第48話 それぞれの戦場
親衛隊が動き始めたのは、基地が完成して一週間後のことだった。特に号令があったわけではない。それぞれが、それぞれの方向へ自然に歩き始めた。
朝の六時、ジョンは白バイを出した。
バンコクが動き始める前の時間で、市場が準備をし、屋台がガスに火を入れ、清掃員が路地を掃いていた。ジョンはサイレンを鳴らさず、パトライトも点けないまま、静かに走り始めた。走りながら見ていた。路地の奥に人影があれば止まり、物陰に子供がいれば声をかけ、様子がおかしい車があれば寄っていった。
報告書には「巡回」とだけ書いた。ミュラーが「詳細が足りない」と戻してきたので「巡回。異常なし」と書き直したが、「それは詳細が増えていない」と再び戻ってきた。最終的にナターシャが間に入って代わりに書いた。
サラは朝から資料を広げていた。
バンコクで起きている人身売買の報告書で、警察の記録とNGOのデータを照らし合わせ、メキシコでの事案と比較していくうちに、ルートの輪郭が見えてきた。東南アジアからヨーロッパへ向かう流れがあり、タイが中継地点として使われていた。
昼になると資料を置いて繁華街へ出た。私服で、外国人観光客に見える格好だった。情報屋と二時間話し、三千バーツ渡して帰った。夜、書き込みを増やした資料をヨナタンに送った。
「港の近くの倉庫を見てほしいの。人の出入りがあるわ」
「分かった。明日の朝から入る」
ヨナタンは港の倉庫の向かいのビルに入り、最上階の窓際に陣取った。双眼鏡と記録用のカメラ、水と食料を持ってきただけで、丸一日その場を動かなかった。何時に誰が来て何時に出たか、車両のナンバー、荷物の量——それを淡々と記録し続けた。
二日目の夕方、コンテナが運び出されるのを見た。中に人がいた。
「動いた。北のルートだ」とサラに送ると、「追えるの?」と返ってきた。「追う」とだけ答えて、静かにビルを出た。
マルティネスは朝から路地にいた。
知り合いの屋台に顔を出してタイ語で話し、冗談を言いながらテキーラを飲み、二時間かけてごく自然に聞いていった。最近変な人間を見たか。外国人が集まっている場所はないか。夜中に動いている車はないか。
屋台のおじさんが言った。裏路地に夜になると中国語が聞こえる。若い連中がたくさんいて、怖くて近づけない。
マルティネスはそれをヨナタンに送った。「テキーラの力だぞ」と付け加えると、「礼はいらない」と返ってきた。「お前いつもそれ言うな」と送ったら「必要ないからだ」と返ってきた。「寂しいやつだ」と打ったら「うるさい」で終わった。
ヴィクトルは三日間、基地にいなかった。
どこへ行ったか誰も聞かなかったし、出発の時間もナターシャには掴めなかった。ミュラーが「戻ってから聞け、追いかけても無駄だ」と言ったので、そのままにした。
三日後に戻ったヴィクトルは食堂でコーヒーを飲んでいた。ナターシャが「どこへ行っていましたか」と聞くと「北だ」と言い、「北というのは」と重ねると「タイの北だ」と返ってきた。「何をしに」「見てきた」「何を」「動いているものを」——それ以上は出なかった。
報告書の様式を置いておいたら、翌日締め切りの三十分前にギリギリで出てきた。タイ語、正確な様式、詳細な内容。北部の国境付近での人の動き、車両の流れ、顔を見た人間の特徴が全部書いてあった。
ナターシャがミュラーに「完璧ですね」と言うと、「やると決めたら完璧にやる。ただしギリギリまでやらない。同じタイプだから分かる」と答えた。
ダリアはバンコクの外国人支援センターに通い始めた。
難民、不法滞在者、借金を抱えた出稼ぎ労働者——様々な人間が来る場所で、ダリアはウクライナ語とロシア語と英語で話を聞いた。ある日、ウクライナ人の若い女性が来た。二十代で、どうやってタイに来たのかよく分からず、お金もなく、連絡が取れる人間もいなかった。
ダリアは隣に座ってウクライナ語で話しかけ、二時間かけて状況を聞いた。
翌日、サラに話した。「調べてほしい人がいるの」
「どんな状況なの?」
「タイに連れてこられた。自分の意思じゃないかもしれない。確信はないけど」
「名前と来た経緯を教えてくれるかしら」
「分かる範囲で」
「それで十分よ。調べるわ」
サラは三日で調べた。ダリアが感じた通りだった。
「人身売買のルートに乗せられていたわ。今は抜け出しているけど、組織がまだ追っている」
「どうすればいいの」
「ヨナタンと動く。組織を特定して潰して、その子は安全な場所に移すわ」
「一緒に連れて行っていい?」
「危ないわよ」
「連れて行っていい?」
サラは少し間を置いた。「……行動は私が指示するわ。ダリアは絶対に離れないで」
「分かったわ」
「本当に分かったの?」
「分かったわよ」
一週間後、ジョンは王宮に呼ばれた。
白いBDUを着て白いマフラーを巻き、白バイで向かった。護衛に案内されて廊下を歩くと、見覚えのある廊下だった。もっと前に来たことがある。
部屋に通された。
国王陛下がいた。ジョンは頭を下げた。
「久しぶりだな」と国王は言った。声が柔らかかった。「顔を上げろ」
ジョンが顔を上げると、国王がしばらくそのまま見ていた。何かを確かめるような目だった。「痩せたか」「……少し」「メキシコで無茶をしたと聞いた」「無茶ではありませんでした」「肋骨が折れたと聞いた」「……もう治っています」
「座れ」
ジョンが座ると、国王も座った。侍従が茶を置こうとしたが、国王は自分でジョンの前に茶を置いた。「飲め」
「……ありがとうございます」
茶を飲んだ。温かかった。
「動いているか」
「動いています」
「知っている」と国王は言った。「サラが人身売買のルートを追っている。ヨナタンが港の監視に入っている。マルティネスが路地の情報を集めている。ヴィクトルという男が北を見てきた。ダリアという女性が外国人の話を聞いている」
「報告が届いていましたか」
「ハーパーから届いている」ジョンは答えなかった。「ダリアは元気か」
「うるさいくらい元気です」
国王が笑った。声に出して笑った。「それは何よりだ」
しばらく、二人で茶を飲んだ。
「ジョン」
「はい」
「市場の人間が言っていた。タキモトが帰ってきた、と。そういう声が届いている」
ジョンは答えなかった。
「お前はここの人間だ。タイの人間だ。それを忘れるな」
「……はい」
「何か必要なものはあるか」
「今のところは」
「困ったことがあればいつでも言え。お前たちのことは、俺が責任を持つ」
「……ありがとうございます」
「また来い。報告でなくていい。ただ来い」
ジョンはもう一度、深く頭を下げた。
廊下を歩き、白バイに戻ってエンジンをかけた。バンコクの夕方が始まっていた。
サイレンを鳴らして、走り始めた。白いマフラーが、夕風の中で揺れていた。




