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第31話 ロドリゲスの覚悟


 ロドリゲスは、一人で執務室にいた。

 机の上に、書類が積まれていた。

 カルテルの組織図。

 過去の捜査記録。

 政治家との癒着を示す内部資料。

 全部、知っていた。

 全部、手が出せなかった。

 窓の外に、グアダラハラの街が広がっていた。

 市場が動いていた。

 子供が走っていた。

 屋台から煙が立ち昇っていた。

 昨夜、六人のカルテル構成員がホテルで制圧された。

 外国人六人に。

 素手で。

 ロドリゲスは、その報告書を読んでいた。

 何度も読んでいた。

 「……」

 椅子を引いた。立ち上がった。

 窓に近づいた。

 街を見た。

 二十三年間、この街で警察官をやってきた。

 カルテルと戦ってきた。

 負け続けてきた。

 理由は分かっていた。

 警察だけでは戦えない。

 政治が腐っているから。

 カルテルの金が、上に流れているから。

 だから手が出せない。

 だから変わらない。

 だから、子供が泣いても助けに行けない。

 「……」

 ロドリゲスは、Netflixのドキュメンタリーを思い出していた。

 タイで起きたことを知っていた。

 腐った組織を、六人が壊した。

 外から来た人間が、内側から変えた。

 その六人が今、この街にいる。

 戦おうとしている。

 「……」

 ロドリゲスは、スマートフォンを手に取った。

 番号を呼び出した。

 長い付き合いの番号だった。

 何度も助けてもらった。

 何度も助けた。

 だが、この番号に電話することは——これまで、躊躇ってきた。

 「……チャンスだ」

 呟いた。

 「この機を逃せば、一生このままだ」

 電話をかけた。

 エドゥアルド・モラレス。

 連邦検察ハリスコ地区長官。

 五十八歳。

 三十年のキャリア。

 カルテルを憎んでいた。

 だが、動けなかった。

 政治の壁があったから。

 電話に出た。

 「ロドリゲスか。こんな時間に何だ」

 「エドゥアルド、頼みがある」

 「……声が違うな。何かあったか」

 「ある。会ってくれ。今夜中に」

 二時間後。

 ロドリゲスの執務室に、モラレスが来た。

 状況を全部話した。

 六人の外国人のことを話した。

 ドキュメンタリーのことを話した。

 カルテルが報復に来て、六人に制圧されたことを話した。

 モラレスは黙って聞いていた。

 話が終わった。

 「……つまり」

 モラレスが言った。

 「その六人に、合法的に動いてもらいたいということか」

 「そうだ」

 「武器の携行許可を出せということか」

 「そうだ」

 「責任は誰が取る」

 ロドリゲスは、モラレスをまっすぐ見た。

 「俺が取る。お前の名前も使わせてくれ」

 モラレスは少し間を置いた。

 「……俺の名前も出すのか」

 「連邦検察の名前がなければ、政治の壁を越えられない」

 「……」

 「お前も分かっているはずだ。このままでは何も変わらない」

 「……」

 「チャンスだ、エドゥアルド。こんな機会は二度と来ない」

 モラレスは立ち上がった。

 部屋の中を歩いた。

 窓から外を見た。

 「……何年だ、俺たちが待ち続けてきたのは」

 「二十年以上だ」

 「そうだな」

 モラレスは振り向いた。

 「分かった。俺も名前を出す」

 「いいのか」

 「いいも悪いも——」

 モラレスは、少し笑った。

 「その程度しないで、何が検察だ」

 翌朝。

 ロドリゲスがホテルに来た。

 六人を集めた。

 「話がある」

 全員が席に着いた。

 ロドリゲスは、ケースを一つテーブルに置いた。

 「昨夜、連邦検察ハリスコ地区長官のモラレスと話した。あなた方に、武器携行の許可を出すことになった」

 全員が、ロドリゲスを見た。

 「合法的に、この街で活動できる。責任はモラレスと私が取る」

 ジョンが言った。

 「……なぜそこまでする」

 ロドリゲスは少し間を置いた。

 「二十三年間、この街で警察官をやってきた。カルテルに負け続けてきた。理由は分かっていた。だが、動けなかった」

 「……」

 「あなた方が来て、変わった。昨夜、六人が制圧された。それで気づいた」

 「何に気づいたんだ」

 「……変えられるかもしれない、と」

 ロドリゲスはケースを開けた。

 銃が並んでいた。

 六丁。

 ジョンは、その銃を見た。

 一丁、手に取った。

 ベレッタM92FSだった。

 「……」

 手が、覚えていた。

 重さを知っていた。

 グリップの感触を知っていた。

 これは、突撃隊で使っていたM93Rではなかった。

 柏木が使っていた銃だった。

 柏木を撃ち抜いた銃が、再びジョンの手に戻ってきた。

 「……」

 ジョンは、銃を見た。

 長い間、見ていた。

 マルティネスが気づいた。

 ヴィクトルも気づいた。

 サラも気づいていた。

 誰も何も言わなかった。

 ダリアだけが、気づいていなかった。

 ジョンの横顔を見ていた。

 「ジョン、どうしたの?」

 ジョンは少し間を置いた。

 「……昔の話だ」

 「昔?」

 「……この銃に、縁がある」

 「縁って?」

 「……いい縁ではなかった」

 ダリアは、ジョンを見た。

 それ以上聞かなかった。

 ジョンは、ベレッタM92FSを手の中で確かめた。

 柏木の顔が浮かんだ。

 タイで共に戦った日々が浮かんだ。

 笑わなかった男が。

 すべてを背負って歩いた男が。

 最後に壊れた男が。

 「……」

 この銃は、守るための銃だった。

 柏木が使っていた頃は。

 だが、最後には歪められた。

 今度は——

 ジョンは、グリップを握り直した。

 「……受け取る」

 ロドリゲスは頷いた。

 ジョンは、ベレッタをホルスターに収めた。

 重かった。

 銃の重さではなかった。

 この銃を、最初に持っていたのは若いスタッフだった。

 スッティンのNGOで働いていた。二十四歳だった。

 守るために持っていた。

 使う前にやられた。

 その銃を、柏木が継いだ。

 守るために使い続けた。

 「悪い奴らと戦う人間が使う銃」——スッティンがそう言って渡した銃だった。

 だが柏木は歪んだ。

 守るための銃が、仲間を撃つ銃になった。

 ラオスの山中。

 柏木がジョンの腹部にベレッタを押し当てた。

 撃った。

 ジョンは腹を撃たれながら、その銃を奪い取った。

 「この銃は守るための銃だ」

 そう言って、柏木の頭を撃ち抜いた。

 それが、この銃だった。

 今、ジョンの手にある。

 ダリアが、ジョンの横顔を見た。

 「ジョン、どうしたの?」

 ジョンは少し間を置いた。

 「……この銃には、歴史がある」

 「歴史?」

 「……守るために作られた。守るために使われた。でも途中で歪んだ」

 「……」

 「俺が、歪んだ先を終わらせた」

 ダリアは、ジョンを見た。

 「……それで、今あなたの手にある」

 「そうだ」

 「なぜ?」

 ジョンは少し考えた。

 「……戻ってきたのかもしれない」

 「何が」

 「……この銃の意味が」

 ダリアは、少し間を置いた。

 「今度は、守り切って」

 ジョンは、ベレッタを見た。

 「……する」

 ダリアは頷いた。

 「努力じゃなくて、する」

 「……する」

 サラが言った。

 「ロドリゲス、一つ聞いていい?」

 「どうぞ」

 「あなたとモラレスさんは、キャリアを賭けることになる。それでいいの?」

 ロドリゲスは少し考えた。

 「キャリアより、この街が大事だ」

 サラは頷いた。

 「……分かったわ」

 ヴィクトルが言った。

 「俺は突撃隊の人間じゃない。だが、この件には乗る」

 ロドリゲスはヴィクトルを見た。

 「あなたは?」

 「ヴィクトルだ。詳細は聞かなくていい」

 「……了解しました」

 ロドリゲスは全員を見渡した。

 「一つだけ、約束してほしいことがある」

 「……何だ」

 「民間人は守ってほしい。カルテルの人間であっても、投降した者は殺さないでほしい」

 ジョンは少し間を置いた。

 「……それはこちらが頼むことだ」

 ロドリゲスは、ジョンを見た。

 深く頷いた。

 マルティネスが言った。

 「なんか、俺たちまたやるのか」

 「やるだろ」

 ヨナタンが答えた。

 「……感染したな、みんな」

 「重症だ」

 サラが言った。

 ヴィクトルは窓の外を見ていた。

 グアダラハラの街が、朝の光の中にあった。

 「……悪くない街だ」

 誰にでもなく、呟いた。


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