し始めていた。
―――瞬間、背中に嫌な汗が流れる。
誰かに見られている。
「‥‥‥すぅ‥‥‥ふぅぅ‥‥‥」
ソファに座りながら、気を落ち着けるために深呼吸を行う。
静かに、取り乱さず、そのまま自然体で待ち構える―――それが最善。
【ブーーーーーーーーーーー】
「っ‥‥‥!?」
耳障りな呼出音が鳴り響く。
陸地から誰かが来た―――それはありえない。事前の連絡も予定も無いからだ。
身体をこわばらせながら、部屋の扉を見つめる。灯台の出入り口と同様に鍵は常に閉めている。古さはあるものの建付けがしっかりとしているため、壊されない限りは時間を稼ぐことが出来る―――逃げ場は限られているが。
「‥‥‥‥‥‥」
何者かの来訪に備えて神経を研ぎ澄ませていたが、呼出音は一度きり。その後の反応は無い。
警戒しながらソファから立ち上がり、ゆっくりと電話の方へと向かう。
明らかな異常と判断し、監視施設の人間に助けを求める事にした。
【ツー ツー ツー 】
呼出音とは違う機械音は、相手の電話に繋がっていない事を示していた。
「‥‥‥‥‥‥繋がらない‥‥‥」
叫びたい気持ちを抑えながら、電話を切る、取るの動作を繰り返す。
しかし結果は変わらず、無機質な音を垂れ流していた。
「‥‥‥‥‥‥見に行くしか、無いか」
連絡を諦め、扉の前まで静かに移動し外の様子を窺う。扉越しではあるが怪しい気配は感じられない。
手に力を込めながら、恐る恐る扉を開ける。
灯台の内壁と柵の一部分が視界に入る―――後は外気が顔を撫でるだけで、怪しいものは見当たらなかった。
「‥‥‥ふぅぅ‥‥‥」
周囲を警戒しながら、一歩ずつ部屋の外へと進む。
いつでも部屋に逃げ込めるように扉は開け放ち、そのまま階段の柵越しに階下にある出入り口を見た。
10〜15m程度下にある灯台の扉は、予定していない来客を拒むかのように固く閉ざされたままであり、本来の役目を十全に果たしていた。
「‥‥‥誰もいない、か‥‥‥」
誰もいない安心感と恐怖感を混在させながら、階段を降りる。絶えず周囲を警戒していたが、依然として怪しい気配は無い。
時間を掛けて階下に辿り着く。
扉、内壁、コンクリートの床―――異常は無いように思える。
「‥‥‥‥‥‥接触不良か?‥‥‥」
考えにくい事ではあるが、灯台自体が古い建物であるため、ありえない話では無い。
一番可能性の高い理屈で心の均衡を保とうとした時、見慣れないものを視界の端で捉えてしまう―――土埃で汚れた床。その一角にある、薄い四角形の線。
怪訝に思いつつ、ゆっくりとその場所へと向かう。
四角形は飯島の身体がすっぽりと収まる程度のもの。良く見ると溝が掘られていることが分かる。
原因は分からないが、溝に溜まっていた土埃が取り除かれ、彼の目に入ったようである。
「‥‥‥何だこれは?」
その場でしゃがみ込み、床を叩く。硬質な音が響き渡るが、四角形の内と外では微妙に音の質が違う。
「地下室か‥‥‥?」
地下室―――灯台へ赴任するに当たって地下があるとは聞かされてはいない。それにマニュアルに記載されていた灯台内部の図にも地下空間を示す部分は見当たらなかった。
「‥‥‥‥‥‥」
指で溝をなぞりながら考える。
扉―――とも言えない。もしそうであれば、ノブや取っ掛かりがある筈。
“普通に開けることが出来ないように設計されているのではないか”と考えてしまった。
「‥‥‥馬鹿な、一体何を考えて‥‥‥」
見なかった事にする。
無視を決めこもうとしたが、一度気になってしまうと忘れることが出来ない。
もう一度、四角形を見る―――溝の厚さは僅か数mm。薄い鉄板のようなものを差し込めばこじ開ける事が出来るのではないかと考える。
「‥‥‥‥‥‥」
危険な誘惑を振り切り、階段へと向かう。
階下には異常は無かった―――まずは連絡が先であると判断し、詰め所へと戻ることにした。
――――――――――――――――――――
「‥‥‥駄目か」
電話を戻す。担当者には繋がらなかった。
「何が起きているんだ‥‥‥」
詰め所に戻った後、ラジオはいつの間にか雑音を流す機械となっていた。電源を切り、直ぐに電話で連絡を取る。
時間は経っている。今なら繋がるはずだと心の何処かで期待していたが、電話を手に取ってから間もなく落胆へと変わっていた。
連絡を諦め、呆然と立ち尽くしていた灯台守の視線の先にはスチール製のキャビネット。中には設備に関するマニュアルの他、予備の工具類が収納されていることを思い出す。
気が付けば、飯島はキャビネットの戸を開け
、中の工具箱に手を伸ばしていた。
「何を考えているんだ‥‥‥」
自問自答しながらも工具箱はしっかりと手の中に握られている。まるで誰かに指示されているかのように、ぎこちない動作ながらソファの方へと移動し、テーブルの上で工具箱の中身を確認する。
各種絶縁ドライバー、ペンチ、ニッパー、モンキーレンチ‥‥‥その他計測用の工具や検電器など最低限のものが揃っていた。
「‥‥‥」
天井を仰ぎ見る。
自分でも馬鹿なことしていると分かる。何しろ曰く付きの土地の上に建てられた灯台―――その地下に何かがあるとしたら碌なものでは無いことは火を見るよりも明らか。
しかし飯島の好奇心は、理性に反してゆっくりと前へと進んでいる―――灯台の地下から漠然とした何かを感じ取っていたからだ。
「‥‥‥何故、今になって気が付いた?」
灯台守として赴任してから8ヶ月。1年に満たないとはいえ業務の関係上、灯台の内部を把握する必要があった。
灯台を稼働させるための設備と僅かな居住スペースがあるだけの建物。見慣れるまでさほど時間はかからない―――だからこそ灯台の地下空間が気になる。
長い年月を掛けて土埃が堆積した結果、人目に付かないようになっていたのであればまだ良い。だが、見た時に感じた印象は違う―――知らない人間が入り込まないよう、意図的に隠されていた気がしてならない。
「‥‥‥」
答えは出ない。
もしかしたら気が付いた人間もいたのかもしれないが、少なくとも過去数十年は人の手が入った形跡は見られなかった―――今日までは。
「呼ばれているのか‥‥‥?」
何者かの視線から始まり、ラジオの異常、謎の呼び出し、連絡の途絶―――関係性の無いものが、何故か地下室へと収束しているように思えた。
「‥‥‥‥‥‥はぁ」
溜息をつく。
碌な事にならないことは確実。だが、自分自身の目で見ないことには心が落ち着かない。
薄気味悪さを感じながらも、工具箱片手に階下を目指す―――目的は地下室の確認。
飯島が部屋を出た後、ラジオが勝手に音を発し始める。
流れた曲は―――”通りゃんせ”
彼には、聞こえていなかった。
――――――――――――――――――――
「驚いた‥‥‥こんな所に階段があるなんて‥‥‥」
重たい蓋をずらし、床に現れた穴を見ながら驚きの声を上げる。穴の先にはコンクリートの階段と暗い空間が見えていた。
黴と埃の臭いの他に、言葉にし難い臭いが混じっている。
先に進むな―――本能が飯島に告げているが、今の彼には届かない。
地下への入り口を見た時から何かに取り憑かれていたのかもしれない。
息を飲みながら、懐中電灯を片手に地下空間へと繋がる階段を降りる。低い天井も壁も全てがコンクリート。予想通り、長期間人が通った形跡は無い。懐中電灯の明かりで先を照らすが、灰色の床しか見えなかった。
「ここは‥‥‥行き止まりか?」
20段程降りたところで床を踏む。
四方がコンクリートで囲まれている4〜6畳程度の空間―――目立つものは何も無い。
「‥‥‥ふぅぅぅ‥‥‥」
全身から力を抜き、息を吐く。
拍子抜けというよりも、何も無かったという安心感が強い。
もしかしたらという想像だけが先行し、過剰に恐怖感を抱いていたのかもしれない―――
そう自分に言い聞かせながら最後に室内をぐるりと見渡す。
壁、壁、壁、壁‥‥‥四方は壁に囲まれている。
変わりは無い―――
―――明らかにおかしい部分があった
「‥‥‥階段が、消えた?」
事実を受け止める迄に10秒程かかった。
そして階段があった場所の壁をくまなく調べる。いくら調べても結果は変わらない。
「嘘だろ‥‥‥ありえない‥‥‥」
懐中電灯を持つ手が震える。
認めたくは無い。しかし、既に頭では理解していた。
自分は石棺の中へと閉じ込められてしまった、と。
――――――――――――――――――――
「はぁ‥‥‥はぁ‥‥‥」
全身に広がる疲労から、その場で膝をついてしまう。ひとしきり騒いだが、外からの反応は無かった。
「一体‥‥‥何が‥‥‥どうなって‥‥‥」
息も絶え絶えになりながら、答えの返ってこない問いを呟く。だが、意味の無い行動では無かった。
息苦しさはあるが、それは疲労によるもの。黙ってさえいれば、呼吸は正常に行うことが出来る。つまり、空気の流れがある。
「外に繋がっているのか‥‥‥何処だ!?」
懐中電灯の明かりを頼りに室内を手探りで探る。穴も明かりも無い。しかし気になるものはあった。
壁の一部分、他の場所とは質感や色味が微妙に違う事に気が付いた。
「‥‥‥まさか」
拳で叩くと硬質な音が響く。だが、その奥に微かな反響音が混じっていた―――壁の向こうに何かがある。
思わず拳で打ちつけようとするが、その前にポケットの重みを思い出す―――ドライバーだ。
地下に降りる際、無意識のうちにポケットの中へ仕舞い込んでいた。
すぐさまドライバーを手に取り、鉄の先を壁にぐっと押し込むと、鉄芯の先が壁の表面を僅かに抉りとる。
本来であれば歯が立たない筈であるが、灯台守の目の前にある壁の一部分だけは脆い素材で構成されていた。
「これしかない‥‥‥」
平常時であれば無謀な事に思えるが、非常時においては唯一の解決策にしか思えなくなる。
どのくらいの時間がかかるか分からない。だが、壁を削り取る作業を止める事は出来なかった。
――――――――――――――――――――
どのくらい時間が経ったのかはは分からない。
だが作業自体は順調に進んでいたようである。当たりを付けた部分に沿って四角形に削り取る。予想が当たっていれば、形に沿って壁が開けられると。
「‥‥‥‥‥‥っ!?」
少しひしゃげたドライバーの先がぐっと奥へと差し込まれる。薄い場所であったのかドライバーを動かすと、先端から空を切るような感触が伝わる。
「やはり、この先に‥‥‥」
―――壁の向こうに空間がある。
一縷の希望を持って、削り取る作業を更に続ける。
暫く経ってから、削り取った端からぐらぐらと外れそうな感触を認める。
ドライバーをポケットに仕舞い、今度は手で壁を押し込む。
全体重を掛けて力の限り押し込むと、それなりの抵抗とともに削り取った壁が向こう側へと崩れ落ちていった。
「開いた‥‥‥!」
驚きながらも懐中電灯の明かりを新たに出来た穴へと向ける。そこには土で囲まれた空間が広がっていた。
「‥‥‥‥‥‥うっ‥‥‥」
今いる場所とは違い、明らかに生々しい臭いが漂う。しかし、先に進む以外に選択肢は無かった。
狭い穴を潜り抜ける。老いた身には過剰な運動であったが、無心で身体を動かす。
土の上に転がり込み、四つん這いの姿勢からゆっくりと身体を起こし、懐中電灯で周囲を照らす。
「今度は防空壕か‥‥‥?」
目の前には土と木で作られた狭い通路があった。先を照らすが、何があるかは分からない。
ただ、この通路を隠していたということは分かっていた。
「‥‥‥」
見られたくないものがある―――確信にも似た予感を感じながら先へと進む。
意外にも距離はあったが、何とか通路の終着点に辿り着く事が出来た。
そこは天井の低い、それなりに広い空間。
土が剥き出しの床には茣蓙のようなものが敷かれており、白い布のようなものが丸めて置かれていた―――数にして10個。
人目を避けるような空間、防空壕、白い布―――
とあるものが連想された瞬間、全身の肌が粟立つ。
―――じゃり
何かが擦れる音がした。
見てはいけないと本能が叫ぶ。
飯島は目が醒めたかのように、はっとしながら顔を逸らす。
だが、懐中電灯の明かりは彼の意思とは反して、音の元をゆっくりと照らし出す。
小さな芋虫のような白い布が、その身を起こしていた。
懐中電灯の明かりが乱れる。
他の白い布は横たわったまま。動く気配は無い。そもそも動かない筈。
―――どうみても、子どもの遺体にしか見えなかったからだ。
「うぁ‥‥‥‥見るな、来るな‥‥‥っ!?」
叫ぼうとしても声が出ない。
来た道を戻ろうとするが、その前に足が何かに引っかかり、そのまま土の上で転倒してしまった。
気が動転しながらも足元を照らす―――何かが足首を掴んでいる。
気が付いた時には遅かった。
―――“おいていかないで “
――――――――――――――――――――
【ブーーーーーーーーーーー】
呼び出しの音で目を覚ます―――いつの間にか眠っていたらしい。
時計を見ると前の定時連絡から2時間ほど経過していた。
ソファから身を起こし、カレンダーを見る。今日は今年最後の物資搬入の日であるらしい。
担当者に連絡を入れた後に階下へと向かい、物資搬入の担当者と慣れた遣り取りを交わす。
その後は船着場に向かい、物資の確認と運搬作業に入る。
いつもと何も変わらない。
ただ、何かを忘れているような気がする。
妙な違和感を感じながら、担当者とともに物資を確認する。
「以上になります。間違いないでしょうか?」
「ええ、間違いありません。必需品のリスト通りで、過不足はありませんよ」
「確認ありがとうございます。では、こちらからお願いします」
「分かりました」
「ところで飯島さん。ひとつ聞いても良いですか?」
「はい?何でしょうか?」
「足首に怪我をしていませんか?‥‥‥酷い痣がありますよ」




