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神の吹かせる風  作者: わた
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動乱

ワープは寮の自室に戻って、学園の制服に着替えることにした。もう神に仕える祈りの巫女ではないのだ。巫女衣装に身を包んで御座所にいくつもりはなかった。白いブラウスに腕を通すと、しっくりと肌になじむ。自分は、次期巫女姫としてここへ来たけれど、フィリエット学園の生徒だ。それに相応しい振る舞いができていたかはわからないけれど。

この学園に来て、本当によかった。ここで出会えたひとたちがいなければ、自分はどうなっていただろう。世間知らずで空っぽだったワープに、この学園は新しい風を吹かせてくれた。


スカートに足を通したところで、ふとポケットに違和感を感じる。中身を取り出して、ワープは目を見張った。


「これ……どうして」


ワープの手には小さな鈴が握られていた。御座所へ行く際にリフィルが持たせてくれた風の心音だ。


風の心音は答えを求める者を導く。


ワープは鈴を握りしめ、きゅっと唇を結んだ。ワープはまた求めている。答えを。


寮を出ると、騎士候補生たちは皆待っていてくれた。ワープは彼らに頷きかける。


答えを見つけに行こう。


ワープは靴を脱いだ。御座所へ向かうための礼儀だ。その掟を忘れてはいない。セイルたちも、武器は何も持っていなかった。ラインが以前リフィルから渡された短剣すらも。

裸足で地面に降り立つと、固い感触と日差しの熱さを感じた。空を見上げれば、不安を煽る真白き太陽が変わらずそこにある。あれは果たして災厄の兆候なのか。その答えも、御座所にあるだろうか。

実は、前回の御座所への道のりで傷ついた足には、いまだに醜い痕が残っている。それを目にして何か言いかける候補生たちを、ワープは遮った。


「靴を脱ぐのは、巫女だけに……私だけに課せられる掟です。この傷を、私は大切にします。私が祈りの巫女として、何かをする……それを証明してくれる傷だから……」

「……ワープ」

「…………」


ワープは笑顔を浮かべ、


「私、精一杯歩きます。行きましょう」


そのとき、悲鳴が聞こえた。


「何だ!?」


校舎の方に、煙が見える。鐘が鳴り響いた。ガラスの割れる音と、爆音。銃声と、悲鳴。幾重にも不穏な音が響き渡る。


ワープと騎士候補生たちは駆け出した。たどり着いた中庭に、信じられない光景が広がっていた。

学園を破壊しようと集った民衆たちが、校舎を攻撃しているのだ。教室には炎が燃え盛り、学園に残っていた生徒たちが逃げ惑う。


「なんてことを……とにかく止めるぞ!」


ケットとセイルが駆け出すが、彼らは今丸腰だ。アナが魔法を使おうと試みるが、


「……精霊が乱れすぎてる。これじゃ魔法を使うのは無理だ」


セイルが舌打ちし、破壊された石像に目をとめた。戦乙女を模した石像の腰から青銅の剣を抜き取る。


「ケット!」


投げられたその剣を、ケットが受け止める。


「……感謝する!」


ケットは校舎に向けて狙撃していた青年の手から、銃を叩き落とした。


セイルは一番近くにいた青年を素手で殴り倒すと、その手から剣を奪い取る。


「ワープ。こいつらの狙いはお前だ。……逃げろ!」


校舎を襲う民衆を払いのけながら、ワープに向けて叫ぶ。ワープは動けなかった。また、セイルやケットたちが戦い、傷ついてしまう。そのショックと、自分のせいで学園までもが襲われたという事実に射すくめられる。自分のせいで。何もかも、自分が悪い。自分が愚かだったから……。


ワープを見つけ、こちらに襲いかかってきた青年を、ラインが蹴り飛ばした。


「……早く行け!」

「ワープ!」


アナに肩を掴まれ、揺さぶられる。


「しっかりして!逃げよう!」


ワープはアナに手を引かれるままに走り出した。


「いたぞ!次期巫女姫だ!」


こちらへ一斉に向かってくる民衆を、ラインたちが足止めしてくれている。嫌だ……彼らが自分のために傷つくのが、おそろしくて仕方がない。


「もう……嫌……私のせいで、私の……」

「そう思うのなら、なぜ自分の身を売らないの?」


この声……!

ぞくっと悪寒が走った。黒いマントを羽織り、この争いの場に相応しくないほど穏やかな微笑みを浮かべたフロウが、そこに立っていた。


「君が今出ていけば、彼らは傷つかない。それなのになぜ行かないの?君は結局、自分が大事なのさ。だから、逃げる。それなのに彼らを心配するふりだけはして、善人ぶる。卑怯者だね」

「ワープにそんなこと言うのは許さないよ」


アナがワープを守るように、フロウとの間に身を挟む。


「この民衆をけしかけたのは君だね?ワープが出ていったら、もうリフィルさまを助けられないでしょ。僕らは僕らの意思で、ワープを守って戦うためにここにいるんだ。君にとやかく言われたくない」


いつも優しいアナの瞳が、確かな怒りをたたえてフロウを見据えていた。フロウは不気味に微笑んだままで、


「なぜ、そこまでこの子を信じられるのかなあ……。罪人でありながら、そのことを知りもせずにのうのうと国の象徴として生きてきた祈りの巫女に、怒りが湧かない?」


すらりと剣が抜かれる。


「巫女には神に願いを届ける力なんてなかったんだよ。国民はそう信じてきたのに。神はただ、わがままを言わない人間を作っておきたかっただけ……そんなことを知って、どう思う?巫女を信じてきた人々は……巫女を信じたまま亡くなった人々は、いつ報われる?」


フロウの目に悲痛な色が浮かぶ。一瞬だけ、微笑みも消え失せて悲しみの表情になったのを、ワープは見逃さなかった。亡くなったセルースのことを想っていることはすぐにわかった。

フロウとセルース……ふたりにまつわる物語は、祈りの巫女の真実が生み出してしまった悲しい出来事だ。ワープが真正面から向き合わなくてはならない悲劇だ。


ワープはアナに向かって頷きかける。アナは少し不安そうな顔をしながらも、身を引いてワープとフロウをまっすぐ向かい合わせてくれた。


「フロウさま。私は確かに愚かです。私の覚悟が足りなかったせいで、国民の皆さんを不安にさせて、その結果リフィル様も、騎士たちも傷つけて……」


ぐっと、拳を握りこむ。


「もう後戻りはできません。私は私の信じた道を進むしかないのです。……私は、セルースさまの思いを真実とするために……祈りの巫女を、本当に、人々の願いを神に届ける存在にするために……行かなくてはならないのです」


フロウの瞳が揺らぐ。


「セルースの名を……簡単に口にしないでくれ」


憎しみを込めた目で、ワープと、その奥で戦うラインを睨み付ける。


「ライン・クロラット……あいつが話したのか。僕と、セルースのことを……」

「…………」

「セルースは優しい子だった。巫女に願いを届ける。そうすれば神様にも届く。だから病気は治るっていつも言っていた……。でも、実際はどうだ?神は巫女の祈りを聞いてなんかいないだって?ふざけるな!」


フロウは剣を振りかぶる。すんでのところでアナがワープの身体を突き飛ばした。ふたりは地面に倒れ、砂ぼこりに目を細めながらフロウを見上げる。フロウは氷のような目でふたりを見下ろしながら、もう一度剣を構えた。


「君が真実を話したことで、世の中は僕の望み通りに動いてくれている。神落としは巫女を象徴とする世の中を壊すために巫女を殺すことを目的とした集団だった。けれどこうなったら目的は変更だよ。巫女を生かしながら、一生を咎人として送ってもらう。象徴ではなく、最も卑しい身分に堕としてやる。蔑まれ、疎まれ、傷つけられる身分……それが祈りの巫女だ」


剣の切っ先が、鈍く光る。フロウの声は、冷たく湿った棘の蔦のように、ワープの身体を締め付けた。痛く、そして少しずつ体温を奪っていく。恐ろしい声だった。


「そんなことは許さない。ワープは君のためにも……君の大切なひとのためにも、行こうとしている。僕はワープの望む世界を信じるよ」


アナが立ち上がり、ワープの手を取る。


瞬間、辺りの景色が歪んだ。少しの目眩の後、突然ワープとアナは飲食店のテーブルの上に転移していた。食器も料理もめちゃくちゃに床に飛び散り、食事中の人々の悲鳴があがる。


「ごめんね、後で弁償するから!」


アナはワープの手を引っ張り、店の外へ飛び出した。人混みをかきわけ、何度も細い路地を曲がり、人気のない裏通りの路地裏に身を潜める。


アナは激しく呼吸を乱していて、深く何度も深呼吸を繰り返す。


「やっぱり無理やり使った転移魔法じゃ、行き先の指定は難しいね。迷惑かけちゃったし、精霊にも嫌われちゃった」


困ったように笑いながら、アナははーっと大きく息を吐く。


「…………」


ワープは身体の震えを抑えられなかった。温もりを求めて、アナと繋いだままの手をぎゅっと握る。


「アナ……」

「ん?」

「皆、無事でしょうか……」


アナはにっこり笑う。


「大丈夫。ワープも知ってるでしょ。皆強いんだから」

「私、どうしたらいいのか。またわからなくなっています。フロウさまは、祈りの巫女の在り方のせいで傷ついた国民のひとりです……その彼が、巫女を貶めることを望んでいるのなら……それを受け入れないのは、やはり私が自分の身が可愛いからではないでしょうか……」

「ワープ?」


アナが顔を覗き込んでくる。ワープは顔を伏せた。見られたくなかった。この期に及んでまた覚悟を揺らがせ、騎士たちを裏切っている醜い自分を。

それでも、アナは微笑みながら言ってくれた。


「ワープ。自分で言ったでしょ。フロウの大切なひとの思いを真実にするために行くって。今まで祈りの巫女を信じていてくれた人たちのために、ワープは行かなくちゃ。ここでワープがフロウの言う通りにしたら、皆を裏切ることになるよ」


ワープはまっすぐアナを見つめた。この瞳に、優しい言葉に、何度励まされ背中を押してもらっただろう。アナはいつだってワープにあたたかい言葉をくれた。


「……そうですよね」


ワープは立ち上がった。思いきり、自分の頬を両手ではたく。


「私はばかでした。私が一番しなければならないことを忘れるなんて。……アナ、セイルたちが心配です。一度学園に……」

「今戻ったら今度こそ捕まっちゃうよ。僕がひとりで戻る……って言いたいけど、精霊が落ち着かないからもう転移魔法は使えないし……」


どうしよう、と頭を抱えたところで、小さく愛らしい声がかかった。


「大丈夫です。私がお手伝いします」


視界の端で揺れる見事なフリルに、ワープとアナは目を丸くする。


「……ルルさま!」


学園にいるはずのルルが、すました顔でこちらを見つめていた。いつものように、頭の先から足の先まで、巻毛の先一本にいたるまで、完璧に身支度した姿で。

なぜここに?

校長室で、力なくエルミタージュに身を預けていたのを思い出す。もう身体の具合は大丈夫なのだろうか?いや、無理を押すほど、学園が危機的状況なのだろうか?エルミタージュはどうしたのだろう。生徒たちは、先生たちは?


ルルはやはりあまり元気ではなさそうだった。いつもは薔薇色の頬が、青白い。


「私が、アナさんの魔法を手助けします。一時的にですが、転移魔法を使う程度には、精霊たちも力を貸してくれます」

「ルル、君は……どうしてそんなことができるの……?」

「私のことは、今はどうでもいいのです。急がなければ。さあ、早く」


ルルの言葉通り、アナはそれ以上の詮索をやめた。


「……わかった。ごめん、少しの間、ワープをよろしくね、ルル」


もう一度転移魔法を発動させる。風の精霊の力に包まれ、姿を消したアナ。その場には、ワープとルルだけが残された。


「ルルさま……」


ルルはぼんやりと虚空を見つめていた。ワープのことも、目には入っていないようだった。

なにかに似ている……。

そして、ワープははっとする。今のルルは、御座所を出る前に最後に見た精霊王に似ていた。無感動で、無表情な精霊の姿に。


アナはすぐに戻ってきた。焦りの浮かんだ顔で、転移してきた瞬間にワープの手を掴む。


「ワープ、無事!? 」

「は、はい。私は大丈夫です。アナ、学園は……」

「皆まだ戦ってる。でも君が転移した瞬間をフロウは見ていたし、もうすぐおさまるよ。セイルたちを探している余裕はなかった。ああ。やっぱり君と離れるべきじゃない。気が気じゃないもの」


あの少しの間離れていただけなのに、心配で仕方がなかった、というようにきつく手を握ってくるアナを、ワープは胸がつまるような思いで見つめる。ワープが弱いから、簡単に折れてしまうから、彼らは必死で守ってくれるのだ。私が弱いから……。


「だから、一緒に戻ろう」


アナが紡いだ言葉は、意外なものだった。


「ルル、もう一度お願いできる?」


ルルはもういつもの顔に戻っていた。


「はい」

「じゃ、君も一緒に戻ろう」

「では、まず校長室に転移していただけないでしょうか。あそこならアナさんに武器を渡せますし、争いをおさめるために校長先生の魔法をより強く使うためには私がいた方が……」

「わかったよ」


アナはにっこりした。


「校長先生が心配なのに、ここへ来てくれてありがとう、ルル。さあ、手を」


アナはワープとルルの手をしっかり握る。一瞬のうちに、三人は学園の校長室に転移していた。

校長室は一見、いつも通りに見えた。しかしいつも流れている穏やかな空気は一変して肌を切り裂くようで、学園の危機をこの部屋全体が訴えているかのようだった。

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