動乱2
鳴り響く轟音が、学園の動乱を物語っている。一見穏やかな校長室も、地響きとともにぐらりと揺れ、ところ狭しと置かれた大陸の品々がカタカタと音を立てる。
エルミタージュは床に跪き、チョークでなにやら紋様を描いていた。突然転移魔法で姿を現したワープたちに、手を止めて安堵したような表情を向ける。
「ああ、よかった。無事で……」
「校長先生」
ルルがエルミタージュに駆け寄る。エルミタージュの顔には汗が滲み、顔色も青白かった。
「まさかこんな事態になるとは……私の考えが甘かったようです。申し訳ない……」
「いいえ。甘かったのは私です」
ワープはぐっと目に力を込め、涙を堪える。
「こうなることさえ、予想しておかなければならなかったのに……」
「後悔しても始まりませんわ」
きっぱりとした口調で言い放ったのは、ルルだった。彼女はこの動乱の中でも凛と可憐で、ドレスのレースひとつひとつに至るまでが人形のように整っていた。
エルミタージュは微笑み、ルルの頭を優しく撫でる。
「ルルの言う通りですね。今、学園の守護魔法を強める魔方陣を敷いています。これで少しは時間が稼げるでしょう」
それから、エルミタージュの銀色の瞳が鋭く細められる。
「敵はこちらが思うより上手だったのです。この民衆をここへ導いたのは神落としでしょう。これだけの人を操るには、強大な力が必要です。祈りの巫女の真実を知ったことで揺らいだ人々の心に、うまくつけこまれてしまった」
アナの顔が曇る。
「フロウにとっては、祈りの巫女がどんな存在であろうが、大した問題ではないのかもね。僕たちは、絶好のチャンスを彼に与えてしまったのかも」
「私、どうしたら……」
こうしている間も、セイルたちは戦っているのだ。それに、人びとの過激さを見る限り、囚われているリフィルたちの身も心配だ。
「成し遂げなさい。貴女はどこへ向かっていたのですか?」
はっとして、ポケットに入れていた小さな鈴に触れる。
「……御座所へ」
チリン…...と微かに鳴る風の心音を取り出し、ぎゅっと握りしめる。
「けど、御座所への、私の旅の間、学園は……セイルたちは……?」
「他に手はないのです。学園は私に任せて、行きなさい」
「大丈夫です。ワープさん」
ルルが、そっとワープの手に、その小さな手を重ねた。
「私がお手伝いします」
ガラス玉のように透き通る、静かな瞳が、小さな女の子のものとは思えないほど賢い光を称えてこちらを見つめている。
「ルル……やっぱり、君は……」
アナがうろたえたようにルルに何か言いかけるが、ルルはゆっくりと首をふり、
「今は、私のことはどうでもいいのです」
「ルルさま……?」
ルルは何かを決意したような、きっぱりとした顔つきでエルミタージュに駆け寄ると、
「おじいさま。ルルはワープさんを助けます」
エルミタージュはじっとルルの顔を見つめ、やがて皺だらけの顔を更にしわくちゃにして、嬉しそうに微笑んだ。
「そうか……。君は、巫女姫を選んでくれたか」
ルルは満足そうにふっと口元を緩める。彼女が両手を差し出すと、白い光の球が宙に浮かび上がった。
「貴方を手助けしてくれる精霊を置いていきますわ。どうぞ、ご無事で」
「……ありがとう、ルル」
それからルルはワープのもとに駆け戻ると、勢いよくワープと、アナの手を掴んだ。
「さあ、行きましょう」
心得ていたかのように、アナが転移魔法を発動させる。緑色の風の精霊に包まれ、次の瞬間には3人はいまだ争いの音が鳴りやまない中庭に転移していた。
いや、3人という表現は正しくないかもしれない。
ルルの姿は、先ほどまでの人形のように整った幼い少女のものではなくなっていた。見事な虹色の冠羽と立派な翼を持つ巨大な鳥が、そこに立っていたのだ。たなびく尾羽は色とりどりにきらめき、少し濡れた瞳はどこまでも深い闇の色。この世のものとは思えないほど美しく、また神々しかった。この鳥の周囲だけ、時が止まっているかのように見える。
何かに似ていると思った。ワープは以前に、こんな感覚を味わった。気づいて、はっとする。精霊王を目にしたときと同じなのだ。
「……驚きましたか」
巨大な鳥が、語りかける。ルルと同じ声。しかし、声というよりは、胸の中に言葉が染み込んでくるような、不思議な感覚だった。
「これがルルの本来の姿なのです。いえ、本来の姿、というよりは、これもルルのひとつのカタチ、といった感じでしょうか」
「やっぱり、君は精霊種だったんだね。君がそばに来た瞬間、怯えていた精霊たちが落ち着きを取り戻した。それだけじゃない、君がそばにいることで精霊たちの力が強くなる」
ルルはゆっくりまばたきをして、アナを見る。
「貴方は、本当に優れた精霊使いですね」
ワープは言葉を失っていた。あまりの驚きと、それから、目の前の存在のあまりの美しさに茫然としてしまう。
「ワープさん。いろいろと聞きたいこともあるでしょうが、今は御座所へ急ぐのが先です。さあ、私に乗ってください」
そうだ。立ち止まってはいられない。アナに手伝ってもらいながら、ワープはルルの背中にまたがった。砂糖のようにきらめく羽毛はあたたかく、包み込まれるようにやわらかかった。
その時、
「……ワープ!」
「ワープ、無事か!?」
名前を呼ぶ声とともに、待ち望んでいた姿がこちらへやって来るのを見て、ワープは思わず涙ぐんだ。
セイルも、ケットも、ラインも、皆土と血にまみれていた。それでも大きな怪我がないことを確かめ、ワープはどっと安堵する。
「皆さん、よくぞご無事で……」
「民たちは徐々に引いている。様子を見るに、軽い洗脳状態だった。それが解け始めたのだろう」
「校長先生の守護魔法が効いたみたいだね」
アナがにっこりする。ルルも、安心したように翼を震わせた。
「おい、こいつはなんなんだよ」
セイルが用心深くルルの顔を覗きこむ。美しい瞳にじっと見つめ返され、うっとたじろいだ。
「精霊か……?」
ケットも訝しげにしていたが、そっと羽毛に触れてみて、その感触に感動したらしい。静かに瞳を輝かせ、無言でもふもふし始めた。
「毎日会っていたのに、わかってくださらないのは心外です」
その声に、セイルは飛び上がり、ケットは目を丸くして手を離した。
「お前……ルルか!?」
「ルル……その、あまりに素晴らしいふわふわ具合で……女性の身体に許可なく触るべきではなかったな、すまない……」
「お気になさらず」
ルルは翼をはためかせ、騎士候補生たちに向かい合う。
「私のことについては、後でご説明致しますから。今は御座所へと急ぎましょう。精霊王の力を借りるのです」
「俺も行く」
セイルがきっぱりと言い放つ。アナが愉快そうに笑って、
「この前ついて行けなかったの、そりゃもう悔しがってたもんねえ」
「うるっせえぞ」
セイルはアナを睨み付け、それからルルとまっすぐ向かい合って目を合わせる。
「連れていってくれ。じゃなきゃお前の尾羽にしがみついてでもついていくぞ」
「それは……困ります」
ルルは淡々と答える。
「ですが御座所は、本来ならば自らの足でいくつもの山を越えたどり着く場所。それが、精霊王が認めた巫女と騎士に課す試練でもあります。私がこうして力を貸すのは、本来あってはならないことなのです」
「わかってる」
セイルの青い瞳は、揺らぎない。ルルはじっとその目を見つめて、やがて何かを認めたようにゆっくりと目を閉じた。
「……そうですね。精霊王もきっと、皆さんにもワープさんとともに来てほしいと思っているでしょう」
ルルは麗しい翼をはためかせる。その姿は日の光を受けて、虹色の光の粒が弾けるように美しかった。
「風の精霊の力を借りて、皆さんをお運びします。ルルのそばへ来てください」
ルルの身体から、緑色の光が絨毯のように広がっていく。その光はワープたちの身体を包み込み、そして眩い光で何も見えなくなった。




