『6ヶ月目』
暑い時期を越え、適度な涼しさと夜の長さを感じるようになっていた。
昨日までは月の綺麗な夜空を楽しむ事が出来ていたが、今日は生憎の空模様。荒れているとは言えないが、それなりに強い雨が降り続けていた。
ソファに座りながらカレンダーに目を向ける。灯台守の仕事を始めてから半年―――契約満了に向けて折返しの時期に入っている事を実感する。
灯台守という仕事には慣れてきたが、一方で不満に思う点も見えてくる。
「‥‥‥息苦しいな」
誰に聞かせるまでもなく独り呟く。
流刑地で過ごす囚人の気分と思ったことは一度や二度では無い。身体的に不自由とは思うが、仕事内容については納得した上で受け入れている。当然、1年の契約が満了するまで島から出ることが出来ない事も含めて。
だが、それ以上に目に見えない圧迫感というものの方が灯台守の心に重くのしかかっていた。
当然、罪を犯した訳では無いので事前に申請することで私物も手に入れることが出来る。とはいっても申請したものと言えばラジオと釣り道具程度。
「‥‥‥はぁ」
溜息をつき、テーブルの上にあるラジオを見る。相変わらず古いラジオがそこにはあった。
特に理由も無く電源を入れる。憎たらしい程スムーズに電源が入り、間髪入れず耳障りなノイズを耳に届けていた。
【ブツッ ザァーーーーーー】
【ブツッ】
【―――健康状態の悪化を理由に突然辞任を発表した〇〇首相の後を引き継ぎ、新内閣を発足した〇〇首相は〇〇月◯日に―――】
周波数を合わせるとクリアな音が聞こえ始める。最近政界の方でも大きな動きがあったようだが、現在の飯島にとっては重要な事とは思えなかった。
以前はテレビや新聞を毎日確認し、有用な情報を仕入れる習慣があった。自分とは関係の無いものであっても、相手との話題作りや交渉を進めるための糸口になりうると熟知していたからである。
「新しい方も、このくらいの働きを見せてくれると良いんだがな‥‥‥」
小さく溜息を付きながら、部屋の隅に置いてある真新しい箱を見つめる―――新しいラジオは結局動くことが無かった。理由は分からないが、電源を入れても反応しないのである。
新しいラジオは私物として購入し、動作不良があったため返品したものであった。奇妙な事に担当者が動作確認を行った所、正常に動作していたと報告があった。担当者は念のためメーカーに送り、修理を依頼するが、返答は“故障部位は見当たらず。動作正常”という回答が返ってきたそうだ。
担当者も飯島が嘘を付いていないことは分かっている。その証拠にメーカーから返ってきたラジオを灯台のある島へと持ち込み、2人で動作確認をしたが、その時はまったく反応が無かったのである。
『おかしいですね。メーカーも動作正常と返答がありましたし、私の方でも動作の確認を行いましたが、その時は普通に動きました。もしかしたら、ここの土地が影響しているのでしょうか‥‥‥』
壊れてもいないのに灯台では動かない。そして、誰にも原因が分からない。
“そんな馬鹿な話しがあるか”とは言えなかった。なにしろ古い方のラジオは調子が悪い時があるとはいえ、正常に動作している。磁場の影響やら電波が届かないなどの原因は考えられない。それは担当者も承知していること―――つまり、それ以外の要因があると暗に示していたのである。
それこそ強く否定したい事ではあったが、数回しか使っていないほぼ新品のラジオが島では動かないという事実がある以上、担当者の意味深な言葉を素直に受け止める他無かった。
「‥‥‥」
ラジオから意識を外し、釣り道具を見る。
施設側から許可は出ているが、数回使った程度で置き物と化していた。
理由は島独特の海流によるもの。
数十年ぶりの釣りを楽しもうと一式揃えてもらい、その道具を使って釣りに臨んでいたが、魚どころかゴミや海藻すら針に掛からないという始末であった。
『釣りをされたいというのであれば止めはしませんが‥‥‥‥‥‥ご存知かと思いますが、灯台のある島の周囲には特殊な海流の流れがあります。それが直接の原因なのかは分かりませんが、昔から魚が寄り付かない場所なんです』
この点については担当者から事前に話しがあった部分であるため、文句の言いようが無かった。
「この仕事が終わるまではお預けか‥‥‥」
天井を仰ぎ見ながら半年後の自分を想像する。
海や川で釣りを楽しむ自分―――それどころか、灯台を離れた後の日々の生活すら想像が出来なかった。
「あれ‥‥‥おかしいな‥‥‥俺は何を?」
ふと考える。
灯台守の仕事を受ける前は前職の稼ぎを使ってホテル暮らしを続けていた。実家は既に無くなっており、定住する場所は何処にも無い。
アパートやマンションを借りて生活するにも金が必要になる。そのため求職活動に勤しんでいた所、灯台守の仕事を紹介されて現在に至る。
契約満了後は他の仕事を斡旋してくれるという話であったが、それからどうするつもりであったのか。
「いや、何も考えたくないから、ここへ戻ってきたんだ‥‥‥適当に働いて、適当に暮らす‥‥‥どうせこの後の人生も碌なものでは無いからな‥‥‥」
“何も考えたくないから”と逃げてきた男は言う―――話はそこで終わり。
視線を天井から正面に戻す。
先の事よりも現在を考える。他にも不満な点はあったからだ。
【―――から硬直した局面を打破するための政策を打ちだぁザッぅ事ッザザァーーー】
【ザザッ ザーーーーーーーーーー】
【ーーーーブツッ―――す―――え―――おー―――】
「‥‥‥またか」
ラジオの不調に悪態をつきながら、アンテナの角度を弄る。ここ最近、ラジオをつけていると途中で割り込むように流れる詳細不明の放送。初めて聞いた時よりも多少は耐性が付いたとはいえ、不鮮明な音声を聞く度に薄ら寒いものを感じていた。
「‥‥‥」
ラジオを聞いていて思う所がある。繰り返される単語と声の後ろにある微かな波の音から、声の主は海の何処かで助けを求めているのでは無いかと。
誰が何の意図をもって電波に乗せているのかは分からないが、悪趣味にも程があると考えていた。
だが、心の何処かでは気が付いていた。何故なら、以前にもこの音を聞いた事があるからだ。
「‥‥‥この音、何処かで‥‥‥‥‥‥あ‥‥‥」
灯台守として赴任してきた日にラジオから同じような音声が流れていた事を思い出す。
その時は不可解な現象に免疫が無かったため、理解出来ないものとして頭から除外していたようだ。当然今でも理解は出来ていないが、ここ数ヶ月間の経験から多少の事であれば取り乱すこと無く対応が出来るようになっていた。
【えす‥‥‥え、ブツッ】
取り乱さないように出来るだけで、気味が悪い事には変わりが無い。
余計な事に巻き込まれないうちにラジオの電源を落とす。
【ジリリリリリリリリン‥‥‥ジリリリリリ】
「!?」
電源を落とすと同時に電話の呼出音が鳴り響く。飯島の動きを把握しているかのような連絡に対して動揺してしまい、手に持っていたラジオを落としそうになる。
文句のひとつでも言いたい気分であったが、理性は“電話に早く出ろ”と告げている。定時連絡を忘れていた訳では無いので、監視施設の方から連絡が来るということは海上で何か異変があったに違いなかった。
「はい飯島です。何かありましたか?」
【こちら菅野です。〇〇近海を監視していた所、所属不明の船舶が一隻発見されました】
「それでは救援を?」
【‥‥‥それが、その船舶の発見された場所というのが、そちらの灯台周辺です】
「‥‥‥待って下さい、灯台近くに来るまで気が付かなかったということでしょうか?」
【‥‥‥ええ、8分程前に突然レーダー上に反応がありました。それ以前の航行記録は残っておりません】
「‥‥‥それでは、私は何をするべきでしょうか?」
【乗組員がいる場合、可能であれば接触を図り、灯台で一時的に避難を促して下さい。体調不良や怪我などが無ければ、早朝には救援の船を向かわせます】
「‥‥‥‥‥‥分かりました、また、連絡させて頂きます」
【お願いします。それでは失礼します】
通話を終えた後、眉を顰めながら今後の対応について考えを巡らせる。
「‥‥‥‥‥‥妙だな、夜とはいえ直ぐに救援を出さないのは何故だ‥‥‥それに海流の関係もある‥‥‥おかしい‥‥‥」
レーダーに捕捉されずに突然姿を現した船舶、出現した場所、直ぐに救援を出さない監視施設の判断―――様々な部分で違和感を感じていた。
「海賊‥‥‥とは考えにくいが、万が一敵意のある人間だとしたら‥‥‥」
最悪の結末を想像する。そうやすやすと受け入れたくは無いが、命令を受けた以上は何もしない訳には行かない。
重い足を引きずりながらヘルメットと合羽を身に着けて外へと向かう。非常用の道具の入ったバッグパックも途中で担ぐ。
「‥‥‥っ‥‥‥結構強いな‥‥‥」
扉を開けた瞬間、冷たい雨風が灯台守の顔を濡らし、雨合羽の上から細かな振動を伝えてくる。
ヘッドライトと懐中電灯を駆使しながら島の外周に沿って見回りをすると、明かりに反応したのか件の船舶に乗っていると思われる人間の声が聞こえてきた。
「誰か来たぞ!助かった‥‥‥こっちだ、おーい!」
「俺達はここだ!助けてくれ!」
「おーい!こっちに来てくれ!ロープは無いか!」
声の数と大きさから成人男性3名と分かった。
言葉も流暢であり、それなりに若さを感じる声から、最悪の結末は免れるかと心の何処かで安心していた。
加えて、彼らは幸運にも船着場に近い場所に漂流していたらしい。崖下ではあるが、手持ちのロープであれば十分に誘導が可能な位置である。
飯島は救助活動に入るため、船に乗っている男性達に声を掛けた。
「ここの灯台守をしているものだ!陸地にある監視施設から君達の保護を頼まれている!ロープを投げるから受け取ってくれ!」
「わかりました!」
「お願いします!」
「掴んだら声を掛けます!何処かに固定する場所があればそこに引っ掛けて下さい!」
「承知した!ロープを投げるぞ!」
ヘッドライトの明かりを頼りに崖下に向けてロープを投げる。雨風で手元が狂い、中々彼らの手には届かなかったが、お互いに文句も言わずにひたすら試行回数を重ねる。
そして数回目の投擲でようやくロープが彼らの手に渡っていた。
「掴みました。そちらから見えますか!」
「ああ、こっちでも確認した。今から固定するから、そっちも船の何処かに固定してくれ!」
「はい、お願いします!」
ロープの長さを見ながら船着場の方へと目指す。そこには船をつなぐための場所があるため、ロープの固定は容易であった。
お互いに固定が済んだことを確認し、そのままゆっくりとロープを手繰る。船の大きさが心配であったが、彼らの乗る船はあまり大きなものではなく、時間を掛けることで少しずつ陸地へと誘導することが出来た。
「はぁっ‥‥‥はぁっ‥‥‥ふぅっ‥‥‥」
「やった、助かったぞ!」
「ああ、ようやく帰ってこれた‥‥‥本当にありがとうございます!」
「それは‥‥‥何よりだ‥‥‥ははっ‥‥‥」
ロープを調整して船を完全に固定する。
灯台守の手を掴み、1人、また1人と陸地へと上がる。
漂流していた3人は30〜40代の成人男性。日よけの帽子を被り、動きやすい服装の上にフィッシングジャケット羽織っていた。
一目見て釣りに来た人間と分かったが、念の為素性を確認してみることにする。
「‥‥‥雨の中で申し訳ないが、君達は何故こんなところで漂流していたんだ?」
「私達は船を借りて沖合で釣りをしていたのですが、運悪くエンジンのトラブルがありまして。それも無線も繋がらず‥‥‥助けも呼べない状況でしたので本当に助かりました」
「なるほど、事情は分かった。とりあえず灯台へ案内しよう。こっちへ」
「はい」
疲労困憊の身体を引きずりながら、3人を灯台へと案内する。
彼らを完全に信用した訳では無いが、話した印象は悪いものでは無かった。
灯台に着いた後、彼らに予備のタオルと軽い食事、毛布などを提供する。灯台には万が一に備えて救援物資がいくつか常備されていた。
3人は飯島の厚意に感謝しながらそれらの品々を受け取る。少し身体を休めた後、適当な場所に座りながら話の続きを行うことにした。
「それで先程の話の続きだが、君達は一体何者なんだ?‥‥‥それと、いつから遭難していたんだ?」
「私達3人は子どもの頃からの付き合いでして、釣りをするために県外から来ました。海に出たのは昨日の朝からです‥‥‥昼過ぎまで釣りを楽しんだ後、そろそろ帰ろうかと思ったのですが、そこでエンジンのトラブルに遭いました。一応、船に慣れた人間がいるので安心していたのですが」
「それが私です。船舶免許も持っています。きちんと整備もされていましたし、それまでは問題なく動いていたのですが‥‥‥流石に海上ではどうにもこうにも出来ませんから」
「無線が生きてさえいればな‥‥‥」
「‥‥‥船については運が無かったが、こうして陸地に辿り着くことが出来たんだ、感謝しないとな」
「ああ、全くだ」
運が悪かったと話す3人。誰を責めるわけでもなく、お互いに助かった事を喜びあう姿から、それなりに付き合いの長い関係である事は察する事が出来た。
「なるほど‥‥‥事情は分かった。それと君達は海上保安庁が管轄している施設の人間にも周知されていてな‥‥‥怪我や体調不良は無いか?」
「3人とも無事です」
「そうみたいだな。それなら明日の朝一番に救援が来るそうだ。大したもてなしは出来ないが、ここで一泊してもらうしか‥‥‥」
「願ってもない事です。一晩くらいならここで大丈夫なので、心配しないで下さい」
「それは良かった‥‥‥それなら私は一度連絡をしてくるよ‥‥‥あ、大事な事を聞きそびれていた。私はここで灯台守をしている飯島というものだ‥‥‥君達の名前は?」
飯島の質問に対し“大事な事を失念していました”と前置きをした上で、纏め役と思われる男性が最初に名乗り始めた。
「申し遅れました―――私は藤原嘉紀と言います」
――――――――――――――――――――
通話を終え、疲れた身体をソファに沈める。階下で3人を待たせているとはいえ、身体に纏わりつく疲労感は決して無視できないものであった。
「‥‥‥それにしても、何だか変な反応だったな‥‥‥」
今しがた終えたばかりの連絡を思い出す。
漂流者の救助に成功したことと、彼らの身柄を一時的に預かっていることなどを伝えたまでは良かった。予定通り、明日の早朝には迎えに来ることになっている。
しかし、彼らの名前を伝えた後から様子が変わったような気がしていた。
「‥‥‥‥‥‥何か、引っ掛かかるな‥‥‥」
ぼんやりとした頭で何かを思い出そうとうするが、それは叶わなかった。
次第に狭まる視界、瞼の重み。小さくなる雨の音―――予想外の出来事による疲労が、意志にに反して抗い難い眠気を与えていた。
「‥‥‥いかん‥‥‥このままでは‥‥‥仕事が‥‥‥」
意識を失う瞬間に仕事の事が頭をよぎるが、まどろみに肩まで浸かっている人間を覚醒させるには不十分であった。
「‥‥‥彼らに‥‥‥声を掛けないと‥‥‥」
3人に連絡したことを伝えなければいけないと考えた所で意識が途絶える。
幸か不幸か―――迎えが来るまで、彼を起こそうとする人間は誰一人いなかった。
――――――――――――――――――――
【ブーーーーーーーーーー】
「んんぅっ‥‥‥くそっ‥‥‥五月蝿いな‥‥‥」
呼び出しの音に気が付き、目を覚ます。
気持ちの良い眠りを妨げる不愉快な音に苛立ちを覚えながら音の鳴る方向へ頭を向ける。
その時、視界に入った時計は歪なくの字を描いていた。
「今何時だと‥‥‥‥‥‥‥‥‥あ?」
時計の針を見た瞬間、自分の目を疑う―――時刻は朝の6時過ぎ。
瞼を腕で擦りながら、疲労が抜けきっていない身体を起こす。昨夜の事や業務の事が頭の中に押し寄せてくるが、とにかく今は呼び出しに応じる事が先決。節々の痛みを我慢しながら、出来る限り急いで電話の場所へと向かった。
【こちら菅野です。飯島さん。何かありましたか?昨晩から定時連絡が途絶えていましたが‥‥‥】
「はい飯島です、申し訳ありません。昨晩の連絡の後から眠ってしまいまして‥‥‥」
【なるほど、そうでしたか‥‥‥体調不良や意識を失うような事がありましたか?】
「‥‥‥‥‥‥いえ、昨日の救出作業が堪えたみたいです‥‥‥っ、そういえば、彼らの事を‥‥‥」
【朝の様子を見ていないようですね。それでしたらこのまま電話を切って貰ってかまいません。救助した3人の様子を確認した後で再度連絡を下さい。業務中の事は後でお話しましょう】
「は、はい。承知しました。大変、申し訳ありませんでした。それでは、確認に向かいます」
通話を切ると同時に深い溜息を付く。
業務中に意識を失う事はこれで2回目。どちらも予想外の事に対応した結果ではあるが、それでも怠慢と取られても仕方がない。
”仕事に慣れてきたから油断してしまった自分が悪い“と殊勝な事を考えつつ、頭の片隅では”余計な仕事を押し付けられなければこんな事にはならなかったんだ“という誰にも言えない不満が確かに存在していた。
だが、それ以上に昨夜救助した3人の事が気になる。最低限の物資を渡していたため、一晩程度なら打ちっぱなしのコンクリートの上でも過ごせるとは思ってはいたが、それでも心配にはなる。
部屋を飛び出し、階段を降りるが、その途中で不可解なものを目にしていた。
「‥‥‥毛布だけ?‥‥‥おーい、何処にいるんだ!」
扉から離れた場所―――最後に3人を見た位置に毛布だけが残されていた。
―――3人の姿は何処にも無い。
階下に降り立った灯台守は慌てて周囲を探すが、結果は同じ。
そして昨夜の船の事を思い出す。もしかしたら船の様子を見に行ったのかもしれないと考え、船着場の方へと向かう。
「‥‥‥‥‥‥嘘だろ、何で船が無いんだ‥‥‥」
船着場には船も見当たらなかった。夢でも見ていたのかと考え始める飯島の視線の先には、船を係留する場所にくくりつけられたロープ。その先は海面でゆらゆらと漂っている―――3人を救助したという証拠だ。
「‥‥‥夢じゃないよな‥‥‥ロープもある。連絡もした‥‥‥だが、3人も船も見当たらない‥‥‥一体何が‥‥‥」
船着場で愕然としていたが、間を置かずに陸の方から灯台へと向かってくる船が見えた。
”3人の船か?“と一瞬だけ驚くが、見覚えのあるものであったため、監視施設から手配されたものであると直ぐに気が付く。
手を振りながら船を誘導し、上陸してきた隊員に声を掛ける。
「お疲れ様です。実は‥‥‥」
「‥‥‥ええ、飯島さんとこの状況を見て分かりました‥‥‥いなくなったのですね」
「え?‥‥‥何故それを‥‥‥いやまあ‥‥‥その、通りなのですが‥‥‥」
「実はここに来る途中で無線連絡がありまして。どうやらここから少し離れた場所に正体不明の船舶が漂流していると連絡が入りました」
「正体不明の船舶‥‥‥いや、そんなまさか‥‥‥」
「以前から不可解な事が起こる場所であると聞いています。これから我々がその船舶の調査に入りますが‥‥‥恐らく、飯島さんの想像している通りかと‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥分かりました。可能でしたら、その船舶の様子を教えてもらうことは可能でしょうか?一応、3人の目撃者でもありますので‥‥‥」
「確認してみます。もしも報告するような事があれば、飯島さんの方で確認してもらっても構いません。こちらにも連絡は入るはずなので」
「ありがとうございます。これから連絡に向かいます」
飯島は昨夜の状況と3人の特徴を伝え、再び船を見送る。
灯台に戻り、再び監視施設の担当者に連絡を入れる。3人の姿が無いことや救援に来た隊員に全てを話した事を説明していた。
【分かりました。それでは救援に向かった隊員に漂流中の船舶を発見したら灯台に向かうように伝えておきます。そこで確認をお願いします】
「分かりました。このまま連絡を待ちます」
通話を終え、窓際に向かう。
デスクの上から双眼鏡を持ち、陽の光で乱反射する海面を観察する。暫くすると陸地の方から来た船が視界に入った―――救援の船だ。
その進行方向を辿ると、光の間に白い船のようなものが見えた。細かいところは分からないが、どうやらかなり老朽化が進んでいるように見えた。
「‥‥‥‥‥‥」
ぼんやりと見えただけであるが、その船が3人の乗っていた船であると確信していた。
どうやら長い航海を終えて、ようやく戻って来たのであろう。
飯島は双眼鏡をデスクに戻し、ソファへと身体を沈める。
【ブツッ、ザァーーーーーー】
【ブツッ】
【―――ぉのニュースです。昨年―――】
ラジオの電源を入れると朝のニュースが流れていた。米の生産量についての話題のようであるが、興味を唆るものでは無かった。もとより何かを求めてラジオを点けた訳では無い。ただ適当な音が欲しかっただけ。
いずれ連絡が入るだろうと考えつつ、そのままぼんやりと天井を眺めて過ごすことにしていた。
――――――――――――――――――――
救援に向かった隊員達が、正体不明の船舶を曳航しながら灯台に戻ってくる。
船着場に2隻の船を留め、飯島へ確認を促す。
錆ついた船体や雨風に晒されて荒れ果てた甲板―――昨夜見た船とは思えないほどの状態であったが、面影は確かに残っていた。
「‥‥‥恐らく、この船です。私が昨夜見たものは‥‥‥」
「そうでしょうね‥‥‥船室の中に男性の遺体がありました‥‥‥調べないと詳しいことは分かりませんが、白骨化しているところを見ると、死後数年以上は経過している可能性がありますね」
「‥‥‥‥‥‥」
「‥‥‥船室に残されたものから乗組員の名前も分かっています。藤原嘉紀、工藤康介、木下陽平‥‥‥この3名の名前に聞き覚えはありますか?」
「‥‥‥間違いありません。昨夜、本人達から聞きましたから‥‥‥」
「そうですか‥‥‥これを貴方に伝えるべきかどうか迷いましたが、実は船室には名前以外に残されたものがあるんです‥‥‥声の吹き込まれたテープとラジカセ。それと、日記です」
「テープとラジカセ‥‥‥日記、ですか?」
「ええ、テープとラジカセの方は劣化があるため、ここで再生する事は出来ませんが‥‥‥日記は‥‥‥」
「教えてもらうことは出来ますか‥‥‥?」
「正直、知らないほうが良いかと思いますが‥‥‥」
「夢かも知れませんが、彼らとは1度話しましたから‥‥‥口外出来ないものであれば遠慮しますが‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥現場確認の一環として、特別に許可出しましょう。無論、口外はしないように‥‥‥‥‥‥あと、こちらの書類にもサインをお願いします」
「はい、承知しました」
船室に残されていた遺体の手がかりを得るためなのか、遺体の傍にあった日記の中身を確認していたらしい。
通常、一般人には閲覧させないものであったが、飯島は遺体の第一発見者として扱われていた。また、船の乗組員とも関わりを持っていると判断されており、今回は誓約書に署名することで現場確認を許されている。
隊員の1人から手渡された誓約書に署名する。
内容を確認した隊員が書類を受け取り、飯島を船内へと促す。
「‥‥‥それでは、こちらへどうぞ」
隊員の指示に従い、救援用の船へと移る。
船室には袋に保管された劣化の激しい手帳のようなものがあり、隊員の1人が慎重に袋から取り出す―――瞬間、染み付いた死臭が鼻をかすめる。思わず顔をしかめるが、顔を逸らすことで何とか嘔気を紛らわす。
落ち着いた様子を確認した隊員が手帳を1ページずつ開き、中身を飯島に見せる。
【◯年◯月◯日、遭難から3日目。3人で話し合った結果、この日記を残す事にした。私達は小学校からの付き合いであり、仕事を始める年齢になっても交友があった。今回も3人で休暇を取り、船を借りて釣りに出かけていた。しかし沖合に出たところでエンジンの不調があり、自力では陸地に辿り着けなくなってしまった。友人の1人がエンジンを確認し、もう1人が無線を試してみたが、どちらも動く気配が無かった。これは偶然にしてはあまりにもおかしい。何故なら海に出る前に整備はきちんとされていた事も確認済みであったし、何より沖合に出るまでは何も問題は無かった。何故こんな事になってしまったのか原因は分からない。ただ、友人の1人が海で奇妙なものを見たと話す。私もその話を聞いていたが、にわかには信じられないことであった。海の上に飛行機が漂っていたなんて言われても信じることは出来ないだろう。しかもそれだけでは無かった。古い船の残骸や誰かの軍帽なども海面に浮かんでいたと話す友人の目は本気であった。彼が嘘を付いていないことくらいは分かる。もう1人の友人の話だと、それらの奇妙なものが見えたあたりで私達の船がおかしくなったらしい。他の友人も明らかにおかしいと気が付いていたそうだ。私には分からないが、どうやら空気が違うらしい。その証拠に周りには海しか見えず、天候も晴れたままである。雲や鳥の気配すら無いのだ。どうやら私達はおかしな場所に迷い込んでしまったようだ。
海の上で孤立したとはいえ、釣り目的で移動できる範囲などたかが知れている。その間に漁船か何かが近くを通る筈だ。今はただ捜索されていることを願い、手元にある僅かな食料と非常用の水で凌ぎ、助けを待つだけだ。いざという時の為に非常用のラジカセには助けを求める為に音声を吹き込んだ。何も無いよりはマシだろう。それと適当な瓶の中に3人の名前を書いた手紙を流す。これは半分冗談と言うか、まあ、届けばいいだろうと言う程度のもの。瓶が陸地に届くのが先か、私達が救出される方が先か。いずれにしても長居はしたくはない】
【◯年◯月◯日、遭難から4日目。水は潤沢では無いが、切り詰めていけば数日は持つだろう。食べ物については魚を釣ることで何とか凌ぐことが出来ている。見たことの無い魚ばかりが釣れる。こんな状況で無ければ素直に喜ぶ事が出来るがそうも言っていられない。毒が無いことだけはありがたいが、美味しくは無い。エンジンも無線も未だに不調のままである】
【◯年◯月◯日、遭難から5日目。漂流している場所について分かった事がある。ここは普通の海域ではない。1日で太陽や月の動きはあるが、その他の景色に何も変化が無い。最初は見間違いかと思ったが、友人2人も違和感には気が付いていたようだ。天候だけでなく、日差しや雲、月の満ち欠けなどの変化が無いことは異常としか言いようが無い。ここは一体何処なんだ?
また、時折流れてくる漂流物に規則性が無いことにも気が付いた。最初の方で見つけたもの以外にも人の服や靴などが流れてくることがあるが、明らかに同じ国で作られたものでは無いと一目で分かるものであった。飛行機や船の残骸、その他国籍不明の小物類。嫌な予感がする】
【◯年◯月◯日、遭難から6日目。飢えや喉の乾きからかストレスが溜まる。今も友人達と言い争いになり、私は船室まで逃げてきた。2人は甲板で口すら聞いていない。後でこの日記を彼らにも見せるのであるが、何を言われることやら。客観的に見ることも重要だと決めていたため、見たこと感じたことをそのまま書いているつもりではあるが。この日記を書き終えたら私も近くに船がいないか探そうと思う】
【◯年◯月◯日、遭難から7日目。水の底が尽きかけている。いずれ来ることと分かってはいたが、いよいよもって生命の危機が迫ってきた。海水は飲めないため、魚から水分を取る他無い。それでも足りるかどうか分からないが、それでも生き延びるためには必要なことだ。それと1つだけ希望が見えた事がある。昨日の夜、ふと海の方を眺めていたら遠くの方で明かりらしきものが一瞬だけ見えた。海から見える光と言えば船か灯台だろうか?どちらにしても人の気配が感じられる事は嬉しい。喜びのあまり、新たに音声を吹きこもうとしたが、友人達に止められた。吹き込んだところで意味が無いそうだ。確かにそうかもしれない。お互いにストレスも溜まっている。余計な体力は使いたくは無いのだろう。ただ、個人的には少しだけ残念だと思う】
【◯年◯月◯日、遭難から8日目。助けは来ない。魚で飢えを凌ぐことも限界に近い。それ以上に喉が乾く。空腹と乾きから言い争いが増えている。こんな事で仲違いはしたくはないが、抑えきれない感情があることも確かだ。今はただ、助けを待つことだけが唯一の希望だ。しかし悠長に待ってもいられない。友人が腹を下しているからだ。どうやら魚に当たったらしい。具合が悪そうだ】
【◯年◯月◯日、遭難から9日目。後ろの方から腹を下した友人の呻き声が聞こえる。昨日からずっと調子が悪いようだ。船のすみでうずくまっていると思えばバケツのそばにいる。その繰り返しだ。時々彼の方から臭いがするが、本人は気がつくよゆうが無いらしい。もう1人の友人は黙って海をながめている。時々釣り糸をたらしてはいるが、えさは付けていないようだ。あれでは魚はいつまで経っても釣ることは出来ないと思う。私も朝に同じことをしていたため、それが良く分かる。水が飲めない状況とはまさに生きじごくとしか思えない。学生の頃とは全く違う。辛い。のどが乾く。これが正直な気持ちだ。
このように日記に書き記してはいるが、もはや私以外に見る人間はいないのでこうしてせきららにつづることが出来る。私もいつまで書くことが出来るだろうか】
【◯年◯月◯日、遭難から10日目。調子をくずしていた友人の様子がおかしい。反応が鈍い。うわ言のような事を呟く。身体が熱い。脱水か。最後の水を与えるが、それでも改ぜんのきざしは無い。私の後ろの方でねかせているが、どうしようもない。魚も取れない。海水でぬらしたタオルを置くことしか出来ない。私の尿が赤い、量も少ない。いたい】
【◯年◯月◯日、遭難から11日目。はらがいたい。何も入っていないはずだが。しめつけられるような感じだ。のどもいたい。てあしもつる。いたくてしびれがあるようだ。〇〇はだいじょうぶだろうか 】
【◯年◯月◯日、そう難から12日。げんかいだ。のどがいたい。てあしのしびれがひどい。◯◯は、朝にはしずかになった。もう1人はどこだろう。これから】
【◯◯◯日、◯◯はうみにおちたらしい たいへんだが◯◯もおとしてあげた わたしもこれがさいごになる】
【しにたく 】
日記を読み終えた後は何も言えなかった。
分かった事と言えば、彼らが息を引き取った後も、長い間この海を彷徨っていたであろう事だけ。日に焼けた表紙と湿気で劣化した紙が、彼らの旅の年月を物語っていた。
「‥‥‥日記の中には不可解な部分もありますが、少なくとも分かっていることはあります」
「それは‥‥‥?」
「この船に乗っていた3人は、今から15年前に行方が分からなくなっていたのです」
「15年前?‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥あ」
15年前という単語が呼び水となり、半年前の事を思い出す。
助けを求めるかのような謎の音声の他に、もうひとつ気になるものを聞いていた―――15年前に行方不明となった3人。
―――全てが繋がった。
「‥‥‥昨日の時点で何故気が付かなかった‥‥‥」
額に手を当てながら天を仰ぐ。
灯台守として赴任した日、ラジオから流れていた奇妙な放送―――あれは彼らの助けを求める声であった。
既に手遅れであったとはいえ、半年近くも彼らの声を無視していた事が悔やまれる。
きっかけはあった、記憶にもしっかりと残っている―――何故忘れていたのか不思議でならなかった。
飯島にも心当たりがあると察した隊員は、彼の記憶を補填するために詳しい情報を語る。
「調べた所によりますと、今年の春頃、〇〇県の〇〇海岸に15年前から行方不明となっていた3人が書いたと思われる手紙が流れ着いていたようです。それが唯一の手がかりとの事でしたが‥‥‥」
「ええ、私にも覚えがあります。赴任した日に、ラジオで聞きましたから‥‥‥」
「そうでしたか‥‥‥それでも見つかって良かったと思います。3人の内、1人の遺体しか残っていませんが、船内を探せば2人の遺品も見つけることが出来るでしょう。それに、日記自体が彼らの最期を記したものですから、遺族にとっては慰めになるかもしれません」
「そう‥‥‥ですね‥‥‥‥‥‥後は、宜しくお願いします」
救援に来た隊員とともに3人の乗っていた船に向けて黙礼を捧げる。それが彼らの慰めになるかどうかは分からないが、昨夜の彼らは助かった事を心の底から喜んでいたように見えた。
それだけが、飯島にとって唯一の救いとなっていた。




