第3話 包囲
街の噂は、三日で全員の耳に届く。
いい噂も。悪い噂も。
そして——都合の悪い噂も。
---
廃工場。カーリムは部下を集めていた。
「例の男について、報告しろ」
「ジョン・ドゥ。宿に滞在中。市場を徘徊。介入三件、制圧五件、搬送二件」
「武器は」
「未所持。素手のみ」
「組織は」
「不明。ただし住民との接触が増加。宿主、商人、子供」
「子供?」
「ファリス。孤児。十一歳。常に同行」
カーリムは煙を吐いた。
「……このまま放置すれば、我々の収益は落ちる」
「すでに落ちています」
「ならば排除する」
部下が頷く。
「夜、宿を出たところを囲む。街の外へ出して処理」
「了解」
「街中ではやるな。見せるな。静かに消せ」
---
同じ頃。政府軍駐屯地。
「ジョン・ドゥを拘束する」
ラシードは言った。
「理由は」
「身元不明の外国人が武力行使を繰り返している。それで足りる」
「民間人への危害は確認されていませんが」
「問題はそこじゃない」
ラシードは机を指で叩いた。
「秩序だ。我々の管轄で、得体の知れない男が好きに動いている。それを放置すれば、統治が崩れる」
副官は黙って頷いた。
「明朝、市場で拘束する。人目につく形で」
「抵抗した場合は」
わずかな間。
「……排除も許可する」
---
夜。市場の外れ。
ジョンは煙草を吸っていた。
ファリスが隣にいた。
「ジョン」
「何だ」
「今日、変だ」
ジョンは煙を吐いた。
人の流れ。視線。音の抜け方。
全部が、わずかにずれている。
「分かる」
「どうする」
「帰れ」
ファリスが固まった。
「え?」
「今夜は帰れ」
「ジョンは」
「俺は残る」
「残るって——」
「帰れ。兄のところにいろ」
短く言い切った。
ファリスは黙った。
右目を見た。静かだった。
「……明日、来る」
「朝になれば分かる」
「絶対来る」
わずかな間。
「……ああ」
ファリスは走っていった。
---
ジョンは白いマフラーを直した。
来い、と思った。
路地に入る。
影が動く。
前、左右、後ろ。
八人。
全員、銃。
「止まれ」
ジョンは止まった。
「出て行ってもらう」
「断る」
「八人いる」
「見れば分かる」
銃床が腹に叩き込まれた。
体が折れる。
だが、倒れない。
動く。
---
横に転がる。
立つ。
掴む。捻る。落とす。
盾にする。撃たせる。
投げる。崩す。
三秒。
四人。
---
銃声。
左肩に衝撃。
撃たれた。
無視した。
回転。
蹴り。
吹き飛ぶ。
残り三人。
---
二人同時。
掴む。叩きつける。潰す。
残り一人。
---
銃口。
ジョンは見た。
右目だけで。
「撃てばいい」
男の指が止まる。
仲間が全員倒れている。
目の前の男は、血を流して立っている。
それでも——死なない目だった。
「……化け物か」
「違う」
「死ぬ気がないだけだ」
男は逃げた。
---
静寂。
八人が地面に転がっていた。
血が滴る。
肩。脇腹。
足が震える。
「……きつい」
小さく呟いた。
白いマフラーに血が付いている。
スヨンの形見。
少しだけ、目を細めた。
「……すまん」
歩き出した。
---
角を曲がる。
「止まれ。手を上げろ」
政府軍。
六人。
ジョンは手を上げた。
「拘束する」
「……今は抵抗しない」
「今は?」
「体力がない」
兵士が一瞬黙る。
---
「待て」
ラシードが現れた。
倒れた八人を見る。
ジョンを見る。
血まみれの男。
立っている。
「……お前がやったのか」
「そうだ」
「一人で」
「一人だ」
沈黙。
「なぜ戦った」
「囲まれた」
「なぜここにいる」
「帰る途中だ」
「なぜこの街にいる」
少しだけ考える。
「歩いていたら、着いた」
ラシードは目を細めた。
「……何者だ」
「ジョン・ドゥ」
「本名か」
「今の名前だ」
また沈黙。
風が通る。
「……今夜は行け」
兵士が動揺する。
「いいんですか」
「今の状態で拘束しても意味がない」
ジョンは頷いた。
「分かった」
すれ違う。
「ジョン・ドゥ」
呼び止められる。
振り向かない。
「目立つな」
少し間。
「……努力する」
---
宿。
アブ・サリムが駆け寄る。
「手当てを——」
「いい。寝る」
「無理だ」
「明日でいい」
階段を上がる。
一段ごとに痛む。
止まらない。
---
部屋。
暗い。
入る。
止まる。
気配。
---
「電気をつけてもいいか」
ロシア語。
低い声。
落ち着いている。
---
灯り。
男が座っていた。
大きな体。灰色の目。傷だらけの顔。スーツ。
場違いなほど整っている。
---
ジョンは見た。
「……生きてたか」
男は微笑んだ。
「お前もな」




