とりあえずの一歩
一度は止めた涙だ。泣いている場合ではない。騎士候補生たちと共に、これからどうするかを決めなくてはならない。もうリフィルとは違う道を歩き始めたのだ。泣いているうちは何もできない。神に逆らうと国民に宣言したというのに、こんなところで何をしているのだ。
……そう自分に言い聞かせても、涙はとめどなく溢れ出てくる。
転移魔法を使って、フィリエット学園に戻ってきていたことすら、ワープはしばらく気づかなかった。次期巫女がこんな状態だというのに、騎士候補生たちは落ち着いて、ワープのために最善の行動をしてくれる。申し訳なくて、情けなくて、ワープはまた大粒の涙を流す。
ほぼケットに抱えられる形で、ワープは温室にたどり着いた。椅子に座らされ、背中をさすられ、それでも落ち着くことができなかった。
「ひっく……ひぐっ……リフィル様が、リフィル様が……私のせいで……!」
激しくしゃくりあげるワープの頭を、アナが優しく撫でる。
「落ち着いて、ワープ。リフィル様は一時的に囚われるだけだよ。巫女なんだから、ひどい目に逢わされるわけでもないよ。騎士さんたちもいるんだから。安心して」
「私、私、どこかで安心していました。きっと、皆、神様よりリフィル様を選んでくれるって……でも、違ったんです……」
「神に忠実でいるか、巫女に忠実でいるか、そんな二択を民に迫るには、いささか性急すぎる運びだったかもな」
ケットが椅子にもたれながら、重々しく言う。
「皆、神を頼る。それゆえに巫女を重んじていたのだ。神ありきの巫女。我々のような巫女側の人間は、それを忘れていたのかもしれん」
「でも、でも、リフィル様を罪人として扱うなんて……」
ひどすぎます、と言いかけ、ワープは口をつぐんだ。
民は、何も悪くない。
こうなることすら覚悟して、答えを決めなければならなかったのだ。こうなった後、どうすれば国民を説得できるか、その行動さえ考えてから、行動しなければならなかったのだ。
リフィルも、彼女の騎士たちも。そして自分の騎士たちも、皆、覚悟していた。愚かだったのは、ワープだけだ。
ぎゅっと膝に置いた拳を握る。ぽた、と涙が手の甲に落ちる。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
ぽたぽたと、熱い涙が手を濡らして、それが膝まで伝ってゆく。
「ワープ」
じっとワープの様子を眺めていたセイルが、組んでいた腕を解いた。手首を掴まれ、痛いほどの力で引っ張られる。思わず身を起こすと、燃えるような青い瞳と目が合った。
「お前を殴りたいが、おれが全力で殴ったらお前を殺しかねないから我慢してやる」
真剣な顔つきでそう言われ、ワープは息をのんだ。セイルの瞳が、彼が本気でそう思っているのだということを教える。
「お前、リフィルに必ず迎えに行くと言ったんだろうが。ならいつまでもめそめそ泣いてんじゃねえ。自分の言葉に責任を持て。お前を信じてる奴の思いを裏切るような真似をするな」
冷水を浴びせかけられたように、ワープは何も言えなくなった。面と向かって、堂々と、ここまではっきりと叱られて初めて、ワープは気がついた。こうやって叱られた経験すら、自分にはないのだということに。
「……ごめんなさい」
ワープは涙を拭い、セイルを見つめた。強く、思いが届くように。セイルはまっすぐに見つめ返してくる。
「……正直言って、おれもこれからどうするべきか道が見えない。でも立ち止まってる場合じゃねえだろ?」
ワープは強く頷く。自分が軽率だったせいで、国はかつてないほど不安定になっている。今、祈りの巫女と国民の関係のために動けるのはワープだけであり、ワープが何とかしなければならない問題だ。
立ち上がり、騎士候補生たちに頭を下げる。
「私は愚かでした。こうなったのは私の責任です。なんとしても、民を説得し、リフィル様を自由にしたい……。お願いします、皆さんの力を貸してくださいっ」
「当たり前だ」
セイルが怒った声で答え、ワープの顔を上向かせる。
「こうなることを予測した上で動けなかったのは俺たちの落ち度でもある。ワープだけに尻拭いさせる気は毛頭ないぞ」
ケットが静かに組んでいた腕を解き、ワープの側へ歩みを進める。そしてワープの髪を一房手に取り、それにそっと口付けた。
「俺はお前の騎士だ。お前が望む限り、どこまででも共に行こう」
それから少し照れ臭くなったのか、咳払いをして赤くなった顔を背ける。
ワープは胸が震え、何も言えず、ただ笑顔で頷いた。
「もちろん。何が起ころうと、僕はワープの力になるよ」
アナは歌うようにそう言うと、ワープの手を取ってきゅっと握る。
「ワープの望む世界が一番理想の世界だって、今でも胸を張って言える。一緒に頑張ろうね」
そう言って指の腹で優しく涙を拭い取られる。ワープはまた泣きそうになりながらも、笑顔を浮かべたまましっかりと頷いた。
ワープはそっと、ラインに視線を向ける。神殿から今まで一言も発することなく、ラインはじっと立っていた。リフィルが囚われるとなったときも、彼は何も言わなかった。
何を考えているのだろう。この事態を、どう思っているのだろう。リフィルを置いて逃げたワープを、それでも己の巫女と認めてくれるだろうか?
「ラインさ……」
「エルミタージュのもとへ行こう」
ラインは顔色ひとつ変えず、いつも通りの涼しい声でそう言った。
「俺たちだけでここで思案していては二の舞だ。今この状況を客観的に見て協力してくれるのは校長しかいない」
ワープは驚いた。それと同時に、嬉しさと、恥ずかしさが襲ってくる。ラインはとっくに前を見据えていた。自分の騎士として何をすべきか考えてくれていたのだ。
「……はい。そうですね」
ワープは頬を叩き、濡れた目を袖で拭って、気合いを入れる。
行こう。とりあえず、でもいい。一歩目を進めよう。




