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第17話 次の朝


 翌朝。

 ロビーに降りたら、ダリアがいた。

 今日もフロントの横の椅子だった。

 違うのは——スーツケースがあった。

 大きなスーツケース。キャリーバッグ。手提げのバッグ。全部で三つ。

 ジョンは止まった。

 「……なぜスーツケースがある」

 「持ってきたから」

 「なぜ」

 「行くから」

 「どこへ」

 「あなたたちが行くところ」

 「……」

 「駄目?」

 「……理由を聞かせてくれ」

 「ウクライナにいる理由がない。家族もいない。仕事も——もうやめる」

 「……」

 「あなたが昨日、滞在期限の話をしてたでしょ。ドア越しに聞こえた」

 「……盗み聞きか」

 「聞こえてきたのよ。盗み聞きじゃない」

 ジョンは、ダリアを見た。

 スーツケースを見た。

 またダリアを見た。

 「……ここで待っていてくれ」

 食堂に行った。

 四人が朝食を食べていた。

 「ダリアがスーツケースを持ってきた」

 全員が顔を上げた。

 マルティネスが言った。

 「スーツケース?」

 「三つだ」

 「三つ」

 「ついてくると言っている」

 沈黙。

 ヨナタンがパンをちぎった。

 マルティネスがヴィクトルを見た。ヴィクトルがジョンを見た。ジョンがサラを見た。

 サラが立ち上がった。

 「ちょっと待ってて」

 食堂を出ていった。

 マルティネスが言った。

 「サラが行った。やばい」

 「やばい」

 ヨナタンが繰り返した。

 「止めなくていいのか」

 「……俺たちでは止められない」

 ヴィクトルが答えた。

 「なんで」

 「サラが決めたことを止めた人間を、俺は見たことがない」

 ロビーでは、サラがダリアの前に立っていた。

 「スーツケース、準備してきたのね」

 「そう」

 「すごいわね、行動力」

 「……迷惑だった?」

 「全然。むしろ好きよ、そういうの」

 サラはダリアを見た。

 「一つだけ聞いていい?」

 「何?」

 「本当にドキュメンタリー、百回以上見たの?」

 「……それ以上かもしれない」

 「何が好きだった?」

 ダリアは少し考えた。

 「全部。でも一番は——」

 「18発のところ?」

 「違う」

 「どこ?」

 「スヨンさんと笑ってる場面」

 サラは少し黙った。

 「……そう」

 「あの人、笑顔がきれいで。それで、二人が笑ってる場面が——あの人がいなくなった後も、何度も見た」

 「……」

 「あの笑顔を、もう一度見たいと思った。あの人じゃなくていい。あの人が守りたかった人が、また笑えるところを」

 サラは、ダリアをしばらく見た。

 「……来なさい」

 「いいの?」

 「いいわよ。荷物、持つのを手伝う」

 食堂に戻ってきた時、サラはダリアを連れていた。

 全員が見た。

 ダリアが言った。

 「おはようございます」

 マルティネスが言った。

 「……おはよう」

 ヨナタンが言った。

 「……おはよう」

 ヴィクトルは何も言わなかった。

 ジョンも何も言わなかった。

 ダリアはジョンの隣に座った。

 当然のように。

 朝食が終わった。

 マルティネスが言った。

 「で、これからどうするんだ。滞在期限、明日までだろ」

 「そうだ」

 「次はどこへ行く」

 全員が顔を見合わせた。

 「タイには戻らないんだろ、俺たち」

 「そのつもりだ」

 ヨナタンが答えた。

 「じゃあどこだ」

 マルティネスが言った。

 「メキシコはどうだ」

 「なぜメキシコだ」

 「テキーラがうまい」

 「それだけか」

 「それだけで十分だろ」

 ヨナタンが言った。

 「俺はどこでもいい」

 「こだわりがないのか」

 「ない。どこでも同じだ」

 「同じじゃないだろ」

 「似たようなものだ」

 ヴィクトルは腕を組んでいた。

 「……俺も、どこでもいい」

 「お前もか」

 「行ったことのない場所がいい。それだけだ」

 「行ったことない場所って、どこだ」

 「……南米は少ない」

 「南米か」

 サラが言った。

 「ダリアはどこがいい?」

 ダリアはジョンを見た。

 「ジョンが行くところ」

 「そういう答えじゃなくて」

 「本当にそれよ。私はどこでもいい。でも——」

 ダリアはジョンを見たまま続けた。

 「同じ方向に行きたい」

 ジョンは何も言わなかった。

 マルティネスが言った。

 「ジョン、お前が決めろ」

 「……」

 「お前が一番この旅をしてるんだから」

 「……」

 「どこ行きたい」

 ジョンは窓の外を見た。

 キーウの空は灰色だった。

 雪が少し残っていた。

 「……」

 マルティネスが言った。

 「朝になったら分かるって言うなよ」

 「朝になったら分かる」

 ダリアが即座に言った。

 「もう朝よ」

 全員が、ダリアを見た。

 ダリアはジョンを見ていた。

 真剣な顔だった。

 ジョンは、ダリアを見た。

 それからテーブルの全員を見た。

 マルティネス。ヨナタン。サラ。ヴィクトル。ダリア。

 全員が待っていた。

 「……東南アジアだ」

 「おお」

 マルティネスが言った。

 「どこ」

 「順番に回る。タイには戻らない」

 「タイ以外の東南アジアか。ベトナム、カンボジア、ミャンマー——」

 「困っている人間がいる場所だ」

 「……それ、全部じゃないか」

 「そうかもしれない」

 ヨナタンが言った。

 「止まれないな、お前は」

 「止まれない」

 「……それでいい」

 サラがダリアを見た。

 「よかったわね、方向が決まって」

 「うん。でも」

 ダリアはジョンを見た。

 「ベトナムとかって、暖かいの?」

 「……暖かい」

 「よかった。ウクライナ、寒すぎて」

 「……慣れろ」

 「慣れたくない。暖かいところがいいわ」

 マルティネスが笑った。

 「気が合うな、俺と。俺も寒いのが嫌いだ」

 「でしょ。なんでこんな寒いところに来たの」

 「……事情があってだな」

 「どんな事情」

 「長い話だ」

 「聞かせて」

 「……本当に長いぞ」

 「時間はある。飛行機まで」

 マルティネスはヨナタンを見た。

 「お前からも事情を説明しろ」

 「嫌だ」

 「なんで」

 「長くなる」

 「俺も長いと言ったが説明する気だぞ」

 「俺は嫌だ」

 ダリアはヴィクトルを見た。

 「ヴィクトルは?」

 ヴィクトルは少し間を置いた。

 「……飛行機の中で話す」

 「本当に?」

 「本当だ。長い話になる」

 「楽しみにしてる」

 ヴィクトルはジョンを見た。

 ジョンは煙草に火をつけていた。

 「……俺はどこで間違えたんだ」

 小声だった。ロシア語だった。

 ジョンはロシア語で答えた。

 「タイに来た時から、だろう」

 ヴィクトルは天井を見た。

 「……そうかもしれない」

 チェックアウトは昼前だった。

 ロビーに荷物が集まった。

 五人分の荷物と、ダリアの三つの荷物。

 マルティネスが言った。

 「荷物多いな、ダリア」

 「女の子だもの」

 「持つぞ」

 「ありがとう」

 「重い」

 「大丈夫よ、強そうだから」

 「強いけど重いものは重い」

 ジョンはダリアのキャリーバッグを持った。

 何も言わずに。

 ダリアは、それを見た。

 何も言わなかった。

 少し笑った。

 六人は、ホテルを出た。

 キーウの空は、まだ灰色だった。

 でも、少しだけ明るかった。

 「暖かいところに行こう」

 ダリアが言った。

 「行く」

 マルティネスが答えた。

 六人は、歩き始めた。


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