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幕間 またこいつらの狂想曲


 ジェームズ・パークは病院の廊下で床に這いつくばりながら、カメラを回し続けていた。

 銃声がしていた。すぐそこで。廊下の曲がり角の向こうで、何かがぶつかる音がして、人間が倒れる音がして、また銃声がした。カメラのバッテリーが残り十二パーセントだった。予備のバッテリーはカメラバッグの中にあり、カメラバッグは廊下の反対側に置いてきた。取りに行けなかった。壁に弾痕が増えていた。

 「ジェームズ」とマイケル・チェンが耳元で囁いた。「逃げましょう」

 「逃げない」

 「撃たれますよ」

 「撃たれても回す」

 「正気ですか」

 「瀧本病だ」

 マイケルは返す言葉がなかった。自分も逃げていないからだ。

 病室のドアが開いた。カメラがそちらを向いた。黒いスーツの男が出てきた。背が高かった。紅いベストだった。M93Rを持っていた。笑っていた。

 ジェームズは震える手でフォーカスを合わせた。

 「あれ、誰ですか」とマイケルが囁いた。

 「知らない」

 「カルテルですか」

 「たぶん」

 「なんで笑ってるんですか」

 「知らない。でも回す」

 サラ・ミラーがスマートフォンで補助撮影を始めた。三人で、廊下の端から、黒いスーツの男を追い続けた。男が病室に入る瞬間を撮った。銃声がした。物が壊れる音がした。重い音がした。また重い音がした。それからしばらく静かになった。

 それから窓ガラスが割れる音がした。

 三人は顔を見合わせた。

 ジェームズが先に動いた。這いながら病室のドアに近づいた。ドアが少し開いていた。カメラを差し込んだ。

 窓が割れていた。風が入ってきていた。床にガラスの破片が散っていた。ジョンが窓枠に手をついて外を見ていた。局長が膝をついていた。ヴィクトルが壁に背をつけていた。

 三人とも、生きていた。

 ジェームズはカメラを持ったまま、廊下で崩れるように座り込んだ。バッテリーが残り四パーセントだった。

 「……全部撮れてましたか」とマイケルが聞いた。

 「撮れてた」

 「あの笑ってた男の顔も」

 「撮れてた」

 「最後のセリフも」

 「撮れてた」

 マイケルは廊下の天井を見上げた。しばらくそのままでいた。「本社への報告、どうしましょう」

 「後でいい」

 「クビになるかもしれませんよ。無断で危険地帯に残ったんですから」

 「後でいい」

 「ジェームズ」

 「何ですか」

 「あの男、最後に何て言ってましたか。私、スペイン語が分からなくて」

 ジェームズはしばらく考えた。「英語で言ってた部分がある。『守る理由が分からない。だが最高に愉しかった』」

 マイケルは少し黙った。「……それ、字幕つけて流しましょう」

 「流します」

 「絶対流しましょう」

 「絶対流します」

 サラ・ミラーが手帳に何かを書き始めた。脚本家の癖だった。止められなかった。

 バッテリーが切れた。

 映像が流れたのは、夜明けから三時間後だった。

 本社への連絡より先に流した。編集は七十分で終わった。過去最速だった。画質の粗さも音声の乱れも、全部そのままにした。それが正解だと三人とも分かっていた。

 流してから本社に電話した。「無断公開は契約違反です」と言われた。「知っています」と答えた。「再生数を確認してから判断します」と言われた。「どうぞ」と答えた。

 一時間後に本社から折り返しがあった。「続けてください」と言われた。

 五ちゃんねる。

 【緊急】またNetflixがやばいもの流した【メキシコ】

1:名無しさん@お腹いっぱい。

見た

やばい

2:名無しさん@お腹いっぱい。

何がやばいか説明してくれ

3:名無しさん@お腹いっぱい。

黒スーツの男が出てくる

笑いながら

4:名無しさん@お腹いっぱい。

誰だあいつ

5:名無しさん@お腹いっぱい。

カルテルのボスらしい

6:名無しさん@お腹いっぱい。

カルテルのボスがなんであんなに楽しそうなんだ

7:名無しさん@お腹いっぱい。

本当にそれ

8:名無しさん@お腹いっぱい。

あの格好見た瞬間に気づいた人おる?

9:名無しさん@お腹いっぱい。

柏木じゃん

10:名無しさん@お腹いっぱい。

9

それ!!!

黒スーツ紅いベスト

完全に柏木の格好や

11:名無しさん@お腹いっぱい。

ドキュメンタリー研究してわざと真似たのか

12:名無しさん@お腹いっぱい。

銃もM93Rだった

突撃隊の銃

13:名無しさん@お腹いっぱい。

あいつNetflixを全部見てた

14:名無しさん@お腹いっぱい。

怖すぎる

15:名無しさん@お腹いっぱい。

ジョンの顔見た?

一瞬固まってたやろ

16:名無しさん@お腹いっぱい。

見た

あの一瞬がやばい

17:名無しさん@お腹いっぱい。

柏木と重なったんかな

18:名無しさん@お腹いっぱい。

重なったに決まってる

あれは心理戦だ

19:名無しさん@お腹いっぱい。

カルテルの男がそこまで計算してたのか

20:名無しさん@お腹いっぱい。

Netflixが裏目に出たってことやん

21:名無しさん@お腹いっぱい。

情報公開したら敵に研究される

詰めが甘かったな突撃隊

22:名無しさん@お腹いっぱい。

21

でも止められなかったやろ

あのドキュメンタリーは世界に広まった

23:名無しさん@お腹いっぱい。

ヴァン・ダムキックをあの男も使った場面

24:名無しさん@お腹いっぱい。

あれを見てジョンが一瞬止まったの

25:名無しさん@お腹いっぱい。

止まった

完全に止まった

26:名無しさん@お腹いっぱい。

その隙にボディ打たれてたやん

27:名無しさん@お腹いっぱい。

怖い男だ本当に

28:名無しさん@お腹いっぱい。

で最後のセリフ

「守る理由が分からない。だが最高に愉しかった」

29:名無しさん@お腹いっぱい。

これ何回聞いても鳥肌立つ

30:名無しさん@お腹いっぱい。

悪役なのに哲学がある

31:名無しさん@お腹いっぱい。

悪役っていうかもはや怪物

32:名無しさん@お腹いっぱい。

ジョーカーに近い

33:名無しさん@お腹いっぱい。

ジョーカーより怖い

ジョーカーはフィクションだが

あいつはメキシコの病院で本当に笑ってた

34:名無しさん@お腹いっぱい。

窓から落ちる瞬間も笑ってた

35:名無しさん@お腹いっぱい。

落ちながら笑うのはやばい

36:名無しさん@お腹いっぱい。

普通じゃない

37:名無しさん@お腹いっぱい。

普通じゃないのは分かってる

でもなぜか目が離せない

38:名無しさん@お腹いっぱい。

それがやばいんだよ

39:名無しさん@お腹いっぱい。

で三人がかりで倒したのか

40:名無しさん@お腹いっぱい。

ジョン・局長・ヴィクトルの連撃

41:名無しさん@お腹いっぱい。

局長強すぎ

あの人格闘教官やったんか

42:名無しさん@お腹いっぱい。

ムエタイの膝が速い

43:名無しさん@お腹いっぱい。

ヴィクトルはやっぱりスペツナズだった

44:名無しさん@お腹いっぱい。

元スペツナズがなぜメキシコに

45:名無しさん@お腹いっぱい。

瀧本病

46:名無しさん@お腹いっぱい。

45

それで全部説明がつくの草

47:名無しさん@お腹いっぱい。

本家ヴァン・ダムキックが決まった瞬間

コメントが止まったな

48:名無しさん@お腹いっぱい。

止まった

俺もリアルで声出た

49:名無しさん@お腹いっぱい。

コピーと本物の違いが映像で分かった

50:名無しさん@お腹いっぱい。

フォームが全然違う

51:名無しさん@お腹いっぱい。

高さが違う

52:名無しさん@お腹いっぱい。

あれで窓ガラスが割れるのか

53:名無しさん@お腹いっぱい。

割れた

54:名無しさん@お腹いっぱい。

三階から落ちた

55:名無しさん@お腹いっぱい。

全員ズタボロで勝ったんよな

56:名無しさん@お腹いっぱい。

立ってた人間が一人もいなかった

57:名無しさん@お腹いっぱい。

ダリアとサラだけが動いてた

58:名無しさん@お腹いっぱい。

ダリアが処置してたな

59:名無しさん@お腹いっぱい。

あの子医者なの

60:名無しさん@お腹いっぱい。

違う

ウクライナ人

61:名無しさん@お腹いっぱい。

なんで処置できるんだ

62:名無しさん@お腹いっぱい。

「ジョンがすぐ死にかけるから」

63:名無しさん@お腹いっぱい。

笑えない笑い

64:名無しさん@お腹いっぱい。

笑えないのに笑ってしまう

65:名無しさん@お腹いっぱい。

でも事実なんよな

66:名無しさん@お腹いっぱい。

毎回死にかけてる

67:名無しさん@お腹いっぱい。

それでも死なない

68:名無しさん@お腹いっぱい。

こんなんで死んでたまるかボケェ

69:名無しさん@お腹いっぱい。

69

70:名無しさん@お腹いっぱい。

流れてきた情報によるとゼレンスキーがダリアに電話してたらしい

71:名無しさん@お腹いっぱい。

なんで

72:名無しさん@お腹いっぱい。

帰ってこいってことじゃないか

73:名無しさん@お腹いっぱい。

ダリアが出なかったらしい

74:名無しさん@お腹いっぱい。

出なかったのか

75:名無しさん@お腹いっぱい。

処置中だから当然だろ

76:名無しさん@お腹いっぱい。

ゼレンスキーは三回かけたらしい

77:名無しさん@お腹いっぱい。

三回とも出なかったのか

78:名無しさん@お腹いっぱい。

三回とも

79:名無しさん@お腹いっぱい。

大統領に三回無視するのか

80:名無しさん@お腹いっぱい。

今は忙しいんだよ

81:名無しさん@お腹いっぱい。

ゼレンスキーは分かってない

82:名無しさん@お腹いっぱい。

ジョンが死にかけてる時にウクライナの話をしてる場合じゃない

83:名無しさん@お腹いっぱい。

優先順位がある

84:名無しさん@お腹いっぱい。

85:名無しさん@お腹いっぱい。

Netflixのカメラマン廊下で這いつくばってたな

86:名無しさん@お腹いっぱい。

銃声の中でカメラ回してた

87:名無しさん@お腹いっぱい。

あいつらもう末期

88:名無しさん@お腹いっぱい。

瀧本病の最終段階

89:名無しさん@お腹いっぱい。

バッテリー四パーで回し続けたの尊敬する

90:名無しさん@お腹いっぱい。

プロだ

91:名無しさん@お腹いっぱい。

プロというか病気

92:名無しさん@お腹いっぱい。

クビにならなくてよかった

93:名無しさん@お腹いっぱい。

再生数が全部解決した

94:名無しさん@お腹いっぱい。

金の力

95:名無しさん@お腹いっぱい。

でも映像は本物だった

96:名無しさん@お腹いっぱい。

本物だった

だから全部許せる

 海外の反応は、もっと早かった。

 Twitterでは映像公開から四分後に『#DiegoSolis』がトレンド入りした。十二分後に『#JohnDoe』が追い抜いた。二十分後に『#WhyDoYouFight』が世界一位になった。ディエゴの最後のセリフを英語に翻訳したアカウントが三百万リツイートを超えた。

 Redditのr/DocumentariesスレッドにAMAが立った。タイトルは「あの黒いスーツの男は何者だったのか」。二万件のコメントがついた。上位コメントは「分からない。でも目が離せなかった」だった。一万八千の賛同があった。

 4chanでは「ディエゴ・ソリス哲学スレ」が立った。荒れながらも続いた。「守る理由が分からない人間と守ることしかできない人間が戦ったら、どちらが強いか」という議論が二日間続いた。結論は出なかった。

 YouTubeには分析動画が五十本上がった。格闘技専門チャンネルがヴァン・ダムキックのコピーと本物を比較した動画を出した。三千万回再生された。コメント欄の一位は「本物は空気が違う」だった。

 メキシコのSNSでは「#DiegoSolis」と「#JohnDoe」が同時にトレンド入りした。カルテルに家族を殺されたという投稿と、ディエゴに憧れるという投稿が混在した。混沌だった。メキシコ政府の広報は沈黙した。

 ウクライナのニュースサイトが「ウクライナ人女性がメキシコで戦闘に参加」という記事を出した。ゼレンスキー大統領の事務所は「コメントを控える」と発表した。同時刻、ゼレンスキー本人はダリアに四回目の電話をかけていた。ダリアは出なかった。五回目もかけた。出なかった。

 事務所のスタッフが恐る恐る報告した。「大統領、六回目もお繋ぎしますか」

 ゼレンスキーは少し間を置いた。「……後にする」

 「承知しました」

 「でも七回目はかける」

 「……承知しました」

 CNNは「タイの秘密部隊がメキシコカルテルと交戦」という速報を出した。BBCは「謎の多国籍部隊の正体」という特集を組んだ。フランスのル・モンドは「ディエゴ・ソリスの最後の言葉の哲学的考察」という記事を出した。本人が生前にそんな意図を持っていたかどうかは誰にも分からなかった。

 ベルギーで、ジャン・クロード・ヴァン・ダムがスマートフォンを持って立っていた。映像を四十回見ていた。

 「Helena」と呼んだ。秘書が来た。「Netflixの番号を出してくれ」「また、ですか」「また、だ」

 秘書はため息をついた。電話した。

 Netflixグアダラハラ編集室。

 マイケルのスマートフォンが鳴った。知らない番号だった。出た。

 「ヴァン・ダムだ」

 マイケルは三秒固まった。隣でジェームズがコーヒーを飲んでいた。サラが何か書いていた。

 「……はい」

 「映像を見た。弟子が使った。コピーした男も使った。本物と偽物の違いが映像で分かった」

 「……はい」

 「それから、ウクライナの女の子」

 「……ダリアさんのことですか」

 「あの蹴り、フォームが荒い。開脚が足りない。だが使える。センスがある」

 「……」

 「俺が教える」

 マイケルはジェームズを見た。口パクで「ヴァン・ダム」と伝えた。ジェームズがコーヒーを吹きそうになった。

 「あの、本人への確認が——」

 「確認は後でいい。まずダリアという子に伝えてくれ。開脚を毎日百回やれ。話はそれからだ」

 「……伝えます」

 「それともう一つ。白いマフラーの男に伝えてくれ。お前が思ったより早く戻ってきた、と。俺はそう言ったはずだ」

 電話が切れた。

 マイケルはスマートフォンを持ったまましばらく動かなかった。

 「どうした」とジェームズが聞いた。

 「ヴァン・ダムが来るそうです。ダリアさんに540度回転蹴りを教えに」

 編集室が静かになった。

 リャン・ファンがキーボードから顔を上げた。「俺、まだ夢を見てるのかな」

 「夢じゃない」

 「夢じゃないのか」

 「夢じゃない」

 サラが膝を抱えたまま言った。「世界が狂ってるのか、私たちが狂ってるのか」

 「両方じゃないですか」とマイケルは答えた。

 「両方ね」

 ジェームズはコーヒーを飲んだ。冷たかった。構わなかった。「最高のものが撮れた」

 「そうね」

 「後悔はないか」

 「一ミリも」

 窓の外で、グアダラハラの朝が続いていた。世界はまだ燃えていた。ゼレンスキーは八回目の電話をかけていた。ダリアは出なかった。


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